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宮台真司氏襲撃犯・宮台氏と鶴見俊輔

2023年02月06日 | 人物

安倍元首相殺害の犯人が統一教会の信者の子供で、宮台真司氏襲撃犯がエホバの証人の信者の子供だったといいます。

宮台真司さん襲撃犯、死亡したのは「エホバの証人」集会所だった!近隣住民が見ていた“事件直後の異変”(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース

「憎しみよりも悲しいという気持ちがある。人が死ぬのはどんな理由であれ悲しい」  1日、そう語った宮台真司さん(63)。昨年11月29日に、教授を務める東京都立大学で複数回切られる襲撃事件に遭っていた。それから2カ月、犯人として浮上したのは、昨年末に自殺していた倉光実容疑者(41)だった。

 自殺現場は、実家から300mほど離れた別宅。襲撃事件から一週間後、この家に起こったある変化を、近隣住民が見ていた。 「リフォーム業者が倉光容疑者の家に来て、2階の雨戸の戸袋に2枚、鉄板のようなものを取りつけたんです。窓をふさいだわけでもなく、いったい何がしたかったのか……」  じつは、この別宅は近隣では“注目”の物件だった。

「8年ほど前、ここは『エホバの証人』の集会所だったんです。倉光容疑者のお母さんが信者で、この家に信者らしき人が20人ほど集まって、大きな笑い声が聞こえてくることがよくありましたよ。あるときは『行ってきまーす』という声も聞こえたので、布教の拠点になっていたようです。  実際、私も倉光容疑者のお母さんに勧誘されました。

5年ほど前、集会を見なくなったと思ったら、倉光容疑者が住み始めたんです。仕事をしている様子はなく、毎日図書館に通っていたみたいです。自転車で20分ほどの図書館で何度か見かけました」(同前) 「エホバの証人」に問い合わせると、倉光容疑者の母が現在も信者であるとしたうえで、「宗教活動の拠点ではないが、伝道活動に参加する前後に、友人とお茶や食事をするために別宅を使用していたようです」「倉光実さんはエホバの証人とは一切関係ありません」と回答した。 “宗教2世”だったという倉光容疑者。いまだ犯行の動機は、何も浮上していない。

この倉光実容疑者が「エホバの証人」の信者か、信者でないのかがわからないですが、どうして宮台真司氏を襲い、そしてその後自殺したのでしょうか。


宮台氏のウイキペディア

宮台真司 - Wikipedia

の最後に、

政治学者の姜尚中は「宮台さんこそ、現代における丸山眞男のもっとも卓越した後継者」と評価している。

とありますが、私は、宮台氏自身は丸山眞男よりも、「鶴見俊輔」を意識しているように思います。

これは再び宮台氏のウィキペディアからの抜粋です。

宮台 真司(みやだい しんじ、「宮臺眞司」とも表記。1959年3月3日 - )は、日本の社会学者・映画批評家[1][2]。宮城県仙台市出身[1]。社会学博士(東京大学・1990年)(学位論文「権力の予期理論〜了解を媒介にした作動形式〜」[3] )[4][5]。東京都立大学教授[6][5]。大学院大学至善館特任教授[7]。「オウム事件真相究明の会」呼びかけ人[8][9]

(中略)

クリスチャンである[31][32]。また加速主義者である。

幼少時から霊感が強く、神秘的な経験を多く体験しており、不可解に思っていたが、現在では社会的に理解できる現象だという見解を持っているようである[33]。

(中略)

アントニオ・グラムシの影響で映画によって革命を起こすべく映画作家を目指し、それに役立つと考えて社会学を学んだ。

(中略)

セクシュアリティ・結婚 性風俗、セクシュアリティ、自身の性体験などについても活発に研究・発言している。売春合法化論者。援助交際を専門的に調べるきっかけは、当時付き合っていた女子高生が、援助交際をやっていたからだった[45]。過去にテレクラにハマっていた時期があったが、母親に50枚の会員証が見つかり、すべて捨てられている。なお、その後も続けていた[46]。 最初に自慰をしたのは小学3年生辺りで、対象にした漫画のキャラクターは『サイボーグ009』に登場するフランソワーズ・アルヌール。この時の妄想は、自分自身がフランソワーズになりきって拷問される、というシチュエーションとのこと[47]。 中学高校時代、空手道部に所属していた新入部員のときに、先輩から愛撫の仕方などを学んだとして、次のように自著で書いている[48]。「先輩に全身なめられて、『宮台君はアドレナリンの匂いがするね。感じてるよ。チンチン勃ってるじゃないか』」と、全身を愛撫されたあと言われた[48]。また、中学時代には中央線でよく男の痴漢にあったとして、「触ってくるのが男でも、あの年代はすぐに変な気分になってチンチンが勃ちます(笑)。 しかも男が男に触られてるんだと恥ずかしくて、女の子みたいに 『この人痴漢です!』って言えないじゃないですか。だから触られ放題で、ずいぶん感じさせられました」と自身の体験について発言している[48]。 宮台が最初に結婚したのは、イタズラ好きな友人からもらった、水を垂らすだけで陽性反応と同じサインを示すエイズ検査のダミーキットを、それとは知らずに、当時交際していた女性と自分の唾液を混ぜて使ったところが、エイズの陽性反応が出たと思い込んだことがきっかけであるが[49]、その後にテレクラ問題の報道が要因となり、離婚に至る[50]。 現在の伴侶は、東京大学名誉教授佐伯胖の娘であるが、過去に佐伯の教育論を大批判しており、結婚を決めた女性が、その佐伯の娘であるとは知らず、佐伯の両親に結婚の挨拶しに行くのが大変困った[51]。

 

鶴見俊輔のウィキペディアを少しだけ。全部リンクからどうぞ。

鶴見俊輔 - Wikipedia

抜粋:

鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者・評論家・政治運動家・大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。

米国ハーバード大学で哲学を学んだのち、リベラルな立場の批評で論壇を牽引。思想史から大衆文化まで幅広い分野を扱う。著書は『戦時期日本の精神史』(1982年)、『アメリカ哲学』(2008年)など多数。

(中略)

1929年、東京高師附属小学校入学[注 3]。父・祐輔は海外での講演旅行などで自宅を空けていることが多く、特に1930年の明政会事件の後、約2年半を海外で過ごし[9]、その間、鶴見は一緒に暮らしていた母・愛子から「しかられつづけのくらし」をしていた[10][注 4]。小学3年生ないし11歳の頃、不良化し、近所の子供たちと万引き集団をつくって本や小物の万引きを繰り返し、家の金を持ち出し、小学校をサボって映画館に入り浸り、歓楽街に出入りして女給やダンサーと交際するなどした[12][注 5][13]。1



鶴見俊輔の母方の祖父は後藤新平です。

後藤新平 - Wikipedia

 

参考:

思想の科学研究会 - Wikipedia

『NHK知の巨人たちー丸山真男と政治学者たち』と民主主義 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ヤマギシ会と鶴見俊輔・インド(パキスタン)緑化の父杉山龍丸 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)のでしょうか。

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