三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「千の風になって」

2007年03月05日 | 仏教

「千の風になって」はいい詩だとは思うが、偏屈な私としては気に入らない。
特にこの部分。

 私のお墓の前で 泣かないでください
 そこに私はいません 眠ってなんかいません」

ずっと以前、お子さんを亡くされ、墓参りをするために車の免許を取り、毎日、お墓の前で泣いていた、と言われてた方がいる。
この方は墓の前で泣きたかったのだろう。
仏壇の前で泣く人がいれば、写真を見ながら涙を流す人もいる。
どこでもいい、その人にとっての泣く場所があれば。

 私のお墓の前で 泣かないでください
 そこに私はいません 死んでなんかいません

ここはさらに問題で、死んだという事実をきちんと認めることが大切である。
今すぐには無理でも、少しずつ死んだという事実を受け入れていかないといけない。
そうでないと、インチキ宗教、悪徳商法(スピリチュアルを含む)にだまされかねない。

私なら「千の風になって」をこういう詩にしてみたい。

 私のお墓の前で泣いてください
 仏壇の前で泣いてください
 私の写真を見ながら 家族と話しながら
 友達に聴いてもらいながら 泣いてください
 私はあなたの涙と一緒にいます

「仏壇の前」という題にしたら、相手にされないこと間違いなし。

コメント (19)    この記事についてブログを書く
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19 コメント

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失礼いたします。 (tenjin95)
2007-03-05 21:21:14
> 管理人様

ようやく、僧侶の方で、この歌に対し疑義を呈してくださる方を見つけました(笑)昨年の紅白歌合戦以来、どうにも気に入らず、反論ばかりしていた拙僧ですが、同じ曹洞宗の僧侶たちは、何だかこの歌を肯定しようと努めているんですね。しかし、ご指摘のように、これは、日本仏教が選択した状況とは相反するものであり、非常に問題のあるものです。

拙僧的にも、管理人様ご指摘のように、お墓の前で泣くべきというか、お墓とそこに眠る先祖を「お墓の前で」大事にして欲しいと思っています。
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死んでなんかいません ()
2007-03-06 20:24:44
「千の風になって」の生命観、死生観も批判しないといけないと思います。
葉祥明『ひかりの世界』という絵本があります。
http://hccweb5.bai.ne.jp/aniake/hikari.html
スピリチュアルでは、死んでも死なない、だから悲しむことはない、と言ってます。
「千の風になって」もそういう意味で「死んでなんかいません」と言っているのなら、大問題です。
ただ、詩や物語ですから、それをどう読むかは読者の自由です。
批判しにくいですね。
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そうですね (京都8月2日)
2007-03-06 23:20:17
私も、この歌を気になってました。
江原なんか遺骨は、ただのカルシウムの集まりと言ってましたね。

結構、江原ファンのブログで「千の風になって」取り上げているのがありますね。
多分、「千の風になって」というタイトルでドラマ・映画化されますよ。きっと。

そういえば、「オーラの泉」、ゴールデンに格上げになりますよ。
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江原のやらせ問題 ()
2007-03-07 08:23:20
香山リカ「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」という本を読んでいます。
スピリチュアル批判の本ですが、なぜか江原には好意的なんですね。
江原のどこが魅力なのか、どうもよくわからん。

>「オーラの泉」、ゴールデンに格上げになりますよ。

今でも視聴率が10パーセント超ということですから、大したもんです。
どう大したものなのか、と言われると困りますが。
江原のやらせ問題、もっと盛り上がればいいのに。
http://turenet.blog91.fc2.com/blog-entry-38.html
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「千の風になって」 (モンチ)
2007-03-07 13:42:41
この歌聞いて、つい「アホカ!」と言ってしまいました。
この歌が受け入れられる要因は何なんでしょうね。
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アホでもないのでは ()
2007-03-07 21:38:19
生き残った者にとって、愛する者が死んだらおしまいではやりきれません。
何らかの形で生きていてほしいと思うものです。
「千の風になって」は、死んだ人がさまざまな形で私にはたらきかけているんだ、ということは救いでしょう。
その形が実体的なものかどうかは、受けとる人それぞれの考えにまかされています。
悪くはないと思います。
ひっかかりますけどね。
返信する
私も (北の坊主)
2007-03-08 00:27:42
この歌の歌詞にはやや引っかかるものを感じています。しかし、「眠ってなんかいません」以降の「千の風になって~あなたを見守る」までは、仏教に通じる部分もあると思っています。

ただ、やはり「泣かないで下さい」とか「死んでなんかいません」という部分については、管理人さんと同じ考えですね。
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『阿弥陀経』 ()
2007-03-08 17:38:09
>仏教に通じる部分もあると思っています。

『阿弥陀経』にも、極楽には鳥が鳴いている、風が木々を揺らす音がする、七宝の池や楼閣がある、などとありますしね。
問題は「わたし」を実体、もしくは霊として考えるかどうかだと思います。
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この詩が作られたきっかけ (しゅう)
2007-03-14 06:38:22
この詩が何故
「私の墓の前で泣かないで下さい」
と歌っているのか。
それには理由があります。

是非
ー執筆:オーママミア Quinnーさん の
「千の風になって」の詩の原作者について
を詠んでみて下さい。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/prof/1000winds.html

作者メアリーは、祖国へお墓参りに行くことの出来ないマーガレット(ドイツ系ユダヤ人)へこの詩を贈ったのです。

死にゆく本人が綴ったのではない、という事もこのサイトで知りました。

霊魂となって生きているなどと、その場限りの癒しが目的で書かれたものではない事を知り、私はこの詩「千の風にのって」が好きになりました。
もちろんお墓が必要ないとも、歌っていません。

背景を知って読めば、詩を贈ったメアリーの深い無上の愛情を感じる事が出来ます。

原作は詩の内容も違うようです。
先のサイトにリンクが張ってあります。

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悲喜を共にできるか ()
2007-03-14 19:46:34
コメントありがとうございます。
オーママミア Quinnーさんの書かれたものを読みました。

>「マーガレット、お願いだから泣かないで。」っていったの。
そして書いた詩を見せたら、
>マーガレットは詩を一読し、メアリーを抱きしめて言った。「私この詩を一生大切にするわ。」そして、もう泣く事は無かった。

どうして泣かないことがいいことなのでしょうか。
中村先生の娘さんが亡くなられた時、高史明さんは「泣いて、泣いて、泣いてください。泣いて、泣いて、泣いて、お嬢さんのぶんまで生きてください」と言われたそうです。
私は、本当の友達なら一緒に泣くだろうと思います。
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