元在スイス日本大使の村田光平氏が、細野環境・原発大臣に今月送った書簡を、村田氏のホームページから貼り付けます。
(5月31日付の野田首相宛の書簡もあり
http://kurionet.web.fc2.com/murata.html)
細野豪志環境・原発大臣殿
拝啓
時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
原子力に関していつも専門家より正しかった市民の直観で何点か指摘できることがあります。
再稼働問題は原発推進の日本の国策がついに世界を脅かす結果を招いたことを内外に示しました。国策ではではなくなったのにその体制は改められておりません。保安院の「最後のあがき」を容認していることがこれを立証いたしました。これからは推進体制の変革に世論の大合唱が起こると思われます。
2日前にある市民から寄せられたメールを紹介いたします。
「福島でなんとか子どもたちをこの夏休みに北海道に保養に行かせたいと必死な若い母親たちの声をたくさんききました。
母親は放射能からどうやって守ろうかと学校と孤軍奮闘、学校の給食の牛乳を飲めない人は福島から出て行けと言わんばかりの雰囲気、外で遊ぶこともできない子どもたちが荒れて、学校崩壊寸前、子どもの登校拒否、2月の末には母子心中も考えたというお母さんもいました。
福島からの帰りの飛行機の中です。私たちが帰札前に、札幌の事務所の電話は保養の問い合わせで鳴りっぱなしとの連絡が入りました。」
再稼働は今後益々表面化し出すこうした犠牲者の実態への配慮を全く欠くものです。不道徳です。
「政治生命より国民の生命を」と国民は叫びだしております。
福島の事故現場は温度の上昇等悪化が指摘されております。
電力会社との一蓮托生は政治家にとり致命傷になりつつあります。
再稼働の決定はその2か月後の実施を阻止する運動を招くことは必定と思われます。
来る8月までの脱原発政策の確立以外に日本の名誉挽回の道はなくなりました。
貴大臣のご理解とご尽力をお願い申し上げます。
敬具
5月2日のブログで、私は彼を杉原千畝氏になぞらえましたが、足尾銅山鉱毒事件を告発し、明治天皇にまで直訴、生涯をかけて民と正義のために闘った『田中正造』という方がぴったりかもしれません。
田中正造は以下のような言葉を遺しています。
「真ノ文明ハ
山ヲ荒ラサズ
川ヲ荒ラサズ
村ヲ破ラズ
人ヲ殺サズルベシ」
「民を殺すは国家を殺すなり。法を蔑ろにするは国家を蔑ろにするなり。皆自らを毀(こぼつ)なり。材用を濫り民を殺し法を乱して而して亡びざるの国なし。これを如何」
あれから何度も地方選挙で原子力ムラ癒着勢力が当選したし、品質管理・安全管理のダブルスタンダードは問題にさえされません。
私は定年後勤務した会社(製造販売業)をフクシマ前に退職しました。そのとき送別会をしてくださった皆様に、「これからの日本製品は、価格競争ではコスト高のため、新規性では法規制による認可の遅れのため、近隣諸国製品との競争に勝てないが、品質についてなら個々のメーカー自身の努力で達成できる目標であり、近隣諸国製品とは比べ物にならない高品質で、必ず勝てる」という趣旨のことばを贈りました。
ところが、がっかりです。製品がグローバルスタンダードをクリアする際に最重視される安全性基準が、日本では最も危険な原子力施設において最も軽視されることがわかりました。
日本は、歴史的に見て想定外とはいえない自然災害に対しても机上の評価のみで安全であるとして、老朽化した施設を再稼動させる国だったのです。そこには、実際に起きてしまった重大事故の反省も教訓もありません。これが民間企業であれば誰にも相手にされず、とっくに消滅しているでしょう。
こんな呆れた国から危険な原子力発電施設を導入しようというベトナム等も、やはり原子力ムラ支配の国なのか、と思います。
選挙方法を日本は変えるべきですね。小選挙区制を止め、そしてできることなら一国の代表は、直接選挙にしてほしいです。
野田首相の「責任は自分が取る」「国民のために再稼動」という言葉を言える神経を持った人間が、代表なんて・・・。
言葉といえば、「最近の日立のCMで、スカイツリーのアンテナか送電線だったかを「1200年に1度の大風にも耐えられる設計」というような言葉で宣伝していたような気がします。
「福島原発は日立の原発(ただしくはGEの設計したもの)ではなかったっけ?よく、こんなフレーズを使えるものだ。ここまでの厚顔だから、この状態でも海外に原発を売るのに良心の呵責を感じないのだろう」
とあきれました。