小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

大山街道ウォーク第3回(世田谷上町 ~ 溝の口)

2013-03-28 | 街道歩き

桜の開花宣言があったのが12日前、あまりのスピード開花に桜も、まわりの戸惑う諸般の事情を察してか、足踏み状態、花冷えの
日々が続き、桜は思いのほか長持ちをしています。
都内の桜が咲き始めた先週、3回目の大山ウォーキングを決行しました。

今回は、世田谷上町から多摩川を越えて、川崎市溝の口までの7キロを歩きました。
この区間は特に絶景ポイントがあるわけではないのですが、大山詣として賑わった街道筋には庶民の面影が道端に残り、
当時の生活に想いを馳せながら出合う楽しみがありました。
今でも街道や古道の分岐点には庚申塔や地蔵尊、追分などの道標などが点在し、うっかりすると見落としてしまいがちな場所
ですが、今も静かに建っていました。


神社も多く、村の鎮守を中心に人々が寄り、大山街道が開けていった歴史がよくわかります。
世田谷区瀬田の玉川大師 玉眞院は、本殿の下に奥の院・地下霊場があり、一歩足を踏み込むとそこは真っ暗、ろうそくも
懐中電灯もいっさいの明りが禁じられ、真っ暗闇の中を進みます。まもなく前方にぼんやり灯りがみえてくるとそこには、四国
(八十八箇所)、西国(三十三箇所)の大師、観音という石仏が並び、四国遍路と西国巡礼をさながらお詣りできるようになって
いるものでした。


多摩川を渡ると二子の渡しの碑があり、岡本太郎作の岡本かの子の文学碑が二子神社境内に建てられていました。
岡本かの子はこの近くに実家があったようです。
街道には、私が子供の頃近所にもあったそのままの店構えが残っている商店もあって、道幅の狭い街道に洒落たマンション
と共存し、現在の街並みがありました。


溝の口駅近くに、ニケ領用水路があり、江戸の始めに農地に水を引くために建設され、このおかげで農業だけでなく、
野菜を洗ったり、お風呂の水にしたり、当時の生活になくてはならない用水路だったようです。
柳の新芽から覗くしだれ桜が昔と変わらない春の訪れを告げていました。


いよいよ神奈川県川崎市に入りました。次はアップダウンが続く多摩丘陵を歩く予定です。

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純白の花 イベリス

2013-03-23 | ガーデニング

この季節に咲く花は、どれも春の色。
柔らかな陽射しを浴びた花の色がどれも優しく感じるのは、私たちが厳しい寒さの中で、この春の陽の温もりを待ち望んで
いたからなのでしょうか。
宿根イベリアの白は純白というのに相応しいほど「真っ白」。花の一輪は小さいけれど、寄り添って咲くとこんなにこんもり
と、まるで花嫁のブーケのようです。

桜が満開になりました。家の近くの川沿いも霞みがかかったように薄ピンク色に染まりました。
明日は天気が下り坂ということですので、来週半ばまでが見頃でしょうか。
あそこの桜、こちらの桜も、と気になっている間に、この短い桜の命は今年もまた、あっという間に散ってしまうのでしょうね。

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今年の春は人も花も忙しい

2013-03-20 | ガーデニング

例年にない、早い桜の開花宣言があり、私の住んでいる街の桜並木にも急遽、桜まつりの提灯が取り付けられました。
平均気温をはるかに越えた暖かい日が続き、クリスマスローズが咲き揃ったと思ったのも束の間、庭の沈丁花の香りも
届かぬうちに、チューリップの蕾が膨らみ、たわわに付けた雪柳の白い花が春の強風に大きく揺れ、春は駆け足でやって
きました。
まだ冬籠りしていた鉢をあわてて庭に出したり、この陽気に人も植物も俄然忙しくなりました。

今日は春分の日、神田神保町の岩波ホールに是非観たいと思っていた映画「八月の鯨」をやっと観に行くことができました。


少し足を伸ばして、皇居の桜の様子もみてきました。桜開花宣言から4日、桜は三分咲きでしょうか。


このところの落ち着かない天候に少し桜も戸惑い気味、この週末は多分見頃でしょう。いよいよ春本番ですね。

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ウィーン・プラハ旅行記(7) 旧市街を歩く歩く、また歩く

2013-03-08 | 日常

神聖ローマ帝国の首都として中世に栄え、今もその面影を濃くしている市街、古い建物の間は迷路のような石畳が続き、
「百塔の街」と言われるだけに、どこを歩いても石造りの塔に突きあたります。
この街で「ある場所」を探して8か所も迷うことになるとは・・・。

ここプラハでも夫は国立オペラ座のチケットを日本で予約していました。その翌日にオペラ観劇を控えていたので、
eチケットを正式なものにチケットセンターで交換しておかなくてはなりません。
そのチケットセンターなる場所は、地図でだいたい把握できていたので、その日の観光はチケットセンターに寄ってから
スタートしようと言うことになりました。
その場所は、ホテルから歩いて15分ほどのところにありましたが、受け取る場所はここではないということで、受付の人が
市内地図を出して、行き先をペンで印をつけてくれました。
いったん観光を続けてオフィスが閉じる前には取りに行こうと言うことになりました。

プラハ市内はヴルタヴァ川にかかるカレル橋を中心に、主な場所はほとんど徒歩で歩けると言われています。
歴代の王が戴冠パレードをおこなった道は王の道と呼ばれて、この間には歴史的な建物も多く集中しています。
旧市街広場に立つと、バロック建築の聖ミクラージュ教会の優雅な外観を目にすることができます。ここではパイプオルガンの
演奏中でした。ドームに広がる厳粛な音色は、ふっと旅の疲れを忘れさせてくれます。



まだこの頃私たちは余裕がありました。ユダヤ人地区にも足を伸ばしてみました。かって、キリスト教徒による迫害を受け、
ここだけがユダヤ人教徒が住むことを許された地区でしたが、19世紀半ばには、正式にプラハ市の一部として認められ、
現在は整備された地区となりました。
ただ、苦難の道を歩んだユダヤ人にとって大切な教会堂(シナゴーグ)や墓地はそのまま残されています。
限られた土地の中で暮らしていたユダヤ人のお墓は狭く墓石は薄く斜めに立てられ、重なったり、あるいは倒れているもの
もありました。貴重な歴史の証言だと思います。



旧市街広場に戻るとすでに日暮れが迫り、朝、教えてもらった地図を頼りにチケットセンターを探しました。
そこはお土産物屋さんのコーナーにあったのですぐに見つかりました。ところが場所が移転しているとのことです。なんとか
ストリートの何番目かの角を曲がって・・・」と指示通りに探します。
まだ少し余裕があって、マーケットの果物屋さんを覗いたり、撮影をお願いしたら、パントマイムを中断して、一緒にカメラに
収まってくれました。
ところがこの後がたいへんでした。チケットの受け取り場所が次から次へと変り、プラハ市内を探し回り、日はとっぷり暮れ、
まわりはすっかりライトアップされていました。そして2時間後、やっと探し当てることができました。



疲れてこの日はホテルで食事をして、部屋に戻れば、携帯していた万歩計から花火があがっていました。
“おめでとうございます!歩行距離17キロで、過去6ヶ月間の最高得点です!”と、異国の地で最高記録を作るとは・・・。



肉料理に添えられているのは、チェコの代表的な主食クネドリーキ(ゆでパン)

無事チケットに交換した国立オペラ劇場は、ウィーンより少し小ぶりでしたが、世界のオペラを上映するのにふさわしい劇場
でした。

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ウィーン・プラハ旅行記(6) 雪のプラハ城

2013-03-07 | 日常

プラハはウィーンよりもさらに寒く、細かい雪が降ったり止んだり、旧市街はほとんど積もることはありませんでしたが、
ヴルタヴァ川の西岸、旧市街を眺望できる小高い丘のプラハ城あたりは白い世界でした。

ところが、プラハの人たちはほとんど傘をさしていません。防寒着に身を包み、帽子にもコートにも雪がかかるのをあまり
気にしていないようです。
私たちもそれに習いましたが、しばらく歩くと目にも口にも雪は入ってきます。やっぱり傘の出番です。こんなすぐれものは
ないと思うのですが・・・。

広大な城壁に囲まれた敷地内に旧王宮、大聖堂、教会、修道院、美術館などがあり、南北に長い城内は自由に行き来する
ことができます。レンガの城壁は美しく、眼下にヴルタヴァ川、そしてカレル橋、川向うに旧市街をみることができます。



ちょうど衛兵の交代時間とぶつかり、統率兵が交代兵を従えてやってきて、交代式がおこなわれ、また交代した衛兵2人と
統率兵が戻っていきました。
その後ろ姿はお人形の兵隊さんのようですが、任務が終わってほっとした後ろ姿に見えてしまうのは、私の余計な憶測で
しょうか。



もっとも大きく、圧倒的な迫力でそびえ立つのが聖ヴィート大聖堂、このゴシック建築の大聖堂の中のステンドグラスは
色鮮やかで、チェコの代表的なアールヌーボー画家ムハが手がけたステンドグラスもありました。



この大聖堂を通りぬけると、聖イジー教会があり、こちらはロマネスク教会のやさしい感じがしました。ここは音楽ホールとして、
「プラハの春」国際音楽祭が開催されます。



プラハ城正門前の広場に面した宮殿に、だまし絵で描かれた壁がありました。プラハにはこのようなスグラフィットという技法で
装飾された壁が多いと聞いています。みごとに立体感がでていました。



このプラハ城を中心に周りにも多くの教会、修道院があり、どこも見応え十分。雪の中を歩き回った一日でした。

帰りは歩いて、カレル橋を渡って旧市街に戻りました。この橋はカレル4世の時代にゴシック様式で建造された石橋です。





お天気のいい日は橋の上でパフォーマンスが繰り広げられ、似顔絵描きやお土産物売りなどが並ぶ、賑やかな場所のはず
ですが、この日は寒く、赤い上着のおじいさんだけが楽しそうにおもちゃを動かしていました。


橋の欄干に立てられた聖人像たち

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ウィーン・プラハ旅行記(5) 汽車で国境を越える

2013-03-05 | 旅行

今回、私たちは、ウィーンから列車でプラハに入ったのですが、日本の島国からすると、この国境を越えるということに、
なにか特別な出来事のような思いを持っていました。
一方で、国境問題は、世界の中では紛争の火種となっていることも多く、尖閣問題を始め「国境」を考えることが多い
最近でもありました。
ところが、ヨーロッパの26国間にはシェンゲン協定があり、圏内で国境を越える際には、実はなんの検査もなく越える
ことができたのでした。

列車が到着するウィーンの駅は、駅舎からホームはまったくのフリー、駅員の姿もありません。
車両番号とシートナンバーはチケットに記されているので、自分たちで乗る列車を確認して、そのホームに向かい列車
が来るのを待ちます。
発車すると、やっと車掌さんがチケットの確認にやってきました。

ウィーン・マイドリング駅を9時32分に出て、プラハ中央駅に14時21分に到着の予定で、実は、この5時間の車窓をとても
楽しみにしていたのですが、とにかく窓が汚れていて、ほとんど外の景色が霞んでみえます。これはちょっと残念でした。
すっかり清掃の行き届いている日本の列車が当たり前と思っていましたから。

ウィーンから1時間ほどで、国境を越える時に車内アナウンスがあり、「Breclav」(ブジェツラフ)という駅で数分の停車
時間があり、列車は静かに動き出しました。

お昼近くになっても、車内販売があるわけでもなく、この列車は食堂車も付いていないようです。持ち合わせはチョコレートを
ほんの少し。お昼は食堂車に行ってもいいね!なんて暢気なことを言っていましたが・・・空腹を我慢するしかありません。

予定の時刻通り、プラハ中央駅に到着しました。国境を越えて変わったことと言えば、通貨がユーロからチェココルナに
変わったぐらいで、プラハの駅に着いてから両替をしただけでした。


国境の駅「Breclav」駅とプラハ中央駅

駅は、プラハの目抜き通り「ヴァーツラフ広場」にも近く、この通りに面しているホテルを探して、石畳の上をガラガラ荷物を
引きながらホテルを見付けました。

そこで、やっと遅いランチを取ることができ、ドイツ語もチェコ語もわからないので、英語読みで「パスタ」と読めたので注文
したのですが、ラザニア風でした。
コーヒーもここでは、ホイップした生クリームを浮かべた暖かいコーヒーがグラスに入ってきました。
疲れていた上に、お腹もすいていたので、無事にプラハに到着したことで、ほっとしました。

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ウィーン・プラハ旅行記(4) 権力は偉大な文化遺産を残す

2013-03-04 | 旅行

ウィーンのランドマーク、シュテファン大聖堂はウィーンの街かどからその尖った塔の先を見ることができます。

シュテファン大聖堂は、ハプスブル家の統治によってなんども建て替えられ、ロマネスク、ゴシック、バロックなどの建築様式が
融合された巨大な寺院です。
外観は重厚、寺院内は絢爛で、現存では寺院の塔では世界で3番目の高さを誇っているそうです。



その外観、扉、祭壇、柱などすべてに歴史的背景があるはずですが、ここが個人旅行の少し残念なところです。
日本語のガイドで詳しく説明してもらえると、ぐっと面白さもますでしょう。



そこで、この高い寺院の塔からウィーンの市街を眺めてみることにしました。4,5人ほど乗れる狭いエレベーターで、
大聖堂に付属する二つの塔のうち北塔に上がることにしました。
ここからはウィーン市内を一望に見渡たすことができ、遠くには映画「第3の男」で舞台となったプラーター遊園地の大観覧車も
見えました。また、ここからはハプスブル家の紋章の鷲のモザイク屋根が間近かに迫ります。



他にもウィーン旧市街には、ハプスブル家の王宮を中心に美術館、博物館、寺院とその栄華を極めた遺産が多く、
権力が一方で、偉大な芸術、文化を作り上げたということを実感しました。


王宮付近


ペーター教会の祭壇と天井画


ウィーンの代表的バロック建築 カールス教会

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ウィーン・プラハ旅行記(3) 豚に真珠 猫にオペラ

2013-03-01 | 旅行

音楽の都を象徴するウィーン国立歌劇場は、ウィーンの街の起点とも言われてします。


夫は少ない小遣いから少しでも多くのオペラを観たいと涙ぐましい努力をしている人、一方私は、1回分のオペラを観るなら
映画とコンサートに何回も行きたいと思うアンチオペラ派。
それでも世界的テナーのひとり「プラシド・ドミンゴ」は知っています。
そのドミンゴがこのオペラ座でヴェルディの歌劇「シモン・ボッカネグラ」に出ると言うのですから、夫はとても楽しみにして、
すでに日本でチケットをネット予約していました。

午後7時から開演です。30分前に会場に入りました。ミーハーの私は大理石の華麗な彫刻とシャンデリアのホールをキョロ
キョロし、オーケストラピットを覗き、舞台を馬蹄型に囲む客席をぐるりと見て回りました。
華麗な装飾で飾られたオペラハウス内、優雅に着飾った観客、この時間をどんなに楽しみにしているのかを肌で感じること
ができます。







この歌劇のストーリーは、直前にホテルでにわか予習をしましたが、歌詞はイタリア語でまったくわかりません。
席の前にある字幕モニターではドイツ語か英語を選択すると翻訳されたセリフがでます。わずかな英語のキーワードだけが
頼りです。
でもこのスーパースター「プラシド・ドミンゴ」の声と演技力の素晴らしさは、私をも十分にオペラの世界に引きつけます。
一晩ですっかり大ファンになってしまいました。3時間、すべてが終わり会場は総立ちして、惜しみない拍手をおくります。

ドミンゴ様がボケてしまいましたが・・・。

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