三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

旗手啓介『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』

2018年08月20日 | 戦争

1992年、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に、自衛隊と75名の警察官が派遣されました。
文民警察官としてPKOに従事していた岡山県警の高田晴行さん(33歳)は、1993年5月4日に「正体不明の武装勢力」(おそらくポル・ポト派)に襲撃され、殺害されます。
旗手啓介『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』はNHKスペシャルで放送されたものを基に、加筆して書籍化した本です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54154

1991年10月、パリ和平協定が締結し、内戦を続けてきた四派が和平協定に調印し、20年以上続いたカンボジア内戦が終結した。
1992年3月、UNTACが活動を開始。
1992年6月、PKO協力法案が成立。
ポル・ポト派は武装解除を拒否、ポル・ポト派抜きで武装解除を進めることをUNTACは表明。
1992年7月、政府調査団がカンボジアに向かう。
1992年9月、警察庁が先遣隊を派遣し、情報収集を行う。

各国の文民警察隊を束ねるオランダ人の本部長は、治安情勢について説明し、最も危険な地域の一つがタイ国境に近いアンピルだ、と語った。
「アンピルは無法地帯というべき地域です。毎日のように殺人事件が起こっていますが、捜査はされておらず、訴追されることもなければ、罰も与えられてもいません」
高田晴行さんたちはアンピルに派遣されています。

1992年10月、75名の隊員は成田を出発した。
勤務は9か月。

自衛隊にはメディアは関心を持ったが、文民警察はあまり注目されていない。
自衛隊の活動地域であるタケオはカンボジアでも安全な地域の一つだった。
タケオの自衛隊宿営地は、プレハブの宿舎の中にレクリエーション施設があり、自動販売機で日本製のビールが購入でき、自前の風呂も作られるという、参加各国の中でも最も恵まれた宿営地という評判だった。

その一方、文民警察官は任務地さえも決まっていなかった。
日本の文民警察官は、32カ国の中で31番目に現地入りをしているから、配置場所のいいところは各国にとられていた。

文民警察官の実際の任務は選挙のために村や町に赴き、住民たちに選挙とは何かを教え、有権者登録用の顔写真を撮影するなどの業務を支援する役割だった。

1992年10月27日、アンピル班10名の任務がスタートした。
アンピルはタイとの国境に近く、プノンペン政府の力が及ばない場所だった。
カンボジア全体に大量の地雷が埋設されており、アンピルのあたりもポル・ポト派が地雷を埋めていた。

ポル・ポト派は停戦違反をし、各地で他派や国連を攻撃した。
内戦状態のため、自動小銃を一般市民も持ち歩き、簡単に人が殺され、死体がゴロゴロしている。
目の前で起きていることは戦争そのものだった。

元隊員の日記やビデオには、「戦闘が起こると防空壕に身を潜めるしかなかった」「市街戦そのものの戦場」とある。
ところが、パリ和平協定によって停戦合意が成立し、それを前提としてPKO協力法が可決され、自衛隊や警察から派遣されている。

日本政府としては「紛争地域に行くわけではない」という前提だった。
文民警察官は特別な装備や銃を携行しておらず、丸腰の状態で、隊員のほとんどは海外勤務の経験がなく、事前準備もなかった。

班長だった川野邊寛さんはこう語ります。
「PKO協力法の根底にあるのが、紛争地域に行くのではない、和平条項が締結されて安全なところに行くんだと。だから自衛隊も緊急避難の際に使用する機関銃は一丁でいいじゃないかと、二丁はダメだと、そういう議論になっていたわけですよね。文民警察はあくまで文民なんだ、平和なところへ行くんだ、(略)そういう根底からの雰囲気ですよね」

1993年1月13日、カンボジア北西部のアンクロン村にある日本人文民警察官の宿舎などが武装集団に襲撃された。
文民警察官は防空壕を作り、砲撃があると、防空壕へ逃げ込んだ。
1993年4月8日、国連ボランティアの中田厚仁さんが殺害された。

そして、1993年5月4日、ポル・ポト派の襲撃により、高田晴行さんが殺害、日本人2人が重傷、2人が軽傷。
停戦の合意が崩れていないことにするために、襲撃は正体不明の武装勢力によるものとされた。

スウェーデンやオランダではカンボジアPKOに関する検証がなされているのに、日本は検証を行なっていないそうです。
高田晴行さんが殺害された責任は曖昧なままなのでしょう。

2016年7月11日、菅義偉官房長官は南スーダンの情勢について「PKO法における武力紛争発生とは考えておらず、参加5原則が崩れたとは考えていない」と述べています。
ところが、廃棄していたと言っていた日報には「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘が確認される等、緊張は継続」などと書かれてあることが判明しました。
https://mainichi.jp/articles/20170208/k00/00m/010/154000c
カンボジアPKOから何も学ばないまま20年以上が経ち、政府は相変わらずウソをついてごますという点では少しも変わっていません。

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