小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

震災から2週間

2011-03-26 | Weblog

3.11「東日本大震災」、自然の容赦ない猛威に、人はなすすべもなく、今でも悪夢を見ているのではと思います。

多くの人が亡くなり、長い間かけて築き上げた人々の生活を根こそぎ奪っていった 大地震と津波、その自然の破壊力に、どこに悔しさとやるせなさをぶつけたらいいのか・・・、

回数の減らない余震、さらに天災に加えて原子力発電所事故という「人災」が重なり、被災者の数は日に日に更新されていく現実。

少しでも被災者の方々の気持ちに寄り添いたいと思いながら、温かい食事と暖かい寝床が約束されている私になにができるのか、なんの力にもなれないのではと・・・落ち込んでしまうことがあります。

今はきっと、被災した人々に、暖房と、暖かい食事、そして直接命の助けになるもの、そんな具体的なものが確実に届くことが先なのでしょう。

容赦ない自然はまた、この23日で桜の蕾をぐっと膨らませもしています。

暖かい太陽を被災した大地に降り注ぐのもまもなくなのでしょうか。

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母を天国に送る

2010-10-31 | Weblog
今年最後の上陸台風かと騒がせた台風14号も通り過ぎ、秋がいっそう深まった感じがします。
10月23日に97歳の母を送りました。22年前に父が他界してから、私の家族に寄り添うように、それでもひとり凛として生きた母でした。もう母に会うことはできない寂しさはありますが、父のもとに旅立たせた安堵感もあります。
母の思い出は、少し落ち着いた頃いろいろ思い出すのでしょう。4年前の秋、幼いころの母の思い出をこのブログに書いたことを思い出したりもしました。
母の身の回りを整理していたら、歌を詠んだ、たくさんの短冊がでてきました。老いの寂しさと孤独、決して上手ではないけれど、私の心に深く沁みます。97歳まで生き抜いた体力と強い精神力、こんな母を誇りに思わずにはいられません。

   みちたりし かの日は遠し 亡夫の墓
          語りかけよう 線香たつまで

   独り居の ここぞ安らぐ 住み家なり
        朝夕祈る 仏壇あれば
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6月の小さな庭

2010-06-30 | Weblog
梅雨の真っただ中、外はムシムシ、家の中はベタベタ、さらに一昨晩は今年初めての熱帯夜だったとか。
6月も今日で終わり、カレンダーもいよいよ今年の折り返しとなりました。
恵みの雨も、梅雨前線が活発になると自然が牙をむくこともあり、なんとか、梅雨の後半大地を潤す雨でありますように。
6月もいろいろなことがありましたが、締めはやはり昨晩のサッカーW杯の日本代表選手の活躍でしょう。最後は涙雨となりましたが、なんと梅雨空を吹き飛ばすような爽やかで力が漲る試合だったことかと思います。7月も明るい出来事がありますように!
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3月は「去る月」

2010-03-01 | Weblog
2月は「逃げ月」とは、よく言ったもので、あっという間に3月になってしまいました。3月は「去る月」うかうかしてはいられません。
桃の節句は明後日。子供が小さかったころは、急かされるように出したお雛様も、今では、段飾りは省略し、なんとか内裏様とお雛様、三人官女を押し入れの奥からだして、赤い毛氈の上にやっと並べました。昔は、お雛様を飾ると、部屋が華やいだように感じたものですが、今年はお雛様の髪も乱れ気味、少しくたびれたように見えるのは、女あるじの気持ちの持ち方にもあるのでしょう。
ただお雛様を飾ると、私のなかでは思い出がいくつも重なります。たぶん、3月は子供たちの、受験やら卒業、就職とほんとにいろいろなことがあって、毎年お雛様を飾りながら一喜一憂していたように思います。だからこそ、「去る月」はお雛様とは切り離せない思い出深い3月なのでしょう。
子供たちが自立していったことをお雛様に感謝し、来年はちゃんと勢ぞろいさせてあげようと思いました。
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お正月 男子厨房に入って・・・

2010-01-06 | Weblog
家庭を持って、うん十年となると、それなりにお正月の恒例行事ができあがるようです。我家の場合は、元旦の夜、男子が厨房に入って握るお寿司というところでしょうか。
子供が小さかった頃は、夫が(真意を確かめたことがないのですが、多分主婦を労うかな?)一人で握っていましたが、今では厨房に入る男性は息子2人を含めて3人になりました。
割烹着を着る姿は年々様になって、手つきもそれなりに決めています。


女性たちは、その様子を冷やかしたり、エールを送ったり、お風呂に入ったりしながら、出来上がるのを待ちます。



食べ終わった後は、男性3人は反省会です。「今年の軍艦は海苔の幅も長さもちょうどよかった」、「ハマチはすぐ色が変わってしまうので、来年は白身の魚にしよう」とか、「玉子は巻きにくい」とか、女性たちは「今年は、次男の作ったカルフォルニアロールが特においしかったね」などと、勝手なことを言ってお開きになります。

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2010年もよろしく!

2010-01-04 | Weblog
皆様、明けましておめでとうございます。(新年も明けて4日目、久し振りの主婦稼業で、ご挨拶が出遅れたことをお許しください。)ふだんは静かな我家も、お正月は4世代が揃う大家族となります。
晴天続きのいいお正月でした。我家は、箱根駅伝の往路3区の出発点、復路が8区の到着点と中継点の近くにあるので、応援に盛り上がります。
飽食したお腹を抱えながらも、各校の襷をかけたエースたちの熾烈な戦いにエールを送りながら、新しい年への期待と思いを、この若者たちの姿からもらうことができるのかも知れません。
明けた2010年、政治も経済も混沌とした時代は続きそうですが、健康に気をつけて希望を持って暮らしていきたいと思います。4年目を迎えた「小さな庭」からのつぶやきを、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
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暖冬予報への憂い

2009-11-27 | Weblog
紅葉が真っ盛りになってきました。楓の「赤」、イチョウの「黄」など、落葉する樹が紅葉で覆われると、身のまわりにいろいろな色に溢れていても、自然が作り出すこの色彩に深い感銘を覚えます。


そして、万葉の歌人が詠んだ歌が少し理解できるような気がします。当時は生活の中に色彩はあまりなかったでしょうから、山々が赤や黄に染まる季節を敏感に感じ、またどんな驚きだったことでしょう。


この冬は暖冬傾向とか、四季のメリハリが少しずつ希薄になるのは寂しい限りです。
木々が秋から冬にかけて葉を落とし、春には新芽を出し、やがて深い緑に覆われる。四季があることはほんとにすばらしいことと思います。
ところで、カメラのシャッター音が鈍いなと思っているうちに、ついに動かなくなってしまいました。本日より入院予定です。
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菊の香り

2009-11-06 | Weblog
ゆく秋を惜しむように、この季節、最後に咲く花はやはり菊の花でしょうか。
昔から馴染んだ菊の香りは、花の放つ芳しい香りというよりは、思い出の中に封じ込められた香りという感じがします。それは、菊の花が咲きほころんでいた頃亡くなった父を思い出すからでしょうか。誰もが色々な思い出のある花なのではと思います。


先日、友人と大船植物園に行った時に、園内で菊花展が開かれていました。丹精込められた菊の花には、何の狂いもないほどまっすぐ伸びた茎と、幾何学模様のように揃った花弁に、カメラを向けるのもちょっと躊躇してしまうほど、完ぺきな完成品のように見えました。
一方で、自由奔放に伸びた不揃いな我家の小菊ですが、少し鼻を刺激するような清らかな香りを放っています。
いずれの菊も、日本の晩秋を長く楽しませてくれる花だと思います。
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今、向日葵ですが・・・

2009-09-30 | Weblog
友人から背の高くならない向日葵と言って、種をもらったのが2年前。去年も今年も9月の彼岸頃から咲き出しました。花の大きさは子供の手のひらサイズ、葉の色はシルバーグリーン、背丈はやっと4、50センチ。発芽率がよくて、今年は庭のあちこちで可愛い黄色い色が咲きました。
いつまでも「背丈の低い向日葵」と呼ぶのもかわいそうと、名前をネットで調べてみたら、なんと向日葵の種類は100以上もあるのだそうです。すべての画像を確認してみました。もう100種類もあると名前の付け方も多岐にわたり、思わず吹きだしてしまうものもありました。「ゴッホのひまわり」から始まって「モネのひまわり」「マティスのひまわり」「ゴーギャンのひまわり」と名画がすべて向日葵の名前になっているのも面白いと思いました。きっと品種改良も盛んなのでしょう。
で、我家の向日葵の名前ですが、100種類の中から見つけることはできませんでした。「ミニひまわり」「ジュニアひまわり」はあったのですが、そっくりというほどではありませんでした。
そこでは我家の「背丈の低い向日葵」に、ぴったりの名前をつけてみようと思ったところです。
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宵待草? 待宵草? それとも月見草

2009-08-21 | Weblog
夏の強い日差しのもとでは、萎んでいて、なかなか咲いている時にはお目にかかれないけれど、夕方鳴くカナカナの鳴き声が、心なしかトーンが落ちてきたかなと思われる夏の夕暮れ、ふと咲いているのに気がつく花「宵待草」。
月の明るさに冴え、透き通るような黄色のこの花は、植物学的には「待宵草」と呼ばれているのだそうです。
ただ、子供の頃は「月見草」と呼んでいました。とてもシンプルな呼び名だと思います。大人になってからは、竹久夢二の「待てど暮らせど来ぬ人を宵待草のやるせなさ」で歌われた言葉の響きから、私の中ではいつしか「月見草」から「宵待草」に呼び名が変わっていったように思います。
その花の持つ情景が、時代とともに花の呼び名をも変えてしまうものかと、昔と変わらぬ花を見ながら思いました。
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