三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

池谷薫『蟻の兵隊』

2007年03月20日 | 戦争


奥村和一さんという方を密着取材した池谷薫『蟻の兵隊』を見た。

山西省にいた北支派遣軍第1軍は、敗戦後も澄田𧶛(らい)四郎司令官の命令で約2600名が中国に残留し、4年間、国民党軍とととも共産党軍と戦い、約550名が戦死した。
5年間捕虜となった人たちは昭和29年に日本に帰ってきた。

しかし、国は、彼らは志願兵、つまり勝手に中国に残ったものとみなしたので、恩給も補償ももらえない。
奥村和一さんたちは軍人恩給の支給を求めて裁判を起こしたが、結局は負けてしまう。

澄田司令官は兵士を国民党の閻錫山に売ることで戦犯を逃れ、自分たちだけが日本に帰ってきた。
加藤哲太郎『私は貝になりたい』(テレビや映画の原案者)に「大物はゆうゆうとして自適し、雑魚ばかりが引っかかる。これが戦争裁判の実相だ」と書いている。

奥村さんは初年兵の時、「肝試しだ」と命令されて、中国人を銃剣で刺殺したと言う。
加藤哲太郎もそのことを率直に書いている。

初年兵の実戦的訓練という名目で連れ出された私たちは、八路軍という嫌疑で捕まった十人ばかりの中国人捕虜の処刑を命ぜられたのです。


加藤哲太郎は「八路軍ではないから、もう一度調べてくれ」と言う少年がいたので、上官にそのことを告げると、怒られたけれども加藤哲太郎自身が処刑をせずにすんだ。
しかし、処刑自体をとめることはできなかった。

そして加藤哲太郎こそは、それが悪であることを知りながら、それを阻止しなかった最大の卑怯者である。


自らの加害者性から目をそらさない奥村和一さんは裁判を戦う仲間も容赦しない。
山西省の検察庁に戦犯の供述調書があり、その中に仲間の名前があった。
奥村和一さんはその調書をコピーして、本人に見せるのである。
その人は否定しない。

『蟻の兵隊』で一番びっくりしたのが、小野田寛郎さんである。
靖国神社でうれしそうに冗談を交えながら演説をしている小野田さん。
演説が終わり、奥村和一さんは小野田さんに「あなたは侵略戦争を美化するんですか」と声をかけると、小野田さんは急に表情を変えて、「侵略戦争じゃない。開戦の詔勅をもう一度読んでみろ」(だったと思う)と怒る。

小野田さんはどうしてそこまで感情を高ぶらせたのか。
戦後もフィリピンで現地の人を殺傷したことをどう考えているのか。
そのあたりの話をお聞きしたいと思った。

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