甲州街道ウォーキングの2回目を2月下旬に歩きました。今までの街道歩きと違って、ただただ高速下の国道の車の行きかう中、昔の街並みの面影があるわけでなく、季節を感じることもなく歩きました。
甲州街道のブログを更新しようにも、ちょっと気が進まないのも確かでしたが、3週間前を思い起こし、なんとか記録しました。
10:00 明大駅前をスタートします
商店街スズラン通りを抜けて国道にでると国道上には首都高速が通り、この直下の側道を歩いていきます。
北側には玉川上水跡が暗渠となって遊歩道、公園になっていました。
10:50 宗源寺
境内の不動堂がかって高台にあったため「高井堂」と呼ばれ、これが高井戸の地名の由来となったと言われています
まもなく、高速道路は右手にルートを変えて、江戸から4里目の一里塚跡の案内板があります
「甲州道中一里塚跡」都心から初めて一里塚跡とは言え、その形跡だけでも確認できました
11:45 大橋場跡(親柱「武州千歳村大橋場の跡」
鳥山用水に架橋されていた金属製の親柱と石仏、すでに暗渠化された用水の跡
昔の街道筋を忍ばせる風景は残っていませんが、この道筋そのものが街道だったようです
12:40 里程跡
給田の交差点を過ぎた右手の民家の庭先に、明治3年建立の「新一里塚」あり、
内藤新宿を起点とし甲州街道に建てられた新しい一里塚だということです。
仙川をを渡ります
13:00
仙川駅入り口交差点近くに仙川一里塚の碑があり、江戸日本橋より五里目
まもなく、草に半分隠れるようにあるのが瀧坂旧道の石碑で
この瀧坂道は雨が降ると瀧のように流れる急坂の難所で唯一残る旧甲州街道、現在は穏やかな坂
13:40 野川
13:50旧甲州街道入口
旧甲州街道入口交差点で二叉となり、現在の調布駅を中心に国領、下布田、上布田、下石原、上石原のご宿場がつづきます。
ただ、五宿合わせて一宿の機能をもって「間の宿」のような宿場だったようです。
14:40 小島の一里塚跡 江戸日本橋より6里目
樹齢200年を越すエノキが塚木だったようだが、危険防止のために伐採されてしまったようです。
15:00 常夜燈と近藤勇の銅像
勇は天保5年多摩郡上石原村(現在の調布市)で生まれました
だいぶ午後の日差しも傾け始めたころ、この先の府中市に兄が住んでいるので、在宅か電話をしたところ「折角近くに来たのなら、是非会おう」ということになりました。
義姉とともに街道途中まででてきてもらい、4人で街道筋のレストランでおしゃべりと早めの夕飯を一緒にとり、この日の甲州街道中ウォーキングを終えました。
歩数:34102歩 歩行距離:15.3Km
また、一日に3万歩、15㎞以上も歩かれるのは驚異的でいつも驚かされます。無理をされない程度に頑張ってください。
一里塚などを見ると、昔の人は歩く指標として大切だった事分かります。調布が近藤勇の出生地だというのも分かりました。
お兄様と義姉様と4人での夕食も、お話が弾んで良かったですね。
やはり、1日3万歩のウォーキングは凄いです。
普段歩いている所にも色々とあるんだろうなとあらためて思いました。これからの甲州街道が楽しみです。でも、3万歩はやっぱりすごい・・。私も5月の遠足に備えて歩かなければと少しだけ思っています。