三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『「心の専門家」はいらない』『心を商品化する社会』3

2011年01月15日 | 
カウンセリングとは何か。
小沢牧子氏によると、カウンセリングでは治す側と治される側とに分かれ、カウンセラーが受容的、共感的態度で傾聴するだけではなく、「望まれる答え」がカウンセラーによって導かれる。
「カウンセリング場面は、迷える相談者と「正しき専門家」の人間関係でできている。それは当然ながら権威と依存の上下の関係である」
そこにはカウンセラーが知る者、導く者として上位にあり、クライエントが悩みを抱えた至らざる者として下位に置かれているという上下関係、力関係が固定される支配の一形態である。
「カウンセラーはいかにやさしい態度で接しようとも、権威の位置にある。相手を受容する態度を持っているからこそ、いっそう揺るぎない権力の意味をクライエントに対して持つだろう。
その関係のなかで語るとき、人はほんとうに自由であるのだろうか」

そもそもカウンセリングの場面で「治る」とはどうなることか。
カウンセリングは「「問題」を全体状況から切り離し、自分の内面の問題としてとらえなおす」
そして、カウンセラーはその方向に向かって操作していく。
イジメ、不登校、戦争、リストラ、失業、過重労働、自殺などさまざまな問題があるが、カウンセリングはそうした問題を個人の問題に矮小化し、問題を生み出している状況を変えようとせず、傷ついた心のケアだけをする。

たとえばイジメによる不登校。
いじめる子や、担任、学校の対応は問題にされないし、事態を改善しようとしない。
また、不登校は学校や教育の状況に対する問題提起のはずだが、そこは問われることはない。
「カウンセリングは自分の「心の問題」に目を向けさせることによって、社会や教師などへの怒りを鎮めてしまう」
クライエントの学校に対する疑問や、なぜ勉強するのかといった問いや意見に、カウンセラーは興味を持たず、クライエントがどうしてそう考えるようになったかという心の変化にしか関心がない。
「ものごとを全体としてとらえ考える方向でなく、個人の感情の問題に一方的に焦点づけ取り扱っていく」
そして、怒りや失望をなだめ、現状を穏便に維持する役割をカウンセリングは担う。

中島浩籌氏は「「自分はなぜ同性を愛してしまうのか」という問いも、「同性愛者」か「異性愛者」かを厳しく区別し差別する社会だからこそ立ち上がってくる問題である」と『心を商品化する社会』で書いているが、なるほどと目からウロコ。
「「心のケア」は、ほんらい論じるべき問題を覆い隠し、これを免罪するところにつながる」
問題を生み出した状況はそのままにし、「心の持ち方」というように個人の心の問題に矮小化することは、体制にとって都合いい。
カウンセリングは「体制によって決められた状況に人をどう従わせるかという視点のもとに成り立っている」
となると、カウンセリングとは体制順応思想だということになる。

こうした小沢牧子氏の主張に対して当然反論もあるだろう。
でも、ジョン・アップダイク「妖精のようなゴッドファーザー」(『アメリカの家庭生活』)にあるこの言葉には笑ってしまう。
「あんな生活をつづけていたら、私はノイローゼになったにちがいない、と彼(精神分析医)は言っているわ」
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1 コメント

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訴訟依存症になってしまった (遂犯無罪)
2011-01-18 06:53:37
他人の狂言訴訟の原告を提訴した期日通知書が届いた 請求主旨は不法行為以上の犯罪性がある違法行為であり また被告は痴呆気味ゆえ認諾は必至と楽観している。

この特別送達の検索をして郵便法のスペシャリストさんに伝えた ところが不正の疑いがある・・
多くの訴訟沙汰をしてきたが 起因遠因は同一から全てが敗訴 しかしこれは何の関連も無い事案。

思うに 書記官は訴状の点検に異常なほどの時間をかけ 訴状全てのページに捨印を要求した。
たぶん証拠提出した身上書から訴訟依存症と知ったのだろう 簡裁では濫訴防止に提訴数の制限をしている 従ってオンラインで数々の敗訴を知り これも敗訴にすべく裏手口を目論んでいるかと。

しかしどうするのでしょうかネ 再送達すれば誤りを認めることになり 無視すれば行政訴訟など起こされる。
15年もの長き孤立無援の冤罪主張は まるで異次元世界にいるようで この閉塞状態に我が存在確認すべく 多くの裁判沙汰や 違法行為にならない程度の騒乱行為を提起しています。
今ではこれらが切れると情緒不安の禁断症状となる訴訟依存症になってしまった。
http://suihanmuzai.web.infoseek.co.jp/110117.jpg.html

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