小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

いざ 雨の鎌倉へ

2010-09-29 | 小さな旅
昨日は、前から決めていた教室の仲間との「鎌倉萩の寺巡り」の日、前日までは曇りの予報が、「秋の空は変りやすい」とは、よく耳にすることですが、まさか低気圧が次々とやってくるとは・・・。でも決行しました。いざ雨の鎌倉へ
まずは、鶴岡八幡宮の大銀杏 今年3月の強風で根こそぎ倒れた、その後の様子を見に行きました。大銀杏の根元からのヒコバエ、また幹と枝からの新芽もすっかり大きくなって、元気に成長している様子に感慨深いものがありました。大銀杏のDNAを受け継いだ後継樹、未来へ向かってスクスク大きくなぁれと思わず合掌しました。


白萩で有名な宝戒寺に着くころには、目の前も白く霞むほどの大雨に・・・。今盛りの萩は深くこうべを垂れて、その枝は雨露の重みで地面に着くほどでした。
雨宿りを兼ねて入った本堂から見た庭の樹に青々とした実がたわわについていました。住職さんに伺ったら、この実が羽根つきの玉に使われる「ムクロジ(無患子)」であるとか、はじめてのこの木との対面に、雨でもなければ目は庭の萩に奪われていたのではと思わぬ収獲でした。


秋の寺院に色を添える彼岸花も、今秋は遅く、蕾のものが多かったようです。咲いている彼岸花のしべには、今にもしたたり落ちそうなほど雨露を抱えていました。


午後は低気圧も通過して、時には薄日も射すほどお天気も回復しました。
鎌倉駅西口から海蔵寺へと向かいます。例年であれば萩のトンネルと化す寺門は、トンネルというよりは通路が萩で埋まってしまったよう。すっかり雨の重みで萩に覆い尽くされたようでした。できれば、この枝葉を振り払ってあげたいほどでした。


すでに咲き終えた萩の花が濡れた地に色を染めて、雨上がりの風情を感じました。


淨光明寺にも足を伸ばしてみました。ここの萩は鎌倉で一番美しい紅色をしていると言われています。萩の株はこんもりと小さく、たわわにしだれ咲くと言うより、枝の長さは短く可憐な感じでした。


この季節、どこの寺院の庭にも萩が咲き乱れ、秋が一歩進んだことが実感できる一日でした。
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葛の花

2010-09-24 | 野の草花
この季節、葛の蔓が至るところにはびこり、隣の空き地から生垣を超えて、なお侵入してきたりすると、少しこの植物を敬遠しがちにもなるのですが、ひと夏10メートルも蔓を伸ばすとあれば、この生命力の旺盛さに納得するものがあります。
手のひら大の葉は、蔓の先々まで茂り、花はその葉と茎の間から紅紫色の房状の花を咲かせます。時には葉の陰に隠れているので、姿を見たときはすでに房の下のほうから枯れていることも多く、私はこの花の一番の見ごろにあまりお目にかかってないように思います。
その葛の花が、秋の七草のひとつに数え、どうして秋を代表する7種なのか、桔梗やりんどうでもいいのでは、なんて勝手なことを思ってしまうのは、花へのイメージを可憐さや美しさだけに偏ってしまっているのではとも思います。
万葉の昔から、晩秋には葛の根を掘り出して葛粉を作り、葛糸を採り、葛根湯は病人の薬となって、常に身近なところに葛はあったのでしょう。秋風が立つと葛の花が咲き、季節の移ろいをこの花から感じ取った昔の人が、葛の花を秋の七草に選んだのは当然のことだったようにあらためて思います。
一昨日までエアコンに浸っていた私と、万葉の歌人が山に踏み行って出合った葛の花に風情を感じたのとでは、大きな隔たりがあるようです。
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ノウゼンカズラ(凌霄花)

2010-09-20 | ガーデニング
この夏は暑くて、たった2駅先の鎌倉までなかなか足を運ぶことができなかったのですが、やっとこの連休に、秋を探しに鎌倉を歩いてみました。
昼間は30度を超えるほど気温も上がり、陽射しは強いけれど、風が心地よく、思わず秋の空を仰いでしまいました。
夏の間、あんなに咲き誇っていたノウゼンカズラ(凌霄花)が、蔓をのばした木のてっぺんで名残惜しそうに、最後の朱色の花を付けていました。
凌霄花の凌はしのぐと書き、そして霄は空の意味なので、この「ノウゼンカズラ」の蔓が他の木に絡まりながら、天を高く咲き上る様子から「凌霄花」とついたと言われています。
夏の真っ青な空の下、どんな強い陽射しのもとでも力強くオレンジ色の花を彩っていたのに、今日見たノウゼンカズラは、心なしか優しくみえました。そして、ノウゼンカズラの蔓も及ばないほど、秋の空は高く見えました。
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「エノコログサ」または「ねこじゃらし」

2010-09-17 | 野の草花
「うぅーん、この強い日差しに覚えが・・・」そう思って一歩外に出たとたん、「涼しい!」もう、誰がなんと言っても秋!そう、確信した今朝の空気でした。
昨日の雨は、ほんとに草花にとって恵みの雨。道端の植物も雨にしっとり濡れて、葉先に集めた雨露をキラキラさせていました。潤った植物がいきいきと見えます!
今朝、いつも通る野原に、ねこじゃらしの群生があるのに気がつき、やはり季節は秋が巡ってきたことを感じました。
秋が深まると、紅葉するねこじゃらしがまだ青々として、猫を相手に、この草の花穂でじゃらすのには、猫も少し物足りなく感じるでしょう。
この草をねこじゃらしと呼ぶのはもともと東京の方言で、「エノコログサ」の方が正式名のようです。平安の頃には「いぬのこぐさ」と呼び、後にえのこ、えのころと転じて「えのころぐさ」となったのだそうです。
たしかに秋になって、茶色に紅葉したエノコログサの穂は、日本犬の巻き尾によく似て、すでに一年以上も前に亡くなった愛犬の柔らかい尾の感触を思い出してしまうのは、やはり季節が秋だからなのでしょうか。
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酔芙蓉の力

2010-09-13 | ガーデニング
昨晩の天気予報によると、今日も暑くなるということでしたので、思い切って今朝早く起きて庭の手入れをしました。日の出が少し遅くなりました。庭のどこからともなく虫の音も聞こえ、つかの間の秋の気配を感じました。
日照りで、ホトトギスの下葉が枯れ、シュウメイギクの蕾は膨らんでいますが、葉が水枯れで、花開く勢いが少し足りないように思います。紫式部の実が紫色に色づき始めています。ただ、実が枝先まで届く前にやはり先端は枯れています。
例年だったら、すでに咲きだす秋の草花は、今夏の猛暑で力果ててしまったのでしょうか。
一方、酔芙蓉は朝咲き、夕にはピンクに染まって花を落とすという一日花だけに、この厳しい天候の影響をあまり受けていないのか、元気に咲いています。この酔芙蓉のほろ酔い加減こそが、猛暑を乗り切る力となったのでしょうか。
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萩の花のこれから

2010-09-10 | ガーデニング
9月もすでに10日、季節は秋を忘れてしまったのかと、いつまでも続く猛暑にうんざりしていたのですが、やっと猛暑にも陰りが見えて、ほんの少し秋の気配を感じることができるようになりました。
秋の到来を告げる花と言ったら、萩の花を思い浮かべるのですが、今年はなぜか暑さにもめげず、7月から萩の花が咲き続けています。もちろん、暑さで花房は小さく、水枯れでたわわに茂った枝を枯らしてしまったこともありましたが、それでもなおここにきてまた満開を迎えています。昨年、ススキと一緒に寄せ植えをしたので確かに秋咲きの萩かと思うのですが・・・。
秋の七草のひとつでもある萩は、お彼岸の頃その花の盛りを迎えると思うのですが、今夏の酷暑を乗り越えてなお咲く萩を「お疲れ様」と労いながら、一方で「やっと出番がやってきたよ」と励ますのも、少し気の毒な気がするわが家の萩です。
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鳳仙花いろいろ

2010-09-06 | ガーデニング
わが家の庭で、夏の花の定番はと言えば「鳳仙花」。
特に今夏のように、猛烈な暑さでほとんどの草花が青息吐息の中でも、なぜか鳳仙花だけは、いよいよ茎を太く葉を茂らせ、赤い花を付けています。しかも昨年のこぼれ種だけで、増えているので、一件わが家の庭は、この猛暑のダメージは少なさそうにも見えるのですが・・・。
実はこの鳳仙花の仲間を、先月行ったバリで見つけました。それはあちこちの畑で栽培されていました。ヒンズー教では、椰子の葉で作られたお皿にプルメリアなどの花などと一緒に摘み取った鳳仙花の花もお供えされていました。ヒンズー教にはたくさんの神様がいるので、寺院だけでなく家の入口やお店の前などにお供えをするので、大量の鳳仙花を栽培する必要があるのでしょう。
また、鳳仙花については、一昨日の新聞でも詩人の高橋睦郎氏が取りあげていました。北原白秋の詩集「思ひ出」にさまざまな花が登場する中で、鳳仙花も歌われているのだそうです。「爪紅(つまぐれ)」という題名で、少女の爪に塗られた鳳仙花の花弁、幼い柔らかな手で揉まれた紅色の花弁が、爪に滲んでいく様子が歌われています。
ただ、わが庭の鳳仙花を見て、「爪紅」へと思いを膨らませるには、この暑さですっかり心も萎えてしまったようですが。
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