goo blog サービス終了のお知らせ 

新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

「新・徒然煙草の咄嗟日記」はこれが最後

2025-07-04 07:26:03 | 日記・エッセイ・コラム

goo blogサービスの終了に伴い、2014年11月から書き続けてきた「新・徒然煙草の咄嗟日記」は、この記事が最終回です。

でも、私がブログをやめるわけではなく、「はてなブログ」引っ越し、タイトルを「続・徒然煙草の咄嗟日記」に変更します(芸のないタイトル)。

現在、過去記事の文章や画像の引っ越し作業の真っ最中で、完了するまで「数日」かかるのだとか。

引っ越しが終われば、「新・徒然煙草の咄嗟日記」のサイトから新サイトに飛べるようになるはずですが、新サイトのURLを貼っておきます。

https://tranquil-smoker.hatenablog.com/

書く私も、読んでくださる皆さんも、なかなか慣れないかもしれませんが、長い目で見てやってください。 [完]

【追記】新サイトへの引っ越しが終わり、「続・徒然煙草の咄嗟日記」として新装開店しました。
一旦、このサイトから新サイトへ自動転移(リダイレクト)するよう設定したのですが、今後の「リンク張り直し作業」に不便なので、リダイレクトを中止しました。
新記事もアップし始めましたので、上に張ったリンクから新サイトにお越しくださいませ。(2025/07/08 09:46)

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MISIAのNew Album「LOVE NEVER DIES」のこと

2025-07-03 13:06:44 | MISIA

「MISIAのアルバムをふり返る (後編)」のつづきのような感じで、MISIA「LOVE NEVER
DIES」
のことを書きます。
ひとつ前の「HELLO LOVE」のことを書いた記事が無いのは、、、、まぁ、忘れてください

最初に、「MISIAのアルバムをふり返る (前編)」に載せた「MISIAのオリジナルアルバムへの私の入れ込み度をで表して」みた表のリバイス版です。

このように、私の中では「LOVE NEVER DIES」最高評価の1枚です
同じ★★★★★だった「Life is going on and on」より上かな と思うくらい…。

近年のMISIAのオリジナルアルバムは、先行配信された曲と新曲「はんぶんこ」しているイメージがあって、この「LOVE NEVER DIES」も同様です。
でも、ヘタすれば「ベタ記事」「埋め草」になりかねない新曲たちのデキがすこぶるイイ
イイし、MISIAによる一貫性があってイイ

例えば、「Change My World」

雫がひとつぶ落ちて 湖面に波紋が広がる
だからこそ 小さくても 声をあげて

「明日晴れるといいな」

想い届くといいな
大切なこと ちゃんと言葉にして
伝えつづけること 大事にしよう

とか、「Be KIND」

何気ない言葉 何気ないことでも 伝え続けたい
『あなたは今 1人じゃない』

と同じく「思っているだけでなく、言葉にして伝えよう」というメッセージだと思います

「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」ツアーの某公演でMISIAは、「Be KIND」の前説で、

「自分が正しい。正義だ」だと思い込んでいる人は、他人に残酷なことをしたり言ったりしがちだと聞きます。
自分の真ん中にはいつも「優しさ」を持っていましょう。

みたいなことをおっしゃっていました。
これは歌詞では、

喜び悲しみ 混じり合う 毎日の中で 大切なものを選ぶ時に ねえ何を
心の真ん中に抱きしめ選んでいくの
だから今
Be KIND 優しくあれ Be KIND 愛を広げ
優しさを繋げよう 誰かを想う気持ち

と表現されています。
また、「○か ×か」というデジタル的な二者択一の考え方に対しては、「はんぶんこ」で、

正しいとか 正しくないとか
心もきっと 曖昧でいい

と歌っています。

きっとMISIAは、人の言動の一部を切り出して「正しいか正しくないか」「正義か悪か」「右か左か」といったレッテル貼りをすることにうんざりしているのだろうな…
2019年の紅白歌合戦レインボーフラッグを使ったときは「右」から叩かれ、2021年の FUJI ROCK FESTIVAL「君が代」を歌ったときは「左」から叩かれたMISIAにしてみれば、「人間なんて、そんな単純なモノじゃないよ」という思いなんじゃなかろうか

先日の朝ドラ「あんぱん」で、「正義はひっくり返ることがある。ひっくり返らない正義は人を喜ばすこと」というセリフ(大意)が出てきました。
MISIAにとっての「ひっくり返らない正義」とは、過去の曲から察するに、「微笑んでもらえること」と、悲しみ苦しんでいる人「寄り添い、励ますこと」なんだろな

私は、MISIAのアルバムの購入特典としていただいたデカジャケカレンダー額装してきました。
「MISIA SOUL JAZZ BEST 2020」のときも、「HELLO LOVE」のときも、額は既製品ながら、そこから先は数百円で買ってきた発泡スチロールボード、片ダン、ラシャ紙などで自作

「LOVE NEVER DIES」でもデカジャケを入手したのですが、今回は、プロの技をお借りして額装することにしました。
まずは適当な大きさの額(色紙用の既製品)を購入してきて、家に持ち帰ると、慎重に額の内寸デカジャケのサイズを採寸
そして、そのメモを持って画材を扱っている店に行き、マットを選んでオーダーしました。
そしてそして、オーダーしたあとで、額装作業を頭の中でシミュレートすると、アクリル板と後ろの板との間に1cmの空間があります
これをどう埋める??? あり合わせの段ボールを使う? それとも…。
結局、厚さ1cmのウレタンシートを買ってきて、それをアクリル板&マットと後ろの板の間に挟み込むことにしました。

そして完成したのがこちらです。

反射や映り込みを防ぐべく、アクリル板を一時的にはずして写真を撮りました。

大きさは12"のレコードジャケットをほんのちょっと大きくしたくらいで、なかなかの存在感です

のマットだと陰気かな? とちょいと不安だったのですが、の額縁を選んだこともあって、アルバムのイメージとピッタリだと自負しています。

ただ、これを飾る場所が見つからない

本宅の壁紙はクリーム色なので、どこに飾ってもインパクトに欠けるし、そもそも飾るスペースが…
とりあえず寝室の出窓のところに置いております

今、「LOVE NEVER DIES (豪華版)」を聴きながらこの記事を書いているんですが、どの曲を聴いても「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」のシーンが頭の中によみがえってきて、し・あ・わ・せ

とりわけ、「ゆびきりげんまん (SEIKO ver)」アウトロがよすぎて、あのバンドメンバーによるソロ回しが懐かしく思い出されます

ただ、ある1曲だけは、私の性に合わず、いつも飛ばしてしまいます
この曲だけ、アルバムの中で悪い意味浮いていると思うんだけどなぁ。

とまぁ、例によって、私の超個人的な感想でした。

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ブログのハードコピー用ファイルづくりのこと

2025-07-01 16:29:11 | 日記・エッセイ・コラム

4月中旬にこのgoo blogサービス終了悲報に接し、私がかなり動揺したことは「goo blogサービスが終了とな!?」に書いたとおりで、しばらく呆然としたあとで、6年半に渡って中断していたブログ記事のWord化作業を開始しました。
この時点では、他のブログサービスに引っ越すのか、ブログ書きを辞めるのか決めていませんでしたが、とりあえず、これまで書いた記事が11月末でサイバー空間から消滅する前に、形として残しておこうと思ったわけです。

そして、4月下旬から過去記事のWord化作業と印刷を開始しました。
5月怒濤の遠征と、その旅行記書きと並行してですから、なかなか大変でしたが、ようやく先月末には一段落がつきました。

この2か月ちょっとの間にWord化 & 印刷した記事は全部で690本
記事1本あたりA4の紙(フォントサイズは9P)で平均2.5ページといったところですから、消費したプリンタ用紙プリンタインクも、それを収納するクリアファイル(1冊で135ページほど)も、ハンパない量になってしまいした。
プリンタインクは色によって多少の消費量の違いはありますが、5~6パックを使いました。
つまり、かなりの労力お金(数万円のレベル)をつぎ込んでこの作業をやり遂げたのでした

   

Word化&ハードコピーが終わったところで(っつうか並行して)、次にとりかかったのは収納ファイル表紙づくりでした。
誰に見せるファイルでもありませんので、完全に自己満足の為…

ファイルの Vol. 1 (2009年1月末~)から Vol. 24 (~2015年5月初旬)の表紙はこちらで載せましたので、それ以降のを一気に載せます。

まず、Vol. 25 (2015年5月初旬~)からVol. 30 (~2017年4月中旬)。

つぎに、Vol. 31 (2017年4月中旬~)からVol. 36 (~2019年9月下旬)。

そして、Vol. 37 (2019年9月下旬~)からVol.42 (2022年10月下旬)。

そしてそして、現時点では最新の Vol. 43 (2022年10月下旬~)から Vol. 46 (2025年4月末)。

各巻のメインビジュアルの写真を見るだけで、「あの時、あの頃は…」と感慨に浸ってしまいます。

現在、Vol. 47 (2025年5月初~)ハードコピーを収納している最中ですが、この記事を含めてあと1~2本満杯になる見込みです。
ですから、遅かれ早かれ…ということで、Vol. 47素案を作ってしまいました。

旅行記MISIAのことだらけの Vol. 47「〆はやはりこれだろと、「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」 ファイナルのときの日本武道館の写真を選びました。

   

この一連の作業をしているうちに、手前味噌ながら、このブログ愛おしく思えてきて、このままサイバー空間の闇消え去るのは惜しい と思えてきました。
読み返すと、我ながら良く書けているなぁと思う記事が少なからずあるし、なによりも、ネットメディアで横行する「コタツ記事」がほとんどありません

また、記事を書く行為自体、私にとっては何の苦もなくひたすら楽しいことですし、何度も書きましたが、例えば旅行記を書くことは、旅行の復習になるし、その中で、新たな体験や知識と過去の体験や知識との関連性/つながりが見えてきたりすると、それはもう至福のひとときです。

こんなことを思い出したり、考えたりしてみると、やはりブログを辞める手はないだろう という結論に達しました

そしてきょう、月が変わったタイミングで、引っ越し先のサイト登録を済ませました

本格的な引っ越しをいつから始めるのか、新しいサイトをいつから公開するのかは未定です。
しばらく更新の間が空いたら、「引っ越し作業中なのだなと思ってください。

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祝 記事3600本!

2025-06-30 06:46:46 | 日記・エッセイ・コラム

きのうの記事「2025年前半の旅行記を整理」がこのブログ通算3,600本目の記事でした。
このgoo blogサービスは、あと3か月で新規投稿&編集機能停止、その1か月後には「営業終了」になってしまいますので、ここで「祝 記事○○本!」を書くのはこれが最後になる見込みです。

ちょっと感傷に浸りながら、まずはキリ番記事の一覧です。

100本目
200本目
300本目
400本目
500本目
09/04/05
09/06/19
09/09/02
09/11/16
10/01/29
73日間
74日間
73日間
74日間
73日間
  花見に行ってきました
イントゥザライト、出走!
「火の鳥」第1・4巻を持ち帰った
エゾシカの寿司!?
J.D.サリンジャーの訃報
600本目
700本目
800本目
900本目
1000本目
10/04/24
10/07/23
10/10/16
11/01/16
11/04/17
85日間
89日間
83日間
90日間
91日間
  あれ? 「のだめ24巻」がきょう届く?
「空頭」って?
大宮を出発
アールデコの楽園であ~る
さすがに北海道は寒いぞ
1100本目
1200本目
1300本目
1400本目
1500本目
11/08/05
11/12/11
12/03/28
12/07/22
12/11/26
108日間
126日間
107日間
114日間
124日間
  頼朝さんはかっこよかった!(その4:完結編)
これから帰ります
今日の通勤"も"往復とも散々…
フェルメールの2点の「真珠」が上野に来訪中(その6)
予定を変更して…
1600本目
1700本目
1800本目

1900本目
2000本目
13/03/25
13/07/31
13/12/14

14/04/01
14/08/11
119日間
126日間
134日間

107日間
130日間
  MISIA星空のライヴVII 東京2days(ネタバレ大あり)
相変わらずコメントスパムがやって来る
MISIA 星空のライヴVII 秋田公演は実質的に「アレックス追悼公演」でした
きょうにうってつけのニュースを発見
徒然煙草@「徒然草」展 (後編)
2100本目
2200本目
2300本目
2400本目
2500本目
14/12/31
15/06/04
15/11/22
16/04/17
16/10/10
140日間
156日間
166日間
145日間
173日間
  MISIAのプレイリストをつくってみた
名古屋旅行記(その17)
今年二度目の関西旅行記(その12)高野山編⑤
FY16も埼玉県立近代美術館の展示は絶好調 (前編)
Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(初日・その5)
2600本目
2700本目
2800本目
2900本目
3000本目
17/02/18
17/07/30
17/12/17
18/06/14
19/04/30
128日間
162日間
137日間
177日間
316日間
  「カッコイイ!」の連発だったカッサンドル展
東京藝大のコレクション 第1期
2017年3度目の関西旅行記 #2-10
2018年最初の関西旅行 #3-3
「MISIA平成武道館」のこと
3100本目
3200本目
3300本目
3400本目
3500本目
20/01/08
20/07/28
21/12/04
23/02/24
24/11/07
253日間
202日間
494日間
447日間
622日間
  中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #5
マイナポイントの申込完了
約1年ぶりの関西旅行記 #2-3
今年も最初の遠征先は関西 #3-2
懸案の鶴岡市の街歩きを決行 #4
3600本目 26/06/29 234日間   2025年前半の旅行記を整理

3,401~3,500本目の記事を書くのには過去最長622日間(2年弱)を要したのに対して、ここ100本は234日間で書きました。しかも直近50本に限ると、81日間というペースアップです。
ごく初期には毎日新ネタをアップして、70~80日間で100本の記事を書いていたわけですが、当時は、内容よりも「毎日書き続けること」最優先でしたから、文字数も記事1本にかけるエネルギーも、今よりかなりかなり少なかった気がします。

さて、ジャンル別の記事本数は、

ジャンル別記事本数ランキング

と、ここ数年の傾向そのままで、なんとも変わり映えしないランキングになりました。「変わり映えしない」といっても、これがこのブログの特徴なわけで、意識的に変えようとは毛頭思っておりませんです

goo blogサービス終了に向けて、2度目の引っ越しを画策中です。
引っ越しがいつになるかは未定ですが、ひきつづき当ブログをご愛顧いただければ幸いです。

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2025年前半の旅行記を整理

2025-06-29 12:30:51 | 旅行記

きのう、「福岡遠征2025 #3-5 【完結編】」を書き終えてブログにアップしたあと、私は「X」にこんなポストをしました。

実際、ふ~~ っと大きな息をついて、達成感みたいなものを感じていたのは正直な気持ち。
ところが、一夜明け、改めてブログの記事一覧を眺めると、5月以降の旅行記の本数の多さに、我ながら呆れてしまいました
ちょうど、今年・2025年折り返し地点になりましたので、これを機会に、今年前半の旅行記整理しておこうかと…

   

ということで、今年上半期に出かけた旅行の期間やブログ記事の本数とタイトルを並べてみます。
順番は、旅行の時期の早い順です。

愛知 [2025/1/11-12] 10本

ダイジェスト:2025年最初の遠征は愛知へ #0 & #M (25/1/13)
初日:2025年最初の遠征は愛知へ #1 (25/1/14)
2日目:2025年最初の遠征は愛知へ #2-1~#2-7 (25/1/15~22)

大阪 [2025/1/25-27] 17本

ダイジェスト:今年最初の関西旅行記 #0 & M (25/1/28)
初日:今年最初の関西旅行記 #1 (25/1/29)
2日目:今年最初の関西旅行記 #2-1~#2-9 (25/1/29~2/10)
3日目:今年最初の関西旅行記 #3-1~#3-6 (25/2/11~16)

髙松 [25/4/5-7] 11本

MISIA編:10年半ぶりの高松遠征記 #M (25/4/9)
ダイジェスト&初日:10年半ぶりの高松遠征記 #1 (25/5/2)
2日目:10年半ぶりの高松遠征記 #2-1~#2-5 (25/5/3~8)
3日目:10年半ぶりの高松遠征記 #3-1~#3-4 (25/5/9~12)

関西 [25/5/13~15] 14本

ダイジェスト:大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #0 (25/5/16)
初日:大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-1~#1-5 (25/5/29~6/3)
2日目:大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #2-1~#2-4 (25/6/4~11)
3日目:大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #3-1~#3-4 (25/6/12~14)

宮城 [25/5/17~18] 5本

MISIA編:あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #M (25/5/19)
初日:あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #1 (25/5/20)
2日目:あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #2-1~#2-3 (25/5/21~23)

福岡 [25/5/24~26] 13本

MISIA編:福岡遠征2025 #M (25/5/27)
ダイジェスト:福岡遠征2025 #0 (25/5/29)
初日:福岡遠征2025 #1 (25/6/17)
2日目:福岡遠征2025 #2-1~#2-5 (25/6/18~22)
3日目:福岡遠征2025 #3-1~3-5 (25/6/23~28)

   

こうして整理してみると、上記5回の旅行のうち4つMISIA絡みだというのが、なんとも私らしい

なお、ちゃんとした旅行(?) 以外にも、私は月1回ペース別邸に出かけていますので、今年上半期の私の移動距離は相当なものです
ざっと計算したら、約13,000kmとな
でも、私がクルマ通勤していた頃は、半年で15,000kmくらい走っていましたから、それに比べれば…でもあります

さて、今のところ、来月以降は、帰省を除いて、旅行の予定はまったくありません。長崎での「MISIA CANDLE NIGHT 2025 LIGHT OF PEACE -80th Year-」にも行きませんし…。
とはいえ、「関西 [25/5/13~15]」みたいな旅行を思いついて、ふらっと出かける可能性も無きにしも非ずです

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福岡遠征2025 #3-5 【完結編】

2025-06-28 18:44:34 | 旅行記

「福岡遠征2025 #3-4」のつづきです。

前回は無視してしまった観世音寺宝蔵を拝見しました。

築65年を超える、ちょっと古い感じ(高床式が「いかにも…」)の、この宝蔵自体が登録有形文化財なんだ

「奉賽費(入館料)」600円をお納めし、階段をのぼると、、おおっ

リーフレットに、

林立する巨像-
観世音寺の重要文化財

とあるとおり、丈六仏、それも立像ド~ン ド~ン ド~ン と立ち並んでいらっしゃいます (下の写真はリーフレットから拝借)

丈六仏坐像でも十分に大きいのに、それが立像ですからその迫力たるや

リーフレットによれば、

最も大きな馬頭観世音菩薩立像像高503.0cm、諸尊像はここに掲示した6体(馬頭観世音菩薩、十一面観世音菩薩立像、聖観世音菩薩坐像、阿弥陀如来坐像、兜跋毘沙門天立像、大黒天立像)および阿弥陀如来坐像をお守りする四天王像、十一面観世音菩薩立像(不空検索観世音菩薩立像の誤り?)、地蔵菩薩半跏像、吉祥天像など16体、さらに現本尊の聖観世音菩薩立像(講堂)、阿弥陀如来立像(九州国立博物館出陳中)を加えた18体が重要文化財に指定されている。

だそうです。
リーフレットに載っている仏さまたちの制作年代は、10世紀頃に制作されたという毘沙門天像1222年制作の不空検索観世音菩薩立像を除き、すべて平安時代後期~末期です。
このことについてリーフレットは、

律令制の崩壊によって官寺の権威がゆらぎ、再三の火災や台風の被害もあって寺運は傾いていきましたが、平安時代末期以降観音信仰の寺として民衆に支えられるようになりました。現在宝蔵に収められて仏教芸術の粋といえます諸尊像や舞楽面などの作品の多くは、律令制崩壊後のものであることがこのことを雄弁に物語っています。

と解説しています。
なるほどねぇ~。
平安時代末期には、これほどの立派な仏像を何体も持てるほど復興できたのか…
でも、そこから鎌倉⇒室町⇒戦国⇒江戸時代と長い時間が過ぎる中で、いろいろ浮沈を経てきたんだろな…

そんなことを考えながら法蔵を出て、戒壇院に向かいました。

   

この門に「坐禅」と「写経」のお知らせの貼り紙がありまして、

臨済宗 妙心寺派 戒壇院

ですと?
観世音寺天台宗のお寺なのに、戒壇院臨済宗??
そして、石灯籠には源氏の紋所「笹竜胆」が刻まれています。

ちなみに、屋根の丸軒瓦には「西戒壇」の三文字。

私、戒壇院観世音寺の一堂宇だと思っていたのですが、戒壇院にお参りしたあとにいただいた解説文にはこうあります。

筑紫野の戒壇は天平宝字5年(761) 聖武上皇勅願によって、観世音寺境内の南西の一角に設置され、九州の僧尼達の登壇授戒の道場として継承されて来ました。しかしながら戒壇創設の頃から17世紀後半までの歴史はあまり確かではありません。東大寺の戒壇は十師が置かれ、東西の戒壇は五師でした。筑紫戒壇は西戒壇とも言われました。
近世の復興は寛文9年(1669) 戒壇院の本尊毘盧遮那仏の修復に始まり、本堂の再建、修改築が行われました。(中略)
元禄16年(1703) 福岡藩三代藩主黒田光之の藩命によって博多禅寺、四ヶ寺(聖福寺、崇福寺、承天寺、妙楽寺)の管理下に置かれ、観世音寺から独立しました。明治6年(1873) 臨済宗妙心寺派、博多 聖福寺の末寺になりました。

なるほど~

戒壇院の本寺・聖福寺には2023年2月にお参りしました(記事)
「日本最初の禅寺」聖福寺は、開山:栄西開基:源頼朝で、「笹竜胆」を浮き彫りにした立派な門がありましたっけ…

いやぁ~、いろいろ繋がりますなぁ
で、戒壇院の「本堂」

突然ですが、ここで私の「戒壇コレクション」

まずは、最初の常設の戒壇、東大寺の戒壇院戒壇堂です。

そして早くもしんがりは、鑑真和上のお膝元、唐招提寺戒壇跡。

「戒壇コレクション」なんて大上段に振りかぶりながら、この3つだけです
もっとも、「戒壇」なんて、そんじょそこらにあるものではありませんから…

   

これにて戒壇院に別れを告げて、

西鉄五条駅へと歩きました。

観世音寺・戒壇院からほど近い太宰府市役所前から直通バスに乗ることもちょっとだけ考えましたが、往路のように立ったままというのは辛いので、電車を選択しました。

無事に(?)、西鉄五条駅からも、乗り継ぎの西鉄二日市駅からも座れまして快適西鉄福岡(天神)駅に着き、地下鉄に乗り換えて(これも座れた)、福岡空港に戻って来ました。

福岡空港に着いたのは14:30頃で、私のフライト(16:50発)までは余裕綽々

ホテルの朝食後、何も食べていませんでしたので(もちろん、水分は随時補給しました)、お腹はペコペコ

時間に余裕があり、かつ福岡空港ですから、遅い(遅すぎる)昼食は、私の福岡遠征時の定番になりつつある某店「もつ鍋定食」を食しました。
ぎりぎりランチタイム(~15:00)に入っていましたから、追加したもつ&キャベツランチ料金でよかった

しっかし、このもつ鍋定食、いつもながら、手頃な値段旨いなぁ
池袋に東京店があるようなので、そのうちに行ってみるつもり

大汗をかき、ハンドタオルグショグショにして、大満足で昼食終了

コインロッカーから荷物を回収し、それを手荷物として預けたあとは、ラウンジまったり & 一服

私が乗った機材「DREAM SHO JET」という特別塗装機でした。

でも、内装はなんのへんてつもなく、ドリンクサービスの紙コップスペシャルだったことくらいのものでした。

畿内からの眺めは、基本的に「雲しか見えない」という残念なものでしたが、「空港混雑」とかで離陸が遅れたものの、175km/hの追い風に後押しされて、羽田空港にはほぼ定刻に到着

この日(5月26日)は、21:00からMISIAが出演する「しゃべくり007」が放送されることになっていました。私は録画予約していたものの、できればリアタイで視たいのが人情というもの。
でも、私が羽田空港から乗ったリムジンバス自宅最寄り駅前に到着する予定時刻は20:55で、かなりビミョーでした。

ところが、予想に反してというか、私が通勤・帰宅ドライブしていたときには経験したことがないほど、首都高速山手トンネルも含めてすいていました
そして、定刻よりも35分も早く自宅最寄り駅前に着いてしまいました
所要時間予定の約半分40分
自宅に着いたのは、20:26で、余裕を持ってTVの前に待機できたのでした

「終わり良ければすべて良し」と言いますが、こうして「途中も終わりもすべて良し」福岡遠征になりました
2週間前の奈良で悪運使い果たしたということなのか、筥崎宮太宰府天満宮のおみくじで「大吉」連発させたことの表れなのかよく判りませんが、ほんとにめでたしめでたし…

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福岡遠征2025 #3-4

2025-06-27 19:55:36 | 旅行記

「福岡遠征2025 #3-3」のつづきです。

「#3-3」の最後に、「太宰府に来る途中、バスの車窓から見えた気になる建物と書いたのは、太宰府界隈の案内マップによれば、戒壇院の建物だったらしい。

私、天平の昔、日本に戒律を伝えるため、苦労に苦労を重ねて渡航してきた鑑真和上が、日本で最初に授戒(753年)したのが観世音寺でだったことは知っていました。
でも、2019年9月に太宰府を歩いたときは、大宰府政庁跡坂本八幡宮観世音寺太宰府天満宮というルートを採ったのですが、そのときの旅行記は、

古寺・観世音寺は、あまりピンと来ませんでした
宝蔵を拝見すれば印象が変わったかも知れませんけど…

となんとも素っ気ない
そして戒壇院に至っては完全無視

そんなこともあり、今回は観世音寺の宝物殿を拝見し、戒壇院を間近に見てみたい と思いついたのです。
しかも、今年1月、観世音寺の梵鐘と「兄弟鐘」と言われる妙心寺の梵鐘を拝見し、録音とは言え、その鐘の音を聞きましたし…。(記事)

ということで、太宰府天満宮から観世音寺・戒壇院に行き、西鉄五条駅から電車に乗るまでのルートはこういうものでした。

逆方向に歩いた 5年半前もそうでしたが、今回も、太宰府駅を通過し、太宰府駐車センター辺りまで歩くと、それまでの雑踏喧噪だったかのように、人通りはほとんど無く、静まりかえっていました。

観世音寺までの道の途中、周りを見渡すと、2人組の観光客が1組歩いているだけ
私としては、こちらの雰囲気の方が好きであります

太宰府駅前から歩くこと20分弱で、観世音寺裏手の礎石が並ぶエリアに到着しました。

観世音寺の伽藍絵図 (1526年)からすると、この礎石僧坊のものと思われます。

さて、案内板から観世音寺の由緒を転記します。

大宰府政庁の東に接して建てられた観世音寺は大宰府の庇護のもと九州中の寺院の中心となり「府の大寺」と呼ばれた。
百済を援けるため九州に下った斉明天皇朝倉橘広庭宮で亡くなり(661年)、その子天智天皇が、母の菩提を弔うためにこの地に観世音寺建立を発願したことが「続日本紀」に記されている。
寺は80数年かけて天平18年(746)に完成し、天平宝字5年(761)には僧尼に戒を授ける戒壇を設置奈良の東大寺・下野(栃木県)の薬師寺と並んで日本三戒壇の一つに数えられている。
かつては方3町(約330m四方)の寺域を占め、講堂・金堂・五重塔などの建物が整った大寺院であったが、その後、火災や大風にあい、創建時の建物は失われている現在の金堂と講堂は江戸時代に黒田藩主が再建したもので、県指定文化財となっている。

観世音寺の伽藍絵図を見て気づくのは、中門を入ると、正面に講堂左に金堂右に五重塔という独特の配置です。
法隆寺の伽藍配置から、金堂と五重塔を、左右入れ替えた感じですな。
でも、観世音寺独特なところは、金堂向き

法隆寺のように中門側(南)ではなく、伽藍の中心線の方(東)を向いているのです。
興福寺の東金堂中心線の方(西)を向いていますが、中金堂は中門方向(南)を向いています。
太宰府市教育委員会作成のリーフレットによれば、

現在の建物は災害による倒壊後の元禄元年(1688)に再建されたものです。不動明王が安置されています。創建時の建物を支えていた礎石が使われていますが、当初の配置ではありません。創建時の建物と同じく東向きです。

だそうです。

なお、中門に正対する講堂は、

建物は元禄元年(1688)に再建されたもので、木造杵島観音立像(聖観音立像)が安置されています。建物の周辺には古い時期の礎石があり、現在の建物より大規模だったことがわかります。

ですから、講堂と金堂は同時期に再建されたんですな。

また、五重塔は、

文献によるとかつては瓦葺きの五重塔が立っていたようです。塔は康平7年(1064)の火災で焼失し、以降は再建されませんでした
現在は塔の中心に据えられていた巨大心礎一部の礎石をみることができます。

だそうで、この心礎の大きいこと

と、ここでちょっとした疑問が…。

記事のはじめの方に載せた「観世音寺伽藍絵図」「大永6年(1526)」の作だそうですが、これが描かれたときには五重塔は無かったはずです。
戦国時代、観世音寺関係者が、「府の大寺」だった律令時代の栄華を偲びながら、古文書や伝承をもとに描いたのかもしれません

さて、観世音寺といえば、国宝の梵鐘でしょう。
その鐘楼がこちら。

なかなかワイルド石積みです
でも、主役の梵鐘不在

鐘楼の手前にある、

この梵鐘京都妙心寺の鐘と兄弟と云われ その古さに於ても亦優秀さに於ても 正に日本一と稱せられ糟屋郡多々良で鋳造されたと伝えられています
  菅公の詩に
   都府楼纔看瓦色 観音寺唯聴鐘聲
とあるのはこの鐘であります

という説明板がなんか寂しいぞ (菅原道真の詩も、「見えるのは役所の赤瓦だけ。聞こえるのは観世音寺の鐘の音だけ」寂しい)
しかも、梵鐘の代わりに大きなコンクリートの塊が吊されているのは、さらに侘しい

ところで、このコンクリート塊は、なぜ梵鐘の代わりに吊されているのだろうか?
急に重い梵鐘が無くなると、鐘楼の体が鈍るとか(これは無いだろ)、バランスが崩れるからとか、そんな理由で吊されているのでしょうかね…

ここで「#3-5」(恐らく完結編)につづくのもちょい寂しいので、15年前九博で開催された1300年ぶり兄弟鐘の共演『妙心寺鐘・観世音寺鐘』鳴鐘会(めいしょうえ)」の動画を再掲しておきます。

つづき:2025/06/28 福岡遠征2025 #3-5 【完結編】 

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福岡遠征2025 #3-3

2025-06-26 11:25:13 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「福岡遠征2025 #3-2」のつづきです。

まだまだ尾を引く太宰府天満宮仮殿でありまして、

無料配布リーフレット「筑紫路 ロマンの散歩道 だざいふ」(よくできてます)から転記しますと、

令和5年(2023) 5月から約3年間という御本殿大改修期間に限り、御神霊(おみたま)が御本殿からお遷りになる場所として、建築家・藤本壮介氏の設計で、御本殿前に特別な「仮殿」が建てられております。
御祭神 菅原道真公を慕い京より一夜にして梅が飛んできたという飛梅伝説に着想を得て、豊かな自然が御本殿の前に飛翔し、仮殿としての佇まいを作り上げることをコンセプトに、藤本壮介氏によって設計されました。

とのこと。
まさしくコンセプトそのまま「仮殿」生きています
竣工すれば「おしまい」ではなく、屋根の上の草木が、季節を写し、約3年間という短期間ながら、草木成長する変化を楽しめるのですから。

ちなみに、藤本壮介さんは、大阪・関西万博会場デザインプロデューサーで、かの大屋根リングを設計した、今をときめく建築家です。

太宰府天満宮宝物殿では、

「藤本壮介展 太宰府天満宮仮殿の軌跡」が開催中で、私としては興味津々だったのですが、

この日は「月曜日」ということで、宝物殿休館日にあたっていました
ちなみに、元旦開館している希有な博物館、九州国立博物館休館日でした。

もし、この日、九州国立博物館に行けていれば(常設展は東博の「友の会」会員証を使って無料で観られた)、5月だけ東京・奈良・京都・九州の4国立博物館すべてに行くという「快挙(?)」達成だったのに…

まぁ、九博「また今度で済みますが、「藤本壮介展」の方は、会期が8月末までだそうで、こちらを観る機会はほとんど無さそうです。
もし私が8月16日に長崎で開催される「MISIA CANDLE NIGHT 2025 LIGHT OF PEACE – 80th Year –に行くのだったら、その帰りにでも立ち寄る策もありましたけれど、このタイミングは「お盆帰省の最中なのです

でも、「捨てる神あれば拾う神あり」で、この記事を書いている途中、森美術館「藤本壮介の建築」展が開催されることを知りました。

会期は7月2日(水)~11月9日(日)となかなか長いし、会期中無休だそうなので、これは行かねば
ただ、会期が長いと「そのうちに…」となって、気づくと終わってた という経験もありますので、これだけは注意しておきましょ

   

宝物殿近くの参道沿いに、麒麟(うそ)の銅像が立っています。

麒麟の方は、某ビールのラベルのようなリアル(想像上の霊獣に「リアル」はないとは思う) な感じですが、「鷽」の方は、

斬新というか原初的というか、リアルとはほど遠い造形です。

この鷽像が造られ、寄進されたのはいつなのかというと、台座に刻まれていた文字によると、

 嘉永五年 壬子二月吉日

とな。
「嘉永5年」は、西暦だと1852年で、明治天皇の生年にして、ペリー来航の前年にあたります。
まさしく「幕末の始まり」ですが、そういう時期にこんなにデフォルメされた鷽像が造られたなんて、なんか凄い

いや、もしかしてこの像のモデルは小鳥のウソではなく、「鷽かえ神事」に使われる木彫りの鷽かも… うん、そっちの可能性が高いな…

   

絵馬殿の前で「猿回しが行われていました。
宝物殿九博お休み「手持ち無沙汰」になった私は、しばし「猿まわし」を見物しました。

私が「猿まわし」を見物するのは、2023年2月湯島天神にお参りしたとき以来のこと。
あのときの「猿まわし」(楽しかった)と比べると、お猿さんの芸は未熟(見るからに子猿)だし、おじさんしゃべりもあまり面白くなく、かなり見劣りするものでした
それでも、タダ見は失礼なので、おひねり500円だけザルに入れました。
湯島天神のときは快く1000円を拠出したんだけどねぇ…

この時点で時刻は11:30
福岡空港に向かうにはまだ余裕ありすぎます
さて、どうする? と考えた時に思い出したのは、太宰府に来る途中、バスの車窓から見えた気になる建物でした。

よし、そこに行ってみよう

となったところで「#3-4」につづきます。

2025/06/27 福岡遠征2025 #3-4 

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福岡遠征2025 #3-2

2025-06-24 19:38:02 | 旅行記

「福岡遠征2025 #3-1」のつづきです。

鳥居をくぐって左折し、もう一つの鳥居をくぐり、太鼓橋を渡って、、、と思ったら、

心字池に架かる太鼓橋の階段を利用して記念撮影している一団がいました

見た感じも聞いた感じも、中国人の団体さんです。
そんなところで記念撮影したら、他の人に迷惑だろうが…
中国には「傍若無人」という四字熟語は無いのかねぇ

と調べたら、「傍若無人」「史記由来のことばだそうな

こちらのサイトによると、の時代、皇帝を暗殺する刺客、暗殺者である荊軻(けいか)は、酒を飲むと人が変わることで有名」だったそうで、

毎日仲間たちと酒を飲んでは、音楽にのって踊ったり、大声で騒ぎ立てていたのです。その様子がまるで「そばに人がいないような振る舞い」だったため、「(かたわら)に人無きがし(ごとし)」と言われました。このお酒を飲んだ荊軻の姿から「傍若無人」という言葉が生まれたとされています。

とな
ふ~~ん…です

しばし記念撮影が終わるのを待って、太鼓橋を渡り、楼門をくぐって、いざ仮殿とご対面

ふお~~
仮殿写真は見たことがありましたが、実物を拝見すると、予想以上に屋根の上の木々モコモコで、「生命のオーラを感じた気がしました

正面から拝見してもかなり凄いのですが、ちょっと斜めから見ると、

屋根の上の木々が、回廊の外の森に溶け込むようで、これは快感ですらあります

向かって右側の飛梅の方に回り込むと、こんな感じ。

横から見るとかなり人工的というか現代的な「建物」だとよく判ります。

そして、賽銭箱仮殿のイメージに合わせた斬新な形状です

この仮殿が、本殿の修復が終わるまでの「仮」で、あと1年ほどで解体されることに寂しさまで感じてしまいます。
でも、それもまた「仮=パビリオン」美学なのかもしれません

ところで、「飛梅」はいつもの場所でを繁らせていました。

でも、御本殿養生シートがすぐ近くにあって、ちょっと窮屈そうにも見えました。

   

今回の福岡遠征前、予習として、2019年に放送された「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 新春SP『太宰府天満宮』」の録画を視ました。

この番組の中に、このクスノキが出てきました。

クスノキが、回廊の南西隅の屋根を突き破るように屹立しています。

クスノキが本当に回廊の屋根を突き破るはずもなく、このクスノキは元々回廊の外にあったものの、太宰府天満宮が回廊を拡張した際、クスノキを伐採せずに済むよう、こんな構造にしたのだとか

また、番組では、太宰府天満宮が創建される前、この辺りはクスノキが生い茂るだったとも言っていました

御本殿の裏手には「夫婦楠(めおとくす)」というクスノキの巨木があります。

説明板によると、

は筑紫路を代表する樹木で、太古の昔より自生し、天神の森を形成している。その中でも特に大楠といわれ、大正11(1922)年3月に他の一本とともに国指定天然記念物に定められたのが夫婦楠である。夫婦が寄り添って立つ姿に見えるのでこの名がついた。樹齢は1000年から1500年と推定される。

だそうです
太宰府天満宮の御祭神・菅原道真が亡くなったのは、今から約1100年前延喜3(903)年ですから、もしかしたら、この地に菅原道真の墓所と太宰府天満宮が創建された頃には、すでにこの夫婦楠が存在していたかもしれません

どうでもいい話ですが、私は真下から見上げたクスノキの姿が大好きです。

細い枝クネクネっと伸びて、いつも緑の細長い葉を繁らせている(常緑広葉樹)んですよねぇ

   

時間は前後しますが、仮殿でお参りした後、おみくじを引きました。

おぉ、有名な「東風吹かば…」の歌が書かれた「大吉」です
2年前「大吉」を引き当てたんだよな…と、その写真を見たら、

今回とまったく同じ「第25番 大吉」でした
ただ、おみくじの色が、2年前はピンクだったのが、今回はきみどりでした

つづく。

つづき:2025/06/26 福岡遠征2025 #3-3 

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福岡遠征2025 #3-1

2025-06-23 14:48:47 | 旅行記

「福岡遠征2025 #2-5」のつづきです。

遠征最終日、5月26日(月)の朝、起きてまずやったのは、前日、アイスペールごと冷蔵庫に押し込んだの確認でした。
冷蔵庫のドアを無造作に開けると、アイスペールが床に転がり落ちるのは必至でしたから、慎重にドアを少しだけ開け、アイスペールを手で支えながら全開し、アイスペールを取り出しました。
そして、アイスペールの蓋を開けると、、、、さすがに量は減ったものの(そりゃそうだ)、一杯のアイスコーヒーを淹れられるだけの生き残っていました

さっそくお湯を沸かし、ルーティーンの「朝のアイスコーヒーを味わったのはいうまでもありません。

   

さて、最終日の予定としてあらかじめ決めていたのは、太宰府に行くことと、夕方の飛行機で帰る、この2つだけでした。

朝食を食べながら、その周遊コースを考えたのですが、

一番の考えどころは、荷物をどこのコインロッカーに入れるか、でした。

太宰府への往路直行バスを使うつもりでしたが、復路西鉄を使う可能性も残しておきたい
もしも地下鉄博多駅改札内にコインロッカーがあれば、それが一番融通が利くだろうと、調べたところ、地下鉄博多駅のコインロッカーはすべて改札外でした
博多駅のコインロッカーを使って、帰りが西鉄だったとしても、博多駅一回改札を出て、コインロッカーから荷物を取り出し、もう一度改札に入り直せばよいのだけれど、それは面白くありません
悩ましいぞ

ところで、レストランから見えた川向こうのこのビル、なんかです。

壁にドアのようなものがついていますが、階段はなく、これがドアだとしたらかなり危ない
もうずいぶん前、自宅の近くで見た建物もこんな感じでしたっけ

どちらの建物にも、かつては外階段があったのでしょうね、K.I.T

   

食事を終え、部屋に戻った私は「コインロッカー問題」の検討を再開しました。

そして思いついたのは、福岡空港(国内線ターミナルビル)のコインロッカーに荷物を入れ、福岡空港(国際線ターミナルビル)から太宰府行きの直行バスに乗るという手段。
2年前に博多駅から直行バスで太宰府に行ったとき、途中の福岡空港(国際線ターミナルビル)で乗客を乗せていた記憶がありましたから

さらに調べると、福岡空港国内線⇔国際線のターミナルビル間には無料連絡バスが運行されているとか

これなら動線にも、金銭的にもムダがありません
これで決まり

ということでホテルをチェックアウトし、櫛田神社前駅地下鉄七隈線博多駅地下鉄空港線福岡空港駅 というルートで福岡空港に到着しました。

ここでちょっとした誤算が…

私が荷物を入れたコインロッカーは国内線ターミナルビルの北端あたりで、国際線ターミナルビルとの連絡バスの乗り場は、逆の南端近くだったのです
ちょっと調べる手間を省いたせいで、たっぷりとターミナルビルの中を歩きました

以前乗ったことのある羽田空港内の連絡バス公道を走りましたが、福岡空港内の連絡バスは、厳重無人ゲートを通って空港の管理区域内を通過するルートで、なかなか珍しい体験ができました

連絡バスの中は、当然ながら大きな荷物を連れた外国人旅行客だらけで、私のようなトートバッグ1個の乗客は他にいませんでした

さて、国際線ターミナルビルに着いた私は、さっそく太宰府への直行バスの乗り場に並びました。

この時間帯、太宰府へのバスは15分間隔と、頻繁に運行されていますが、2年前の体験からして、それでもバスは混んでるんだろな、と心の準備をしていたところ、案の上、バスでは座れませんでした
でも、考えようによっては、「高速道路を走るバスに立って乗った」という珍しい体験ができたわけで…

バス大宰府政庁跡(乗降なし)、太宰府市役所(乗降なし)を経由して、終点の太宰府駅前に到着しました。

そして、太宰府天満宮参道は、例によって例のごとく大にぎわい

ところで、今回の太宰府天満宮へのお参りは2年前からの懸案になっていました。

2年前の2023年2月末、太宰府天満宮にお参りした際(記事)本殿の前立入禁止になっていて、そのエリアでは「仮殿」が建設されつつありました。
2023年5月から約3年の工期で、124年ぶりの「御本殿」改修がおこなわれるということで、「仮殿」は、その工事期間中限定のもの。
それで、

約3年間にわたって、御本殿を拝見することはできなくなりますが、逆にいえば、藤本壮介建築設計事務所のデザイン・設計による「仮殿」は約3年間しか存在しないわけで、こりゃ、是非「仮殿」にお参りしたいものです

とブログに書いた次第です。

この2年越しの懸案がいよいよ片付く とワクワクしながら参道を進んだのでした。

つづき:2025/06/24 福岡遠征2025 #3-2 

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