6月7日の「イヤな話を書いて申しわけありません」で書いた「総務大臣 VS JP社長」は、私の感覚にはすんなり来る決着をみたわけですが、マスコミ報道を見る限り、どうも世の中の受け止め方は私と違うようです。
私の感覚の方こそおかしいのかな? と思っていました。
が、AERAの最新号で高村薫さんの連載「平成雑記帳」を読んで、私と同じ感覚を持つ人がいることを知り、しかも、それが大好きな作家である高村さんであることを知り、かなり勇気づけられたのでありますよ。
ちょっと引用いたします。著作権を侵害しない程度に。
(辞任した元総務大臣は)おおよそ近代理性や政治なるものからほど遠い、勧善懲悪の正義の味方のつもりなのかもしれない、そして、それはそれで、一国民としてはひたすら不思議な感じもすることである。国務大臣まで務めるような人が、いい歳をして、こんなに無邪気に鼻を膨らませているというのは。
さらに、高村さんの矛先は元総務大臣の兄にも向かいます。
そう考えてみると、「正義の人」を名乗ったくだんの政治家は、ほんとうに市井からは遠いところにいる人なのだろう。そういえば、その人の実兄も、民主党党首として「友愛」を政治理念に掲げている。一般の言語感覚では、政治理念としての「友愛」など、宗教団体か秘密結社のそれなのだが、ご本人にそんな認識があるようにも見えない。
落ちるところまで落ちた政治に、今度は「正義」と「友愛」が躍るとは。この国の政治は、どこまで国民からずれて行く気だ?
政治に対する高村さんの諦観まで感じられます。私、諸手を挙げて、高村さんのコラムに賛同いたします。
政党や政治家だけでなく、マスコミや一部「市民」を含め、「志」を離れて、戦術(思惑)ばかりが表に出る今の日本に明るい未来があるんでしょうかねぇ?
正当な選挙が行われている限り、民主主義体制下では、選挙民である国民のレベルに相応のレベルの政治しか行われません。
今の政治が「どうしようもない」と思うのでしたら、投票に行かなきゃ!
子育てや教育よりも老人対策、生活者よりも業界に重きを置いた政治が行われるのは、選挙区割りや定数を含めた選挙制度によるところもありますけれど、基本的に、投票する人がそうした政治を求めているからです。
投票率が低ければ低いほど、政治は一般的な感覚から離れて行きます。
自分が思うとおりに投票できることって、貴重な権利ですよ。
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