新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #2-2

2024-09-13 13:17:32 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-1」のつづきです。

正倉院正倉の外構(建物)を見物したあとは、せっかくですので、東大寺大仏殿にお参りしました。

まずは大仏殿の正面に立つ国宝・八角灯籠から。

この灯籠は、普通の灯籠に比べて、脚部(竿)が短くて、失礼ながら「胴長短足」に見えます。
思うに、巨大大仏さまと釣り合う灯籠にしようとすれば大きな火袋(火を灯す部分)が必要だけれど、さりとて馴染みのプロポーションにすれば火袋の位置が高くなりすぎて、火を灯すのが大変(加えて、せっかくの火袋のレリーフ見えない)という理由で、こんな形になったのかな? と推察します。
それはともかく、8面のうち4面にある「音声菩薩(おんじょうぼさつ)(笙、横笛、縦笛、チャッパからなるカルテット)イイんです

音声菩薩のお顔はふっくらされていて、「これぞ天平って感じです。よく判らんが…
(写真のチャッパ[鈸子]担当のレリーフはレプリカで、オリジナルは東大寺ミュージアムで展示されています)

現在の大仏さまの頭部は江戸時代初期に復興された4代目だそうで、もしかすると、創建時の大仏さまのお顔は、音声菩薩のように、ふっくらされていたのかもしれません。

大仏殿が炎上し、大仏さまが熔けてしまうような戦火に繰り返し見舞われながら、至近に立つ八角灯籠や、近くの正倉院1300年近くも残ってきたのが奇跡のように思われます。
なお、天平時代から残る東大寺の建築物としては、法華堂(三月堂)[訪問記]転害門[訪問記]があります。

大仏殿の中を一回りして、今回の東大寺探訪を終わりにし、次は、昼食前に奈良国立博物館(奈良博)を見物することにしました。

それにしても暑い

あまりにも暑いもので、来た道を返して奈良博に向かう途中、「東大寺門前 夢風ひろば」で、内部から体を冷やすべく、かき氷を食べました。

かき氷かき氷を注文したとき、お店のお兄さん曰く、「お客さんのうち、日本人は5%くらいかな?」だそうな

うんうん、確かにそんな感じがします
外国人にとって日本の仏像や古い建物どんな感じなのかは判りませんが、世界広しとはいえ、野生の鹿がうじゃうじゃいて、それがおとなしくて(たまには凶暴なのもいる)体に触らせてくれるなんて場所はそうそう無いでしょうから、得がたい体験ができますからねぇ

   

「#0」で書いたように、私は旅行の2日前、東京国立博物館(トーハク)に行き、「友の会」更新してきました(もちろん、総合文化展=平常展も観てきた)。
「友の会」(年間 税込7,000円)にはトーハクの特別展観覧券3枚ついてくるほか、

本会員証で、東京・京都・奈良・九州国立博物館の平常展を何度でもご覧いただけます。
京都・奈良・九州国立博物館各館が主催する特別展を、ご本人のみ何度でも、団体料金でご覧いただけます。

という特典があります(他にもある)
トーハクの特別展は、特別観覧券を使い切ってしまうと何の優待もないのはいかがなものか(かつての会員制度では団体料金で観られた)ですが、これまでも京都・奈良・九州国立博物館でこの特典を利用してきました。
さて、今回はどうでしょうか?

奈良博では「泉屋博古館の名宝」「フシギ! 日本の神さまのびじゅつ」の二つの展覧会が開催中で、これは特別展なのか、はたまた平常展なのか…

チケット売場「友の会」会員証をお見せしたところ、なら仏像館も含めて、無料でご覧いただけます」だそうな
やった トーハクに行って更新してきた甲斐があった でした

で、まずは「泉屋博古館の名宝 住友春翠の愛でた祈りの造形」から拝見しました。

「第15代住友吉左衛門友純(雅号:春翠、1864~1926)のコレクションをはじめとして住友家伝来の美術品の保管、研究、公開を行う美術館」泉屋博古館(せんおくはくこかん)存在や所在地(銀閣寺に行く途中の路線バスがその前を通った)は私も知っていましたが、京都・鹿ヶ谷本館にも、東京のリニューアルした泉屋博古館東京にも行ったことがありません。

住友コレクション中枢をなしているという青銅器への関心が薄いのが、その一番の理由なのですが、せっかくの機会なんで楽しませていただきました。

まず驚いたのは、住友春翠こと住友吉左衛門友純さんの出自でした。
「友純」と書いて「ともいと」と読ませるところからやんごとないものを感じるのですが、Wikipedia にあるとおり、

東山天皇の5世孫である従一位右大臣徳大寺公純の第6子として生まれた。

だそうで、内閣総理大臣経験者の西園寺公望実兄とは
まさしく世が世ならば「公達(きんだち)ですな

徳大寺友純さんは、住友家当主父子が相次いで亡くなったことから、29歳1892年に請われて婿養子として住友家に入ったのだとか。

もちろん、当主とはいえ、実業経験のない「公達」ですから、住友家の運営は「番頭」格の人たちが担ったのでしょうが、Wikipediaによれば、現在の三井住友銀行につながる住友銀行が、「(1895年)11月1日住友本店銀行部として、住友吉左衛門の個人経営による資本金100万円の住友銀行が開業」だというのは初耳でした。

さらに、銀行業進出を決めた住友家の重役会議が尾道で開かれ、そして住友銀行の最初の支店「尾道支店」だったというのもまた初耳です

「どうして尾道?」なんですが、尾道が物流の要衝で、住友家の祖業の別子銅山からも住友本店のある大阪からも重役が集まりやすいということらしい。

ここで、15年前尾道に行ったとき[旅行記]旧住友銀行尾道支店の写真を撮ってたりしないかな? と思ったら、ありました

この建物を見たときは、何の建物か判らなかったんですよねぇ
まさか由緒正しい建物だったとは

なんとも「泉屋博古館の名宝 住友春翠の愛でた祈りの造形」展から逸れっぱなしですみません
ここで、住友家・住友春翠のことおしまいにして、「#2-3」からは展覧会のことを書きます

なお、住友コレクションを所蔵する美術館の名が「泉屋博古館」なのはなぜか、住友グループのトレードマーク「菱井桁」なのはなぜか、については、過去の力作「井桁と菱を調べてみた話」をご一読くださいませ。

つづき:2024/09/14 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-3

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台風に邪魔されながらの関西旅行記 #2-1

2024-09-12 12:31:22 | 旅行記

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-6」のつづき、ここからは旅行2日目(8月30日(金))のあれこれです。

朝食前に、散歩という距離ではないけれど、京都駅八条口前にある喫煙所まで歩き、そこで一服しました。
東海道新幹線は始発から新大阪~東京運転見合わせになっているんだけど、京都駅の新幹線ホームには車両が止まっていました。

車両基地まで戻れなかったのかねぇ?
それにしても、青空皮肉です

前日、この竹田街道八条交差点で、とんでもない運転をするクルマを見かけました。
南北方向が赤信号右折可⇒が出ている状態で、から走ってきたアルファード右折車線を通って、信号待ちしている左折・直進車線のクルマたちを追い抜いて左折していったのです。
あんなのを初めて見ました
対向車がいなくてよかったんだけれど、少なくとも信号無視&通行区分違反で、4点&反則金18,000円です。
あのアルファードほど極端ではないにしろ、京都のドライバーの運転が荒い気がするのは私だけでしょうか?

   

私は、旅行のお楽しみホテルの朝ごはんを食べたあと、チェックアウト。
そして、奈良のホテルJR奈良駅前なので、近鉄ではなくJR京都9:37発みやこ路快速奈良に向かいました。

車内には多くの外国人が 
そして、この列車が稲荷駅には停車しないことがしきりに数カ国語でアナウンスされていました。
伏見稲荷に行きたい場合は、東福寺駅京阪電車に乗り換えるんですな。
そういえば、京都駅から奈良線の各停に乗って宇治まで行ったとき(記事)は、観光客らしい乗客のほとんどが稲荷駅で降り、車内は閑散となったっけ…

みやこ路快速に乗っている大勢の外国人旅行者たちはどこに行くのだろうかと思っていたら、半分くらいが宇治駅で降り、残り半分が終点の奈良駅まで乗っていました。
まぁ、そんなもんだろうな

さて、京都から約45分奈良に到着し、例によって、ホテルに行き、荷物を預かってもらいました。
そして、JR奈良駅前から路線バスに乗って奈良公園方面へ

バス乗り場も外国人だらけ
一時期、奈良や京都で聞こえてくる外国語は中国語かハングルばかりでしたが、欧米系の比率がかなり上がった印象です

それはともかく、どこに行く?

この時点でも、目的地として決めていたのは興福寺(とりわけ久しぶりの国宝館)だけで、まったくもって気ままな旅です
そして、とりあえずは東大寺に行くことにして、氷室神社・国立博物館でバスを降りました。

と、「なんとも奈良」な光景が

「置物ですか?」と聞きたくなるような見事シカです

シカだって日陰でをとりたくなる日差し強さと暑さです

東大寺大仏殿鴟尾の輝きまで暑そう

ここまで来て、久しぶりに正倉院を観に行こう と思い立ちました。
東大寺ではなく宮内庁が管理する正倉院、その外構が公開(無料)されるのは、奈良博恒例の「正倉院展」期間中(今年は10月26日~11月11日)を除けば、平日限定です。

いまや「平日こそ活動日」になっている私ですが (年休を取って正倉院の外構を観に行ったことがあったっけ…)、せっかくのタイミングですから、拝見させていただきましょう。

ということで、大仏殿前駐車場の縁を通って、途中の喫煙所で外国人観光客に混じって一服したあと、参道に出て、南大門をくぐり、大仏殿回廊右回りに迂回して、正倉院に向かいました。

そして大仏殿回廊北西隅からいつものよう南北通路を通って正倉院に行こうとすると、あれま

「史跡整備工事」のため近道通れない…
そういえば、昨年10月(MISIA PEACEFUL PARKのとき)に来た際、大仏殿裏手(北側)講堂跡周辺の整備を実施中だという看板を見ましたっけねぇ。

そんなわけで、さらに迂回して正倉院の正門の前を右折し、

「参観者出入口」に到着しました。

正門の脇に銅板葺き立派な、しかし真っ黒読めない説明板がありましたが(かつては説明板は白く、柵外からも読めた)、ご丁寧に、その内容が柵に掲示されていました。
曰く、

正倉院
正倉(校倉)はもと東大寺の宝庫で奈良時代に建造されたものである。
以来1200余年の間 聖武天皇の御遺物をはじめ数々の貴重な宝物がここに収められてきた。
現在宝物は防災設備を施した構内の新宝庫に移してある。
 平成13年 1月                  宮内庁

だそうで、東西二つある新宝庫のうち西宝庫が、正門の左手奥に見えました。

宮内庁のこちらのサイトによれば、二つの新宝庫のうち、整理済みの宝物を収納している西宝庫勅封されていて、「染織品を中心とした整理中の宝物と聖語蔵経巻が収納」されている東宝庫はそうではないらしい。
そして、毎年秋の点検(このタイミングで正倉院展が開催される)の際には勅使がやって来て勅封を解き、終わったら再び勅封するのだとか。(動画)

ちなみに、世にも名高い織田信長による正倉院宝物蘭奢待切り取りも、ちゃんと勅使を伴って奈良にやって来て事に及んだそうな

さて、正倉院正倉です

いつながら大きい いつもながら閑散としてる

写真で見ると「ちょっとした倉庫」のイメージなのですが、実際に目の当たりにすると大きい大きい
「正倉院展」のキッズサイトからを拝借するとこんな具合です。

それにしても、いつ写真を撮っても、暗く写って、せっかくの校倉見えないのはなぜ? (壁に露出を合わせると屋根が白く飛ぶ)

軒が深く壁が影になるからなんだけど、宮内庁のHPのような写真はどうやったら撮れるんだろ?

まだ日の低い朝のうちに撮るしかないのかな? (私が行ったのは11:20頃)

そんなことを考えているところで、「#2-2」につづきます。

つづき:2024/09/13 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-2

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台風に邪魔されながらの関西旅行記 #1-6

2024-09-11 10:09:53 | 旅行記

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-5」のつづきです。

きのう、「#1-5」をほぼ書き終えて、下書きをいったん保存したあと仕上げを、と思ったところ、「本文に不正な書式が含まれています」とかで保存できず、かつ、記事後半が消滅してしまいました
気を取り直して、消滅した部分を半分ほど再び書いて、仮保存しようとすると、またもや同じ現象が起こって、描き直した部分が消滅

こんなことは、過去にも何度かあったんですが、昨夜はここで心が折れてしまい、中途半端なところで「#1-5」としてアップした次第です。

「不正な書式」がどの部分なのか教えてくれればいいのに、なんて不便なんだろ。
日が変わったことでもう一度気を取り直し東本願寺のところから書き始めます。

   

私が東本願寺にお参りするのは、20113(記事)202012(記事)につづいて今回が3回目です。
過去2回は、共にMISIAのライヴ絡みの遠征はずだったのですが、2011東日本大震災2020MISIAの落馬事件ライヴが中止になったという「空振り遠征でした。
もちろん今回はMISIAとは何の関係もありません

さて、私は、備え付けのレジ袋に入れた靴を持って、御影堂にお参りし、ついで、渡り廊下(造り合い廊下)を通って、となりの阿弥陀堂に移動しました。

きまりが変わったのか、私が気づかなかっただけなのか判りませんが、東本願寺では、堂内での写真撮影OKでした。

おことばに甘えまして、キンキラキン内陣を撮影。

説明板によりますと、

阿弥陀堂の内陣は、「仏説阿弥陀経」の世界を表現するため、天井から柱にいたるまで金色に荘厳されている。
また、御本尊・阿弥陀如来の左右には、法然上人をはじめとする七高僧聖徳太子の御影像が掛けられている。

だそうです。
別邸の仏壇キンキラキンなのも同様の理由なんだろね
そして、阿弥陀如来像に向かって右奥に掛けられている聖徳太子の御影像は、うちにも掛軸がある「孝養像(きょうようぞう:みずらを結った若き聖徳太子が柄香炉を持って立っている図象)」でした。

阿弥陀堂にお参りしたあとは、「お買い物広場」で別邸用の線香を買い、阿弥陀堂門を通って外に出ました。

買ってきた線香がこちら。

けさ、うちの仏壇に線香をあげて気づいたのですが、この線香3年半前に東本願寺から買ってきたものと同じでした この香り私の好みということなんでしょ
「線香が短いとお思いの方もいらっしゃるでしょうけれど、浄土真宗では、火をつけた線香を香炉に寝かすしきたりなので、一般家庭用にはこの長さがイイのです。

   

東本願寺へのお参りを終えた私は、烏丸通をた~らた~ら「下がり京都駅の自由通路から八条口に抜けて、喫煙所で一服したあと、コンビニお茶缶ビールを仕入れ、そして、ちょいと早めながら、ホテルにチェックインしました。

シャワーを浴びてスッキリしたところで、TV台風10号の動向をチェックしながら、東京駅で買ってきた「国技館やきとり」をつまみに、ちょいと早い晩酌を楽しみました

台風10号は相変わらずトロトロ動いていて、東海道・山陽新幹線は、広島以西名古屋~三島運転見合わせとな
さらに、翌30日もこの区間での運転見合わせになることが発表されていました。

さて、缶ビール2本「国技館やきとり」で私のお腹は落ち着いてしまい、いつも難関になっている「京都での夕食」に出かける気が薄れてしまいました。

そこで、「551 HORAI」豚まんコンビニおにぎりで済ませちゃおうと、京都駅へ。

以前は、京都駅の新幹線中央口に向かい合っていた「551 HORAI」の店が、いつのまにやら新幹線中央口の隣に引っ越していました。
そしていつもなら乗る新幹線の出発時刻を気にしながら長い行列に並んでいるのに、この日は行列が短い
代わって、新幹線中央口には出張や旅行の人たちが大勢群れていました。

東京には新幹線で行けなくなってしまった人たちは、結局どうしたんだろうな
私にとっては他人事ながら、同情を禁じ得ないまま、豚まんを買い(京都駅の 551 HORAIでは豚まんは蒸したてのみ販売)、コンビニおにぎりと追加の缶ビールを買って、再びホテルで部屋飲みしました。

そうこうしているうちに、JR東海から、30日は始発から新大阪~東京間での東海道新幹線の運転を見合わせるとともに、「8月31日~9月2日にかけても、全線もしくは一部区間で、計画運休長時間にわたる運転見合わせ等を実施する可能性があるという発表がありました

あれまぁ あさって31日に新幹線で帰れるのか

なんですが、ジタバタする意味も意義もありませんので、とりあえず、京都に来られて、目的の「村上隆」展を観られたことを喜びつつ、関西旅行初日を終えたのでした。

つづき:2024/09/12 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-1

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台風に邪魔されながらの関西旅行記 #1-5

2024-09-10 21:21:28 | 旅行記

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-4」のつづきです。

京都市京セラ美術館を後にした私は、とりあえず、近くのセブンイレブンSDカードを買うことにしました。
ここまで写真はすべてスマホで撮ってきましたが、せっかくデジカメを持ってきたのですから、デジカメを使いたいよね。PCカードリーダーも持ってきていますので、安価な小容量のSDカードで構わないですから。
で、陳列棚からSDカードの商品タグ(万引き防止用)を取ってレジへ。
ところが、店員さんがレジ裏の棚をゴソゴソ探してもSDカードが見つからないみたいです。セブンイレブンともあろう店が、雑な在庫管理をしているものだ と呆れかけたら、「すみません、在庫を切らしていまして」だと。
ふつう、商品タグの枚数と在庫とは一致しているものじゃないのかな?

まぁ、コンビニはここだけではないし、京都駅前まで行けば、ビックカメラ閉店したけれどヨドバシカメラはあるので、「じゃぁ結構ですと店を出ました。

そして、東山駅近くのローソンでは、無事にSDカードを購入でき、さっそく、店の前のベンチ(?)デジカメにセットしました

   

平安神宮から南に伸びる神宮道三条通との交差点付近は「粟田口」と呼ばれる地域で、東海道・中山道からの京都の入口です。東海道の起点・三条大橋まで数百mの地点。
私にとって「粟田口」は中世の関所というよりは、日本刀の名産地としてのイメージが強いのですが、東山駅の階段を下りていると、こんな広告が目に入りました。

う~む、歴史と伝統を感じます

でも、東山駅での広告はこちらが好き

それはそうと、京都の地下鉄の駅は、東京の地下鉄の駅に比べて、エレベーターやエスカレーターが極端に少なくて、とってもバリアフルが気がします。
京都の人は不便に感じないのかな?

   

この旅行の京都での行動は、「村上隆」展以外に予定を立てておらず、さぁどうしよう? だったのですが、久しぶりに東本願寺に行ってみることにしました。

来た時と逆に、烏丸御池駅地下鉄東西線から烏丸線に乗り換え、京都駅の一つ手前の五条駅を降りてちょいと歩けば、東本願寺です。
ものの見事な北東角の鬼門除けを見て(こちらの記事をご参照方)、巨大な御影堂門をくぐると、宗祖親鸞聖人をおまつりする御影堂(ごえいどう)です。

大きく壮麗な建物です。

正面76m、側面58m、高さ38mの規模をもつ世界最大級の木造建築物で、2019年に国の重要文化財に指定されています。

だそうですが、「世界最大級の木造建築物」といえば、東大寺大仏殿を思い浮かべますよね。
調べると、東大寺大仏殿は、「正面約57m、奥行き約50m、高さ約48mだそうですから、確かに、高さを除いて御影堂の方が大きい
なお、創建時及び鎌倉再興時の東大寺大仏殿「正面約88m、奥行き約52m、高さ約47m」という破格の大きさだったそうです。

という中途半端なところですが、記事を書き上げて保存しようとすると、「本文に不正な書式が含まれています」が頻発して先に進めませんので、不本意ながら、以下は「#1-6」につづきます。

つづき:2024/09/11 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-6

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台風に邪魔されながらの関西旅行記 #1-4

2024-09-09 20:55:46 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-3」のつづきです。

「村上隆 もののけ 京都」展からのお次の作品は、これまた長大(3m×10m)「金色の空の夏のお花畑」です。

マンガみたいといえばそうかもしれないけれど、あまりにも思い切り良すぎる「スーパーフラット」意匠の繰り返しは、宗達の「燕子花図」とか其一の「朝顔図屏風」に通じるものがあったりして…。
そして、どんな不機嫌な人をも笑顔にしてくれそうなパワーを持つ作品だと思いました。

次は、「梟猿図の猿」「梟猿図の梟」です。
この2作品は、狩野山雪のそれぞれ「猿猴図」「松に小禽・梟図」元ネタのようです。

何ともユルいお猿さんとフクロウですが、もともと元ネタが京狩野のご本家という「格が信じられないユルさなんですよねぇ。

山雪の2作品のうち「猿猴図」は、トーハクで観たのは確実なのですが(写真もある)

もしかすると、私は2013年5月「狩野山楽・山雪」展@京都国立博物館 で両作品とも観たかもしれません。(本宅なら出展目録や図録で確認できるのですが、いかんせん、別邸に帰省中)

で、おもしろいのが、山雪2作品は水墨画(小鳥のお腹のみ着色)なのに対して、村上さんの2作品は色彩豊かで、「猿」金地「フクロウ」銀地(実際はプラチナ箔)で、華やかに仕上げられていることです。
きっと村上さんは、曽我蕭白水墨画「雲龍図」で描いたのと同様に、「こりゃイイと面白がってこの作品をつくったんだろうな

ここまで記事を書いてきて気づいたことがあります。

それは、村上さんが敬意を持って「拝借」した元ネタを、私は2013年に何点もまとめて観たかもしれないということです。

狩野山雪の2作品については、前述のとおり断定できませんが、曽我蕭白「雲龍図」岩佐又兵衛「洛中洛外図屏風《舟木本》」を生で拝見したのは確実です。

もっとも、「だからどうした」と言われればそれまでなのですが…

   

京都国立博物館 東山キューブ館内で最後に観た作品はこちら。

真っ金々の部屋に展示された外連味たっぷりの作品です。

中央部のこれは、

上から「暫」鎌倉権五郎「勧進帳」武蔵坊弁慶、そして「外郎売」で、どれも歌舞伎の演目、それも「歌舞伎十八番」です。
ということは、、、、と思ったら、これは「十三代目市川團十郎白猿 襲名十八番」という作品で、

市川海老蔵改め十三代目市川團十郎白猿襲名披露興行を彩る特別な祝幕は、2022年11月の東京・歌舞伎座での襲名披露興行で大きな話題となりました。この祝幕は映画監督の三池崇史氏が、“十三代目市川團十郎”のドキュメンタリー映画を撮影する中で、「現代の絵師が描く現代の役者絵をつくってほしい」と村上に原画制作を依頼し実現したもので、2023年12月1日~24日には京都・南座でお披露目されました。

だそうな。
ここで展示されていたのは祝幕の原画で、原画でも102.8×480×5.8cmと大きなサイズ(5.8cmの厚みは何?)ですが、実際に使われた祝幕は、歌舞伎座の舞台に合わせた「7.1m×31.8m」という巨大なものだそうで、こちらのサイトで見ても凄い

この祝幕は、今はどこでどうしているんだろ?
團十郎白猿さんがもらっても扱いに困るだろうし松竹がしっかりと保管しているものと思いたい

   

これにて「村上隆」展の観覧を終え、動線に従ってミュージアムショップを覗きました。

しかし、「#1-3」

大きなオリジナル作品で心を揺さぶられ過ぎると、ミュージアムショップでポストカードや図録を買う気が削がれるという副作用があったりもします。
結局私は、オリジナルとの印象が違いすぎる気がして、この展覧会のポストカードも図録も買いませんでした。図録は、税込6,600円という価格もネックになったのですが…

と書いたように、素通りしました

でも、「村上隆」展はこれで終わりではなく、もう一つのお楽しみがありました

金色に輝く「お花の親子」とルイ・ヴィトンのトランクのインスタレーションです。

説明板に村上隆さんのコメントがありました。

この彫刻作品は、ルイ・ヴィトンと共に制作しました。2003年にスタートしたルイ・ヴィトンとのコラボレーションは、私の現代美術家としてのキャリアに、大きな足跡を残しました。そのモノグラム・マルチカラーのトランクの上に、にっこり笑うお花の親子の像が立っています。
アートとファッションの垣根をはずした、もしくは、アートに幼稚なオモチャ感覚のロジックを組み込んだ始祖は、共に自分であると自負しています。
日本の伝統的な美学からインスパイアされたスーパーフラットコンセプトの作品を、日本庭園の風景の中でお楽しみください。
村上 隆

ルイ・ヴィトンらしからぬ明るくカラフル「モノグラム・マルチカラー」の存在は、ブランドものに疎い私でも知っていましたが、これが村上隆さんによるものとは知りませんでした

さらに、この作品は、館内に展示されていた立体作品同様にFRPとかレジンとかグラスファイバーで作ったものかな? と思ったら、ブロンズ金箔を貼ったものだとか
いったい、どれだけの重さがあるんだろ

NHK日曜美術館 で村上隆さんが辻惟雄さんに、設置が大変だったと話されていたけれど、このサイズのブロンズ像を、それも屋外に展示するのは、それは大変だったろうな…

以上を以て「村上隆」展の鑑賞を終えた私は、京都市京セラ美術館の正面入口に戻り、傘を回収して(忘れそうでした)東山駅へと向かったのでありました。

これにて今回の関西旅行のメインタスク完遂であります

次は、デジカメSDカードを入手せねば

つづき:2024/09/10 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-5

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台風に邪魔されながらの関西旅行記 #1-3

2024-09-07 16:00:20 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-2」のつづきです。

「村上隆 もののけ 京都」「第3室 DOB往還記」に行く前に、ちょっとしたトリビアを…。

「#1-2」でちょっと書いた四神(東:青龍、南:朱雀西:白虎北:玄武)にはそれぞれシンボルカラーがありまして、この東:青南:赤西:白、北:黒」は、意外なところでも見ることができます。
それは、例えば、大相撲の吊り屋根から下がる房の色とか、日本武道館のスタンドの椅子の色(の代わりにだけど)とか…。

それでは、仏堂のご本尊をお守りしている四天王はどうなんでしょ?
東の持国天南の増長天西の広目天北の多聞天だったりするのでしょうか?

「彩色の残る四天王像を拝見したことは無かったよな…と思いつつ、このブログの過去記事を探してみると、ありました
8年前奈良博 なら仏像館見聞録(記事)で、京都・海住山寺の四天王を拝見し、図録から、

持国・増長・広目・多聞天の順に、の身色に塗り分けられる点や、持物、体勢などから、鎌倉時代に復興された東大寺大仏殿に安置されていた四天王像の図像に合致する作例と知られる。

と引用していました (すっかり忘れてた)
ほう、四天王の色は違うのか…と、他の資料も当たってみたところ、持国天の緑多聞天の青のそれぞれ代替とされているようです。

   

脇道にそれるのはこの辺にしまして、「村上隆」展に戻ります。

「第3室 DOB往還記」は、

1990年代に登場した村上の代表的キャラクター「DOB」。マンガやゲームのキャラクターをモチーフとするDOBは、変幻自在に姿を変え、様々な文脈に接続してきました。村上のスーパーフラットの概念を体現するDOBの往還を辿ります。加えて、新たなキャラクターやフィギュアなどの作品の数々は、現代の「のののけ」?

だそうで、ひたすらPOPな空間でした。

私は、作品の大きさ/小ささそのものも作品構成要素の一つだと思っていまして、本やネットで知っている作品も、現物を目の当たりにすると、その大きさ/小ささで印象がガラリと変わることはよくあることです。
この「村上隆」展では、巨大な作品が多くて、上に載せた「And Then 2024」3m四方の大きさです。
大きなオリジナル作品で心を揺さぶられ過ぎると、ミュージアムショップでポストカードや図録を買う気が削がれるという副作用があったりもします。
結局私は、オリジナルとの印象が違いすぎる気がして、この展覧会のポストカードも図録も買いませんでした。図録は、税込6,600円という価格もネックになったのですが…

   

第3室と打って変わって、「第4室 風神雷神ワンダーランド」は、江戸絵画の傑作たちが、村上流にいじり倒されていました
コーナーのタイトルになっている宗達以降の琳派の伝統的素材「風神雷神」なんか、こうです。

完全に脱力しています
そういえば、琳派による「風神雷神図屏風」は、右隻に風神左隻に雷神が描かれていますが、この作品は左右逆になっているのはなぜなんだろ?

さらに、隣りに展示されていた同じモチーフの「むにょにょん雷神図」は左に、「ぽよよん風神図」は右と、

「風神図」「雷神図」とはになっているのはこれまたなぜなんだろ

などと考え込みながら先に進んで行くと、出ました 「雲竜赤変図《辻惟雄先生に「あなた、たまには自分で描いたらどうなの?」と嫌味を言われて腹が立って自分で描いたバージョン》」とタイトルが長ければ、カンバスもやたらと長い(10m)作品です。

元になった曽我蕭白「雲龍図」は、2012-13年に開催された「ボストン美術館 日本美術の至宝」展で、東京と大阪の両会場で観ました (写真は大阪市立美術館にあった記念撮影スポット)

もともとマンガチックな作品だと思っていましたが、村上さんはオリジナルには無い鼻毛まで描いている

オリジナルを観たことがあるといえば、この「ライオンと村上隆」もそうです。

ぐたぁ~とした獅子が頭にを載っけている意匠は、2011年7月に「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」@サントリー美術館で観て、ブログで、

cuteといえば、彭城百川「天台岳中石橋図」に描かれた獅子出色でした。困ったような表情で石橋の上に寝そべった獅子が川面をぼんやりと見ている図で、獅子の頭には大きな牡丹の花の飾り
「獅子には牡丹がつきもの」とはいえ、何という斬新な表現なのでしょうか
「誰につけてもらったの? 自分でつけたの?と、獅子に聞いてみたくなる作品でした。

と書いたこの作品がモチーフなんじゃなかろうかと考えました。
そこで「天台岳中石橋図」でググってみたら、こちらのサイトで、御大・辻惟雄さんが、

一方、村上さんもちょうどその頃、なんか日本美術の中から自分の制作のもとになるもの、モチーフをつくり出そうとしていたと思います。それであのときは確か、村上さんは、彭城百川(さかきひゃくせん)という江戸時代の画家、この人は文人画の最初の段階に出てくる人なんですが、奈良にあって、重要文化財になってる《天台岳中石橋図(てんだいがくちゅうしゃっきょうず)》という襖絵をもとにして、それをいろいろいじってましたね。私が〈永徳、唐獅子〉というお題を出したら、村上さんは永徳ではなく、その百川の獅子を屛風にして、第1回目の回答がそれでした。

と書いていらっしゃいました
当りぃ~

一方、きわどいところで元ネタを見逃したのが、「見返り、来迎図」

この作品の元ネタ、知恩院「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)は、今年春に東京国立博物館で開催された「法然と極楽浄土」展に出展されましたが、私がこの展覧会に行ったとき(6月6日)には、既に「早来迎」の展示は終了しておりました

それはさておき、気になったのは、画面の右側、

菩薩様たちがお迎えに来る描写なんでしょうけれど、なんとなく「スター・ウォーズ」っぽい。
スターデストロイヤーから発艦したたくさんのタイファイターが来襲してくるように見えませんか?

というところで、諸般の事情により、「#1-4」に続きます。
あまりキリは良くないのですが、まぁ、ご勘弁を

つづき:2024/09/09 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-4

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台風に邪魔されながらの関西旅行記 #1-2

2024-09-04 19:19:06 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-1」のつづきです。

NHK 日曜美術館「モンスター村上隆、いざ京都!」(初回放送:24年4月21日)を観直しして予習して「村上隆 もののけ 京都」を観にきたつもりでしたが、京都京セラ美術館中央ホールの壁をフルに使ったこの展示予想外でした。(昨夜もう一度日曜美術館の録画を視たら、設営中のシーンがチラリ)

村上隆さんのシンボルとも言える「お花」の群れもさることながら、東山キューブへとつづく入口を守っているかのような仁王像度肝を抜く大きさと造形でした

説明書きによると、

ここ中央ホールに立つ一対の像は、村上隆(1962-)による立体作品です。
新館・東山キューブにおける京都市美術館開館90周年記念展「村上隆 もののけ 京都」(2月3日~9月1日)の一部として展示されました。

災いをもたらす邪鬼を踏みつけている高さ4.3メートルの赤の《阿像》青の《吽像》は、東日本大震災をきっかけに制作され、自然災害、疫病、戦争といった様ざまな災厄から人々を守ってほしいという祈りが込められています。
無数の「お花ちゃん」で彩られた正面の壁を背景に、左右から観る者を圧倒する像は、発表当時、平安京の入口である羅城門から着想した《獏羅門》とともに展示されました。京都と正面から向き合った村上隆が、ここから「村上隆 もののけ 京都」の世界へ私たちを誘います。

だとか。

この仁王様たち、どことなく映画「friends もののけ島のナキ」グンジョー(青鬼)とナキ(赤鬼)かぶる…。もっとも、「もののけ」丸かぶり

せっかくなんで、後ろ姿も。

そういえば、この作品は無料で観られる場所にありました。
もしかして、展覧会が終わった現在も観られるのかな? 説明板の時制のおかしな書き方からしてそんな気がします。
同じく「無料で観られる場所」にあったこちらの作品「お花の親子」はどうなんでしょ。
さすがに確かめに行ってみようとまでは思いませんが…

   

私は事前に「村上隆」展電子チケットを購入していました。

これというのも、日曜美術館で展覧会初日の大行列を見て恐れをなしたからでした。

平日とはいえ、会期もあと4日という状況で、かなりの混雑覚悟して会場に行ったのですが、そこそこ人はいるものの、券売所「村上隆」展の入口行列は皆無

ちょっと勝手が違う と、会場に入ったところ、ありゃま、凄い人

「第1室 もののけ洛中洛外図」狭い(細長い)こともあってゴシャゴシャです
係員さん「足元のテープで示した結界をお守りくださいと呼びかけていますが、人が多いし、みんな作品に夢中なもので、足元のテープなんてに入りませんって

この部屋のメインは、「岩佐又兵衛 洛中洛外図 rip」

その作品名のとおり、岩佐又兵衛「洛中洛外図屏風 [舟木本]」がモチーフになっています。
「舟木本」トーハクで何度か拝見し、かつ、ミュージアムシアターで関連作品を楽しんだことがありますから、一層楽しめました

「舟木本」は、とにかく登場人物が多い(2,700人以上とか) 作品ですから、「村上本」も見どころが多い
6曲1双「舟木本」1隻162.7×342.4cmなのに対して、「村上本」はその縦横約2倍(面積は4倍)の大きさですし、展示室の壁に直付けでかなり近くまで寄れますから、細かい所まで存分に楽しめました

「村上本」金雲には、よく見るとドクロがエンボス(?)されていて「もののけ」っぽい一方、向かい合わせに展示されている「村上隆版 祇園祭礼図」金雲には「お花ちゃん」ビッシリ

もう、老若男女を問わず、観ている人たちはみんなニコニコです。

それが、暗幕のようなカーテンをぬって入る「第2室 四神と六角螺旋堂」は一転して照明が落とされ、かなり暗い
展示室中央の「六角螺旋堂」の四方を極彩色で描かれた巨大な四神(東:青龍、南:朱雀、西:白虎、北:玄武)が取り囲んでいます。

「四神相応」ということばがあります。
平安京は、まさにその「四神相応の地」として都に選ばれたと言われています。東に川(鴨川)南に沼(巨椋池)西に道(山陰道)北に山(船岡山?)という具合。

「いかにも村上隆」という観点からの私のお気に入りは、青龍と、

白虎でした。

白虎図迫力満点メイン虎と右下にいるネコみたいな無表情の虎との対比が楽しいな

次の第3室は、これまたガラリ雰囲気が変わるのですが、それは「#1-3」で。

つづき:2024/09/07 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-3

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台風に邪魔されながらの関西旅行記 #1-1

2024-09-03 18:27:52 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #0」のつづき、関西旅行記初日編のスタートです。

8月29日の朝、自宅を出発して間もなく、ペット茶を冷蔵庫の中に忘れてきたことに気づいて、初っぱなからあちゃぁな旅行でした。
ま、ペット茶はどこでも買えますから、ぜんぜん問題になるものではなく、実はもっと大事なもの家に忘れてきていたのですが、それに気づくのはもっとあとのこと…。

ギリギリのタイミングで家を出発したことに加えて、乗った電車が遅れたことで、予約していた北陸新幹線に乗り遅れた7月の金沢旅行の轍は踏むまい と早めに出発しこともあり、東京駅では車内で食べる朝食(駅弁)をいろいろ物色するだけの余裕がありました
なお、金沢遠征で乗り遅れた北陸新幹線は、本来なら後続の自由席で行くか、指定席券を購入する必要があったのですが、駅員さんに「大宮までの電車が遅れましたと話したところ、無料で指定席をとってくれました

さて、乗った博多行き のぞみが動き出すや、さっそく朝食

この日の朝食は「天むす」にしました。
3時間後には京都で昼食をたべるつもりでしたので、軽めに済まそうと…。
5個の天むすはあっけなく我がお腹に収まり、品川駅に到着する前に完食

新幹線は、(この時は) 何の支障もなく走り続け、定刻に京都駅に到着しました。

そして、いつものように、駅近くにとったホテルに行き、荷物を預かってもらい身軽になった状態で、さぁ、京都での行動開始です

まずは、京都駅地下の何度か行ったことのあるお店で昼食を摂りました。

「京料理の定食 feat. 土瓶蒸し」です。
いかにも京都 だったのですが、あまりにお上品過ぎて、ご飯が少ない
もしかして、ご飯のお替わりは有料かな? と予想しつつ、お替わりをお願いしたところ、案の定、「有料になりますがよろしいですか?」ですと。
まさか、お腹がお替わりを欲しているのに、「じゃぁ結構ですとなるはずもなく、お替わりをお願いしました。
ちなみに、ご飯のお替わりは200円ちょっとでした

   

昼食が済んだところで、この旅行のメインイベント「村上隆 もののけ 京都」展へ

会場の京都市京セラ美術館へは地下鉄を乗り継いで行ったのですが、最寄りの東山駅には「村上隆展」の大きな広告が掲出されていて、気分が盛り上がりました

東山駅から京都市京セラ美術館へのルートはこんな感じ。

裏道的なルートに見えますが、私と同じタイミングで東山駅から地上に出たおばさま2人組もこのルートを歩いていました。
近道だし、クルマが入ってこられない細い道だということもありますが、白川の流れを眺めながら歩くのもまた乙なものなのですよ。

で、東山駅から歩くこと8分ほどで、京都市京セラ美術館に到着しました。

ここに来るのは、23年1月 アンディ・ウォーホル・キョウト/ANDY WARHAL KYOTO」を観に来て以来22か月ぶりです。

ところで、地下鉄を乗り継いで岡崎公園まで来たのは、22年1「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」@ロームシアター京都以来のような気がしていて、ちょっと頭が混乱しかかったのですが、ブログを読み返したら、去年の1月地下鉄に乗るつもりが、なぜか市バスに乗ってしまった」のでした
そうだねぇ、そんなことがあったねぇ

   

京都市京セラ美術館に入館し、東山キューブに向かおうとしたところ、さっそく目の前に村上隆ワールドが展開されていました

うわぁ~

と、ここで重要な事実が判明しました。
スマホだけでなく、デジカメでも撮っておこう(撮影可でした)と、バッグからデジカメを取りだし、シャッターをポチっ…のはずが、SDカード入っていない
先日、自宅で撮った写真をPCに取り込んだあと、SDカードをカメラに戻すのを忘れていた
なんてこと…
そういえば、15年前の広島旅行のときも同じ失敗をしたっけ…(記事)
成長してない (写真は15年前のもの)

15年前の広島旅行での衝撃

15年前は、呉駅周辺でSDカードを売っているところがみつからなくて「苦労したけれど、今ならコンビニで買えるだろう、それまでは、スマホを活用しよう、ということになりました。

結局、京都市京セラ美術館から東山駅に向かう途中、コンビニSDカードを購入しました。
ちなみにSDカードのお値段は、15年前は1GBで1,280円でしたが、今回は64GBで1,650円でした。

というところで、「#1-2」に続きます。

つづき:2024/09/04 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-2

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台風に邪魔されながらの関西旅行記 #0

2024-09-01 21:05:03 | 旅行記

約3か月ぶりブログ更新です。

5月の帰省途中の「えさし藤原の郷」を楽しんだ話は3回で止まっているし、青森へのドライブ旅行ダイジェストだけ7月の金沢旅行に至っては旅行記に手をつける気もないという情けない状況です。
まぁ、いろいろあって、ブログを書く気分になれなかったということ…。

そんな私ですが、8月29~31日の2泊3日の日程で今年最初の関西旅行に行ってきました。
台風10号の影響を受けて、「行きはヒヤヒヤ、帰りは大変」の旅行になりましたが、それでも当初の目的はしっかりとクリアできたのはなかなか悪運が強いといいますか…
なんとなく「運」が向かってきたかな? という予感のもとに、久しぶりのブログ書き再開です。

   

今回、関西に旅行しようと思い立ったのは8月23日(金)のこと。

なんとも急な旅行ですが、これは、「絶対に観に行きたいと思っていた京都市京セラ美術館での「村上隆 もののけ 京都」展が、9月1日(日)で終わってしまうことを知ったのが発端でした。
会期が長いからそのうちに…と思ううちに時が経つのはよくある話
そして、「村上隆」展に行くとすれば、8月27日(火)~30日(金)のいずれかだろうし(会期末の土日は激混み必至)23日の時点では、台風10号27日~28日に関西地方を直撃する予報だったことから、29日~31日に旅行を決行することを決め、新幹線ホテル予約し、「村上隆」展チケット購入しました。

そして、27日(火)は、皇居三の丸尚蔵館「いきもの賞玩」(気がつくと私から数mの距離で秋篠宮殿下ご夫妻が鑑賞されてた)東京ステーションギャラリー「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」(素晴らしかった)をハシゴし、

その足で東京国立博物館に行き、8月3日で期限切れになっていた「友の会」(年間パス)更新しました。
トーハクの「友の会」の会員証(パス)は、京都・奈良・九州各国立博物館でも便利に使える(平常展は無料、企画展は前売料金で観られる)ので、もしかしたらこの関西旅行で使う機会があるかも…という算段

そんな「準備」のようなことをしながら、台風10号が当初の予報どおりさっさと通り過ぎることを期待したのですが、台風10号トロいのなんのって…

「台風一過の関西を楽しむ目論見がもろくも崩れ去りました
こりゃ、下手すると帰ってこられなくなる と、31日帰りの新幹線2時間ほど早めて、奈良のホテルをチェックアウトしたらさっさと京都に移動し、帰宅することに予約変更しました。これで最終日ホテルで朝食を摂るだけの予定になってしまいましたが、しかたありません。
さらに私を不安に陥れたのは、台風から遠く離れた静岡大雨が降り、28日夜には東海道新幹線が一時不通になる事態まで発生

それでも、29日は朝から東海道新幹線通常運行していていざ、関西へ

私が乗った博多行きのぞみは、心配していた静岡県内もスムーズに通過し、昼前、定刻京都に到着しました。

それは良しとしても、29日の夕方には山陽新幹線は広島以西での運転を取りやめ、つづいて東海道新幹線東京~新大阪運転を取りやめ。そして30日始発から運転を見合わせるとともに、「8月31日~9月2日にかけても、全線もしくは一部区間で、計画運休や長時間にわたる運転見合わせ等を実施する可能性がある」という発表がありました。
まさにハシゴを外されかけた感じになってしまいましたな

そしてそして、30日には、東海道新幹線「31日も運転見合わせ」確定
私は関西滞在を1日延長することも考えましたが、台風10号の進路はまったく読めないし、一度止まった鉄道は復旧に時間がかかることを考えれば(結局、東京~新大阪の通常運行の再開は明日9月2日から)、帰宅日の繰り延べはリスクが大きそうです

ものは試し と、飛行機の予約状況を見てみると、31日の夕方以降には空席があるじゃないですか
これで腹が固まった私は、新幹線の予約をキャンセルし、大阪(伊丹)空港16:30に出発する便を予約しました。
さらに、奈良からの空港リムジンバスの時刻を確認
この結果、31日10時ちょい過ぎには奈良を離れるはずだったのが、13時まで余裕ができました。

そして、昨夜、20:30には本宅に無事帰着したのでありました

   

ということで、いつものように、3日間の行程です。

【初日】8月29日(月)

本宅⇒徒歩最寄り駅埼京線赤羽駅上野東京ライン東京駅東海道新幹線京都駅⇒徒歩ホテル(荷物を預けた)昼食京都駅地下鉄烏丸線烏丸御池駅地下鉄東西線東山駅⇒徒歩京都市京セラ美術館(村上隆 もののけ 京都)⇒徒歩東山駅地下鉄東西線烏丸御池駅地下鉄烏丸線五条駅東本願寺⇒徒歩ホテル

【2日目】8月30日(火)

ホテル⇒徒歩JR京都駅みやこ路快速JR奈良駅⇒徒歩ホテル(荷物を預けた)⇒徒歩JR奈良駅前路線バス氷室神社・国立博物館⇒徒歩正倉院⇒徒歩東大寺大仏殿⇒徒歩奈良国立博物館(「泉屋博古館の名宝」「フシギ! 日本の神さまのびじゅつ」)⇒徒歩もちいどのセンター街(昼食)⇒徒歩興福寺(国宝館中金堂)県庁前路線バスJR奈良駅⇒徒歩ホテル⇒徒歩夕食⇒徒歩ホテル

【3日目】8月31日(土)

ホテル⇒徒歩JR奈良駅路線バス氷室神社・国立博物館奈良国立博物館(なら仏像館)⇒徒歩ホテル(荷物引き取り)JR奈良駅空港リムジンバス大阪(伊丹)空港ラウンジでまったり飛行機東京(羽田空港)空港リムジンバス最寄り駅⇒徒歩本宅

久しぶりにブログを書いたら、時間がかかるし、疲れる

がんばって旅行記を完結させるぞ

つづき:2024/09/03 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-1

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帰省の途中で平安時代にタイムトリップ #3

2024-05-29 19:51:38 | 旅行記

「帰省の途中で平安時代にタイムトリップ #2」のつづきです。

平安時代貴族の屋敷といえば「寝殿造」です。
写真は、国立歴史民俗博物館で見た藤原道長の邸宅「東三条殿」の復元模型。

なんとも広大なお屋敷です。
なんでも2町(≒220m)四方だそうですから、二条城(東三条殿のすぐ西)二の丸御殿&庭園くらいの感じ。
もともと室町時代以前の建物が中心部にはあまり残っていない京都ですから、現存する寝殿造の建物は皆無だそうで、「平安時代の寝殿造の様式を再現した日本唯一の建造物」を標榜する「えさし藤原の郷」伽羅御所(きゃらのごしょ)貴重な存在です。

「伽羅御所」というのは、

奥州藤原氏の最盛期を築いた三代目・秀衡公の館を再現しました。
平安時代の寝殿造の様式で、寝殿を中心に東・北・西の対屋が渡殿(廊下)で結ばれ、家臣たちのいる侍廊、蔵人所・料理所・玄関にあたる中門あどとも繋がれています。寝殿は主人の住居であり、公的な行事の場でもありました。

だそうで、本物は平泉にあったのだそうな。

寝殿の正面にあるの向こうに、京都・宇治の平等院鳳凰堂(訪問記)とよく似たお堂のミニチュアみたいなのがありました。

どうしてここに平等院鳳凰堂が? と思ったら、

庭園の屋には、京都・宇治の平等院鳳凰堂を模して建立したと言われる無量光院が造られています。実際には400m離れた位置に建てられていたので、ここでは距離感をもたせて4分の1の大きさになっています。

ですって。
なるほど…
無量光院は、藤原氏三代秀衡によって建立された寺院で、宇治平等院鳳凰堂を模して建立された阿弥陀堂と、その周囲を取り巻く池を中心に伽藍が構成されていた」そうです。ただ、ご本家よりも大きかったらしい。
ただ、方角が違うような…

さてさて、寝殿造には棟と棟をつなぐ渡り廊下が必須ですが、廊下や橋がいい風情を漂わせていました。

そしてメインの寝殿には、知ってたけれど、壁が無い

京都の夏には涼しく良さげですが、平泉の冬寒いだろうに…

は、御簾几帳屏風(その名のとおり、元は風除けの調度品)で居住空間を囲んだそうですが、暖房器具といえば火鉢程度だろうし、蔀戸を下ろせば室内は真っ暗だろうし、部屋を閉め切れば一酸化炭素中毒の恐れもあるしなんとも辛い季節だったろうなと推察されます。

   

「東の対」では、藤原秀衡・泰衡親子と源義経とのご対面シーンが再現されていました。

秀衡公の背後の屏風は、内裏・紫宸殿(訪問記)を飾っている賢聖障子(けんじょうのしょうじ)(記事)を意識したものなのかな?
そして、お三方がお召し上がり中の食事を作る料理所も再現されていました。

当時の貴族の食事1日に2回だったそうで(相撲取りみたい)

米を主食に、副食は山菜やキノコ、魚介類、木の実、野菜類、キジやイノシシの干肉など。生ものは干したり、塩漬けや味噌漬けにして保存されました。調味料は四種器と呼ぶ酢・酒・塩・醤(ひしお:現在のもろみのこと)で、これらの食べ物をつけたり、かけたりして用いました。

とな。
そして、主食のは、

蒸した強飯(こわいい)、水で柔らかく炊いた姫飯(ひめいい)、それになどがありました。

だそうです。

それにしても、この伽羅御殿、もともと誰かのお屋敷だった建物をに手を入れてテーマパークとして公開しているのではなく、「新築したものなのに、作り込みが素晴らしい

東京・丸の内/大手町に何棟かある「旧建物の外観のイメージを残してみましたという姑息さ皆無で、本気度100%です
だからこそ、ドラマや映画のロケ地として重宝されているのでしょうねぇ

いやぁ、お見事 と唸りながら、伽羅御所をあとにしました。

で、あとになって判明したのは、寝殿を正面から撮った写真1枚も無かったこと
いやぁ~、失態です
まぁ、また行けばいいや とも思います。なにせ、別邸からならクルマで2時間で行けますから

【追記】きょう、NHK「いいね!光源氏くん し~ずん2」(録画してある)を視たら、第1回の冒頭(沙織の夢)が、ガッツリ「えさし藤原の郷」伽羅御殿でのロケ・シーンだった (2024/05/30 21:31) 

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