ガンで、余命何年と告知される方がいいか、
知らずに最期を迎えるのがいいか。
これはその人それぞれであろう。
私は無論、告知してほしい方だが、かといって
それを周りに押し付けるつもりは毛頭ない。
アルコール依存症と診断された時は、正直言って
ガンの告知と同じくらいの衝撃があった。
同時に、なんだかホッとしたのも事実である。
このまま飲み続ければ、余命は一年もない。
確かに衝撃的な診断だが、決定的に違うのは、
断酒をすれば、少なくとも余命を延ばすことが
確実にできるという点である。
その診断を待たずとも、自分自身の実感として、
このままではそう長くは生きられないという
自覚はあった。
それでも、もうお酒を飲めなくなることの恐怖の方が
強かった。 恐るべき脳の暴走である。
まともな人なら、余命一年を宣告され、それを
断酒によって延ばすことができると知れば、
是非もなく、断酒するに決まっている。
まともでないから、飲めなくなることへの恐怖が
勝って、飲み続ける、あるいは断酒しても続かない
こととなる。
振り返れば、断酒を開始した2-3年ごろまでは、
まだまだ、まともな頭ではなかったように思う。
それ以前の飲んでいた頃は、もはや論外である。
偉いわけでも、意志が強いわけでもない。
そのまま死ぬか、余命を延ばすかという選択肢に
おいて、子供たちのためにも、余命を延ばすことを
選んだに過ぎない。
ごく当たり前の選択なのである。
それを、何か特別なことと思い、周りの人にも
そう評価してほしいと思うなら、まだまだまともな
頭ではない。
いずれにせよ、選択の余地がある以上、この病気に
関しては、率直な告知が大前提なのである。
秋の夕暮の空を眺めて、そろそろ一杯飲みたいと思うのか、
きれいな空だと写真を撮ろうと思うのか、穏やかに
眺め続けているのか。
まともか、まともでないかは瞭然なのである。
知らずに最期を迎えるのがいいか。
これはその人それぞれであろう。
私は無論、告知してほしい方だが、かといって
それを周りに押し付けるつもりは毛頭ない。
アルコール依存症と診断された時は、正直言って
ガンの告知と同じくらいの衝撃があった。
同時に、なんだかホッとしたのも事実である。
このまま飲み続ければ、余命は一年もない。
確かに衝撃的な診断だが、決定的に違うのは、
断酒をすれば、少なくとも余命を延ばすことが
確実にできるという点である。
その診断を待たずとも、自分自身の実感として、
このままではそう長くは生きられないという
自覚はあった。
それでも、もうお酒を飲めなくなることの恐怖の方が
強かった。 恐るべき脳の暴走である。
まともな人なら、余命一年を宣告され、それを
断酒によって延ばすことができると知れば、
是非もなく、断酒するに決まっている。
まともでないから、飲めなくなることへの恐怖が
勝って、飲み続ける、あるいは断酒しても続かない
こととなる。
振り返れば、断酒を開始した2-3年ごろまでは、
まだまだ、まともな頭ではなかったように思う。
それ以前の飲んでいた頃は、もはや論外である。
偉いわけでも、意志が強いわけでもない。
そのまま死ぬか、余命を延ばすかという選択肢に
おいて、子供たちのためにも、余命を延ばすことを
選んだに過ぎない。
ごく当たり前の選択なのである。
それを、何か特別なことと思い、周りの人にも
そう評価してほしいと思うなら、まだまだまともな
頭ではない。
いずれにせよ、選択の余地がある以上、この病気に
関しては、率直な告知が大前提なのである。
秋の夕暮の空を眺めて、そろそろ一杯飲みたいと思うのか、
きれいな空だと写真を撮ろうと思うのか、穏やかに
眺め続けているのか。
まともか、まともでないかは瞭然なのである。