「千の風になって」はいい詩だとは思うが、偏屈な私としては気に入らない。
特にこの部分。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません」
ずっと以前、お子さんを亡くされ、墓参りをするために車の免許を取り、毎日、お墓の前で泣いていた、と言われてた方がいる。
この方は墓の前で泣きたかったのだろう。
仏壇の前で泣く人がいれば、写真を見ながら涙を流す人もいる。
どこでもいい、その人にとっての泣く場所があれば。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
ここはさらに問題で、死んだという事実をきちんと認めることが大切である。
今すぐには無理でも、少しずつ死んだという事実を受け入れていかないといけない。
そうでないと、インチキ宗教、悪徳商法(スピリチュアルを含む)にだまされかねない。
私なら「千の風になって」をこういう詩にしてみたい。
私のお墓の前で泣いてください
仏壇の前で泣いてください
私の写真を見ながら 家族と話しながら
友達に聴いてもらいながら 泣いてください
私はあなたの涙と一緒にいます
「仏壇の前」という題にしたら、相手にされないこと間違いなし。
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ようやく、僧侶の方で、この歌に対し疑義を呈してくださる方を見つけました(笑)昨年の紅白歌合戦以来、どうにも気に入らず、反論ばかりしていた拙僧ですが、同じ曹洞宗の僧侶たちは、何だかこの歌を肯定しようと努めているんですね。しかし、ご指摘のように、これは、日本仏教が選択した状況とは相反するものであり、非常に問題のあるものです。
拙僧的にも、管理人様ご指摘のように、お墓の前で泣くべきというか、お墓とそこに眠る先祖を「お墓の前で」大事にして欲しいと思っています。
葉祥明『ひかりの世界』という絵本があります。
http://hccweb5.bai.ne.jp/aniake/hikari.html
スピリチュアルでは、死んでも死なない、だから悲しむことはない、と言ってます。
「千の風になって」もそういう意味で「死んでなんかいません」と言っているのなら、大問題です。
ただ、詩や物語ですから、それをどう読むかは読者の自由です。
批判しにくいですね。
江原なんか遺骨は、ただのカルシウムの集まりと言ってましたね。
結構、江原ファンのブログで「千の風になって」取り上げているのがありますね。
多分、「千の風になって」というタイトルでドラマ・映画化されますよ。きっと。
そういえば、「オーラの泉」、ゴールデンに格上げになりますよ。
スピリチュアル批判の本ですが、なぜか江原には好意的なんですね。
江原のどこが魅力なのか、どうもよくわからん。
>「オーラの泉」、ゴールデンに格上げになりますよ。
今でも視聴率が10パーセント超ということですから、大したもんです。
どう大したものなのか、と言われると困りますが。
江原のやらせ問題、もっと盛り上がればいいのに。
http://turenet.blog91.fc2.com/blog-entry-38.html
この歌が受け入れられる要因は何なんでしょうね。
何らかの形で生きていてほしいと思うものです。
「千の風になって」は、死んだ人がさまざまな形で私にはたらきかけているんだ、ということは救いでしょう。
その形が実体的なものかどうかは、受けとる人それぞれの考えにまかされています。
悪くはないと思います。
ひっかかりますけどね。
ただ、やはり「泣かないで下さい」とか「死んでなんかいません」という部分については、管理人さんと同じ考えですね。
『阿弥陀経』にも、極楽には鳥が鳴いている、風が木々を揺らす音がする、七宝の池や楼閣がある、などとありますしね。
問題は「わたし」を実体、もしくは霊として考えるかどうかだと思います。
「私の墓の前で泣かないで下さい」
と歌っているのか。
それには理由があります。
是非
ー執筆:オーママミア Quinnーさん の
「千の風になって」の詩の原作者について
を詠んでみて下さい。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/prof/1000winds.html
作者メアリーは、祖国へお墓参りに行くことの出来ないマーガレット(ドイツ系ユダヤ人)へこの詩を贈ったのです。
死にゆく本人が綴ったのではない、という事もこのサイトで知りました。
霊魂となって生きているなどと、その場限りの癒しが目的で書かれたものではない事を知り、私はこの詩「千の風にのって」が好きになりました。
もちろんお墓が必要ないとも、歌っていません。
背景を知って読めば、詩を贈ったメアリーの深い無上の愛情を感じる事が出来ます。
原作は詩の内容も違うようです。
先のサイトにリンクが張ってあります。
オーママミア Quinnーさんの書かれたものを読みました。
>「マーガレット、お願いだから泣かないで。」っていったの。
そして書いた詩を見せたら、
>マーガレットは詩を一読し、メアリーを抱きしめて言った。「私この詩を一生大切にするわ。」そして、もう泣く事は無かった。
どうして泣かないことがいいことなのでしょうか。
中村先生の娘さんが亡くなられた時、高史明さんは「泣いて、泣いて、泣いてください。泣いて、泣いて、泣いて、お嬢さんのぶんまで生きてください」と言われたそうです。
私は、本当の友達なら一緒に泣くだろうと思います。