小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

日没時間に合わせて

2021-11-25 | ウォーキング

朝晩の冷え込みがぐっと冬を感じるようになってきました。そして師走も間近
日が落ちる時間がどんどん早くなって、なんとなく夕方が気忙しく感じるようになりました。

横浜の日没時間が午後4時30分、久しぶりに日が落ちる前の富士山を見たいと思って
散歩コースの近くの富士山を日没時間に合わせてでかけました。


16時20分 陽ははるか左の山並みに落ちかけています。

16時30分 わずかに茜色
17時 陽がすっかり落ちてシルエットになってきました 

久しぶりにクリスマスリースを作りました
以前作ったリースのオーナメントを外したら、なんと10年前のものでした
そろそろ替え時と思って10年経ってしまうなんて、我ながら呆れてしまいました
もみの枝やヒバの枝、ユーカリなどを友人に譲ってもらって、リースの土台に巻き付けていきます

悪戦苦闘の上、何とか出来上がりました。

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晩秋から初冬へ

2021-11-21 | ウォーキング

あっという間に季節は廻り来週はもう12月!
 何もしなくても、年末のあわただしさが押し寄せてくるようです
我が家の小さな庭が何もなくなって広く見えるのがこの季節

やっとチューリップの球根とスイトッピーの種を植えました
ガーデンシクラメンも植えて少し庭が華やかになりました

アリッサムは年に2回白い小花を咲かせます

昨年のガーデンシクラメンも蕾を膨らませて立ち上がってきました

各地の紅葉だよりも聞かれるようになって、色づく葉は一層華やかになってきました
久しぶりに近くの自然公園を歩きました

小春日和の暖かな日が続いたとは言え、季節は一歩冬に近づいた気配がします

鬱蒼としていた小径が広く感じたのは、紅葉が進んで木々が葉を落としたからでしょうか
この公園に、こんなに八つ手があったのかと思うほど
あちこちで人の掌のような葉から花茎がつき出し
その先に白い球の花を咲かせた八つ手の花が目立っていました

巨人の手のような大きな葉からは思いもよらない小さな花

「晩秋」から「初冬」へ、今年も残り少なくなりました

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第16回中山道ウォーク(細久手宿~御嶽宿~伏見宿)第3日目(10月31日 小雨のち晴)

2021-11-12 | 街道歩き

朝起きたら小雨模様でした。傘をさしてのスタートは久しぶりです
7:20 スタート

 細久手宿は、全長410メートルという山に囲まれた小さな宿場で
本陣も脇本陣もすでに残っておらず、江戸時代から残る建物と言えば
昨晩泊まった大黒屋ぐらいで、静かな街並みでした

7:30 細久手坂の穴観音
斜面上の石窟内に乾隆された馬頭観音でした
観音の縁日にお参りすると9万9千回お参りしたことになるそうです

7:45 秋葉坂の三尊石窟
 だいぶ風化の進んだ石仏が石室の中に安置されていました

8:05 鴨之巣の一里塚(江戸日本橋より九十三里目)

 地形の関係で両塚の位置がずれたまま残っていました

9:40 馬の水飲み場跡

 諸ノ木坂という急坂の旧道を上がっていくと「物見峠」につきます
ここには馬の水飲み場跡がありました
右手にはかって皇女和宮通行の際に休息のための建てられた御殿の跡もありました

9:50 唄清水

 岐阜県名水50選 和宮が降嫁される際に賞味して気に入ったとか

謡坂の石畳

あまりの急坂で苦しさを紛らわすために唄を歌いながら坂を歩いたと言われているそうです
続いて唄坂十本木の一里塚(江戸日本橋より九十四里目)明治に取り壊された後復元されていました

マリア像と耳神社
 石畳の途中にかって農道の拡張工事を行った際に隠れキリシタンにまつわる遺構が発見され
弾圧を受けながらも隠れキリシタンが信仰を続けていた場所で七御前遺跡と言われています

石畳が終わった右手に、耳と安産の神を祀る神社がありましたが
急坂で階段をみただけでお参りはしませんでした

10:30 牛の鼻欠け坂
 牛の鼻がすれてかけてしまうほどの急な坂であるところから
 

11:00 御嶽宿入口
長かった峠道が終わり、周りに田園風景が広がり、その一角に和泉式部廟所がありました

道中御嶽の辺りで病に倒れてこの地で没したと書かれていました

49番目の宿場御嶽宿に入っていきます
この宿場は東に向かって細久手宿、大湫宿など難所を控えていたので
最後の休憩場所として旅人が多く逗留した宿場だったということです

名鉄広見線の終点「御嵩駅」の周辺は交通の便もいいのでしょう
開けていた分、当時の面影はあまり残っていませんでした

11:30 鬼の首塚(写真右)
 凶悪で悪行三昧の男をこの地の地頭が蟹薬師に祈願したところ退治でき
その首をここに埋めたと言われています

御嵩の街並み

 宿場としての当時の面影はあまり残っていませんが、幅広く商いをした商家などが残っていました

13:30 伏見宿入口
国道21号線を可児川添いに進み、伏見宿に入ります

公民館の前に伏見宿本陣跡がありました

さすがに3日間の疲れが出てきました。14時過ぎの名鉄広見線「明智駅」で
名古屋駅に出て名古屋発16:32の新幹線で帰路につきました(歩行歩数:34,713歩)

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第16回中山道ウォーク(大井宿~大湫宿~細久手宿)第2日目(10月30日 晴)

2021-11-08 | 街道歩き

この日は中山道最後の難関十三峠(実際には十三峠におまけが七つと言われている)と琵琶峠を越える予定です。この間14キロ、もちろん近くに交通機関はないので少し緊張して朝を迎えました。

7:00 ホテル出発
中野村庄屋や古看板を掲げたお店などがある本町通りを過ぎて山道に向かいます。


7:50 「是より西十三峠」


十三峠碑を左に見ながらいよいよ石畳の坂を登っていきます

馬頭観音や西行塚
全国行脚中の西行がついにここで亡くなり供養塔が建てられたと言われています

石畳が続きます

88里目の槇ケ根一里塚、両塚を残しています

8:50 首無し地蔵

 二人連れの武士が地蔵前で昼寝をして一人が目を覚ますと仲間の首がない、
怒った武士が「仲間が襲われたのに黙ってみているとは何事」と
地蔵の首を刀で切り落としてしまったという話です

自然石に坂の名前が彫られています

坂が急なため息が切れて裾が乱れることから「乱れ坂」
うす暗い雑木林の中の「かくれ神坂」、長い登坂の「平六坂」、「でん坂」、「紅坂」など

9:40 紅坂の一里塚(両塚を残している)と牡丹岩

花崗岩が牡丹の花状になっている牡丹岩

9:50 藤村高札場跡、深萱立場跡を通ります

紅葉が始まっていました
「西坂」、「みつじ坂」、「鞍骨坂」、「権現坂」もう数え切れません

10:40 権現山の一里塚(江戸日本橋より90里目


11:50 巡礼水の坂
巡礼の母娘が念仏を唱えると目の前の岩から水が湧き出て
命をとりとめたと言われています


「吾郎坂」「びあいと坂」「しゃれこ坂」「山之神坂」「寺坂」の急坂を下っていくと
ようやく十三峠の終わりとなり大湫(おおくて)宿の宿場に入っていきます


12:30 本陣跡 大湫を開村した保々家が勤め、問屋庄屋を兼ねていました
町並みは十三峠を控えて、たくさんの旅人で賑わってぎわっていたようです

13:00 「むしこ窓」の民家

13:30 土塀の蔵と宿場の終わりに復元された高札場跡

軒先に長く「犬走り」                    
13:40 二つ岩

花崗岩が露出した巨大な岩があり、これは広重の絵にも描かれているのだそうです

13:53 琵琶峠入口

 この日の最後の峠 琵琶峠の入り口に到着
もうどんな峠でもやって来い!みたいな、捨てセリフ!
江戸時代の石畳としては最長(730メートル)で苔むした石畳が続きます
峠の標高は558メートルで美濃16宿では最も高いところにあります

14:08 琵琶峠頂上には皇女和宮の歌碑

「住み馴れし都路いでてけふいくひいそぐとつらき東路のたび」
宝暦13年(1763年)建立の馬頭観音

14:20 八瀬沢の一里塚(江戸日本橋より九十一里目)

 琵琶峠の一里塚とも呼ばれ、見事な両塚を残しています
下りの石畳が続きます

15:09 財弁天の池と奥田の一里塚

 ジュンサイが自生している池でもう坂はないだろうと一休み
15:40 奥之田の一里塚
 江戸日本橋より九十二里目 ここも両塚が残っていました

16:50 本日のゴール細久手(ほそくて)の宿場
今宵の宿「大黒屋」にへとへとになって着きました

この旅籠「大黒屋」は安政6年の再建で、問屋を務めた尾張藩の定本陣だったという建物でです。大湫宿と御嶽宿間には公共交通手段も宿泊施設も近くにないので、中山道を歩く現在の旅人は、この大黒屋さんがないとほかに泊まるところがないという唯一の宿です。
ゆっくりと足を延ばし、なんと食事の美味しかったこと(特に写真上の鯉こく)、この旅籠の歴史もご主人から聞きながらほっとして、疲れの取れる一晩を過ごすことができました。(総歩数:36,188歩)

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第16回中山道ウォーク(中津川宿~大井宿)第1日目(10月29日 晴)

2021-11-06 | 街道歩き

街道歩きも昔の旅人のように目的地まで一気に歩き通すことはしなくて済むのは現在の交通網のおかげで、ほとんどの街道歩きの人たちはピストン通いをしていると思います。なので、私たちも暑い夏と寒い冬は避け、いい季節になるべく歩きたいということで、今回も1か月を置かずに中山道を繋いでいくことにしました。また今回は「十三峠」という山道も歩く、ちょっとハードなウォーキングとなりました。

10月29日 前回同様、新横浜より7:29発の新幹線で名古屋経由、JR中央線で中津川駅に9:48着でした。やはり新幹線で名古屋経由で行くようになってぐっと時間も短縮して楽になりました。
10:00スタート 今回も秋晴れに恵まれ空気も清々しいです。

10:13 栗きんとんで有名な老舗「すや」が落ち着いた街中にあります
中山道を歩いた友人から、このお店の栗きんとんをぜひ買って
道中食べるといいと薦められていたので、さっそく買い求めました。

10:19問屋大正の蔵
 土蔵造りと明治以降のコンクリート工法が混在した珍しい建築で
この辺りが宿の経済の中心地であったと案内板に書かれていました

町の中心部を用水が流れ、水量も豊かでせせらぎの音を聞きながら宿場を通ります


10:35 銘酒「恵那山」の蔵元

桝角の角に立派なうだつの上がる蔵元「はざま酒造」がありました

10:50 高札が3枚復元された高札場跡

中津川を越え、中津川宿の外れに出ます。今日は恵那山もくっきりと見えます

11:10 上宿一里塚跡(江戸日本橋より八十五里目)


11:50 六地蔵石憧(せきどう)

珍しい六角形の六面にお地蔵さまが六体刻まれています
水害除けと旅人の道中安全を祈ってきたのだそうです

12:10 恵那山と笠置山

左手後方に恵那山がくっきりと、進行方向には笠置山
(農作業をしていた土地の方が、両方が見えるのは珍しいとか)

13:15 三ツ家の一里塚跡(江戸日本橋より八十六里目)

この先の急坂の道端に石仏石塔群が整然と並んでいました

13:40 三面六臂馬頭観音(胴体が一つに頭が三つ)

14:00 岡瀬沢の常夜灯
 遠州方面から物資輸送の「うしみち」と呼ばれていたそうです

14:15 甚平坂公園

 急坂を登ると昔の茶屋跡があり、現在は甚平坂公園として整備されていました
ここから見る雪をかぶる御嶽山は、秋の澄んだ空気にくっきりとみえていました

馬塚と犬塚

源頼朝の命で根津甚平は、馬と犬を共に「化け鳥」退治に出て追い詰めたが
馬と犬は力尽きてしまい、ここに葬ったという碑がありました
まもなく、江戸日本橋より87番目の関戸の一里塚跡を通ります

14:55 高札場跡が復元されていました

JRの狭い!低い!トンネルを潜ります。
上に電車が通過中だったらどんなにこわいことか

15:00 林本陣跡
この先から大井宿の第一の枡形にはいり宿場の入り口となり、本陣跡が見えてきます

表門周辺を残し火災で焼失してしまいましたが、りっぱなものでした

枡形(宿場には6か所の枡形がある)を右に左に、進みながら大井宿の脇本陣、庄屋、旅籠屋などの街並みが続きます。明治天皇が行幸の際に、1泊だけ宿泊されたという旧家がそのまま残され、ボランティアの方に屋敷のなかの説明をしてもらいました。
16:00 恵那市の駅近くに、この日のホテルを予約していたので少し時間があったので「中山道広重美術館」を見学し、歌川広重とその歌川派の木曽街道(中山道)の浮世絵を楽しみました。(歩行距離:28,943歩)

木曽街道浮世絵 中津川宿と大井宿(ウィキペディアより)


                    第2日目 大井宿~大湫宿に続く

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