小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

第8回中山道ウォーク(松井田宿~坂本宿~軽井沢宿)後編(2019年10月27日)

2019-10-31 | 街道歩き

いよいよ碓氷峠越えです。
早朝に出発予定だったので、前夜に宿のほうで朝食用のおにぎりとペットボトルの水を用意してくれました。
天気は朝の内は曇りのようですが、午前中には晴という天気予報でした。

6:40横川スタート

 街道沿いの古い木造住宅の軒が張り出しているのが目につきます。
「出梁造り(だしばりづくり)」と言って、棟に直角方向に配置された梁を外部まで張り出させて
2階部分を支えている構造で、中山道をこれから歩いて行くと多くみられるようです。

6:45 碓氷峠関所跡
 中山道には関所が2つ 横川の「碓氷峠の関所」と「木曽福島の関所」
この関所は安中藩が管轄し「入り鉄砲と出女」を厳しく取り締まったということでした。

ケヤキ材の堅固な門柱と門扉とおじぎ石
旅人が役人におじぎをして通行手形を差し出して通行の許可を受けたところ
少しすり減っているように見えるのは、どんなにたくさんの旅人が手形を受け取ったのかと偲ばれます。

7:15 坂本宿
坂本は中山道の整備に伴って徳川幕府の命により始まった宿場町で、まっすぐな街道が続いています。
突き当りの山は刎石山(はねいしやま)碓氷峠はこの山を越えた先

                            木曽街道六拾九次 坂本(渓斎英泉)

宿場は碓氷峠越えのために作られた宿場だけに整然とした街並みが構成されていました。
道幅も広く、用水路も整備されていました。 上の本陣・佐藤家 

 「かぎや」は当時の鍵番の役にちなんだ屋号  芭蕉の句碑「ひとつ脱いでうしろにおひぬ衣かへ」

7:50 坂本宿を後に街道の分岐から林道に入ります
坂本宿の標高は450メートル、碓氷峠は標高1200メートル
高度差700メートルを登りきることができるのか、リュックからストックをだしていざ出発 

急坂を上っていくと堂峰番所跡 関所破りを取り締まった番所跡
「柱状節理」火成岩が冷却して団結する際に柱状に割れを生じたもの 

8:40 刎石坂(はねいし) 溶岩がゴロゴロしている急坂

念仏を彫った石や馬頭観音、地蔵、風穴
旅人がどんな思いでこの難所を登って行ったかと思います。

9:00 覗き
 坂本宿が覗ける場所で、小林一茶も「坂本や袂の下のゆうひばり」という句を残しました。


9:15 四軒茶屋
茶屋本陣のほかに3軒の茶屋があり、大名行列も一休みしたと言われるあたり

登山道には折れた枝葉なども多く、この秋の台風による倒木でしょうか。

10:00 座頭ころがし 岩や小石がゴロゴロしている急坂


10:25栗が原 明治天皇が馬車で御巡幸した道路(現在は廃道)と中山道の分岐

 なだらかな登り坂になり、ほっと一息つきました。

11:00 山中茶屋跡
 峠の真ん中にある茶屋で明治初めの頃まで13軒ほどの茶屋があり賑わっていたということです。


この碓氷峠を登っていると山道に「安政遠足(とおあし)」という標識をよく見かけます。
安政2年の5月に安中藩主が藩内の武士に安中から熊野神社まで、七里七町(28.3キロ)の長距離走を
実施するように指示しこれは藩士の身体鍛錬を図ったもので、日本最古のマラソンと言われています。
現在も5月にたくさんのランナーが碓氷峠山頂を目指して走るのだそうです。

あと一息 

現在では消滅してしまった一つ家の一里塚(江戸日本橋より36里目)当たり
すでに紅葉が始まって見事に秋の陽に錦色に映えていました。

12:40 碓氷峠頂上

 熊野神社 群馬県と長野県の県境に建つこの神社は
群馬県民は「熊野神社」と呼び、長野県民は「熊野皇大神社」と呼ぶのだそうです。

なかなか立派な御神木は樹齢800年

 参道にも県境の表示が 軽井沢問屋佐藤家の家紋「源氏車」を刻んだもの 
風化してすっかり穏やかになった狛犬
また熊野神社は安政遠足「安中侍マラソン」のゴール地点

13:20お昼を兼ねて大休憩を取った後、軽井沢宿へ向かいます。ただ、旧中山道はわかりづらく通行止めにもなっていたので、国道沿いにカラマツ林の中を旧軽井沢の別荘地内を進みました。

14:00 ショーハウス

ショー氏の記念碑と礼拝堂
ショー氏は軽井沢がスコットランドに似ていると紹介し軽井沢を避暑地として広く紹介した人物

旧軽井沢の街は、道路の両側におしゃれな雑貨やレストランが建ち並び、たくさんの人で賑わっていました。中山道を六本辻の交差点まで歩き、JR軽井沢駅に向かいました。

もう足はガタガタ、疲労困憊だったので、新幹線は座席指定席を取ってゆっくり帰ろうと思ったところ、なんと夜の9時にならないと空席はないと、さすが観光地と愕然としました。
疲れもどっとでてきましたが仕方がありません。自由席車両のホームで待っていると、「自由席は大混雑で軽井沢駅では乗車できないので、指定席車両の通路とデッキを開放するので、そちらの車両から乗車するように」とのアナウンスが・・・。通勤時のラッシュのような混みようでした。
なんとか2日間の中山道ウォークを終えて無事帰宅しました。19:00


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4 コメント

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中山道ウォーク! (あや)
2019-10-31 17:18:01
久しぶりの中山道ウォークですね。あらためて地図を拝見すると、まぁ、大変な行程ですね。Akikoさん、さすが!!

 横川の釜めしは車で通った時しか買ったことがありません。あそこを歩いて行くんですか・・・。さらに碓氷峠!車で通ってもかなりの勾配です。どんな所を、と、とっても興味深く写真の数々を拝見しました。やっぱりかなりきついんですね。ここでのマラソンって・・・。

今回はとてもきついウォーキングでしたね。私はとても楽しくブログを読ませていただきましたが、本当にお疲れ様でした!軽井沢の混雑は予想外でしたね。びっくりです。
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碓氷峠 (kurak)
2019-10-31 22:32:16
長く感じた天候不順だった10月がやっと収まった様に感じましたね。そして中山ウォーキングが開始ですか。
碓氷峠は難所中の難所の様に感じました。自動車の免許を取りたての頃に通った事が有りましたが、急勾配といくつもの曲がりが有りスリル満点でした。
その峠を歩いて超えるなんて想像もつきません。関所跡や安政遠足など往時を偲ぶものは歩いてみなければ分からないですね、とても興味深く拝見しました。
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トンネルの上 (O~ちゃん)
2019-11-05 17:11:17
常に、碓氷峠は、アブト式の機関車にひかれてのトンネルを出たり入ったりで~~   トンネルの上の世界のことは、知る由もなく・・・・・  懐かしい思い出です。
今回の旅のお写真を拝見し、地上の様子が分かりました。やっぱり、大変な峠だったのですね。  軽井沢に着いた時のご様子が、思いしのばれます。  “あっぱれ!!あっぱれ!!” ですね。  帰りの新幹線は、多分 本数が少なくて混んでいたのでしょう。 お疲れ様でした。
ところで、軽井沢の写真の教会は、私も数年前に行ったことがありましたが・・・  確か 小泉進次郎氏の結婚式が密かに行われたところですよね。
懐かしい沢山のお写真、有難うございました。
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碓氷峠越え (Akiko.H)
2019-11-06 14:11:11
>あやさん
峠の釜めしはデパ地下の駅弁祭りでは買ったりもしますが
当地横川で買ったのは初めてです。とても山間の駅で雰囲気がありました。
山を駆け上るマラソンって、やっぱりいつの時代でもツワモノがいるものですね。

>kurakさん
碓氷峠は車で越えた記憶はないのですが、ヘヤピンカーブなのでしょうか。
山道は、登り始めが急こう配でしたが、後半は緩い登り坂が続いていました。
でも登りに4時間ほどかかりました。
遠足マラソンは、前回kurakさんが調べてくださったので、今回の標識はとても興味持ちました。

>O~ちゃん
アプト式機関車は、O~ちゃんは郷里の新潟に帰られるときに利用されていたのですね。
そのお話を伺った時、とてもうらやましかったです。なぜかって、私はそのトンネルを潜ったことがないのですから
今回峠越えをしながら、廃線になった線路をみながら、当時の旅はどんなだったんだろうと思いました。
軽井沢の教会は中を覗かなかったのですが、そうですか!あの二人が式をあげたところだったのですね。
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