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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「死刑囚表現展」のアンケートと平野啓一郎『死刑について』(8)

2024年03月06日 | 日記
⑧ 被害者感情と死刑

「死刑囚表現展」のアンケートに「被害者の方のことを考えると廃止とは言い切れません」と書いている人がいます。
死刑制度に反対できない一番の理由は被害者感情だと思います。

自分の家族が殺されても死刑反対と言えるのかと問う人は多いです。
宮下洋一さんがインタビューした川上賢正弁護士はこう言っています。
死刑はよくないとおっしゃるお坊さんには、私は、「もしあなたのご家族が殺害されたとしても、死刑はよくないと言い切れますか」と意地悪な質問をします。すると、大抵のお坊さんは黙ってしまうのです。(『死刑のある国で生きる』)
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家族が殺されても死刑反対と言えるのかと問われたことがあり、もし自分や家族が加害者になったらと想像してほしいと、私は答えました。
人間は縁によっては何をするかわからないからです。

平野啓一郎さんも同じことを聞かれるそうです。
死刑廃止の立場に立って話をすると、「自分の家族を殺されても犯人をゆるすことができるのか」とよく聞かれます。僕はこれに対しては自信がありません。犯人をゆるすことができないかもしれません。(『死刑について』)
しかし、死刑を求めないということと、犯人をゆるしということは切り離して考えるべき。
犯人をゆるせないなら死刑を求めて当然だということにはならない。

「調和を目指す殺人被害者遺族の会」(事件に巻き込まれて家族を失いながらも、死刑に反対する家族の会)の中心メンバーとして活躍されているバッド・ウェルチさんはこのように語っています。(「死刑を止めよう」宗教者ネットワーク第10回死刑廃止セミナー講義録)

1995年、ティモシー・マクベイがオクラホマシティにある連邦ビルを爆破し、168人が亡くなった。
バド・ウェルチさんはこの事件で娘のジュリーさんを失った。
娘を失った後、酒を飲み過ぎて二日酔い、頭痛という生活が30日間続いた。
私はジュリーが殺されるまで、ずっと死刑反対の信念を持っていました。でも、娘が殺されてから1年間、私は死刑賛成になりました。1年かかってやっと、「このままじゃいけない」という気持ちになったのです。どうしてそう思ったのかというと、処刑の日、二人の犯人を自分の手で処刑台に送ることを想像してみたら、それは自分にとって決して癒しのプロセスにはならない、ということに気がついたのです。犯人を葬りたいという気持ちは、私にとって復讐以外の何ものでもない。この復讐という気持ちこそ、犯人が犯行に及んだ原因だったのです。

事件の6ヵ月後のアンケートでは、被害者家族の85%が死刑に賛成だった。
事件から6年2ヵ月後にマクベイの処刑が行われた時点で、2000人以上の犠牲者家族の50%は死刑反対になった。
ですから、被害者家族として一番大切なのは時間なんです。ある人は2年かかった。他の人は、3年、4年、5年かけて死刑反対になった。6ヵ月の時点ですでに死刑反対だった人も15%いたんです。

当初は死刑を望みながら、次第に悩む人もいます。
小学1年の娘さんを殺された木下建一さんも同じことを言われています。
加害者は無期懲役が確定し、
極刑を主張し続けた建一さんは「あいりのことを思うと、『許せない』という気持ちは強い。しかし、人の命を奪う主張をすることは非常に苦しかった」と、複雑な胸中を明かした。

あいりちゃんの「敵討ち」だと信じていたが、その言葉を口にするたびに重圧を感じていた。
「極刑を主張することは殺すことと同じ。それではヤギ受刑者と同じことになるのではないか」との思いがぬぐえなかった。

差し戻し控訴審の判決後、「あいりに申し訳ない。死刑判決が必ず出されるものと思っていた」と語っている。
それから3カ月余り。「人の命を左右するようなことにかかわらなくなり、非常にほっとしている」との思いが正直な気持ちという」(毎日新聞2010年11月16日)
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/42fad59584941d42c1fcb1209651ff7f

2011年、仮釈放中の男が2件の強盗殺人事件を起こした。
被害男性の姪は裁判で「被告に極刑を望みます」と断言したが、本音は違った。
宮下洋一さんのインタビューです。
姪「心の中では、(加害者が)死ぬからといって何が変わるの、という気持ちでした。でも、その時にはそれしか選べないじゃないですか。償って出てきなさい、なんて言えないじゃないですか」
宮下「望むのは終身刑ですか」
姪「そうですね。でも、今までに悪事を働いて出所してきた人って、実際はどうなんでしょうね。そりゃあ、ちゃんと善人になって帰ってきてほしいですけど。また同じことをするなら、終身刑で全うしてほしいという思いがあります」

加害者を「奴」と呼ぶ。
姪「今日、死ぬのだろうか、毎日、奴が考えていると思うと辛いですよ。たとえ叔父が殺されたとしてもです。どんな殺され方であったとしても、私が極刑と言ったことによって奴が殺されたとしても、私は嬉しくないよね。(略)
極刑と言ったけど、私はそれを望みませんわ。人が人を殺せるなんて、いくら悪いことをした人に対してもできないじゃないですか」

遺族の気持ちは揺らぐものですし、時間の経過とともに変化が生じるようです。

「死刑囚表現展」のアンケートと平野啓一郎『死刑について』(6)

2024年02月25日 | 日記
⑥加害者の反省

死刑は加害者に反省を促し、命の尊さを教えると主張する人がいます。
宮下洋一さんも死刑によって反省するという考えです。
私は、人の命の大切さに重きを置くならば、重大犯罪に手を染めた者たちが、「より良く生きる」ためにも、極刑に向き合うべきだと改めて考えるようになった。死刑囚は、そうすることで、生の尊さを知ると思うのだ。(『死刑のある国で生きる』)
せっかく「生の尊さ」を知っても、死刑が執行されたら「より良く生きる」ことは不可能になります。
生の尊さを知っても、結局は執行するなら、反省を求めるのはおかしいと思います。

平野啓一郎さんは『死刑について』で、死刑が反省を促すという考えに反対します。
死刑について、死という恐怖に直面させることによって、加害者に深い反省や改悛をさせるという考え方に、僕は懐疑的です。暴力が引き起こす恐怖を以て反省を強要するという方法は、人間の更生のあり方として正しいとは思えません。
人を殺した人間に対して、死と直面させ、同じ恐怖を味わわせるべきだという意見もありますが、それも賛同できません。

「死刑囚表現展」のアンケートに「どの絵や表現にもあまり反省している様子は伺われず、自己主張のかたまりのような気がしました」という声があります。
では、どんな絵を描いたら反省していると認めるのでしょうか。

高橋正人弁護士は宮下洋一さんのインタビューの中で、「反省するような人間だったら、人なんか殺しはしませんから」と語っています。
弁護人の任務とは、依頼者である被告人に誠実に尽くすこと、すなわち、誠実義務にほかならない。(佐藤啓史「展開講座 刑事弁護の技術と倫理」)
弁護人は被告の話を十分に聞いて弁護を行わないといけないのに、殺人犯は反省などしないと決めつけていたら、ちゃんとした弁護ができるのでしょうか。
高橋正人さんが刑事事件の弁護を依頼されたら、どう弁護するのかと思います。

岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』にあるように、無理強いさせられた反省では更生には逆効果です。
娘さんを殺された中谷加代子さんは加害者の反省についてこう語っています。
裁判にあたり、被告が反省しているかどうかを情状酌量の材料にしているのは、正しい判断の妨げになるのではないか。また、被告の更生にも逆効果になるのではないか、と考えています。(入江杏「刑事司法と被害者遺族」)

反省が形だけになっていると中谷加代子さんは指摘します。
事件・事故を起こした直後、加害者は、被害者のことではなく、「自分はこれからどうなるのだろう。」と考えるのではないでしょうか。少しでも刑を軽くしたいと考えるのは自然なことです。被害者に対する想いが醸成されていない段階で、性急に反省を求めても、その反省は書かされた反省文のようなもので、中身のないものになるように思います。

谷川弥一元議員が辞任した時の記者会見を見ますと、41分すぎぐらいから不機嫌そうに「私が悪いんです」を連発し、さらには「死ぬしかない」などと言っているのを見ると、本当に反省しているのかと感じます。

検事が死刑を求刑し、裁判官が死刑判決を下す際、「矯正は不可能」「更生の可能性は著しく低い」などと言います。
しかし、正田昭さんや島秋人さんの死刑囚の文章を読むと、反省してないとか更生の可能性がないとか言えません。

島秋人さんは歌人として知られており、『遺愛集』が出版されています。
「微笑みの おのずと生(あ)るる 愛しさを 幸の極みと 生きて悟(し)り得る」
「許さるる 事なく死ぬ身の ことのひとつを しきりと成して 逝きたし」
「良き人の 憶ひかさなる 年賀状 人に恵まれ 去年(こぞ)より多き」

支援者の前坂和子さん宛の手紙。
耳にしもやけが出来ました。かゆいし、あついです。冷たい指をあたためるのに一寸べんりだなあ。(略)
現在の生活は苦しい事の多い中に人に知られない喜びもあることを知ったことをとてもうれしく思うのです。太陽の光が細くさし込む金網の窓に顔をよせて、めをつむると、こんな幸せは僕以外に知らないだろうなあーと思うのです。両の手のひらに日ざしを受けて掌の汗が小さく光っている時、いのちって尊いなあー、見れる事はうれしいなあー、あたたかいなあーとつぶやきたくなるのです。光は掌の玩具です。しもやけになりかけの耳や足指、この指のかゆみも気持の好いものとなる夜の布団の中です。(略)
にくむべき罪人であっても極悪ではない。極善と言う人が居りますか? おそらく人間としてないだろうと思います。

絶対的悪人はいません。
人は誰でも生き直すことができます。
自分が大事にされている、他人に認められているという感情を持つことで、人に対する思いやりや罪の意識を持つことができるようになるそうです。
しかし、一人では難しいです。

坂上香『プリズン・サークル』は島根あさひ社会復帰促進センターで行われている回復共同体のプログラムを受ける受刑者を追ったドキュメンタリーです。
自分の過去を振り返り、プログラムを受ける仲間たちに貧困や虐待などの被害体験を語る中で、自分自身と向き合うことによって更生の気持ちが生まれてくるのです。

顕正会の功徳(3)

2023年12月16日 | 日記
前にも書きましたが、日蓮は臨終の時の顔色で成仏するか地獄に堕ちるかがわかると説いています。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/s/%E5%A4%A7%E6%99%BA%E5%BA%A6%E8%AB%96

「顕正新聞」の「阿部日顕の臨終」特集号(令和5年6月5日)に、浅井昭𫟘さんが臨終の相について話しています。
神国王御書には中国真言宗・元祖の善無畏三蔵の臨終の悪相について
「死する時は黒皮隠々として骨甚だ露わると申して、無間地獄の前相其の死骨に顕わし給いぬ。人死して後 色の黒きは地獄に堕つとは、一代聖教に定むる所なり」
とお示し下されている。
https://kenshoshimbun.com/issue/230605_depraved.html

善無畏は『大日経』どの密教経典を翻訳していますが、日蓮は『報恩抄』で善無畏を地獄に堕ちたなどとけなしています。

「顕正新聞」には臨終の相の体験談が語られています。
「顕正新聞」令和5年2月5日号
吉岡法弘さん
認知症で特別養護老人ホームに入所していた父親の死。
当初、施設スタッフは医師による検視を優先するため、二時間の唱題を認めてくれませんでしたが、検視を担当する医師の都合で、都合三時間以上、しっかりと耳元で唱題回向することが叶いました。
家に到着し、かけつけた南雲第十男子部長とともにお題目を唱えると、父の遺体はますます色白く変わり、口も半口半眼になり、髪の毛や眉毛は艶やかな黒色になり、また遺体は驚くほど軽く、何より納棺師が「死後硬直がないですね」と驚くほど柔らかくなっておりました。

角田義典さん
高校生の時に入信した妻が令和元年に卵巣癌と診断され、本年2月に50歳で死亡。
生前、色黒だった肌は白く、口も半口になり、大聖人様が妻の臨終をお守り下さったのだと感泣いたしました。

「顕正新聞」令和5年6月5日号
長島毅さん
父親が臨終を迎えた。
さっそく唱題回向していくと、驚いたことに生前にアトピー性皮膚炎で爛れていた手がウソのように瑞々しく、白さが増していきました。
さらに抗がん剤投与の影響で少しくすんでいた顔も、まるでクリームを塗ったように艶々とし、皺が全くなくなったことに
「御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし」
との仰せが思い起こされ、「大聖人様が父をお迎えに来て下さったのだ」と確信いたしました。

顕正会に入信していなくても、みんなで唱題をすると大丈夫です。
「顕正新聞」令和5年2月5日号
佐藤佳子さん
祖母の勧めで邪教・天理教を熱心に信仰していた母親は、数年前に認知症を発症し、入信せずに93歳で死亡した。
葬儀までの三日間、女子部区長の娘と共に唱題を重ねると、母は顔や手、赤らんでいた足までも白くなり、なんとも言えない柔和な相へと変わっていったのです。

竹内千代子さん
(叔母の)葬儀は顕正会の同志が執り行ってくれました。
叔母の成仏だけを一心に願い、お題目を唱えていくと、叔母の唇や頬に赤みが差し、髪の毛は黒くなり、何より穏やかに微笑んでいる叔母の相を見ては、未入信の叔母をも御守護下さった大聖人様の無限の大慈大悲に、むせび泣く思いになりました。

創価学会だと臨終は悪相になるみたいです。
川端美佳さん
昨年11月に学会から顕正会に入会した。
父は創価学会の信者だった。
私の父は四年前に末期癌の診断を受け、一年間の闘病生活の末、四十代の若さで臨終を迎えました。
亡くなった直後、私は父を抱きかかえましたが、父は痩せ細っているのになぜか重く、その臨終の相も、とても柔和な相とは言い難いものでした。あれだけ熱心に学会活動に励んでいた父の最期の姿に唖然とし、「なぜこのような臨終になるのだろうか」と悶々とした気持ちを拭えずにおりましたが、基礎教学書を通して
「臨終の善悪を決する最大の要因は世間の善悪よりも仏法の邪正である」
と知り、雲晴れる思いになりました、

死後も体が柔らかいとか、色黒が白くなるとか、髪が黒くなるとか、眉唾かと思いますが、どうなんでしょうか。

「顕正新聞」令和5年6月5日
浅沼雅美さん
駅前で広告文を配布していた時に声をかけた男性はかつて日蓮正宗の僧侶だった。
祖父と父親が法華講の講頭だったことで、家族から僧侶になることを勧められ、小学生のころから20歳ころまで大石寺で修行していた。
しかし、先輩僧侶から暴力を受け、暴力体質に嫌気がさして僧侶をやめた。
浅沼さんが「細井日達の臨終の相は黒く、恐ろしい形相で、消臭剤を使っても臭いが消えなかったそうで、阿部日顕も恐らく悪臨終だと思います」と話したところ、男性は友人の宗門僧侶から聞いた阿部日顕の臨終の相について語った。
その相は、色黒く、恐ろしい形相で、部屋中に悪臭が漂っていた。本来、宗門では死に化粧はしないものだが、あまりに色が黒かったので死に化粧をするしかなかった。しかし、何度塗っても白くならず、最後は厚塗りして何とか白くした。

顕正会を解散処分した細井日達、創価学会を破門した阿部日顕の両氏は日蓮正宗の法主だった人です。
浅沼雅美さんも日蓮正宗の僧侶だった男性も自分が見たわけではなく、伝聞を事実として語っているにすぎません。

10月に亡くなった浅井昭𫟘さんは「悪臨終の相」だったと、日蓮正宗の新聞「慧妙」に書かれているそうです。
https://cleanstream.online/asaisyoueinosi02/
臨終の相の善し悪しを言ってたら、いくらでも誹謗中傷できます。

経典や論書に、臨終の相に成仏の相、堕地獄の相があると説かれているわけではありません。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/474cd426ea837f8054d7876f0afec7d8
根拠がないのに、そんなことにとらわれていたら、それこそ死者は浮かばれないでしょう。

黒川創『鶴見俊輔伝』

2023年08月16日 | 日記

黒川創『鶴見俊輔伝』は鶴見俊輔(1922年~2015年)の評伝。
戦前の知的エリート階級の裕福さは半端じゃないと思いました。

鶴見俊輔の父は鶴見祐輔、母の愛子は後藤新平の長女。
7千坪もある後藤新平宅の一角に家があった。

鶴見俊輔は9歳から万引きをした。
東京高等師範学校附属小学校をビリから6番で卒業。
府立高等学校、府立第五中学校を中退した。

年上の女たちとの情事。
2度の自殺未遂、3度の精神病院入院。
鶴見祐輔は14歳の息子に「軽井沢に土地を買ってやるから、そこで女性と暮らして、蜜蜂でも飼ったらどうか」と言う。

16歳でアメリカ留学。
英語がわからないので、授業についていけない。
しかし、17歳でハーバード大学に入学。

鶴見俊輔の若いころの写真はどれも生意気そうな顔をしています。
経済的に恵まれたエリートであることへの罪責感があったように感じます。

姉の鶴見和子は入学した成城小学校は澤柳政太郞が創立した(1917年)
教育勅語の奉読も、君が代斉唱もない。
そもそも式典がなく、御真影というものを見たことさえなかった。

1929年、和子が成城小学校から女子学習院に転校すると、すぐ天長節(4月29日)だった。
その前日、鶴見祐輔が「あすは軽井沢の別荘に行くか、どうするか」と尋ねたので、和子は「行くわ」と答えた。
母の愛子は、その旨を記した欠席届を持たせてくれた。
そして、学校の式典には出ずに、家族で軽井沢に出かけた。

後日、このことが学校で問題化して「不忠の臣」などと言われ、先生から「謝りなさい」と求められたが、「なぜですか」などと訊くので、愛子が学校に呼びつけられた。
あとで和子が「どうだった?」と訊くと、愛子は「なんだかんだと言うから、うちの子どもは自分が悪いと思わないときに謝るようには躾けてございません、って言ってきたわ」と澄ましている。

夏休みになっても、多くの教師たちから、謝罪を求める手紙が和子宛に届いた。
愛子はそれに応じる様子がないので、和子は見切りをつけて、自分で「悪うございました」という詫び状を書き、判子を捺して、学校に提出した。
それからは優等生で通した。

1929年、鶴見俊輔は東京高等師範学校附属小学校に入学する。
校長(主事)の佐々木秀一は毎日の朝礼の話はとても短いものだった。
生徒は三角帽ををかぶり、帽子には、1、2年生は赤い房、3年生以上は白い房がついている。
佐々木秀一の話は「この学校で、赤房と白房がけんかをしているのを見たら、理由をきかないでも、白房のほうが悪いと私は思います」といったものである。
「休み時間に見ていると、みなさんの遊びには、戦争の遊びが多すぎます」と言うこともあった。

柳宗悦『朝鮮とその芸術』(1922年)にこうあるそうです。

日本の同胞よ、剣にて起つものは剣にて亡びると、基督は云った。至言の至言だ。軍国主義を早く放棄しよう。弱者を虐げる事は日本の名誉にはならぬ、(略)自らの自由を尊重すると共に他人の自由をも尊重しよう。若しもこの人倫を踏みつけるなら世界は日本の敵となるだろう。そうなるなら亡びるのは朝鮮ではなくして日本ではないか。

福澤諭吉が朝鮮と中国をぼろかすに書いている『脱亜論』への批判があるかもしれません。
それにしても、大正デモクラシーの時代と現在の学校教育、どっちがましかと思います。

1942年、日米交換船で大河内光孝を知る。
大河内光孝は大河内輝声(高崎藩藩主)の妾腹。
こういうことを話す人だった。

もし、若い相棒といっしょに山中で遭難して、このままでは生きのびる見込みがないとなったら、どうするか。おれなら、残りの食料を若い相棒に全部やる。そうすれば、若い相棒には、生きる見込みもできるかもしれない。自分の覚悟というのは、それだけだよ。


京都のパン製造・販売の進々堂の社内報に、経営者一族の続木満那という専務が「私の二等兵物語」を書いている。
1942年に一兵卒として入隊し、中国に送られる。
銃剣術や射撃の練習のために、生きている中国人捕虜を目隠しもせず木にくくりつけて、突き殺したり撃ち殺したりすることを命じられた。

陣地の後の雑木林に40人の捕虜が長く一列に並ばされました。その前に3メートルほどの距離をおいて私達初年兵が40名、剣つき銃を身構えて小隊長の「突け」の号令の下るのを待っていたのです。昨夜、私は寝床の中で一晩考えました。どう考えても殺人はかないません。小隊長の命令でもこれだけはできないと思いました。しかし命令に従わなかったらどんなひどい目に会うかは誰でも知っています。自分ばかりでなく同じ班の連中までひどい目に会わすことが日本軍隊の制裁法です。け病を使って殺人の現場に出ないことを考えてみました。気の弱い兵隊がちょいちょいやる逃亡という言葉も頭をかすめました。しかし最後に私の達した結論は「殺人現場に出る、しかし殺さない」ということでした。

上官から「突け」と命令されても続木は捕虜を殺さなかった。

鶴見俊輔は召集されましたが、ジャカルタで翻訳をしており、実戦の経験はありません。
上官から殺せと命令され、殺さないことができるか、日本が戦場になったらどうかと、自分に問います。


少子化と人口減(2)

2023年05月20日 | 日記

どうしたら人口の減少を食い止めることができるのでしょうか。

50歳で一度も結婚したことがない人の割合を生涯未婚率といいます。
「少子化社会対策白書」によれば生涯未婚率は年々増加しており、1970年には男性1.7%、女性3.3%だったのに対して、2020年には男性28.3%、女性17.8%まで増加している。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00081/111000470/

平成26年度「結婚・家族形成に関する意識調査」
「あなたは、結婚についてどのようにお考えですか」
1 必ずしたほうが良い 14.0%
2 できればしたほうが良い 54.1%
3 無理してしなくても良い 29.3%
4 しなくて良い 1.7%
「結婚したほうが良い」の合計は68.1%。
「無理してしなくても良い」「しなくて良い」の合計が30.9%。
男性の方が女性よりも「結婚したほうが良い」の割合が高い。
男性の「400万円以上」では、「結婚した方が良い」が78.2%と、「収入はない」、及び「400 万円未満」に比べ10 ポイント以上高い。

「あなたは、あなたご自身の結婚の時期について、どのように考えていますか」
1 すぐにでも結婚したい 9.2%
2 2-3 年以内に結婚したい 21.5%
3 いずれは結婚したい 47.0%
4 結婚するつもりはない 7.0%
5 わからない 15.0%
「結婚したい」の合計は全体で77.7%。
「結婚するつもりはない」とする割合は、7.0%と1割未満にとどまる。
女性(81.9%)の方が男性(73.2%)よりも「結婚したい・計」の割合が高い。
男女とも20代の方が、30代よりも「結婚したい・計」が高い。
「結婚するつもりはない」は30代男性(12.6%)で、「すぐにでも結婚したい」は30 代女性(21.7%)でそれぞれ最も高い。
男女とも、「正規雇用」の方が、「非正規雇用」よりも「結婚したい・計」の割合が高い。特に、男性では、「正規雇用」(78.5%)が、「非正規雇用」(62.1%)を約16ポイント上回っている。
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/research/h26/zentai-pdf/pdf/2-2-2-2.pdf
結婚したほうがいい、結婚したいと考えている人のほうが、結婚しなくていい、結婚するつもりはないと答える人よりもはるかに多いわけです。

「結婚生活をスタートさせるにあたって必要だと思う夫婦の年収(税込み)は、どのくらいだとお考えですか」
1 100万円未満 0.1%
2 100万円~200万円未満 1.3%
3 200万円~300万円未満 6.6%
4 300万円~400万円未満 19.8%
5 400万円~500万円未満 23.2%
6 500万円~600万円未満 20.8%
7 600万円~800万円未満 12.8%
8 800万円~1000万円未満 2.8%
9 1000 万円以上 1.2%
10 収入は関係ない 2.9%
11 わからない 7.5%
全体では平均490.3万円。
男女間で大きな差はないが、男女とも30代の方が、20代よりも必要と考える年収額平均が高い傾向にある。
「未婚」(497.9 万円)の方が、「既婚」(484.2 万円)よりも、必要と考える年収額平均が、14万円ほど高い。 
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/research/h26/zentai-pdf/pdf/2-2-2-3.pdf

結婚するかしないかの大きな要因の一つが収入のようです。
国税庁の「民間給与実態統計調査」(2021年)によると20代前半(20歳~24歳)の平均年収が269万円で、男性328万円、女性249万円、20代後半(25歳~29歳)の平均年収は371万円で、男性404万円、女性328万円です。
https://www.nta.go.jp/publication/statistics/kokuzeicho/minkan2021/pdf/002.pdf

ところが、20代で年収300万円未満の男性が49%、30~34歳でも年収300万未満は43%だそうです。
https://news.yahoo.co.jp/byline/arakawakazuhisa/20220414-00291339

結婚観が違ってきているので単純には言えませんが、結婚したいけど、収入が少ないので結婚できない人が多いわけです。
となると、まずは正規雇用を増やし、子育てのできる収入にし、国は助成金を出すといった施策を行わないと、少子化は解決しないと思われます。


少子化と人口減(1)

2023年05月14日 | 日記
世界人口増、鈍化傾向 アフリカは急増
 世界の人口は20世紀以降、技術革新や医療の発達などにより、増加の一途をたどってきた。国連によると、1950年に約25億人だった人口は2022年には80億人に到達。86年に104億人でピークに達し、その後は微減が始まると推計されている。
 22年の世界の人口は①中国(14億2600万人)②インド(14億1200万人)③米国(3億3700万人)④インドネシア(2億7500万人)の順だったが、23年4月にインドが中国を上回り、50年は①インド(16億6800万人)②中国(13億1700万人)③米国(3億7500万人)④ナイジェリア(3億7500万人)の順になると予測されている。
 しかし、世界全体の人口増加率は鈍化傾向だ。20年には1950年以降で初めて1%を割り込んだ。1人の女性が生涯に産む子どもの数に当たる合計特殊出生率は世界全体で、1950年の4・86から21年には2・32まで下落。22年から50年の間、61の国と地域でそれぞれ人口が1%以上減少すると予想されている。世界全体で65歳以上の高齢者の割合は22年の10%から50年に16%に上昇し、国連は「年金の持続可能性を改善するなど公的制度の見直しをすべきだ」と指摘する。(毎日新聞2023年5月8日)。

https://mainichi.jp/articles/20230507/k00/00m/030/106000c

石弘之『砂戦争』に2100年の世界の人口予想が書かれています。
ワシントン大学の研究者2020年の論文で、2100年の世界人口は88億人にとどまり、国連が予測した人口よりも21億人も少なくなると発表した。
出生率の低下と、人口の高齢化が原因だとしている。
日本、スペイン、イタリア、タイ、韓国など20か国以上で、2100年までに人口が半減する。
中国は14億人から7億3000万人に減る。

2019年に出版された『2050年世界人口は大減少』は、2100年には70億から80億人の間に収まると予言している。

発達途上国で女性の教育水準が上がれば出生率が下がる。
女子の教育期間が1年伸びると、出生率が10%下がる。
都市生活者は生活や教育の支出増で出生率が低下する。

都市に住む人の割合が増えている。
1950年 30%
2018年 55%
農村人口が減っているわけです。
食料のことを考えると問題だと思いました。

日本の人口は2015年の国勢調査で1億2709万4745人と、初めて人口減少した。
2022年の総人口は約1億2494万7千人、日本人人口は約1億2203万1000人です。
年間出生数は2016年に100万人を割り、2022年は79万9728人になりました。

国立社会保障・人口問題研究所の日本の将来推計人口。
https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp_zenkoku2023.asp
総人口:出生中位(死亡中位)推計(令和5年推計)
2023年 1億2440万8000人
2030年 1億2011万6000人
2040年 1億1283万7000人 
2050年 1億468万6000人
2056年 9965万4000人
2067年 8973万9000人

出生数(2018年の推計)
2030年 81万8000人
2040年 74万2000人
2050年 65万5000人
2060年 58万3000人

死亡者数(2018年の推計)
2030年 160万3000人
2040年 167万9000人
2050年 159万6000人
2060年 156万2000人
高齢者数は2042年がピーク。

国土交通省は「国土のグランドデザイン2050」(2014年)で、サービス施設の立地する確率が50%及び80%となる自治体の人口規模を計算しています。

食料品の小売店、郵便局、一般診療所の存在確率80%は500人だから、その人数規模の集落はこれらの事業が成り立つ。
介護老人福祉施設は4500人で存在確率80%。
銀行は9500人、一般病院や訪問介護事業は2万7500人、大学や映画館は17万5000人で存在確率80%。
https://www.mlit.go.jp/common/001055413.pdf
これ以下の人口だと、これらの施設や事業は成り立たないわけです。

河合雅司『未来の年表』はこんな暗い未来を予想しています。
人口減により、労働者不足で産業が衰退する。
介護職の不足、警察官・消防士などの人員確保が困難、生活保護受給者の激増と財政の悪化など。
2018年、全国の空き家数は848万9000戸、全住宅の13.6%を占めている。
2033年の総住宅数は約7126万戸で、空き家数は2167万戸、空き家率30.4%となる。
地価は下落し、銀行が破綻する。


ネトウヨと保守と右翼

2022年09月08日 | 日記

伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学』に、行動する保守」を名のる団体・個人がNHKやフジテレビなどに過激な抗議活動をしたことが書かれています。

保守とは何か。
保守と右翼は違うのか。
ネトウヨは保守なのか。

適菜収『安倍でもわかる保守思想入門』を読みました。
人間の理性に懐疑的であることが保守主義の本質。
人間の理性は完全であって、明るい未来が描けるという考えは保守ではない。
人間は合理的には動かないし、社会は矛盾を抱えて当然だという前提から出発する。
保守は人間が不完全であり、人間の理性や知性には限界があることを認めるから、この道しかないという言い方を保守政治家はしない。
保守は安易な解決策に飛びつかない。
理性的に考えれば、理性で解決できないことのほうが多いことに気づく。

リベラルや左翼は理性を信頼する。
きちんと論理的な思考を積み上げていけば正解にたどり着くと信じている。
理性の拡大の延長線上に理想社会を見いだそうとする。

保守主義者は理想を示すものではない。
保守は左翼のように自由や平等を普遍的価値と捉えない。
自由の暴走はアナーキズムに行き着くし、平等の暴走は全体主義に行き着く。
保守主義は特定のイデオロギーを警戒する。
非常識な人がいたら、「非常識だ」と注意する。
乱暴な人がいたら、「乱暴はやめろ」と警告する。
それが保守であり特定の理念を表明するものではないから、保守は思考停止を戒める。

保守と右翼は直接関係ない。
復古主義や右翼は過去の一時期に理想を見いだす動きである。
理想主義という面においては、理想郷を未来に設定する左翼とそれほど変わらない。

保守が過去を重視するのは、未来につなぐため。
伝統の重視は過去の美化ではない。
保守は伝統に培われた常識を大切にし、非合理的に見える伝統や慣習を理性により裁断することを警戒する。
伝統とは、人間の行動、発言、思考を支える歴史的に培われた制度や慣習、価値観のこと。
保守が伝統を重視するのは、個々の事例における先人の判断の集積と考えるから。

原理主義と右翼について中島岳志さんの説明。(「真宗」2017年3月号)
原理主義あるいは復古主義は、古代は素晴らしかったが、その後、外国から入ってきて駄目になった、元に戻ろうという思想。
過去の人間も、現在の人間も、未来の人間も不完全である以上、過去のある一地点に回帰したところで、それは過去の問題に直面するだけである。

保守が立脚すべき立場は、どこかの時代を絶対化、理想化することではない。
人間が不完全である以上、その人間によって構成される社会も不完全だから、昔に戻っても何も解決しない。
未来の人間も不完全なら、未来には未来の問題があるから、未来も絶対ではない。
完成された時代など存在しないから、どの時代も絶対化できない。

保守は何も変えないのではなく、保守するために変わらなくてはならないという立場。
世の中が推移していくので、大切なものを守るために変わっていかないといけない。
ただし、一気に変えようとしてはならない。
伝統や慣習に謙虚になりながら、漸進的に変えていこうというのが保守思想。

伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学』に書かれている右翼の歴史の要約。
明治以降、右翼は反体制的・革新的な勢力として保守に対抗する側に位置づけられた。
反体制派が、民族の立場から近代化に反対する右翼と、階級の立場から反対する左翼に分かれ、真ん中の保守を左右から挟撃するという構図である。

ところが、戦後、右翼団体はアメリカの反共政策のもとで左翼勢力の伸張を抑え込もうとする保守政権と結びつき、反共活動の尖兵として左翼を弾圧する側になる。
右翼団体は保守政権や財界と結びつき、天皇中心主義や国粋主義などを標榜しながら、親米反共の旗印を掲げて活動するようになった。

70年安保の前に登場した新右翼は民族派と称し、反米反ソの立場だった。
その後、再び保守と連帯し、体制的・保守的な勢力として左翼と対抗する。
日本では権力に追従するのが保守ということになっている。

樋口直人『日本型排外主義』による、既成右翼の特徴。
既成右翼に関する代表的な研究は、天皇制に象徴される権威主義的な伝統主義と反共主義を戦後日本の右翼イデオロギーとしている。

①天皇および国家に対する絶対的忠誠
②共産主義、社会主義またはこれに同調する勢力への反対、警戒
③理論よりも行動の重視
④民族的伝統、文化の護持と外来思想、文化への警戒
⑤義務、秩序、権威の重視
⑥民族的使命感
⑦命令系統における権威主義
⑧家族主義的全体主義
⑨保守的傾向
⑩家父長的人間関係
⑪インテリ層に対する警戒
⑫一人一党的傾向
⑬少数精鋭主義
ところが、天皇を中心とする復古主義は古くさすぎて興味を持てない人が増えた。

物江潤『ネトウヨとパヨク』によるネトウヨとパヨクの定義は、「強い政治的主張をもつ対話できない人」です。
「保守・リベラル」と「ネトウヨ・パヨク」との違いは、対話が可能かどうか。
ネトウヨと保守は本来相容れないように思われます。

渡辺靖「アメリカニズムと不寛容社会」(たばこ総合研究センター編『現代社会再考』)にこんなことが書かれています。
今の日本社会は、コミュニティーの関係が薄くなり、個人が孤立化している。
その一方で、付和雷同的な傾向がある。
つながりから解放されると、一人ひとりは自立しているが、孤独な個人となってしまう。
周囲に頼れる人がいない、そういう社会では、隣人でさえ信頼できず、多数派や国家権力に自ら進んで服従していく。
孤独になっていくベクトルと、特定の多数派や権力にすがっていくベクトルが矛盾しない。

バブル崩壊後30年以上も経済停滞が続き、格差は拡大しているということもあり、排外主義の声が高まって極右政党が支持を広げています。
これからの日本、どうなるのか心配です。

渡辺靖さんの、信頼と寛容はセット、信頼してるから寛容になれるという言葉、そのとおりだと思います。


ネトウヨと被害者意識

2022年08月28日 | 日記

ネトウヨの主張は被害者意識がひそんでいるように感じます。
反権威、反知性は、権威や専門家にバカにされているという劣等感。
陰謀論は、日本を陥れようとする秘密組織によって被害を被っているという妄想。
排外主義や歴史修正主義にも被害者意識がうかがえます。
中国や韓国が言いがかりをつけて日本を非難しているとか。

吉田嘉明DHC会長

今、多くの番組で東大や早稲田出身の教授、在日帰化人のジャーナリストや文化人、一見性別不明の左翼芸能人らが特に珍重されているようです。私が在日帰化人の問題に触れると、すぐに「ヘイトだ」「差別発言だ」と言われますが、私は決して差別主義者でもレイシストでもありません。(産経新聞ウェブメディア)

在日が日本を支配しつつあるという思い込みは在日特権陰謀論とでも言いますか。

トランプ前大統領の、メキシコから不法移民が入らないよう国境に壁を作るとか、イスラム圏7カ国からの入国を制限するといった主張も同じです。

在特会の桜井誠と西村修平は、まったくの虚構をもとに排外主義運動を展開したと、樋口直人『日本型排外主義』に書かれています。
在日特権という虚構はアイヌ、沖縄、被差別部落などへの利権攻撃につながるし、生活保護受給者へも向けられます。
NHK党はNHK批判だけしているわけでなく、歴史修正主義、生活保護バッシングなどネトウヨ的主張もしているそうです。

樋口直人さんは排外主義を「国家は国民だけのものであり、外国に出自を持つ(とされる)集団は国民国家の脅威であるとするイデオロギー」と定義します。

極右といっても、ヨーロッパではバリエーションはかなり存在し、共通項はナショナリズムと排外主義くらいしかない。
樋口直人さんは、石原慎太郎は極右であり、日本維新の会は極右政党だとします。
石原慎太郎さんの三国人発言などは明らかな排外主義です。

排外主義も主張はさまざまですが、樋口直人さんによると、日本の排外主義運動には3つの源流があります。
①既成右翼の一部
②歴史修正主義的な右派市民運動
③ネット右翼

冷戦時の保守にとっての仮想敵国はソ連であり共産圏だった。
既成右翼にとって在日外国人は重要な問題となってこなかった。
90年代後半からは反日勢力としての東アジア近隣諸国が攻撃の対象となった。

西村幸祐は2011年3月、桜井誠の暴走に「思想的、政治的に一線を画せざるを得ない」と明言。11月には「チンピラの恫喝・脅迫、言いがかりと何ら変わらず、ただの弱い者イジメの街宣ではないか」などと断じた。
西村幸祐さんだって威力業務妨害で逮捕・勾留されているのに。

永吉希久子「ネット右翼とは誰か」(樋口直人他『ネット右翼とは何か』)によるネット右翼の定義。

①中国・韓国への否定的態度
②保守的政治志向
③政治・社会問題に関するネット上での意見発信や議論

ネット右翼はこの3つの条件をすべて満たす。
①と③の条件を満たすが、②の保守的政治志向が見られない場合はオンライン排外主義者と定義する。

保守的政治志向の有無は、「靖国公式参拝」と「憲法9条の改正」に対する賛否と、「国旗・国歌を教育の場で教えるのは当然である」と「子どもたちにもっと愛国心や国民の責務について教えるよう、戦後教育を見直すべき」への同意の程度で測定。

オンライン排外主義者は保守的政治志向を必ずしももたない。
オンライン排外主義者のうち、靖国公式参拝には39.0%、憲法改正には29.2%、国旗・国歌教育には51.7%、愛国心教育には35.8%が賛成している。

ネット右翼とオンライン排外主義者の共通点と相違点
①ネット右翼は自民党や安倍首相に好感をもち、保守を自任している。
③反中・反韓や日本の伝統的な姿を重んじる
ネット右翼は権威に従順であることを重視し、現政権(安倍政権)に肯定的であり、政治に自分の声が届いていると感じている。
④政治・社会問題の情報源としてインターネットや本・雑誌、所属団体からの情報を利用する人ほどネット右翼になりやすく、テレビを利用する人ほどなりにくい。

保守系雑誌・書籍やインターネット上の情報を通じて「マスコミが報じない真実」を学習することでネット右翼へと近づいていく。
オンライン排外主義者は「一般市民の声は、エリートや政治家の意見よりも正しいことが多い」と考える傾向がある。

排外主義は保守にとどまらない層に広がっていて、そこからオンライン排外主義者が生まれていると考えられる。


なぜ他国の人間、特に東アジア、開発途上国の人を嫌うのか考えてみました。
・異なる文化、言語、習慣を受け入れることへの忌避感
・仕事を奪われるのではという不安
・治安が悪化するのではという不安
つまり、今までの生活が変わることへの抵抗感があると思います。

『日本型排外主義』に、排外主義の活動家34名の聞き取りがされています。
その主張には在日韓国人や在日朝鮮人に対する激しい憎悪がある。
敵視の対象はリベラルのイメージで語られることが多い政治家や知識人にも向けられる。
日本の排外主義の活動家を調べても、際だった特徴が見つけにくい。
外国人と接点があったのは15名で、そのうち12名は影響がないと答えている。
外国人との直接的な接触によりネガティブな意識を抱いたのは3名。
外国人と接した経験が排外主義と結びつくことはほとんどない。
拉致問題がきっかけと答えた人もいる。
マスメディアを敵視し、マスメディアの情報を疑う一方、ネット空間に信頼を寄せる。

外国人との関わりはないし、ネットの不確かな情報しか持っていないのに、なぜか排外主義になるのです。
しかし、幕末に攘夷という排外主義が勢力をふるいましたが、結局は西洋文明を受け入れました。
鬼畜米英と叫んでいたのが、敗戦でアメリカン・デモクラシーを受け入れました。
多文化の日本は避けられないと思います。

樋口直人さんの調査によると、排外主義運動とつながるきっかけとなった出来事として、歴史修正主義だと答えた人がいます。
歴史修正主義には、自分の国にとってマイナスとなる出来事は認めないわけで、そこに被害者意識を感じます。
中国は南京虐殺、韓国は従軍慰安婦問題を利用して日本をおとしているというふうに。

三笠宮崇仁『日本のあけぼの』(1959年)にこうあります。

偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。もっとも、こんなことはかならずしも日本に限られたことではなかったし、また現代にのみ生じた現象ともいえない。それは古今東西の歴史書をひもとけばすぐわかることである。さればといって、それは過去のことだと安心してはおれない。つまり、そのような先例は、将来も同様な事象が起こり得るということを示唆しているとも受けとれるからである。いな、いな、もうすでに、現実の問題として現われ始めているのではないか。紀元節復活のごときは、その氷山の一角にすぎぬのではあるまいか。そして、こんな動きは、また戦争につながるのではないだろうか。


斉加尚代『教育と愛国』を見てたら、関東大震災の朝鮮人虐殺や、張作霖爆殺事件の主犯は河本大佐だと書いている教科書は不採択なるのではと危惧しました。
https://www.youtube.com/watch?v=xCbWMJJ0qyg


ネトウヨと反知性

2022年08月08日 | 日記

文化大革命やポル・ポト政権ではエリートや知識人、専門家を弾圧し殺害しました。
ネトウヨも知識人、学者、専門家を敵視し、素人、普通の人々の庶民感覚を重視します。
つまり、反知性です。

藤岡信勝「歴史の解釈権はむしろ歴史研究の消費者たる素人にある」
西尾幹二「私は現代史に専門家が存在することを認めていません」

お二人とも歴史の専門家ではありません。

裁判員制度も市民感覚ということで始まりました。
ところが裁判員裁判では厳罰の判決が出ることが多く、二審で一審よりも軽い判決が出されることがあります。
普通の人が専門家より正しい判断が下せるのでしょうか。

庶民の素朴な感覚は、戦争はイヤだし、原発は怖い。
しかし、ムチとアメでだまされるし、感情に流されることがあります。

セルゲイ・ロズニツァ『粛清裁判』は、1930年の産業党裁判の記録映像を基に製作したドキュメンタリーです。
何人もの科学者と経済学者が西側諸国と結託してクーデターを企てたとして告訴され、被告たちはすべてを認めて有罪判決を受けました。

セルゲイ・ロズニツァはこう語っています。

フィルムの保管所には裁判のアーカイヴ映像とは別に、この時代に毎晩行われていた民衆によるデモの映像も保管されていました。それら映像には裁判にかけられている人々に対し「銃殺にしろ」と書いた横断幕を掲げ夜の街頭を練り歩く人々の姿が映っていました。この狂気じみた民衆と法廷を傍聴しながら無実の人間に死刑判決が出ると拍手喝采する人たちこそ、1930年のソビエトを象徴する群衆なのです。

https://eiga.com/news/20201113/10/

アメリカには反エリート、反権威、反科学、反知性の伝統があり、科学に不信感を持つアメリカ人は多いそうです。
三井誠『ルポ 人は科学が苦手』は、地球温暖化否定派と進化論を否定する創造論者を取り上げています。

ギャラップ社の2017年の世論調査
「神が過去1万年のある時に人類を創造した」との考え(創造論)を支持する回答は38%。
「人類は数百万年にわたり進化してきたが、そこには神の導きがあった」とする回答の支持も38%。
「神の関与なしに人類は数百万年にわたり進化した」とする回答は19%と少数派。
教会に頻繁に行く人ほど科学への信頼が低下している。

2011年の公立高校の生物学教師へのアンケート調査
進化論をきちんと教える先生は約28%。
創造説を教える先生は約13%。
ミネソタ州の教師「私は自分の生物のクラスで進化論を教えない。低レベルの科学を教える時間などない」

残りの約60%は、親や地域住民からの批判を恐れて両方を教えるなど、煮え切らない立場だった。
「(進化論や創造論などのなかで)どれが正しいのかを子どもたちが自分自身で決めるべきだ」
「子どもたちは進化論を学ぶ必要があるが、それはただ、進化論が本当であるかのように生物学のカリキュラムに書かれているからだ」

反知性といっても、知性がない人だというわけではありません。
トランプ政権のミック・マルバニー行政管理予算局長は記者会見でこう言った。
「(地球温暖化の研究に)もうお金は使わない。税金の無駄だ」

2018年のギャラップ社の世論調査
地球温暖化は人間活動が原因なのか、それとも自然変動の結果なのかを聞いた質問で、「人間活動が原因」と答えた人は64%だった。
支持政党ごとに見ると、共和党支持者では35%、民主党支持者では89%。

2010~2015年、ギャラップ社は地球温暖化に対する考え方と学歴との関係を調べた。
「地球温暖化は自然の変動によるものだ」と回答した人。
高校卒業までの人の場合は民主党支持者では35%、共和党支持者では54%。
大学を卒業した人では、民主党支持者の13%、共和党支持者の66%。
ちなみに、2009年の調査によると、

三井誠さんはこう述べています。
勉強すればするほど正しい理解に結び付き、誤解は解消し、わかり合えると思いがちだが、実際は学歴が高い人ほど支持する政党の違いに応じて、考え方の違いが際立つようになる。

科学的知識が少ない場合は支持政党による違いはないが、知識が増えるほど支持政党に応じた考え方の違いが大きくなる。
エール大学教授ダン・カハン

人は自分の主義や考え方に一致する知識を吸収する傾向があるので、知識が増えると考え方が極端になる。


共和党支持者は地球温暖化の知識があっても、自分の考え方と違うので、逆の方向に理論武装して、「多くの科学者はそう言うけど、本当は違うんだ」というふうに自分の信念を強めている。
温暖化の知識が増えても共通の理解につながらず、逆に見方が偏っていく。

その人の考え方を支配する宗教的、政治的なバイアスがある。
政治や宗教などの個人の思いによって、情報が「大事な情報」と「嫌な情報」に分けられてしまう。

人は自分の思いを強めてくれる「大事な情報」をありがたがる。
「見たいものだけ見える」
「見たくないものは見えない」

これは陰謀論や歴史修正主義と共通していると思います。


ネトウヨと反権威

2022年08月02日 | 日記

ポピュリズムの主張は、反権威、反知性、排外主義だと思います。
ネトウヨも同じです。

石戸諭さんは『ルポ百田尚樹現象』でこう述べます。

百田尚樹とは「ごく普通の感覚にアプローチする術を感覚的に知る人」であり、百田現象とは「ごく普通の人」の心情を熟知したベストセラー作家と、「反権威主義」的な右派言説が結び付き、「ごく普通の人」の間で人気を獲得したものだ。


百田尚樹さんはこういう発言をしています。

僕は反権威主義ですねぇ。一番の権威? 朝日新聞やね。だって一日に数百万部単位で発行されているんですよ。僕の部数や影響力なんてたかが知れている。そこに連なっている知識人とか文化人も含めた朝日的なものが最大の権威だと思う。


発行部数が多い新聞が権威なら、朝刊発行部数は世界一である読売新聞こそ権威です。
読売新聞:6,874,345
朝日新聞:4,345,612
http://www.kokusyo.jp/abc%E9%83%A8%E6%95%B0%E6%A4%9C%E8%A8%BC/16935/
なのに読売新聞を攻撃しないのはなぜか。
それは百田尚樹さんの考える権威とはリベラル=サヨクだからだと思います。

石戸諭さんは、新しい教科書をつくる会についてこう説明します。

つくる会現象とは何だったのか。それは百田現象とは何かを問うことから見えてくる。私の結論は自虐史観を旗印に、リベラル派・左派から「反権威」というポジションを奪い、「普通の人々」の力を信じ、彼らに訴えることで力を獲得し、リベラル系マスコミの「権威」を崩壊させたポピュリズム運動であるというものだ。


伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学』によると、サヨクとは左翼ではなく、リベラル市民主義のことだそうです。

60年代のカウンターカルチャーは反権威主義だが、反体制だった。
ところが現在は、ネット右派はリベラルが権威だとし、自分たちはマイノリティーであり、権威に立ち向かっていると考えている。

平和運動、基地問題、護憲、環境問題、反原発、移民・難民支援などの市民運動をする人たちを批判する。
どうして嫌いなのか。
朝日新聞に代表される権威に、エリート意識、特権意識、独善的正義感、上から目線の啓蒙主義、尊大な態度を見、大衆への軽蔑心を感じ取るから。
反体制的言辞をする人を反日と決めつけ、安倍政権に代表される自民党政権や右派に批判的な人を攻撃する。

山田晃(『虎ノ門ニュース』を制作するDHCテレビジョン社長)はこう言ってます。

左翼の考えは楽なんです。憲法9条を守っておけばいいとか、なんでも政権が悪いとか、もはや宗教みたいなもので、あまり考えなくていいんですよね。


なんでも朝日新聞が悪い、戦後教育が悪い、反日メディアが日本をおとしめていると非難、攻撃するのも単純さでは同じだと思います。

しかし、権威とは「他の者を服従させる威力」という意味です。
日本では天皇や皇室が一番の権威です。
大日本帝国憲法や教育勅語の復活、戦前回帰を狙う勢力は天皇という権威を錦の御旗にしています。

また、戦後ずっと自民党政権が続き、現在も自民党候補というだけで当選する人が大勢いるので、自民党も権威でしょう。
石原慎太郎、麻生太郎、安倍晋三、加瀬英明、竹田通泰といった右派政治家、右派文化人はエリートだし、しばしば上から目線的な発言をしますが、ネトウヨは彼らを攻撃しません。
ネトウヨは、マスコミは嘘ばかりと主張しても、産経新聞など右派メディアは別です。

永吉希久子「ネット右翼とは誰か」(『ネット右翼とは何か』)は、ネット右翼を特徴づける重要な要素として権威主義的態度をあげています。

権威に従属し、伝統を重んじる一方、社会の主流となる諸価値から外れているようにみえる人々を攻撃しようとする傾向である。権威主義的態度は、第二次世界大戦に向かう時代にファシズムの温床となったとみられていて、差別意識とも深く関わっていることが確認されている。


松谷満「ネット右翼活動家の「リアル」な支持基盤」も同じ指摘をしています。

右派権威主義(社会文化的反自由主義)という価値観も強く作用している。これは「権威」や「秩序」を重視し、そのためには個人の「自由」や「権利」を制限すべきだと見なすものである。

反権威といえば聞こえはいいですが、体制にすり寄り、従っているわけです。

フランシス・ベーコンの造語に「イドラ」があります。
事物の正しい認識を妨げる先入観や偏見のことで、ベーコンはイドラを4つあげます。
その一つが劇場イドラです。
有名な思想家や学者の説から生じた誤りで、権威や伝統を無批判に信じることから生じる偏見のことです。
親の言っていることや、権威のありそうな人が言っていることを信じ込んでしまうのがこれです。

政治批判をする人をどうして非難するのでしょうか。
白戸圭一『はじめてのニュース・リテラシー』にこうあります。

「言論の自由」と「報道の自由」とは「権力者を批判できる自由」のことをいう。


宮武外骨や陸羯南あちは自分たちが主宰する新聞が何度も発行停止されても、筆を折ることはありませんでした。