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18世紀から現代までサンシモン主義者のネットワーク-1

2023年03月16日 | サンシモン主義者(信者)・銀行家

そういえば、「ロスチャイルドと、サンシモン主義者/サンシモン教徒の関係はいかに?」と思い検索すると、面白い記事が見つかりました。

(3ページ目) 大河では描けない渋沢栄一『ヤバすぎ都市伝説』【5】渋沢=フリーメイソン傀儡説の謎を追う(後編) (futabanet.jp)

(抜粋)

ロスチャイルド家は1855年、”ある銀行”に対抗するため大資本家たちとシンジケート団を結成。それが後の「ソシエテ・ジェネラル」(銀行としては1864年設立)だ。それから10年以上、激烈な争いを繰り広げてきた銀行こそが、サン=シモン主義者の銀行「クレディ・モビリエ」だった。

 当初はフランス経済をけん引し、時の政府ともガッチリ手を握っていたクレディ・モビリエが圧倒的有利だった。しかし、二大銀行として覇を競う中で、次第に潮目はソシエテ・ジェネラルへ……。度重なる投資の失敗もあり、この1867年、遂にクレディ・モビリエが倒産したのだ。

●なりふり構わぬ手段に出たロスチャイルド家

 ロスチャイルド家の完全勝利の原因は「敵(=クレディ・モビリエ)のセールスポイントを丸パクリすること」。勝利のためには手段を選ばないロスチャイルド家らしいが、具体的には、サン=シモン主義者やその系列の銀行を自派に引き込んだのだ。

 恐らくその流れの一環で、フリュリ=エラール銀行もロスチャイルド家の支配下になったと考えられる。つまり、サン=シモン主義者にしてロスチャイルドの配下というねじれた立場にいたのが、渋沢の金融の師・フリュリ=エラールだったわけだ。

 そして、フリュリ=エラール家の歴史を辿ると、再びあの秘密結社の姿が現れてくる──。

フリュリ=エラール家の謎とフリーメイソンの因縁 

 フリュリ=エラール銀行の大元は、母方の祖父、ジョセフ・エラール・ド・ヴィリアスの創業に遡る(父方の姓が「フリュリ」で母方の姓が「エラール」)。この祖父・ジョセフが変わった経歴の持ち主で、元々は軍人で大佐まで上り詰めたにもかかわらず、突如、銀行家に転身する。

 そして彼が所属していた軍隊というのが、フランス革命の際に、革命防衛隊として中産階級を中心に設立された「国民衛兵」という民兵組織だった。現在のフランス国旗、いわゆる三色旗はそもそもこの革命防衛隊の帽章として考案されたもので、「自由・平等・博愛」を示すという。

 

ぺレール兄弟のクレディ・モビリエが倒産したといっても、2代目のウジェーヌがトランスアトランティック銀行を設立。

その前にぺレール兄弟+2代目のウジェーヌはGenerale という海運会社を設立していたようです。

Banque Transatlantique - Wikipedia

Banque Transatlantique は、1881 年にウジェーヌ ペレールによって設立されたフランスの銀行で、フランスで最も古い民間銀行の 1 つとして残っています。 その所有権は、1941 年にヴィシーの反ユダヤ法に関連して Crédit Industriel et Commercial (CIC) によって取得され、現在は Crédit Mutuel Group の一部である CIC の資産管理部門として機能しています。 Banque Transatlantique はパリに本社を置き、ブリュッセルとルクセンブルクに子会社 (Banque Transatlantique Luxembourg、2002 年設立)、ロンドンに支店、ジュネーブ、香港、モントリオール、ニューヨーク、シンガポール、ワシントン DC に駐在員事務所を構えています。 駐在員、外交官、国際公務員にサービスを提供することに重点を置いています。

歴史
 創業と発展

ペレール兄弟の家業の多くの後継者であるウジェーヌ・ペレールは、1881年にBanque Transatlantiqueを設立しました。 609 人の株主と 50,000,000 フランを超える総資産がありました。 彼は、フランス政府が大西洋を横断する事業への国からの資金提供を停止するという決定に応えて、この銀行を設立しました。 したがって、ペレールは、彼の父と叔父が 1855 年に Compagnie Générale Maritime として設立した海運会社 Compagnie Générale Transatlantique の主な経営権を補完するために、民間銀行を設立しました。 ペレールは、禁止のための「サン・シモンの銀行哲学」を思い描いた. その使命は、まず国の経済と産業の発展でした。 銀行は、フランス国内および海外の企業への融資を開始しました。 銀行の最大の事業は、新しいガスおよび電気産業が流通の需要を生み出した世紀の変わり目に始まりました。 1884 年にチュニジアで、1911 年にモロッコでエネルギー輸送会社を設立することで、銀行は首都とフランスの多くの周辺地域にガスと電気を供給するための資金を調達することができました。 銀行はまた、カサブランカを筆頭に、今日でも見られる多くの公共事業プロジェクトに資金を提供し、1883 年にチュニジアへの議会訪問を組織することにより、海外投資を奨励しました。 ・既存代理店。 この銀行はアルフレッド・ノーベルの遺書に言及されている[1]。 銀行は、いくつかのドラマがないわけではなく、海外への拡大を続けました。 1902 年、マルティニーク島のペレ山の噴火により、マルティニーク島のサンピエールにある支店が破壊されました。 1911 年に、銀行は Banque Commerciale du Maroc の創設を主導しました。

第一次世界大戦、大恐慌、そして第二次世界大戦

第一次世界大戦中の徴兵により、銀行の職員は半減しました。 それでも、戦争の終わりまでに、アフリカ商業銀行を通じてアフリカでの新しい投資戦略と地位を開発しました。 1920 年代、Banque Transatlantique は、オペラ地区に不動産会社を設立し、Union Financiere を買収して拡大期を迎えました。 大恐慌にもかかわらず、銀行はいくつかの戦略的な動きをすることができました。 1933 年の重要な買収は Dosseur et Cie の買収でした。この銀行はフランスの外交官の銀行業務のニーズに応えることを専門としていました。 その後何年もの間、Banque Transatlantique は、パリのケ ドルセーにある外務省にオフィスを構え、領事館の一室であったとしても、海外のフランスを代表する外交官や将校、医師、学校長が駐在していたすべての前哨基地に支部を置いていました。 銀行家の注意を必要とする個人的なビジネスがありました.[3] この銀行は、1934 年にアントワープ ダイヤモンド銀行の設立にも貢献しました。 近代化に歩調を合わせて、Banque Transatlantique は、近代生活における科学技術の国際博覧会 (1937 年) など、時代の技術革新を強調するいくつかの大規模な博覧会を後援しました。 大恐慌は、銀行の顧客を含め、だれも免れませんでしたが、Banque Transatlantique はなんとか生き残り、さらに大幅な成長を遂げました。

1941 年、CIC は BT の支配権を 2 つの子会社、チュニジア銀行とモロッコ商業銀行と共に取得しました。 これは、ユダヤ人企業の清算を要求するフランスでのドイツ占領に対応して発生した[4]。 清算の代わりに、銀行は CIC が銀行の過半数の株式を取得することを許可し、戦後、海外に行った元ユダヤ人従業員を歓迎しました。 しかし、CIC への統合は、銀行が商業銀行としての地位を放棄しなければならず、CIC の支店と競合する支店を運営できなくなることを意味しました。 したがって、銀行は 2 つの事業部門に集中しました。 一方では、金融、商業、および産業企業にサービスを提供するマーチャントバンクになりました。 一方で、個人のお客様にも目を向けました。 この銀行は、フランス人駐在員とフランスに住む外国人にサービスを提供することに重点を置いていたため、「外交官の銀行」として知られるようになりました。

(後略)

このGeneraleが、トリエステのGeneraliと繋がったのでしょうね、きっと。

ランベール家を調べていたとき、「ジョン・ローとサミュエル・ベルナールらが設立したBanque Generaliが、ソシエテ・ジェネラルやトリエステのGelelaliにつながるのではないか?」と思いましたが、これはやや見当違いだったようです。

銀行とユダヤ人-番外編(ランベール邸のサミュエル・ベルナールが設立した銀行Banque générale/Banque royale) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

銀行とユダヤ人-番外編(Banque Generali~Genelali group) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ただし、ジョン・ローの愛人だったと思う人物に、エリザベス・ヴィリアスがいるので、ひょっとしたら、フリュリ・エラール銀行の設立には、ジョン・ロー(1671年生まれ)やサミュエル・ベルナールの関係者・子孫がかかわっていた可能性はあると思います。(サミュエル・ベルナールはもともとロスチャイルド家の部下でした。)

ヴィリアス家は、キャメロン元首相に続く名家(一代目が国王の男性の愛人。)
Villiers family - Wikipedia

 

残念ながら、「ジョセフ・エラール・ド・ヴィリアス」の情報はネットで検索しても見つかりませんが。フリュリ・エラール銀行のポール・フリュリ・エラール(1836年生まれ)の祖父と考えれば、18世紀生まれということくらいしかわかりません。

ポール・フルーリ・エラール - Wikipedia

さて、私はトリノ(アニエッリ家周辺メイン)~トリエステ~アルザス(Javal家メイン)・ロレーヌのユダヤ人をメインに追ってきましたが、これがすべて繋がりました。

ソシエテ・ジェネラル - Wikipedia

 

仮置き:

トリエステの近現代史-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

トリエステの近現代史-5 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

アルザスのJaval家-4(ミュールーズ産業協会とシュルンベルジェ家) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

銀行とユダヤ人-4(ベンジャミン・ディズレーリの祖父とコーヒーハウス) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

オーストリア・ハンガリー帝国のユダヤ人-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

Grasia Mendes Nasi-3(ヴェルナー・ゾンバルトの理論) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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サンシモン主義者-1(François Barthélemy Arlès-Dufour) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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