三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

平常心とは

2006年09月06日 | 日記

 脊椎カリエスで寝たきりの正岡子規が、
「悟りという事はいかなる場合でも平気で死ぬる事かと思って居たのはまちがいで、如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」
と書いているのを読み、うーむ、これは深い、と思った。

夏目漱石が死ぬ一ヵ月前に、松岡譲ら弟子たちに則天去私についてこんなことを語ったと、「漱石山房の一夜―宗教的問答」(『漱石先生』)にあるそうだ。(『漱石先生』は未見です)

例へば今こゝで、そこの唐紙をひらいて、お父様おやすみなさいといつて娘が顔を出すとする。ひよいと顔を見ると、どうしたのか朝見た時と違って、娘が無残やめつかちになつて居たとする。年頃の娘が親の知らぬ間にめつかちになつた。これは世間のどんな親にとつても大事件だ。普通なら泣き喚いたり腰をぬかしたりして大騒動をするだろう。しかし今の僕なら、多分、あゝさうかといつて、それを平静に眺める事ができるだろうと思ふ。

弟子たちは「そりゃ、先生、残酷ぢやありませんか」と言ったら、夏目漱石は静かに、「凡そ真理といふものはみんな残酷なものだよ」と穏やかに答へたという。
悟りとは本能の力を打ち敗かすことかと尋ねると、

さうではあるまい。それに順つて、それを自在にコントロールする事だらうな。そこにつまり修行がいるんだね。さういふ事といふものは一見逃避的に見えるものだが、其実人生に於ける一番高い態度だらうと思ふ。

と夏目漱石は答えた。
その境地を「則天去私」とよび、「俺が自分といふ所謂小我の私を去つて、もつと大きな謂はば普遍的な大我の命ずるまゝに自分をまかせる」ことだと説明する。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/dd8e5f9db3506a1f33947dd53b60e781

正岡子規の「如何なる場合にも平気で生きて居る事」と、夏目漱石の「あゝさうかといつて、それを平静に眺める事」とは違うような気がする。
正岡子規は毎日のガーゼ交換のたびに、激痛のために隣近所にまで響き渡る絶叫をあげる、そういう日々を過ごしている。
にもかかわらず、最後の著書『病牀六尺』ですら、さまざまなことに好奇心を持ち、驚き、妙に明るい。
その一方、娘が失明しても、「ああ、そうか」と平然とし、心が波立たないことが悟りなのか疑問に思う。

話は飛ぶが、7月に姫路で84歳の妻が80歳の夫を殺した事件があり驚いていたら、9月2日には神奈川県で86歳の妻が90歳の夫を千枚通しで十数カ所を刺して殺したという事件があった。

他人事ではない、これからはドアにカギをかけて一人で寝ないと危ないかなどと、殺されるかもしれない夫の立場で考えた。
では、妻はどう思ったのかと気になるが、聞いてもまともには答えないだろうから推測すると、どちらの事件も、夫から怒鳴られてばかりいたからというのが殺人の原因らしい。
常日頃、私の暴言に愛想を尽かしている妻としては、「殺したくなる気持ちはわかる」と共感しているかもしれない。

児童虐待についてどう思うか、いろんな人に聞いてみると、ほとんどの男性は「理解できない」と言うが、女性の場合だと、60歳以上の方は「虐待する気持ちがわからない」という答えが多く、60歳以下の方の中には「わかる」と答える人がいる。


「いくらあやしても泣きやまないので床に叩きつけたくなったことがある」とか、「一人で喫茶店に入ってコーヒーを飲んだらすごく楽で、育児放棄するのはこういうことなのかと思った」といった話を聞いたことがある。


男性が児童虐待をする人間の気持ちが理解できないのは、育児にほとんど関わっていないから、その苦労を知らないからじゃなかろうか。

経験をしなければわからないことはあって、仮定の事柄で悟ったようなことを言うのは簡単だと思う。

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2 コメント

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根腐れと肥やし。 (プロジェクト万次)
2006-09-14 09:53:20
 う~ん、「苦労」が肥やしになる人と根腐れになる人との分かれ目。それは、何かインネンが働いているのかも知れません(笑)



 さて、ある事件があったり、問題があらわになったとき。それは、ひとごとじゃない、明日はわが身だと、自分に引き寄せて考える人と。それは自分にはさらさら関係ない、とんでもないやつらがいるものだと考える人と。



 例えばホームレスの問題は、日本だけではなく欧米でも、またアジアの台湾でも韓国でも中国でも顕在化しているようです。ホームレスの人々は、借金で逃げ回っているという説があります。また飲んだくれで仕事をしないという説もあります。そいつらは好きでやっている、自業自得だと切り捨てることがはたして。。。



 (日本において)飲酒するだけでなく、「依存」までアルコール摂取が進んでいる人は、200万人~400万人(幅がありすぎですが)という推計があったり、ギャンブルも依存状態にある人は、200万人もいるそうで。また多重債務に陥っている人は200万人~300万人いるそうです。リストラ・倒産による失業に限れば、90万人だそうで。



 年間の自殺者は、3万人をこのところ超えてますし、経済苦で自殺する人も多いようです。

ニートは60万人。フリーターは400万人かな。国民年金を払ってない人は450万人とか。現在、生活保護の受給者は100万世帯です。将来、職場がない、年金をもらえない人が生活保護に流れると思うのですが、その額は今の水準より低くなるでしょうね。



 今は何か(親が存命とか、親戚に金を借りてるとか、財産があるとか)の支えで、持ちこたえてても、これから若年の失業者。ホームレスもじわじわ増えると思うのですが。まあ、いたずらに不安をあおるのは、よくないですね(笑)

 

 思いがけない。。。とか思いもよらない。。。という表現があります。「思い」という自分が形作っている日常、常識、秩序だった正しい世界ということですね。真宗の説教で、

「(自分の常識が)間に合わない現実にぶつかって気づく」とか「思いが破られる出会い」とか言う主題が話されることがあります。



 自分の生きてる世界、領域に異物が混じらないようにして、人は安寧を保っています。 
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甘い! ()
2006-09-14 17:53:42
不登校、ひきこもり、ニートが増えている、アルコール依存症、ギャンブル依存症が多い、困難にぶちあたった時に逃げるのではなく、それを乗り越える人間でなくてはならない、だからこそ甘やかさず、厳しく鍛えなければこれからの日本どうなる。

こういう論理もあります。

戸塚ヨットスクールなんかがそうですが、こっちのほうが説得力がありますよ。

ま、そういうことを言う人は己に自信を持ってらっしゃるんでしょうが。
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