三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ネトウヨと反権威

2022年08月02日 | 日記

ポピュリズムの主張は、反権威、反知性、排外主義だと思います。
ネトウヨも同じです。

石戸諭さんは『ルポ百田尚樹現象』でこう述べます。

百田尚樹とは「ごく普通の感覚にアプローチする術を感覚的に知る人」であり、百田現象とは「ごく普通の人」の心情を熟知したベストセラー作家と、「反権威主義」的な右派言説が結び付き、「ごく普通の人」の間で人気を獲得したものだ。


百田尚樹さんはこういう発言をしています。

僕は反権威主義ですねぇ。一番の権威? 朝日新聞やね。だって一日に数百万部単位で発行されているんですよ。僕の部数や影響力なんてたかが知れている。そこに連なっている知識人とか文化人も含めた朝日的なものが最大の権威だと思う。


発行部数が多い新聞が権威なら、朝刊発行部数は世界一である読売新聞こそ権威です。
読売新聞:6,874,345
朝日新聞:4,345,612
http://www.kokusyo.jp/abc%E9%83%A8%E6%95%B0%E6%A4%9C%E8%A8%BC/16935/
なのに読売新聞を攻撃しないのはなぜか。
それは百田尚樹さんの考える権威とはリベラル=サヨクだからだと思います。

石戸諭さんは、新しい教科書をつくる会についてこう説明します。

つくる会現象とは何だったのか。それは百田現象とは何かを問うことから見えてくる。私の結論は自虐史観を旗印に、リベラル派・左派から「反権威」というポジションを奪い、「普通の人々」の力を信じ、彼らに訴えることで力を獲得し、リベラル系マスコミの「権威」を崩壊させたポピュリズム運動であるというものだ。


伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学』によると、サヨクとは左翼ではなく、リベラル市民主義のことだそうです。

60年代のカウンターカルチャーは反権威主義だが、反体制だった。
ところが現在は、ネット右派はリベラルが権威だとし、自分たちはマイノリティーであり、権威に立ち向かっていると考えている。

平和運動、基地問題、護憲、環境問題、反原発、移民・難民支援などの市民運動をする人たちを批判する。
どうして嫌いなのか。
朝日新聞に代表される権威に、エリート意識、特権意識、独善的正義感、上から目線の啓蒙主義、尊大な態度を見、大衆への軽蔑心を感じ取るから。
反体制的言辞をする人を反日と決めつけ、安倍政権に代表される自民党政権や右派に批判的な人を攻撃する。

山田晃(『虎ノ門ニュース』を制作するDHCテレビジョン社長)はこう言ってます。

左翼の考えは楽なんです。憲法9条を守っておけばいいとか、なんでも政権が悪いとか、もはや宗教みたいなもので、あまり考えなくていいんですよね。


なんでも朝日新聞が悪い、戦後教育が悪い、反日メディアが日本をおとしめていると非難、攻撃するのも単純さでは同じだと思います。

しかし、権威とは「他の者を服従させる威力」という意味です。
日本では天皇や皇室が一番の権威です。
大日本帝国憲法や教育勅語の復活、戦前回帰を狙う勢力は天皇という権威を錦の御旗にしています。

また、戦後ずっと自民党政権が続き、現在も自民党候補というだけで当選する人が大勢いるので、自民党も権威でしょう。
石原慎太郎、麻生太郎、安倍晋三、加瀬英明、竹田通泰といった右派政治家、右派文化人はエリートだし、しばしば上から目線的な発言をしますが、ネトウヨは彼らを攻撃しません。
ネトウヨは、マスコミは嘘ばかりと主張しても、産経新聞など右派メディアは別です。

永吉希久子「ネット右翼とは誰か」(『ネット右翼とは何か』)は、ネット右翼を特徴づける重要な要素として権威主義的態度をあげています。

権威に従属し、伝統を重んじる一方、社会の主流となる諸価値から外れているようにみえる人々を攻撃しようとする傾向である。権威主義的態度は、第二次世界大戦に向かう時代にファシズムの温床となったとみられていて、差別意識とも深く関わっていることが確認されている。


松谷満「ネット右翼活動家の「リアル」な支持基盤」も同じ指摘をしています。

右派権威主義(社会文化的反自由主義)という価値観も強く作用している。これは「権威」や「秩序」を重視し、そのためには個人の「自由」や「権利」を制限すべきだと見なすものである。

反権威といえば聞こえはいいですが、体制にすり寄り、従っているわけです。

フランシス・ベーコンの造語に「イドラ」があります。
事物の正しい認識を妨げる先入観や偏見のことで、ベーコンはイドラを4つあげます。
その一つが劇場イドラです。
有名な思想家や学者の説から生じた誤りで、権威や伝統を無批判に信じることから生じる偏見のことです。
親の言っていることや、権威のありそうな人が言っていることを信じ込んでしまうのがこれです。

政治批判をする人をどうして非難するのでしょうか。
白戸圭一『はじめてのニュース・リテラシー』にこうあります。

「言論の自由」と「報道の自由」とは「権力者を批判できる自由」のことをいう。


宮武外骨や陸羯南あちは自分たちが主宰する新聞が何度も発行停止されても、筆を折ることはありませんでした。

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