ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

7年目の浮気

2012年05月22日 | ノンジャンル
艶っぽい話ではない。

今年、もうすぐ7度目の6月1日を迎える。

思えば、本当に激動の7年ではなかったかと思う。
一年一年、いや、一日一日が様々な意味で自身との葛藤の
連続であった。
それは、今でも変わることはない。

階段を一段一段上るように、一日一日を積み上げてきたに
すぎないし、一日一日を生きてきたにすぎない。
そして、それはこれからも、何も変わらないのである。

山を登るのは、必ずそこに頂上があるからである。
頂上にたどり着いたとき、達成感と満足感に心が
震えるだろうが、同時に頂上に立った自身が透明になる。

そして、それはゴールではなく、今度は山を下りる新たな
スタートとなる。

この病気に完治がない以上、断酒にゴールはない。
だがそれも、生きていくということに置き換えれば、
至極当然のことである。

死はその人の具体的に生きることの区切りではあっても、
終わりではない。
山に登ったならば、必ず山を下りなければならない。
そしてまた、新たに登っていく。

その区切り、節目を、ゴールと勘違いしてしまえば、
大きな落とし穴が待っていることになる。

浮気というのは、誰に許してもらうことでもなく、
一言でいえば自身の油断なのである。

夫婦間の問題なら、たかが知れている。
最悪でも、離婚までだろう。

断酒の浮気は、命取りとなってしまう。
何年経とうが、浮気は禁物なのである。

人である以上、人を好きになることはある。
人である以上、飲みたいと思うこともある。
それは、自分の意志とは関係ないことである。

ただ、浮気をするしないは、それとは別の話である。
それはすでに、自身の意識下の問題だからである。

つい魔がさして、一杯のお酒に手を付ければ、それは
自身の意志で手を付けた浮気である。
誰にどう弁解しようと、意味がない。
また、誰に許してもらったところで仕方がない。

我々にとって、浮気とは、身を滅ぼす元凶となって
しまうのである。

終わりなき前進において、あまり先を見てしまうと
苦しくなる。

今日一日を生きる。
それが、変わってはならない指針であり、
一日断酒の奥義ともいえるのである。