小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

第19回中山道ウォーク4日目 最終回(武佐宿~草津宿)

2022-04-13 | 街道歩き

3月28日
昨日は膝の不調で、予定を1時間半ばかり切り上げたので、最終日は強行軍になりそうです。
京都駅を8:05発JR野洲駅8:36着、昨日の到達点の近江鉄道バスのバス停「鏡石」に戻る予定でした。
ところが野洲駅に到着後、バス停を探している間にバスの発車に間に合わず、結局タクシーで鏡石バス停まで行くことになりました。

8:45「鏡石」バス停着
この辺りは「鏡」と呼ばれて鎌倉時代の宿駅で、武佐宿から守口宿までが長かったので、間の宿として栄えていたようです。

8:50 本陣跡がありましたが、ただ間の宿で正式な宿場ではなく宿泊はできなかったようでしたが、街道筋には「旅籠吉田屋跡」や「桝屋跡」などが残っていました。

源義経がこの地で元服したことで、いろいろな遺跡が残っていました。義経宿泊の館跡や義経が元服したときに被っていたという「烏帽子掛け松」、義経元服の池など。



9:00 平家終焉の地
平宗盛、清宗は壇ノ浦で滅び
捕らわれの身となり、護送途中のこの場所で処刑されたと伝わっています

              蛙不鳴池
           平宗盛親子の首を洗った池でそれ以降蛙が鳴かなくなったと伝わる

10:00 甲山古墳公園
 6世紀を中心とする古墳群で円墳で、川堤の桜がきれいでした


銅鐸モニュメント
東海道新幹線敷設工事の際、多数の銅鐸が出土したそうです


10:20 稲荷神社の鳥居                  

              茅葺屋根の慶長元年創業の酒造「曙」の蔵元

昨日はこの近くにある JR野洲駅まで歩く予定でした。しかし疲れ切っていたので予定を切り上げた判断は、昨日の疲れを引きずらずに、最後の一日を元気にスタートできたので、よかったと思いました。

10:50 背比べ地蔵
子供の背丈が地蔵くらいになれば一人前と背比べさせたという伝えです


11:10 野洲川橋
鈴鹿山脈に源を発して琵琶湖に注ぎます

日が暮れると野洲川を渡る旅人のために、常夜灯に灯したというお堂が近くにあり
芭蕉の句碑も残っていました

11:40 守山宿入口
長かった武佐宿が終わり、守山宿に入ります。
守山宿は比叡山の東門として、「守山」という語源は、山を守るという語源からきています。
江戸時代には東海道石部宿へ至る交通の要所として栄えていたようです。

益須寺跡の標識には日本書紀の中に、この地で湧く泉が病気に効くので水田などを寺に献上したという記述がありました。


             守山宿の街並み
              当時は一戸ごとに段違いにする屋敷割りだったようですが
              すでに改修などが繰り返されてわからなくなっていました

12:10

本陣跡推定地で名残はありませんでしたが、まわりには歴史を感じる遺構が残っていました。
宇野本家(元首相宇野宗佑氏の実家)りっぱな酒造元


          本陣跡

      
12:20 今宿の一里塚(江戸日本橋より百二十八里目)
滋賀県内で唯一現存する一里塚

黄連坊母公墓標石
一目会いたいと京からここまで来たが、すでに斬首されたと聞き
母は、この村の尼ケ池に身を投げてしまった

東門院
石造五重塔国重要文化財


13:00 佛眼寺地蔵堂
川から拾い上げた地蔵を「さぞ寒かっただろうと」頭から綿を被せたと伝えられます

      伊砂砂(いささ)神社

13:30 まもなく JR栗東駅を過ぎ、花園の交差点を過ぎると草津市に入ります。
中山道最後の宿場です。道は住宅街の中の狭いトンネルを潜って線路わきの狭い道を通ると草津の駅や繁華街に入ります。

最後の最後でわかりずらい「中山道標識」


やがて商店街を抜けると草津トンネルが見えてきます
トンネルの上はかって草津川が流れる天井川だったのですが、現在は明るい公園になっていました


14:00 旧東海道との合流点追分に着きました。中山道の終点です

なんとか草津宿までたどり着きホッとしました
旧東海道、中山道の終点であり、東海道五十三次の西の起点でもあります


14:30 京都三条大橋
合流点からその足で、草津駅からJRで京都駅、地下鉄に乗り換えて三条大橋に向かいました。
三条大橋は花冷えのする寒い午後でした。

               三条大橋から鴨川


三条大橋の西の袂に十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場する
「弥次さん喜多さん」の銅像があります


私たちもここで3年半を要した、夫との弥次喜多中山道道中の終了としました(歩数:37,033歩)

中山道をスタートしたのが、2018年9月29日 日本橋から東京・板橋宿まででした。
その後、ほぼ1か月に1回のペースで、本庄宿(埼玉県)まで進み、だんだん日帰りが難しく成り、本庄宿から下諏訪宿(長野県)までは、1泊2日の行程で進みました。

しかし、2020年からはコロナ禍による緊急事態宣言、蔓延防止等重点措置にょる外出制限などがあり、ほぼ1年間中断を余儀なくされました。
後半は、年ごとに加算される年齢との体力勝負。なんとか、ゴールに近づきたいと木曽に入ってからは、2泊3日、最後は3泊4日の行程で歩き続けました。
全18回 36日間、日本橋~滋賀県草津 510キロでした。(日本橋・京都間は63次534キロ)

おかげさまで、ブログ友、友人、家族の応援、ほんとうにありがとうございました。

また、旧東海道を2008年に京都三条大橋まで歩いていますので、草津・京都三条大橋へは同じ街道になります。
下記のURLをご参考までに

旧東海道ウォーク 石部宿~三条大橋まで
https://blog.goo.ne.jp/yokohama-akiko/c/ea71ff634da13670b7fcad46ecb08119

 


コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第19回中山道ウォーク3日目(... | トップ | 中山道ロス! »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
凄い、頑張りでしたね。 (kurak)
2022-04-13 22:45:08
凄いです、本当によく頑張りましたね。色々あって3年半の時間、距離が延びるにつれて体力的にもきつかったと思います。510㎞は想像以上です。
その間に訪ねた各地の宿場やその土地に伝わる話や史跡、風景など盛りだくさんの内容に往時の人たちの生活が偲ばれ楽しく拝見させて頂きました。
暫くは英気を養い、次はどのような形の投稿になるのか楽しみにしています。
返信する
おめでとうございます!! (あや)
2022-04-14 13:58:29
中山道完歩、おめでとうございます!お疲れ様でした!本当にすごいです。3年半かかっても歩きとおすというのはなかなかできません。中山道は長い!

歴史深い話や史跡など、中山道は色濃い道程ですね。とても楽しく拝見させていただきました。毎回写真を整理するだけでも大変だっただろうなと思います。お疲れ様でした。

それにしても最後とは言え、4日間の歩きはやっぱりすごい!!足腰、ケアしてください!
返信する
おめでとうございます!! (あや)
2022-04-14 13:58:29
中山道完歩、おめでとうございます!お疲れ様でした!本当にすごいです。3年半かかっても歩きとおすというのはなかなかできません。中山道は長い!

歴史深い話や史跡など、中山道は色濃い道程ですね。とても楽しく拝見させていただきました。毎回写真を整理するだけでも大変だっただろうなと思います。お疲れ様でした。

それにしても最後とは言え、4日間の歩きはやっぱりすごい!!足腰、ケアしてください!
返信する

コメントを投稿

街道歩き」カテゴリの最新記事