この季節、どこの家の玄関先でも満面の笑みで迎えてくれるパンジー。思えば晩秋から1年の半分も咲いてくれている優等生。特にこの季節、鉢からこぼれる様に次から次へと花をつけ、その咲きっぷりは思わず道行く人の足を止めてしまうほどです。人の顔にも似たこの表情に、ちょっと寄り道をと、そんな気持ちになるパンジーのある春の花壇は、小さな幸せでいっぱいです。
春のお天気は穏やかそうでいて、それでなかなか気むずかしい顔ものぞかせます。春の天気は3日も持たないとはよく言ったもので、高気圧と低気圧がめまぐるしく入れ替わり、その都度雨が降ったり、風も強く吹き荒れたりで、暖かさにほころび始めた花もまたこの気候に翻弄されているようです。その中で感心なのが、チューリップ。細い茎を長く伸ばし、その先にすぼめた形で花が咲き、チューリップの長い首には少し重たそう。ところが、雨が降ると花を閉じ、風が吹けば、風の吹くままに靡き、お日さまがでれば、花を再び開き、と思ったより息の長いのがチューリップだということに最近気が付きました。我家のチューリップはそんな調子で10日間余り咲き続けていてくれます。
今の季節、園芸店はほんとに賑やかです。季節的にも春は、いちばん花が輝いて見える時なのでしょう。一方で、園芸店を覗く楽しみに、まだ見たこともない花の苗との出会いがあります。見つけた苗の名は一度では到底覚えられない「セリンセマヨールプルプレッセンス」。葉の表面の白い斑点が、葉っぱの病気のよう・・・でもよく見ると葉脈の先端に広がる水玉模様のようでもあって・・・。どんな花が咲くのか期待が膨らんで、そして、1ヶ月後。咲きました! 濃い紫色の花が・・・ただ、咲いたというのには少し自信なげ。蕾のような筒型の花が、ぶら下がるように下を向いています。不思議な花との出会い!さて、来年は増やすことができるでしょうか。
東海道五十三次の街道歩きも終盤戦。今回始めて2泊して5つの宿場を歩きました。好天に恵まれ、鈴鹿峠あたりの桜は3分咲きでしたが、満開の桜に迎えられながら、なんとも贅沢な街道歩きとなりました。
2008年4月5日
午後の新幹線を名古屋で下り、JR関西本線に乗り換えて関駅に。前回関宿まで歩いているのでこの日は、夕方に現地入り。平日の夕方の関の街道は、人もまばらで静かな夕闇がせまっていました。
宿から見た満開の桜は、山も湖も、おぼろげな白さで包み込んでしまったようにみえました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/d1/58cb095b5d66ca561329e8b23b6e4cdc.jpg)
4月6日
いよいよ最後の難関、鈴鹿峠が迫っています。街道右手には、狩野元信が山の景観に惹かれて筆をとったが、あまりにも激しく変化する天候に筆が追いつけず、筆を投げ捨てたと言い伝えられている筆捨山が見えました。この日はくっきりとその名峰を写真に収めることが出来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/e3/ff98d8a7ff3ef6d34160da20067a2314.jpg)
坂下宿は鈴鹿峠直下の山間の宿場で、現在も民家は少なく、まだ春休みの小学校の校庭には桜が満開に咲いていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/8f/f85e842ca19b1bf6bcaa76b869bd230c.jpg)
坂下宿のはずれに片山神社があり、ここから鈴鹿峠への山道が始まります。道は深い森の中に入り、眼下には国道がヘアピンカーブを繰り返しながら高度を上げていくのがわかります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/7f/594a4be6d7ff667dadca1fcef0a5d806.jpg)
さすがに鈴鹿峠あたりは、まだ早春の趣きがあり、峠を下った土山宿は梅がちょうどみごろでした。鈴鹿馬子唄に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と歌われたように鈴鹿峠を境に天候が大きく変わったのでしょう。
水口宿へと続く街道は、鈴鹿山中から発した野洲川に沿って、その広い河原は春の陽光に白く光り、当時の旅人もこの景色に、鈴鹿峠を無事越えてどんなに安堵したことかと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/db/e9576d21022aecf6c86afb37d215942e.jpg)
2日目は水口宿まで、時刻はすでに夕方6時をまわっていました。
4月7日
水口は東海道50番目の宿場町であり、多くの旅籠があった様子が今もなお色濃く残っています。一方で徳川家光が将軍家の宿館として築いた水口城もありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/f4/709ef377e6b4550a332dbc67ade0bf38.jpg)
このお城の近くで見た一本の桜は圧巻でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/5f/87076f5a44272d57dc7fc43018418aa3.jpg)
石部宿へと続く街道は、古い街並みが息づくと同時に、都市の近くであることを伺わせる新興住宅も目立ち、活気づいた街の印象を受けました。
途中川底が道路よりも高い天井川の下のトンネルを通りました。ただ、川は今、枯れているようでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/46/df894783781dc27374acfd7aa17faa64.jpg)
さすが近江の国、どこの家の玄関にも信楽のタヌキが愛嬌のある姿で出迎えていました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/68/ee4520444ef2c55f63163d62f7e3eb42.jpg)
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午後2時、石部駅に着いて、3日間のウォーキングの終着となりました。
2008年4月5日
午後の新幹線を名古屋で下り、JR関西本線に乗り換えて関駅に。前回関宿まで歩いているのでこの日は、夕方に現地入り。平日の夕方の関の街道は、人もまばらで静かな夕闇がせまっていました。
宿から見た満開の桜は、山も湖も、おぼろげな白さで包み込んでしまったようにみえました。
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4月6日
いよいよ最後の難関、鈴鹿峠が迫っています。街道右手には、狩野元信が山の景観に惹かれて筆をとったが、あまりにも激しく変化する天候に筆が追いつけず、筆を投げ捨てたと言い伝えられている筆捨山が見えました。この日はくっきりとその名峰を写真に収めることが出来ました。
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坂下宿は鈴鹿峠直下の山間の宿場で、現在も民家は少なく、まだ春休みの小学校の校庭には桜が満開に咲いていました。
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坂下宿のはずれに片山神社があり、ここから鈴鹿峠への山道が始まります。道は深い森の中に入り、眼下には国道がヘアピンカーブを繰り返しながら高度を上げていくのがわかります。
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さすがに鈴鹿峠あたりは、まだ早春の趣きがあり、峠を下った土山宿は梅がちょうどみごろでした。鈴鹿馬子唄に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と歌われたように鈴鹿峠を境に天候が大きく変わったのでしょう。
水口宿へと続く街道は、鈴鹿山中から発した野洲川に沿って、その広い河原は春の陽光に白く光り、当時の旅人もこの景色に、鈴鹿峠を無事越えてどんなに安堵したことかと思われます。
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2日目は水口宿まで、時刻はすでに夕方6時をまわっていました。
4月7日
水口は東海道50番目の宿場町であり、多くの旅籠があった様子が今もなお色濃く残っています。一方で徳川家光が将軍家の宿館として築いた水口城もありました。
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このお城の近くで見た一本の桜は圧巻でした。
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石部宿へと続く街道は、古い街並みが息づくと同時に、都市の近くであることを伺わせる新興住宅も目立ち、活気づいた街の印象を受けました。
途中川底が道路よりも高い天井川の下のトンネルを通りました。ただ、川は今、枯れているようでした。
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さすが近江の国、どこの家の玄関にも信楽のタヌキが愛嬌のある姿で出迎えていました。
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午後2時、石部駅に着いて、3日間のウォーキングの終着となりました。
この週末を挟んだ3日間、去年の11月以来4ヶ月ぶりに、東海道最後の難所鈴鹿峠を越えて、いよいよ近江の国に入りました。お天気に恵まれて、うららかな春の陽射しの中を坂下宿、土山宿、水口宿そして石部宿までを歩きました。あとゴールの京都三条大橋まで、52番目の宿場草津宿、最後の大津宿を残すのみとなりました。4年あまりかけた長い旅もいよいよわずかかと思うと一抹の寂しさを感じながらも、無事に完歩できるように気を引き締めていかなければと思いました。また、近いうちに街道の様子を記していきたいと思います。
少し頼りない、小さな草花に心引かれます。1ヶ月ほど前に園芸店で見つけた「オキナ草」。明るいモスグリーンの花茎で、柔らかい羽毛で覆われています。花は俯き加減。いかにも腰の曲がった翁をイメージしていたのですが・・・その花後にびっくり。花の咲き終えた茎はグングン上に伸び、なんと雌しべが長い銀糸のように伸び始めました。ほんとうは、この姿を老人の白髭に見立てて「オキナグサ」と名づけられたのだそうです。その姿は力みのない、しなやかな「老人力」さえ感じます。
明るい春の陽射しに、小さな庭もあれよあれよという間に春の花が咲きほころび、春たけなわになりました。身を固く寄せ合っていたすみれの蕾が一斉に首を持ち上げて、紫色の花を咲かせました。山野草の仲間のすみれは、ほんとに小さく可憐で、いとおしいほどです。春の山を歩くと、このすみれが群生しているところをよくみかけます。花の色はとってもシックで大人っぽいのに、その花は幼稚園児が集まったよう!私が子供だった頃には、どのクラスにも女の子の名前にすみれちゃんがいたように記憶しています。すみれの花の名前から、遠い昔の幼い友が懐かしく思い出されます。