小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

第13回 中山道ウォーク(奈良井宿~藪原宿~宮ノ越宿)第3日目

2020-11-26 | 街道歩き

翌11月5日も晴天にめぐまれました。

奈良井宿は奈良井川沿いに約1キロメートルにわたって街並みを形成する日本最長の宿場で、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。




私たちは街の中ほどにある「伊勢屋」に前もって予約し宿泊をお願いしていました。


母屋は文政元年に創業した旅籠で、江戸時代は脇本陣を勤め下問屋も兼ねていたそうです。


現在も往時のままの風情を残していました

お料理は、木曽の山で採れた山菜、川魚が中心で
どれも美味しくいただきました

820 伊勢屋出発

奈良井宿では宿場の様子をもっと見学したかったのですが滞在時間が少なく、とても残念に思いましたが、先を進めることにしました。

 

845 鎮神社

宿場のはずれに昔疫病に苦しむ人々が病を鎮めるために建立した鎮(しずめ)神社がありました。

ここからいよいよ鳥居峠の登り口になります。江戸の旅人にとって、わらじ履きの足を泣かせる木曽路最大の難所と言われていたそうですが、私は熊出没の心配ばかりしていました。

道は石畳とフカフカの落ち葉で比較的歩きやすい登山道でした。


一息入れるために振り替えれば、木曽の山の谷を縫うように
奈良井川とJR中央本線と奈良井宿が見えました。

 

925 中の茶屋

菊池寛の「恩讐の彼方に」の舞台となったところと言われています。

このあたりは、鳥居峠の合戦で敗れた武田勝頼方戦死者500人余りを谷に葬ったと案内板が書かれていて、木曽山の谷から霊を慰める風を感じる思いでした。

 

ほどなくして峰の茶屋が見えてきて、立場茶屋跡の休憩所にでると、周りは霜で真っ白、今朝宿を出る時に気温が零度だったと聞いていたので、山に厳しい冬が訪れるのも間もなくかと思いました。

 

950 鳥居峠の一里塚跡 江戸日本橋より65里目

1020 鳥居峠

鳥居峠と書かれた道標があり、たぶんここが標高1197メートルなのだろうと思いながら眺望のきく旧道へと進みます。

鳥居峠には熊除けの鐘が2か所ほど設置されていて、あたりに響き渡るように思いっきり鳴らしてみました。(付近に聞こえた熊がいたかどうか・・・)

 

1030 御岳神社

鳥居の奥に御岳神社があり、雪を被った御嶽山の眺望は素晴らしいと思いました。なにか霊感あらたかな清々しい気持ちになりました。

が、やはり峠越えはお腹も減るもので、鳥居峠旧跡や芭蕉の句碑などがある広場で、宿で用意してくれたおにぎりをお昼前だというのに半分ほど食べてしまいました。

下りは急坂ながら石畳でとても歩きやすく、いよいよ奈良井宿から藪原宿に向かいます。

 

11:30 天降社 村内唯一の大モミジ


飛騨街道追分 野麦峠を越えて飛騨高山に至ると書かれていました。

 

11:30 藪原宿入口

人家の間からJR中央本線を渡ると藪原宿の街道に出ました。

やはり度重なった大火で宿泊の面影は残っていませんでしたが、「お六櫛」問屋が昔の面影をそのまま残していました。

 

1140防火高壁の遺構

ここ藪原宿大火の後に、防火を目的に石垣の上に土塀を設けて防火に備えた遺構が残っていました。


木曽川の上流に当たる藪原宿はどこも清水が流れていました。

 

1215 藪原の一里塚跡 江戸日本橋より66里

木祖(きそ)村村民センターの敷地内、SLが展示されている脇に一里塚はありました。


さすが、3日目ともなると疲れが出て、私としては3日目のゴールとしたいところでしたが、帰り塩尻発1638の列車をすでに予約してあったので、戻るのには少し時間が早く、もうひとつ先の宿場宮ノ越を目指すことになりました。

 

まもなく旧街道は京方面からの分岐点になり、この先、木曽川沿いに進みます。右に木曽川の渓流をみながら左側は木曽の山から下ろした材木を積んだトラックが飛ばします。

旧道は廃道になっているために、トンネル脇の歩道を通ったり(吉田洞門)、334メートルの山吹トンネルではトンネルの中の歩道を歩きました。

この山吹トンネルの手前に下賀茂の一里塚(江戸日本橋より67里目)があったようですが、国道の交通量も激しく渡ることもできず、確認することができませんでした。

トンネルを出た後は、旧道はしばらく木曽川を左にみながら静かな道を進むことができ、山深いところに、木曽川が削った深い谷があり、その景観はみごとでした。

まもなく山吹橋を渡ると「宮ノ越宿」の看板があり、さらに木曽川沿いに進むと木曽街道のなかで一番谷が深いと言われている「巴淵」がありました。またここは木曽義仲の生涯を守り続けた巴御前がこの淵に住む龍神の化身だったという伝説が残っているのだそうです。

その後、木曽川を渡るとのどかな田園風景に変わり、古い集落が続きます。

 

1430 徳音寺

木曽義仲が挙兵した地として、義仲の菩提寺である徳音寺がありました。


山門(鐘楼門)にある「徳音寺の晩鐘」は木曽八景の一つに数えられています。

このお寺の前の木曽川を渡ると目の前にJR宮ノ越駅があり、1時間に1本の列車のため少々待ち時間があったのですが、この日のゴールとしました。

 

寒さも厳しくなるので、これで今年の中山道ウォークを最後とし、来年3月に宮ノ越宿をスタート地点としたいと思います。(この頃コロナはどうなっているのでしょうか。)

18キロ 31,149歩でした。

 

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第13回 中山道ウォーク(洗馬宿~本山宿~贄川宿~奈良井宿)第2日目

2020-11-24 | 街道歩き

翌日114日、塩尻発8:13の中央本線で一駅先の洗馬駅に下り立ちました。所要時間は4分、昨日はこの区間を3時間ほどかけて歩いたことになります。


常夜灯と追分の碑

昨日はすでに夕暮れが迫って薄暗かったのですが、善光寺西街道の追分だった常夜灯が駅近くにありました。

洗馬宿の由来は木曽義仲の馬を今井兼平がここで洗ったという伝説があり、そこからこの洗馬(せば)という名前の由来がついたようです。

街並みは昭和7年の大火でたくさんの家が焼失したこともあって、道幅は広く比較新しい家並みでした。


今では懐かしい火の見やぐらが町のほぼ中央にありました。

 

835 脇本陣跡  本陣予備脇本陣の庭園は道中でも稀な名園だったと記録に残っているようですが、これも昭和の大火で失われてしまったようです。


845 牧山の一里塚跡 江戸日本橋より数えて60里目

 

9:15 本山宿入口

まもなく洗馬宿を後にして、中央本線を挟み中山道は比較的静かな県道を進みます。稲が刈り取られた田んぼの向こうには黄葉の見事な山並みが迫って見えます。本山宿の入口に入ります。


「本山そばの里」という看板が現れます。
「そば切りの」発祥の地で、それまでそばはそばがきだったそうです

 

950 本山宿の街並み 

北から旧旅籠川口屋、池田屋、若松屋の三棟が食い違いの斜交じ屋敷形式になっています(国登録有形文化財)

出桁造りの連子格子の街並みが美しい

 

1020 日出塩の一里塚跡 

江戸日本橋より61里目、まもなく細道の旧道に入ります。旧道は何度か分岐がありわかりずらいのですが、間もなく日出塩の一里塚跡にでました。


             紅葉で見事な曹洞宗秀永山の庭園

江戸の時代「洗馬節」には「洗馬の肘松日出塩の青木お江戸屏風の絵にござる」とうたわれたそうです。

 

1105 「是より南木曽路」の碑

山深いところに松本藩、尾張藩の境であった「木曽路の碑」がありました。

島崎藤村の「夜明け前」冒頭の一節「木曽路はすべて山の中」の道

この先旧道は山の中にしばらく入っていきます。道なき道を落ち葉をカサカサ音を立てながら、熊の出没にまた怯えながらほんとに心細い思いで歩きました。まもなく国道に合流してほっとしました。


苔むしている旧道痕跡の残る、通行不可の旧片平橋(土木学会推薦の土木遺産)


木曽山脈から切り出される木材

 

1215 若神子の一里塚

国道工事中の登坂車線を避けるように脇道を登って行くと国道を渡った高台に江戸日本橋62里目の「若神子(わかみこ)一里塚跡」がありました。

この辺りの集落からは水量の多い湧水が流れているのでしょう。至る所に水場がありました。

 

13:10 JR贄川(にえがわ)駅を過ぎると「贄川宿」の入口となります。

ここに昭和51年に復元された贄川関所があり、贄川は木曽11宿の始まりにあたっていたので、女改めもあり、女性の出入りは特に厳しく取り締まられていたようです。


贄川のトチの木 
推定樹齢1000年、樹高33メートル、根本周囲」17.6メートルの巨木

 

14:20 押込の一里塚 江戸日本橋より63里目

陽がだいぶ傾け始めると、木曽の山に切り込んだ深山の山並みは陽の当たり方によって微妙に色が違って、山肌の色が変わって行く様子がとても面白いと思いました。

旧道の両側に漆器店が軒を連ねるようになると、木曽漆器の街平沢地区に入って行きます。

いよいよ贄川宿からこの日のゴール奈良井宿に入りました。日はすっかり山間に沈み宿場がタイムスリップしたように目の前に浮かびあがってきました。

今宵の宿泊、奈良井宿の旅籠「伊勢屋」に到着しました。

23キロ、歩数は35400歩でした。

 

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第13回 中山道ウォーク(下諏訪宿~塩尻宿~洗馬宿)第1日目

2020-11-17 | 街道歩き

暑さ寒さにめっぽう弱い現在の旅人は、秋の深まりとともに今年最後のの中山道ウォークを今回最後と決めて、11月3日から2泊3日の3日間で下諏訪宿から宮ノ越宿まで、先へ進めることにしました。


11月3日下諏訪宿~洗馬・11月4日~奈良井宿・11月5日~宮ノ越

新宿発7:30発のあずさ3号で下諏訪駅に着いたのが1001 この日は諏訪大社下社「秋宮」と「春宮」を結ぶ中山道一帯でいろいろなイベントがおこなわれていてとても賑やかでした。

私たちは前回の到達点「諏訪大社下社春宮」までタクシーで行き、スタート地点としました。

 

1020 来迎寺

ここは和泉式部の伝説が残るお寺で、心優しい娘が主人の怒りにふれてその額に火箸を当てられ地蔵にすがりつくと、その傷は地蔵の額に移り、娘の額の傷はなくなったという伝説で、その後その娘は和泉式部になったと境内の案内板に書かれていました。


境内のモミジの紅葉がちょうど見頃でした。

甲州街道との分岐点
この辺りが宿場の中心地で、旅籠跡など当時の面影を感じることができます

 

1120 旧渡辺家住宅

やがて細い道路の両側には綺麗に刈り込まれた生垣の住宅地が続き、旧家が目立ちます。


高島藩の敷居武士の住居跡         
江戸の時代に上級の民家だけに許された「雀おどり」の棟飾り

 

1150 東堀の一里塚跡

国道20号線を横切ると、江戸日本橋から56里目の一里塚が笹の植え込みの中にあり、うっかりすると通り過ぎてしまいそうでした。

1210 今井番所跡碑(屋敷は国登録有形文化財)

西に塩尻峠を控えていたので、四ツ家立場と呼ばれて賑わっていました。

今井氏が茶屋本陣を務め、皇女和宮が休息し「明治天皇今井御休憩所跡」碑もありました。

 

まもなく中山道碑

「右しもすは左しほじり峠」と刻まれています

 

1240 軽く腹ごしらえ

いよいよ塩尻峠の登り坂に差し掛かっていきます。お腹を満たしてから熊除け鈴を出し、今回は電波も届くようだったので熊除けにスマホのラジオをつけていざ出発!


1300 大岩

諏訪七不思議のひとつ

高さ2丈(約6m)、幅2間(約3.6m)と書かれていましたが、長い年月に風雨にさらされ小さくなってしまったのでしょうか。


急坂ながら、辺りの黄葉に目を奪われ、ほどなく頂上に着くことができました。

 

1325 山頂展望台

晴天のために手前に諏訪湖、遠くに北アルプス穂高連峰が眺望できました

 

13:40 東山の一里塚 江戸日本橋より57里目 片方ですが塚を残しています。

 

1400 柿沢地区

ここにも「雀おどり」の棟飾りを上げた旧家と「お女郎道祖神」

 

ほどなくして塩尻宿入口に入っていきます

14:40 三州街道碑と五千石街道碑 
    伊那飯田を経由して三河に至る南の塩の道     

 
               松本を経由して糸魚川にいたる北の塩の道

 

1450 小野家住宅

宿場のほぼ中央に昔のままに残る旧旅籠屋「いてふ屋」(国の重要文化財)

このあたりから、本陣・脇本陣・陣屋・立場などの碑が立っていました。

 


                      「雀おどり」が美しい堀内家住宅

                       本棟造りの家屋は国重要文化財

 

この先、国道と合流した先にある塩尻橋を渡ると、この日の宿泊場所塩尻駅に続くのですが、もうひとつ先の洗馬宿を目指し少し先を稼ぐことにしました。

足はだいぶ疲れてきましたが・・・

 

1600 平出の一里塚

中央本線のガードをくぐると、道路を隔てて右側には広大な敷地の昭和電工の工場が続きます。


その工場が切れたあたりに平出の一里塚が両塚とも現存された状態で残っていました。

 

陽もだいぶ傾き始めています。

洗馬宿に続く1本道は道路の両側に広いブドウ畑が広がっていました。ワイナリーも点在してこの辺りが有名な塩尻ワインの生産地であることを、その日の夜に飲んだワインが塩尻ワインであることでわかった次第でした。

 

1620 「中山道一里塚」という信号で大きな国道と合流しました。わずかに旧道の痕跡が残るガソリンスタンド裏から交差点を渡るといよいよ「洗馬宿」に入ります。


雲の合間に沈んだ太陽      

 

夕暮れの中に善光寺西街道の追分碑が佇み、いよいよ第1日目の行程の終了です。

1717 洗馬駅

第1日目の宿泊先を塩尻駅近くのホテルに予約してあったので、中央本線で一駅戻りました。

洗馬駅は無人駅で電車のドアも自分で開け、整理券を取って降車駅で支払うというもの、洗馬駅では学生らしい2人が下りて、乗ったのは我々2人だけでした。

 

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木曽路は紅葉真っ盛り

2020-11-10 | 街道歩き

今週は穏やかな秋の日が続きそうで、晩秋へ向かう季節の移ろいもいっそう深まって行くことと思います。

我が家のキッチンが、ガスレンジ回り、扉の開閉、食洗器の故障など悲鳴を上げだして数か月、思い切ってキッチンのリフォームをすることになりました。今週から業者が入ることになり週末はその片付けと食器類の移動に追われました。まぁ、よくこんなにため込んだと思うほどの空きビン類、プラスチック容器類には呆れてしまいました。ケーキやパン作りに奮闘したころの調理機器や型、子供の幼稚園から学生時代までのお弁当箱の数々、どれも懐かしく子育てに必死だった頃の自分の姿を懐かしく想いだしましたが、これらも思い切って断捨離することにしました。鍋類の底の焦げ付きも主婦の勲章のようにもみえましたが、これは夫が1日かけて綺麗に磨き上げてくれました。

先週、2泊3日をかけて今年最後の中山道を歩いてきました。いよいよ木曽路に入り、辺りは紅葉真っ盛り。少し先になりますが、道中の様子はまたレポートしていきたいと思います。


中山道63次のほぼ中間になりました


訪れる先々の軒先に熟す干し柿


カラマツの黄葉


全山紅葉真っ盛り

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秋深まる

2020-11-02 | ウォーキング

コロナ感染による医療崩壊という状況だった今春、猛暑の中マスクを付けて耐えた夏、コロナウィルスも収まり、いつもの秋がやってくるのではという淡い期待に終息する気配はなく、もう元に戻ることができない生活、新しい生活「ウィズコロナ」に踏み出した秋を迎えてしまいました。

私はと言えば、人混みは避けてはいるものの、旅行にもでかけ、でかけた先ではDo Toトラベルで、宿泊費は35%Off、さらに地域共通クーポンでお土産も買い、もっと違った税金の使い道がと思いながらもこの政策を享受し、複雑な心境です。

自然界では秋も深まり、秋の穏やかな日差しにミセバヤが咲き揃いました。


ふっくらとした丸葉に
優しい色のこれもまたふっくらとした花が並びました。


今秋は台風の影響がほとんどなかったせいか
シュウメイギクが風雨に傷つかずに綺麗に咲いています。

一昨日は快晴でした。横浜の日没時間は16時46分!お気に入りの富士山の日没スポットに日没時間を気にしながら出かけました。家から歩いて15分! 日が落ちる前にと急ぎました。
ジャスト45分!日はすでに富士山のだいぶ左側の山影に落ちたところでした。


グラデーションに染まった夕暮れ色が見事でした。

さらに10分先のビューポイントにも寄ってみることにしました。

すでに辺りは黄昏を迎えていました。
東の空には赤い満月が、
この日は46年ぶりにハローウィンと満月が重なる日でした。

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