小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

暖冬予報への憂い

2009-11-27 | Weblog
紅葉が真っ盛りになってきました。楓の「赤」、イチョウの「黄」など、落葉する樹が紅葉で覆われると、身のまわりにいろいろな色に溢れていても、自然が作り出すこの色彩に深い感銘を覚えます。


そして、万葉の歌人が詠んだ歌が少し理解できるような気がします。当時は生活の中に色彩はあまりなかったでしょうから、山々が赤や黄に染まる季節を敏感に感じ、またどんな驚きだったことでしょう。


この冬は暖冬傾向とか、四季のメリハリが少しずつ希薄になるのは寂しい限りです。
木々が秋から冬にかけて葉を落とし、春には新芽を出し、やがて深い緑に覆われる。四季があることはほんとにすばらしいことと思います。
ところで、カメラのシャッター音が鈍いなと思っているうちに、ついに動かなくなってしまいました。本日より入院予定です。
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十月桜

2009-11-20 | ガーデニング
昨日の真冬を思わせる冷たい雨から一転、今日の空は見事に青く、鎌倉の山の稜線がくっきりと見えて、晩秋の空はどこまでも澄みきっていました。
紅葉を期待して出かけた鎌倉でしたが、やはり近年はこのあたりの紅葉は12月に入ってからでしょうか。イチョウもカエデもすっかり色づくのには少し早かったようです。
ただ、葉を落とした幹の、幾重にも重なった黒く細い枝先には、十月桜が心もとない薄いピンク色の花を咲かせていました。
春の桜の華やかさから比べると、数えるほどの花の数に、季節を間違えて咲いてしまったのかなと思うほど、チラホラの咲き加減でした。


花ビラを散るのも忘れたかのようにしばらく咲き続けるこの桜の名前は、冬桜と思っていたのですが、よく見ると八重咲きでした。一重咲きと区別して、秋から冬に咲くこの桜を「十月桜」と呼ぶのだそうです。


晩秋のススキは、透き通るほどの白さで輝いていました。
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カマキリの秋

2009-11-16 | ガーデニング
昨日11月15日は、日曜日とも重なって、穏やかな七五三日和でした。
私も昨日は、庭の冬支度に精を出しました。球根類を土にいれ、夏から秋にかけて息長く咲いた一年草を抜いて、パンジーやらウィンターコスモス、ガーデンシクラメンなどを植えました。小春日和の午後であっても、庭の小さな植物には長い影が伸びて、深まりいく秋を感じました。
柔らかい陽を浴びたカマキリが、窓のサッシに貼りついていました。首をゆっくり振っているように見えます。逆三角形の頭の両端についている大きな目は、すでに獲物を捕らえる鋭さを失い、鎌のような前肢は、働きを終えたように静かに行儀よく並んでいます。まさに、カマキリの一生を終える時がきたようです。
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週末の加賀旅行

2009-11-11 | 小さな旅
先週末、北陸の加賀市にある片山津温泉を基点に1泊2日の旅にでかけてきました。全国的にお天気も安定していたので、とても楽しみにしていました。
しかし、「旅にトラブルはつきもの」とよく言ったもので、予定の飛行機が、搭乗してから整備のトラブルがあり、飛行機を乗り換えて3時間遅れの出発となってしまいました。
予定していた場所を変更して、この日は午後、白山信仰の寺と言われている「那谷寺(なたでら)」を詣でました。
このお寺は奈良時代に開かれた真言宗の歴史あるお寺で、境内には「奇岩遊仙境」と言って、寺の敷地に岩壁がそそり立ち、本殿もその岩窟内に構築されていました。


紅葉の名所でもあり、たくさんの人で賑わっていましたが、山門へは深い杉並木は静寂の中にあり、紅葉が鮮やかに色づいていました。


拝殿は岩窟中腹に建てられ、四棟舞台造り、本殿はこの岩窟内にあります。


庭園の借景でもある岩壁には、奇岩がそそり立ち、足腰に自信のある人は岩を這うようにして巡ってくることもできます。私達も次に訪れるときは無理かも知れないのでと思い切って登ってみました。足を滑らしたら、眼下の池に転落かとスリル満点でした。


宿泊した片山津温泉は、加賀三湖のひとつである柴山潟に沿うようにあり、翌朝、日の出とともに東の空が赤味が帯びてくると、鏡のような湖面に羽を休めていた水鳥がゆっくりと動き始める様子を宿から見ることができ、とても神秘的でした。


2日目は福井の東尋坊に行きました。
東尋坊と言えば、日本海の荒波が打ち寄せ、高い岸壁がそそり立つ荒涼としたイメージなのですが、なんとこの日は、20度を上回る陽気で波も静か、頬を撫でる潮風はなんとも心地よいものでした。



この断崖に沿って、遊歩道が4キロに及んでいるということで、少し歩きました。自殺防止のための標語が立ててあって、ここが自殺の名所であることをうかがわせます。
岩に抱かれるようにして伸びた紅葉が色づき、ツワブキの群生地は黄色く染まり、厳しい冬を迎える前の東尋坊の秋を感じることができました。


この2日間、日本海の海も山も小春日和で、穏やかな旅行となりました。
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菊の香り

2009-11-06 | Weblog
ゆく秋を惜しむように、この季節、最後に咲く花はやはり菊の花でしょうか。
昔から馴染んだ菊の香りは、花の放つ芳しい香りというよりは、思い出の中に封じ込められた香りという感じがします。それは、菊の花が咲きほころんでいた頃亡くなった父を思い出すからでしょうか。誰もが色々な思い出のある花なのではと思います。


先日、友人と大船植物園に行った時に、園内で菊花展が開かれていました。丹精込められた菊の花には、何の狂いもないほどまっすぐ伸びた茎と、幾何学模様のように揃った花弁に、カメラを向けるのもちょっと躊躇してしまうほど、完ぺきな完成品のように見えました。
一方で、自由奔放に伸びた不揃いな我家の小菊ですが、少し鼻を刺激するような清らかな香りを放っています。
いずれの菊も、日本の晩秋を長く楽しませてくれる花だと思います。
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つるべ落としの秋の夕暮れ

2009-11-01 | 野の草花
忙しがって週に2、3回ほどしか歩かない私の「時々ウォーキング」コースに、コスモス畑があります。
一昨日、コスモスの様子が気になって、時刻は4時半を回っていたのですが、思い切って出かけることにしました。犬の散歩帰りに出会った近所の人からは、「暗くなるので気をつけて」と声をかけられ、「ありがとう! 夜目、遠目ってこともあるのでね・・・」と挨拶して、いつもの散歩50分コースを少し速足で歩き出しました。

西の空は夕暮れせまり、ほとんど裸木となった木がシルエットとなって映し出されています。


東の空はと言えば、うっすらと月が浮かび、明るさの残る天はまだ高く見えました。「コスモスの様子を見に行くのには間に合いそう」と、先を急ぎます。


公園では、ホームレス猫たちも、まだ歓談中。ねぐらに帰る前になにか情報交換でもしているのでしょうか。急ぐ様子もない猫たちが、日暮れを少し遅いものにしているようにも見えます。


カヤトの水辺に落ちる月がくっきりと見えはじめました。秋の夕暮れがこんなにも速く迫ってくるものかと思います。


ウォーキングの途中で抜ける公園は、すでに人影も少なく、落ち葉のかかるベンチはなんとなく寂しさが漂います。急ごう!
なんとかセーフでたどり着いたコスモス畑には、畑の一画にコスモスが取り残されたようにありました。陽はとっぷりと暮れ、それでも天を仰ぐコスモスの花に伸び行く秋の空の高さを感じた一瞬でした。

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