小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

季節は秋、気づかぬうちに

2021-10-28 | ガーデニング

まだ夏を引きずりながら、いつまでも夏服を離せないでいましたが、季節はもう10月も終わり、さすがに冷え込んだ先日寝具も厚手に代え、衣類も冬物を引っ張り出しました。
最近は季節の進みを体感できなくなっているほど、季節の移り変わりがはっきりしなくなっているように思います。とは言え自然は、また一歩秋を深めているように見えます。

紫陽花の紅葉と白さが際立つシュウメイギク

初冬まで楽しめるセージとツワブキ


コロナ感染者が減少してきたとは言え、コロナ禍でのハロウィンの盛り上がりはもうひとつ
大船フラワーセンターで

ハロウィンのディスプレイと芝生に転がっているお化けカボチャ

秋の風物詩 セイタカアワダチソウを最近あまり見かけなくなってきたように思いますが、ほかの地域ではどうなんでしょう。空地から線路際、道端に至るまで黄色い花を波打っていたのに、私の散歩する範囲ではちょっと元気がないように思います。


セイタカアワダチソウの衰退期でしょうか。

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第15回中山道ウォーク(妻籠宿~馬籠宿~落合宿~中津川宿)第3日目(10月4日 晴)

2021-10-24 | 街道歩き

最終日もお天気に恵まれ、思ったより足の疲れも残らずに、7:45宿をスタートしました。

8:00大妻籠の一里塚
塚のあとはなくなっていましたが、江戸日本橋から81里目で庚申塚の石碑が建っていました

古い民家や民宿の集落大妻籠

山の中に見事な石畳が続きます。山道には熊ベルも設置されていました。


8:20 男滝・女滝
少し中山道から渓流を下りたところに男滝、わずかに男滝より水量の少ない女滝がありました

滝つぼの近くまで行くことができるので、一汗かいた後の顔にかかるミストがとても気持ちいいです
ここは吉川英治「宮本武蔵」の舞台にもなっているのだとか

深い山の中、細い山道を登っていきます

当時、木曽谷の人々は尾張藩の厳しい山林規制に苦しめられ、木曽五木の伐採禁止木の出荷統制が行われ
「ヒノキ一本首ひとつ」と過酷なもののようだったとありました



9:20 一石栃立場茶屋跡(牧野家住宅)
当時は7件ほど茶屋があったということです
現在では「牧野家住宅」だけが残り、住宅の中も見学ができるようになっていました。


9:40馬籠峠
峠の上は県道7号中津川線の車道にでます。茶屋は廃屋となっているようでした。

長野県からやっと岐阜県にはいりました。

10:15十返舎一九の碑
「渋皮のむけし女は見えねども栗のこわめしここの名物」
この地の茶屋は古くから栗こわめしを名物としていたようです。(私も馬籠宿に着いたら栗おこわを食べよう)

10:25水車塚 石置き屋根の水車小屋

10:45 陣馬坂
石畳の急坂を下り、階段を上る旧道に入ると展望のきいた馬籠上陣馬跡につきます
眺望も効き、恵那山も見えました。(多分左あの辺り)


10:50 馬籠の宿場
この宿場も観光地として整備され、細い傾斜地の街道沿いには土産物店など軒を連ねていました

11:20 「大黒屋」
「大黒屋」十代目当主が40年間書き続けた「大黒屋日記」が島崎藤村「夜明け前」の原点になっているそうです
現在は大黒屋茶房として民芸品と茶房の風情あるお店でした

私たちはここで、私は待望の栗おこわを夫がとろろそばを食べました

11:50 馬籠宿の町並み
斜面に石垣を築いて造られています
石畳以外はやはり明治の大火で焼失し、現在は復元された町並み




12:00 諏訪神社
馬籠宿を過ぎると観光客も途絶え、のどかな田園風景に変わります
村の鎮守諏訪神社と民家の軒


12:15 正岡子規碑
明治22年正岡子規は郷里松山に向かうおり、木曽路を越えたときに詠んだのだそうです
ここは眼下に中津川を望み、信州サンセット百選の一つに選ばれています


12:25 新茶屋の一里塚
江戸日本橋より83里目、またここが信濃美濃の国境であったという標石が残されていました
木曽路の最終地であり、ここからは美濃路に入ります


12:50 十曲峠(じゅつきょくとうげ)
全長830メートルの石畳が続き、「落合宿2.0km」の標識に従い、苔むした石畳を下りていきます
昔は難所で知られた十曲峠も今では史跡として整備されています

馬籠宿のお土産屋で買った編み笠をいつの間にか背中に・・・やっぱり恥ずかしいらしい

13:20 落合宿入口
馬籠からの峠はすべて下りでしかも道はわかりにくく、京都方面からは登りの急坂でどんなに難儀したことかと思います
町の長さは390m、旅籠14軒の小さな宿場だったようです

秋葉山常夜灯と皇女和宮降嫁の際に休息した本陣

13:30 助け合い大釜

皇女和宮の大行列の際、温かいもてなしをこの釜で煮炊きをしたと案内板に描かれていました

門冠の松

善昌寺の宿並に突き出た「門冠の松」 枡形を左折する先に路上に大きく張り出した松の木がありました。

この突き出た松を右手に見ながら中山道は左折して行きます
この先が「向坂」という急坂を登って国道に下りまた登ってと、入り組んだ道も
中山道には粉塵された石がちりばめられた舗装となって間違うことなくすすめることができました


14:10 与坂立場 子野の一里塚跡 
いったん旧道から国道のトンネルを潜り、中山道へと合流します
このあと住宅街の中をヘアピン状に曲がったとんでもない急坂「与坂」をしばらく登ります
息も続かず、何回か休みながら、やっと登り切ったあたりが「与坂立場」の茶屋跡がありました

急坂を登れば、当然今度は急坂を下りることになり、なんとアップダウンの多いことかとウンザリしました

中津川バイパスを潜り、番所跡から公園の片隅に芭蕉の句碑がありました
「山路来て 何やらゆかし すみれ草」

14:50 中津川宿入口
高札場・常夜灯・庚申塚


なんとか、この日もヘトヘトになって、それでも予定の1時間前のJR中津川発快速名古屋行き15:20に間に合い、名古屋を16:49の新幹線に乗って帰路に着きました。穏やかな晴天に恵まれて、無事3日間の行程を終えヤレヤレ、それにしても京都に近づいたとは言え、まだまだあるなぁーとため息も。(歩行距離:33,147歩)

コメント (3)
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第15回中山道ウォーク(須原宿~野尻宿~三留野宿~妻籠宿)第2日目(10月3日 快晴)

2021-10-18 | 街道歩き

JR須原駅8:06発、昨日の到達点駅大桑駅8:09
この駅も無人駅で私たちのほかにあと一組3人の青年のグループが降り、やはりこれから中山道を須原宿から一日で中津川まで目指すと話していました。私たちはこの日は妻籠まで、だいぶペースが違うなと思いながら一足先にスタートしたものの、30分ほど先の道の駅大桑で、すでに抜かれました。若い人はやっぱりすごいなー。

9:00イボ石の碑
中央本線沿いに踏み切を横切ること数回、間もなく「倉坂」という急坂を上ります
イボを箸で摘まみ、ここにおく仕草をすると取れると伝わっているそうです

イボは取れたか

9:10本陣跡
国道19号線を離れ、野尻宿に入っていきます
問屋、庄屋を兼ねた本陣跡は明治27年の大火で焼失してしまったそうです


多くの家が焼失してしまったようですが「野尻の七曲がり」といって
外敵を防ぐための街道は曲がりくねり、当時の面影が残っていました


9:20 西の外れ
野尻宿の出口の家は屋号を「はずれ」と言って野尻宿の外れを示すと案内板にありました

下在郷の一里塚(江戸日本橋より77里目)
中山道はしばらくJR中央本線沿いを進みます

10:20 中央本線の狭い地下水路のトンネルをくぐります

このあたりは貝原益軒著「きそ路の記」に
「野尻と三留野の間、あやうき路なり、この間左は山也・・・」と
当時は深い山と木曽川に沿ってどんなに難路だったことかと想像できます
まもなく木曽川は見事な渓流と花崗岩の岩盤が幾重にも重なった景観が開けてきました

11:45南寝覚
上松の寝覚ノ床のような渓谷は「南寝覚」と呼ばれているそうです
対岸に渡りお昼にしました。現在は整備された国道沿いも
当時は崖路を危険にさらされながら歩いたものと思われます

12:30三留野宿
本陣跡、旅籠屋も数件ありましたが、比較的小さな宿場だったようです
ここも明治14年の大火で宿の大半が焼失してしまったようです

この辺りは高い山々が迫って見え
大雨ともなると土石流がおこり難所だったようです

収穫も終えて、今は穏やかな風景が広がっていました

13:40 かぶと観音・袖振りの松
木曽義仲が兜の中に収めていた十一観音が安置されているかぶと観音
木曽義仲が弓を射るのに邪魔になった松を巴御前が袖を振って枝をなぎ払ったと言われている「袖振りの松」の水舟がありました


13:50 妻籠への道

三留野を過ぎると島崎藤村「夜明け前」の
「木曽路はすべて山の中にある」の道が続きます

14:00上久保の一里塚
江戸日本橋より八十里目」珍しく両塚が現存しています

蛇石道標 自然石道標で「中山道蛇石 右つまご宿」と書かれています
いよいよ妻籠宿に入ります

14:25 鯉ケ岩
明治24年の濃尾地震で頭部が落ちてしまった、中山道三名石のひとつ


14:30妻籠宿場
高札場跡 水車小屋 奥谷脇本陣跡



 

江戸時代の宿場の姿を色濃く残している街並みは国の重要伝統建造物保存地区第1号に指定され、当時を思わせる民家が街道沿いに軒を連ねています。電柱も地下に埋められ見事な街並みを形成していますが、とにかく観光客が多く、私たちは山越えしてきたこともあって、人の多さに戸惑ってしまいました。ただ、美味しいコーヒーショップでしばしの疲れも取ることができました。

15:30 大妻籠へ
宿場の人波も少なくなり、馬籠まで6.9キロの道標を見ながら大妻籠の石畳を進んで今宵の宿に着きました。この辺りは妻籠宿の「奥座敷」といわれ、近年海外の観光客も多かったようですが、コロナ禍では海外の観光客は皆無なので、この日も宿泊は私たちだけでした。
行程が長かったので、明るいうちに着くか心配していたのですが、なんとかヘロヘロになって到着することができました。(歩行距離:32,147歩)

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第15回中山道ウォーク(上松宿~須原宿)第1日目

2021-10-15 | 街道歩き


(10月2日上松~須原・3日~野尻~三留野~妻籠・4日~馬籠~落合~中津川)

2021年10月2日 今まで新宿から特急あずさで塩尻経由、中央本線に乗り換えで行っていたのですが、今回からは新幹線で名古屋経由で入ることになりました。

1日目(上松宿~須原宿)
新横浜7:29発名古屋8:45,特急しなのに乗り換えで中津川に9:48、さらに中央本線で前回の到達点上松駅に10:55に下りました。
11:10 スタート
この日も文句なしの秋晴れ、ただし夏日! でもさすがに爽やかな風のもとスタートをきることができました。

上松の駅を出てすぐ中山道を左に坂道を上がって
上松小学校の校門前を通ります。ここには「藤村文学碑」がありました


11:40 「たせや」と「越前屋」
やがて寝覚の床を右眼下に見下ろすあたりに茶屋「たせや」と「越前屋」が見えてきます
なかなか風情のある建物で、現在では民宿を経営しているそうです


寝覚ノ床へはこの急坂を下ります

また中山道にはこの急坂を戻ってこなければならないので
前回すでに見学済なので、今回はパスして先を進めることにしました

ヘアピンカーブのような下り坂を過ぎると国道19号線に合流します
高台から木曽を象徴する山「霊峰・御嶽山」が見えました


12:10 小野の滝(木曽八景のひとつ)
間もなく左側に小野の滝が見えてきました
滝の上は中央本線の橋脚が架けられています

ここで気持ちのいいマイナスイオンの清涼な空気の中でお昼ご飯としました

12:45 萩原の一里塚碑
国道から旧道に入るこの旧萩原村には立場があり高札場もあったようです
すぐに国道に戻ります

中央線のガードを潜り、線路左手の宮戸村の集落に入りました
国道より高台で見晴らしがよく、まもなく陸橋を渡ると木造のつり橋が見えてきました

木組みが美しい日本最大級の木橋

13:50 JR倉本駅通過
無人駅の倉本駅あたりから旧道にはいります。
街道添いの集落からは豊かな水が流れ、いろいろ生活水に使われているようでした

ここから、今夜の宿泊場所の旅籠屋に電話を入れます
どうもオーナーはそこには住んでおらず、カギを開けてくれるようです

15:10 須原宿入口
看板に沿って旧道の須原宿に入っていきます

須原駅を通り過ぎて10分も歩くと今夜の宿泊旅籠に付きましたが
時間も午後3時過ぎだったので荷物を軽くして、須原駅の一つ先大桑まで中山道を進めて
夕方に電車で手前の須原駅に戻ることにしました。


宿場は地下水が豊富に湧き出していて
宿内の玄関先には大木をくり貫いた「水舟」があちこちにありました

宿場の外れの急坂に用水の流れる枡形が残されていました

向かいの「定勝寺」は桃山時代の山門があり
重要文化財に指定されている立派なお寺でした

ほぼ山の中に入り、しばらく行くと木曽の清水寺と言われている岩出観音が見えてきました。
午後の陽は山影に隠れ、疲れた足も自然に急ぎ足となります。

中央本線が眼下に見えたあたり、山並みに大きな虹を見つけました
特にお天気が変わった様子はありませんでしたが、虹の全景が見えるわけではなく
太い虹が天に立っているように見えました

前方には明日もお天気になることを約束されているような太陽が
山の影に沈みかけ、この日の行程を終えました

須原宿に戻り、泊まった旧旅籠は明治2年の建築で1日一組だけが予約でき
私たちは玄関の鍵を渡されて中は自由に使うことができました

まるでタイムスリップをしたような一晩でした。(歩行距離:33,184歩)

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第14回中山道ウォーク(宮ノ越宿~福島宿~上松宿)

2021-10-11 | 街道歩き

昨年2020年11月に中山道を歩いてから8か月ぶり、2021年7月に再開したものの真夏の暑さであまり距離を伸ばすことができませんでした。
先週、信濃から美濃の國に入り全行程の三分の二ほどに到達したこともあり、ただ7月の区間を記録していなかったのでなんとかメモを頼りに思い出してみました。


7月18日宮ノ越宿~福島宿・19日~上松宿

2021年7月18日(日)晴
6時過ぎに自宅を出て、特急あずさで中央本線塩尻駅、さらに中央本線中津川行きに乗り換えて宮ノ越駅に降りたのが11時38分、ほぼ半日を要して先回の到達地点につくことができました。
私が住んでいる横浜より少し涼しいかと思いきや、抜けるような真っ青な空にカンカン照り、外に出ている人の姿もなく、この暑さの中でどのくらい歩けるのか不安になりながら出発!

12:00宮ノ越駅
中山道(県道267号)に沿って、本陣、脇本陣跡があります
明治16年の大火で焼失してしまい、再建されたものでした

旅籠屋の様子

12:15明治天皇御前水碑
井戸は昭和初期まで近郷随一と言われた名水で
この井戸水で立てたお茶を明治天皇に献上したと書かれていました

原野駅(宮ノ越の次の駅)を通過します。間の宿で比較的小さな宿場だったようでした。

13:05中山道中間点
江戸、京都間の中間点で案内板には江戸からも京都からも67里38町(約268km)
やった!という気持ちとやっと半分という気持ちが交叉します。

まもなく左側の細い道に中山道の標識が
ここも中山道かと半信半疑で進むと橋があり集落に入り一安心しました。

13:40薬師堂

再び県道に出た後、こんもりと木々で覆われた薬師堂につきました
青い空と白い入道雲、この暑さでほとんど人に会うこともありません

ここ宮ノ越の外れの街道は現国道と旧道が短い距離でいくつも入り組んでいました。

14:10出尻の一里塚
ややもすると草むらのなかで通り過ぎてしまいそう


国道を進みさらに、木曽川を右側に観ながら進むと
まもなく正面に大きな関所門「冠木門」が見えてきました


14:50福島関所跡
いよいよ福島宿に入ってきました。福島関所跡は宿場と木曽川を見下ろす高台にあって
天下の四関(碓氷、箱根、新居、福島)のひとつで、
入り鉄砲と出女を厳しく取り締まっていたということです。
関所も立派に復元されていました。

暑さで体力の消耗がひどかったので、1日目の行程をここまでとし、宿に荷物を置いてから「山村代官屋敷」など、宿場の街並みを見学しました。(歩行距離:19117歩)

2021年7月19日(月)晴 2日目
この日も暑くなりそうな予感のもと、8時30分にスタートしました。

昨日に街並みを歩いていたので、坂を上がり、
古い町並みの残る「上の段」と呼ばれる地区に入っていきます。

短い区間ですがとても風情があり、当時の井戸もそのまま残り
町民の飲み水としても昭和の中頃まで使われていたのだそうです。

旧道から木曽福島駅を通り過ぎます。この駅からは木曾御嶽山登山の入り口でもあり、安全を祈願する御嶽神社がありました。
この後も旧中山道は、国道19号線の下を潜り抜けたり、廃線トンネルや人家の庭先らしきところを抜けたりして国道に合流していきます。

しばらく行くと沓掛の一里塚(江戸日本橋より71里目)があり
その先には中山道三大難所のひとつと言われた「木曽の桟(かけはし)」がみえてきました。


当初は岩壁に丸太を組みその上に板を並べた桟を作って
通行していましたが焼失してしまったそうです。
現存はしていないので、対岸からその遺構をみることができます。
当時はどんな危険な思いをして旅をしていたことかと思います。

今では橋の上から穏やかで風光明媚な木曽川を眺めることができます

しばらく国道19号線をひたすら歩きます。気温はグングン上昇していきます。上松(あげまつ)宿が見えてきた頃は、暑さで疲労も増してきました。


11:10中山道上松宿入口の標柱
街並みは戦後幾度の火災でほとんどが焼失してしまったそうです。


この後、上松駅に着いて観光案内所の建物の中で少し体を冷やし、この日の行程をここまでとすることにしました。まだ時間が早かったので名所「寝覚ノ床」を先に見ておこうと言うことになり、行きはタクシーで帰りはバスで寝覚めノ床を往復しました。


ここは「浦島太郎」が玉手箱を開けた場所という伝説があり、
木曽川の浸食による花崗岩の渓谷は、見事な奇岩が折り重なり
中山道随一の風光明媚な名所と言われていますが、訪れている人はほとんどいませんでした。

上松駅に戻り、15時25分発の上松発塩尻経由で帰宅しました。(歩行距離:20529歩)

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「木曽路はすべて山の中」

2021-10-07 | 街道歩き

栗ご飯を食べ、痩せた秋刀魚とは言え秋の味覚を食し
柿に梨にぶどうと豊かな秋の到来です。
さらに緊急事態宣言も解かれ、足は自然に外に向いてしまいます。

好天気が期待された先週末、思い切って
中山道を上松宿から中津川宿までの8宿場を2泊3日で歩いてきました。
歩数は10万歩を超えていました。(しばらくウォーキングは歩かなくてもいいかなという心境です)

言わずと知れた文豪島崎藤村の小説「夜明け前」の書き出し
「木曽路はすべて山の中」、まさに実感した3日間でした。

苔むす石畳


杉や檜の林間を縫う中山道


野辺は野菊が満開の季節を迎えていました。


空気が澄んでいるのでしょうか。花は凛として


どこの宿場にも豊かな水が流れていました。

記憶が遠のかないうちに、街道の記録も記していこうと思っています。

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ほっとして迎えた秋本番

2021-10-01 | 日常

10月に入り、残りのカレンダーの枚数はたった3枚
やっと緊急事態宣言の解除でスタートした10月です
少し気持ちも楽になって、この秋を楽しみたいと思います

染まり始めたハナミズキの木の葉に、今朝の台風の強風で葉がちぎれんばかり
もう少し色づいた葉を楽しみたいところですが・・・
上陸は避けられそうですが、引き続き暴風や大雨に気をつけましょう

「天高く馬肥ゆる秋」、秋の実りが宅急便で届けられてきました。
箱を開けて歓声!イガの懐かしさに思わず手に触れて「イテテテッ」
落ち着いて同封の手紙を見れば
「イガは素手で触ると危ないので、トングなどで取り出してください!」と
ちゃんと注意書きがありました。大きな艶やかな栗でさっそく秋を味わいました。

日も落ちた深い夕暮れ、庭の隅のタカノハススキの穂が出そろいました。
天高く青い空を仰ぐのも心地よい季節ですが、
ひんやりとした空気に包まれる夕闇、迫って聞えてくるのは虫の音
そんな秋の夜も心地よいものです。

ところで我が家の鈴虫ですが
最盛期には20匹以上もいたのですがついに3匹のみになりました
羽を震わせて夏の間鳴き通したオスの姿はもう見当たりません
役目を終えたのでしょうか。

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