昨年2020年11月に中山道を歩いてから8か月ぶり、2021年7月に再開したものの真夏の暑さであまり距離を伸ばすことができませんでした。
先週、信濃から美濃の國に入り全行程の三分の二ほどに到達したこともあり、ただ7月の区間を記録していなかったのでなんとかメモを頼りに思い出してみました。
7月18日宮ノ越宿~福島宿・19日~上松宿
2021年7月18日(日)晴
6時過ぎに自宅を出て、特急あずさで中央本線塩尻駅、さらに中央本線中津川行きに乗り換えて宮ノ越駅に降りたのが11時38分、ほぼ半日を要して先回の到達地点につくことができました。
私が住んでいる横浜より少し涼しいかと思いきや、抜けるような真っ青な空にカンカン照り、外に出ている人の姿もなく、この暑さの中でどのくらい歩けるのか不安になりながら出発!
12:00宮ノ越駅
中山道(県道267号)に沿って、本陣、脇本陣跡があります
明治16年の大火で焼失してしまい、再建されたものでした
旅籠屋の様子
12:15明治天皇御前水碑
井戸は昭和初期まで近郷随一と言われた名水で
この井戸水で立てたお茶を明治天皇に献上したと書かれていました
原野駅(宮ノ越の次の駅)を通過します。間の宿で比較的小さな宿場だったようでした。
13:05中山道中間点
江戸、京都間の中間点で案内板には江戸からも京都からも67里38町(約268km)
やった!という気持ちとやっと半分という気持ちが交叉します。
まもなく左側の細い道に中山道の標識が
ここも中山道かと半信半疑で進むと橋があり集落に入り一安心しました。
13:40薬師堂
再び県道に出た後、こんもりと木々で覆われた薬師堂につきました
青い空と白い入道雲、この暑さでほとんど人に会うこともありません
ここ宮ノ越の外れの街道は現国道と旧道が短い距離でいくつも入り組んでいました。
14:10出尻の一里塚
ややもすると草むらのなかで通り過ぎてしまいそう
国道を進みさらに、木曽川を右側に観ながら進むと
まもなく正面に大きな関所門「冠木門」が見えてきました
14:50福島関所跡
いよいよ福島宿に入ってきました。福島関所跡は宿場と木曽川を見下ろす高台にあって
天下の四関(碓氷、箱根、新居、福島)のひとつで、
入り鉄砲と出女を厳しく取り締まっていたということです。
関所も立派に復元されていました。
暑さで体力の消耗がひどかったので、1日目の行程をここまでとし、宿に荷物を置いてから「山村代官屋敷」など、宿場の街並みを見学しました。(歩行距離:19117歩)
2021年7月19日(月)晴 2日目
この日も暑くなりそうな予感のもと、8時30分にスタートしました。
昨日に街並みを歩いていたので、坂を上がり、
古い町並みの残る「上の段」と呼ばれる地区に入っていきます。
短い区間ですがとても風情があり、当時の井戸もそのまま残り
町民の飲み水としても昭和の中頃まで使われていたのだそうです。
旧道から木曽福島駅を通り過ぎます。この駅からは木曾御嶽山登山の入り口でもあり、安全を祈願する御嶽神社がありました。
この後も旧中山道は、国道19号線の下を潜り抜けたり、廃線トンネルや人家の庭先らしきところを抜けたりして国道に合流していきます。
しばらく行くと沓掛の一里塚(江戸日本橋より71里目)があり
その先には中山道三大難所のひとつと言われた「木曽の桟(かけはし)」がみえてきました。
当初は岩壁に丸太を組みその上に板を並べた桟を作って
通行していましたが焼失してしまったそうです。
現存はしていないので、対岸からその遺構をみることができます。
当時はどんな危険な思いをして旅をしていたことかと思います。
今では橋の上から穏やかで風光明媚な木曽川を眺めることができます
しばらく国道19号線をひたすら歩きます。気温はグングン上昇していきます。上松(あげまつ)宿が見えてきた頃は、暑さで疲労も増してきました。
11:10中山道上松宿入口の標柱
街並みは戦後幾度の火災でほとんどが焼失してしまったそうです。
この後、上松駅に着いて観光案内所の建物の中で少し体を冷やし、この日の行程をここまでとすることにしました。まだ時間が早かったので名所「寝覚ノ床」を先に見ておこうと言うことになり、行きはタクシーで帰りはバスで寝覚めノ床を往復しました。
ここは「浦島太郎」が玉手箱を開けた場所という伝説があり、
木曽川の浸食による花崗岩の渓谷は、見事な奇岩が折り重なり
中山道随一の風光明媚な名所と言われていますが、訪れている人はほとんどいませんでした。
上松駅に戻り、15時25分発の上松発塩尻経由で帰宅しました。(歩行距離:20529歩)