三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』(1)

2015年02月13日 | 戦争

無政府状態が続くソマリアの北部がソマリランドとして独立宣言し、長老たちの話し合いによって内戦を終結させたが、ソマリランドを国家として認めている国はないというのをどこかで読んだことがあり、ソマリランドという国を知りました。
高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』の新聞書評を読み、図書館で予約したのですが、手にするまで一年以上もかかるほどの人気です。
2009年と2011年にソマリランドへ行った見聞記が『謎の独立国家ソマリランド』です。

ソマリランドの歴史を。
1960年 イギリス領ソマリア(現在のソマリランド)とイタリア領ソマリア(南部)が合併して独立
1982年 ソマリランドで反政府ゲリラ活動が始まる
1988年 旧ソマリア政府軍によって首都ハルゲイサは廃墟と化した
1991年 バーレ政権が崩壊し、ソマリランドは独立を宣言
1991年~93年、1994年~96年と二度内戦になったが、氏族の長老たちの話し合いで内戦は終結、武装勢力は武器を返上し、民兵は正規軍兵士や警察官に編入された。
それから十数年、ソマリランドは平和を維持している。

この町が何よりもすごいのは、銃を持った人間を全く見かけないことだ。民間人はもちろんのこと、治安維持のための兵士や警官の姿もない。いるのは交通整理のお巡りさんだけだ。アジア、アフリカの国でここまで無防備な国は見たことがない。

日々の生活では独自の正貨を使っており、公務員の給料はソマリランド・シリングで支払われる。
言論の自由は広く浸透しており、新聞は政府や与党の批判を載せている。

ソマリアの北部が独自に内戦を終結させることができたのはなぜか、高野秀行氏は三点をあげています。
・南部ではイタリアが氏族の仕組みを破壊したが、北部はイギリスの間接統治だったために、氏族の伝統が維持された。
イギリスは間接統治だから、長老や氏族の力をそのまま残し、長老たちを通して支配したので、長老や氏族の権威は強くなった。
それに対し、イタリアは氏族の仕組みを壊し、イタリア人の移民を送り、社会をかなり変えてしまった。
・北部は以前から氏族間でしょっちゅう戦争を行っていたので、停戦になれていた。
ガイドのワイヤップは「南部のやつらは戦争をしない。だから戦争のやめ方もわからない」と説明しています。
・南部は産業が豊かで首都もあるが、北部は貧しくて奪い合う利権が少なかった。
ソマリランドには産業は何もなく、主な収入源は欧米諸国に住む家族や親族の仕送り。

ソマリ人が戦闘を行うのは氏族の単位です。
同じ言語と同じ文化を共有する人々を民族と呼び、民族の中に氏族が存在することがある。
氏族とは「同じ先祖を共有する(あるいはそのように信じている)血縁集団」のこと。
血縁結社といっても、血ではなく契約だから、どこでも好きな氏族に入れるそうです。
ソマリ民族では5つの大きな氏族があるとされ、氏族の中に分家があり、さらに分分家、分分分家、分分分分家、分分分分分家……と細かく分かれていく。

どこの誰かが嘘をついたらわかるとワイヤップは言います。
「わかるんだよ。自己紹介で氏族を全部訊くから。同じ氏族なら絶対に共通の知り合いがいるし、他の氏族でも誰かしら友だちや知り合いや妻の親戚やら妹の夫の親戚とかいるんだ。そこで嘘をつけば絶対にばれる。だから、俺たちはいつも相手が誰か知っている。だから嘘は絶対につけない」
日本の田舎で、どこそこの○○の分家の次男の嫁の実家がどうのこうのという話になるようなもんでしょうか。

ソマリランドをネットで調べてたら、ソマリランドへの添乗員付きの旅行がありました。
2009年に高野秀行氏がソマリランドに行こうとして苦労したのに、今はツアーで簡単に行けるわけです。
『謎の独立国家ソマリランド』の力なのか、すごいもんだと驚きました。

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