この数ヶ月というもの、お酒どころではなかったせいもあってか、
飲む夢というものをまるで見ていなかったのだが、ここ最近、
何度か夢で飲んでいる。
これまた、今までとは違ったパターンで、飲んでしまったと
悔やんだり、また一からやり直しと、投げやりになったりとか
ではなく、ハッキリとした自覚で、1週間に1日だけを
飲酒解禁日としていて、飲んでいる。
つまりその日は飲んでいても、後の6日間は飲まないという、
コントロールが出来ている自覚と認識において飲んでいる。
裏を返して、意地悪く自分を見つめれば、もう自分は、
それなりの意識と、自覚を持って、飲酒のコントロールが
出来るまでになったという、自負というか、驕りが潜在的に
あるのかもしれない。
しかしながら、覚醒している理性は、反対に、覚醒している
からこそ、飲まないでいられるという事を強く認識している。
飲む飲まないというよりも、この自己の理性を覚醒させた状態で
生活するのか、再び麻痺させてしまうのかという選択肢において、
制御不能となる事が明らかな道を選ぶほど、軽い経験をしてきた
わけではない。
「飲めない」でも、「飲んではいけない」でもなくて、
「飲まない」ただそれだけの事である。
冷静な理性は、この夢に対しても、また新たなパターンで、
『彼』が仕掛けてきているという事を、見抜いているのである。
飲む夢というものをまるで見ていなかったのだが、ここ最近、
何度か夢で飲んでいる。
これまた、今までとは違ったパターンで、飲んでしまったと
悔やんだり、また一からやり直しと、投げやりになったりとか
ではなく、ハッキリとした自覚で、1週間に1日だけを
飲酒解禁日としていて、飲んでいる。
つまりその日は飲んでいても、後の6日間は飲まないという、
コントロールが出来ている自覚と認識において飲んでいる。
裏を返して、意地悪く自分を見つめれば、もう自分は、
それなりの意識と、自覚を持って、飲酒のコントロールが
出来るまでになったという、自負というか、驕りが潜在的に
あるのかもしれない。
しかしながら、覚醒している理性は、反対に、覚醒している
からこそ、飲まないでいられるという事を強く認識している。
飲む飲まないというよりも、この自己の理性を覚醒させた状態で
生活するのか、再び麻痺させてしまうのかという選択肢において、
制御不能となる事が明らかな道を選ぶほど、軽い経験をしてきた
わけではない。
「飲めない」でも、「飲んではいけない」でもなくて、
「飲まない」ただそれだけの事である。
冷静な理性は、この夢に対しても、また新たなパターンで、
『彼』が仕掛けてきているという事を、見抜いているのである。