『マッカーサー回想記』に、昭和天皇がマッカーサーと会見した際に、
と言ったので、マッカーサーが感激したことが書かれてある。
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』を読み、この「天皇発言」にどういう意味があるか理解できた。
マッカーサーは東京裁判の主席検察官キーナンに、昭和天皇は「この戦争は私の命令で行ったものであるから、戦犯者はみな釈放して、私だけ処罰してもらいたい」と言ったと語ったと、田中隆吉元陸軍少将は書いている。
ヴァイニング夫人や重光葵も、マッカーサーから「責任はすべて自分にある。全責任を負う」と昭和天皇が語ったと聞かされている。
ただし『マッカーサー回想記』には、数々の「誇張」「思い違い」「まったく逆」があるそうで、昭和天皇が本当にこのように発言したかは疑わしいそうだ。
通訳をした奥村勝蔵の手記した会見記録によると、天皇の戦争責任にかかわる発言は
とあり、「全責任を負う」という発言は見られない。
マッカーサーの意図は何か、豊下楢彦氏はこのように説明している。
「戦争に反対だった」と「戦争の全責任を負う」という相反する「天皇発言」を、マッカーサーは「東京裁判対策」として駆使したと、豊下楢彦氏は指摘する。
つまりマッカーサーは、昭和天皇の戦争責任の回避と日本の占領統治のための天皇の政治利用を意図した。
一方、昭和天皇がマッカーサーと何度も会見した狙いは、自らの戦争責任の回避と日米安保体制の確立であり、マッカーサーと利害が共通していた。
戦争責任については、自らの意図に反する形で宣戦の詔勅を利用したと東条や軍部を非難し、自分は平和主義者だと強調した。
そして、東条らに全責任を負わせ、昭和天皇を不訴追にした東京裁判を肯定、賛美した昭和天皇は、マッカーサーに謝意を述べている。
なぜ昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなったかというと、「富田メモ」によるとA級戦犯が合祀されたからであり、自らの意思なのである。
太平洋戦争は昭和天皇の「意を体した」戦争であったか。
1941年12月1日の御前会議について、昭和天皇は『独白録』で、「反対しても無駄だと思つたから、一言も云はなかつた」と述べている。
昭和天皇の「意に反した戦争」で戦死した人たちは、「天皇のために」戦ったわけではないのだから無駄死だったことになる。
そのことについて豊下楢彦氏はこういう指摘をしている。
そして、日本の安全保障について、昭和天皇は米軍による防衛の保障をマッカーサーに求めた。
昭和天皇は第四回会見で
と発言し、マッカーサーは次のように答えている。
安倍首相をはじめとする集団的自衛権、憲法改正を企む人たちに、マッカーサーのこの言葉を教えてあげたい。
また、現在の憲法はアメリカの押し付けだとして否定する人がいるが、憲法がマッカーサーによって「押し付け」られなければ、憲法改正作業は英米中ソを含む連合諸国11カ国で構成される極東委員会が担うことになり、天皇制が廃止された可能性もあると豊下楢彦氏は言う。
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