Various Topics 2

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トリエステ~ドナウシュヴァーベン~ドナウ連邦構想

2021年11月28日 | トリエステ・オーストリア・ハンガリー帝国

トリエステから、トリエステの元市長からドナウシュヴァーベンに行きつきました。

ワルド派、ユダヤ人、ドナウシュヴァーベン - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ドナウシュヴァーベンのことを当然ならっているだろうイタリア人の友人とアメリカ人の友人にきいたところ、

イタリア人の友人は「多分歴史で少しふれたかもしれないけど、専門家や歴史に興味ある人くらいしか知らない」と言い、アメリカ人の友人は、「習っていないと思う。アメリカ人は、オーストリア・ハンガリー帝国があったことさえ知らない人が多い」と言いました。

上のブログ記事にも書いたように、実は最近見てきて世界の近代史は特に、「ドナウシュヴァーベン」の存在抜きに、19世紀終わりからの欧米の歴史は抜け落ちるところがあるんじゃないか、と思っています。

ドナウシュヴァーベンの人たちは、おそらくユダヤ人、ワルド派のようなカトリックから見れば異端だった宗教の信者と結びつき(ユダヤ人はそういう場合、ユダヤ教から改宗することが多かった)、ある種の国境を越えた連帯を作り上げようとしていったんではないか・・・漠然とそう思いながら研究(?)を初めています。

そんな時、前回書いた記事について調べている途中、知った「ドナウ連邦構想」

ドナウ連邦構想 - Wikipedia

ドナウ連邦構想(ドナウれんぽうこうそう)とは、オーストリア・ハンガリー・チェコ・スロバキアなどの中央ヨーロッパ(中欧)に位置するドナウ川流域の諸国で連邦国家を構成しようとする構想である。歴史的には民族主義が高揚したハプスブルク帝国末期から論じられるようになり、これまでに多種多様な地域統合案が生み出されている。

民族主義の高揚を背景として、ハプスブルク帝国末期から論じられるようになった連邦国家構想である。「中欧連邦構想」と呼ばれることもあるが、同じ中欧に属する国でも基本的にドイツは含まれず、あくまでオーストリア以東のドナウ川流域の諸国のみを対象とする。なお、ドイツを含むものとしては、かつて大ドイツ主義や小ドイツ主義とともに提案された「中欧帝国構想」があった。

オーストリア主体の連邦構想の中では、アウレル・ポポヴィッチ(英語版)が1906年に独語で発表した著作『大オーストリア合衆国』(ドイツ語: Vereinigte Staaten von Groß-Österreich)が特に著名である。この種の構想としては、他に「ドナウ合州国」(ハンガリー語: Dunai Egyesült Államok)などがある。

オーストリアを排除してハンガリー主体の連邦国家を構築する「ドナウ連邦構想」(ハンガリー語: Dunai Szövetség)、スイスを模範として聖イシュトヴァーンの王冠の地を連邦体制とする「東のスイス構想」(ハンガリー語: keleti svájc)など、複数の連邦化構想が提案されたが、いずれも実現することはなかった。

(中略)

ポポヴィッチの著書『大オーストリア合衆国』

ハプスブルク家の君主の不可侵性を謳いつつも、君主国全体を民族集団の分布に応じて15の「半主権的州(halbsouveräe Staaten)」に区分する。どのように線引きしても「国民の飛び地(nationale Enklave)」が生じてしまうため、各州には相互にマイノリティを保護する義務が課される[8]。孤立したマイノリティが周辺の優勢国民に「有機的に」同化するのは仕方のないことであり、むしろ有益であるとポポヴィッチは唱えたが、強制的な同化については強く否定した[8]。想定された「半主権的州」は以下の15州である。

ドイツ・オーストリア
ドイツ・ボヘミア
ドイツ・モラヴィア
ボヘミア
スロヴァキア
西ガリツィア
東ガリツィア
ハンガリー
ゼクラーラント
トランシルヴァニア
トレンティーノ
トリエステ
クライン
クロアチア
ヴォイヴォディナ


各州は独自の政府・議会・司法を有し、外交・軍事・関税・法体系・主要鉄道網といった共通項については連邦政府が担う[8]。連邦議会は二院制から成り、下院は完全男子普通選挙による選出、上院については、従来の世襲議員の数を大幅に減らしたうえで法律家や技師など職能別に構成された議員を新たに付け加える[8]。合衆国の公用語はドイツ語だが、州レベルでは独自の公用語を定めることができる[8]。

ポポヴィッチの『大オーストリア合衆国』はドイツ系勢力に広く受け入れられ、「大オーストリア」を志向する保守派や南スラヴ系のカトリック界からもある程度の支持を得たという[18]。しかし、オーストリア=ハンガリー二重帝国の解消を意図したという点でハンガリー人の反発を受け、ドイツ人の中央集権主義を容認したという点でスラヴ系諸国民からも敵意の眼で見られた[18]。

(後略)

「ドナウ連邦構想」がだめならいっそのこと「世界連邦構想」へ・・となったのかどうか。

近代史から現代、なぜかガリシア地方やオーストリア、ハンガリー出身のユダヤ人の活躍が目についたのも、この関係でしょうか。

(逆に言うと、見捨てられた欧州のユダヤ人たち大勢は、価値なしとして米英は見捨てたかったんではないか?とさえ思う。

ナチスドイツとホロコースト-7(ナチスドイツのユダヤ人絶滅計画を知らせたドイツ人、無視した連合国、最初は無視した世界ユダヤ人会議議長) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

参考:

yrm0004_11_年次大会3_高田.indd (kigyoka-forum.jp)

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