小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

第10回中山道ウォーク(軽井沢~岩村田~望月)後編(11月5日)

2019-11-19 | 街道歩き

翌朝(11月5日)も気持ちのいい秋空が広がっていました。

岩村田宿 8時に宿を出発しました。本陣0 脇本陣0 旅籠8 
内藤藩一万五千石の城下町だったために、宿泊する諸大名は少なく商人町として賑わっていたようです。


中山道の街道筋は現在ではそのまま岩村田のアーケード街となって、
朝早くでお店の様子まではわかりませんでしたが、個人商店で賑わっている感じがしました。
商店街を抜けて直進すると、広い国道佐久甲州街道と呼び、甲州に続いていきます。

8:50
「相生の松」があり、相生町は地名にもなっています。やがて地名は平塚地区となり、リンゴ園と田んぼが続きます。

 9:20
芭蕉の句がある荘山稲荷社 たわわにみのるリンゴ


9:50
重要文化財に指定されている駒形の本殿    神社浅間山噴火の溶岩の上に建つ石碑石塔群 

10:20 塩名田宿 本陣2 脇本陣1 旅籠7 
塩が運ばれてくるルートから塩名田という地名がつけられました。
また千曲川の往還のために栄えた宿でもあったそうです。
当時の屋号がそのまま残る古い商店が軒を連ねている街並みは落ち着いて風情のあるものでした。

街道に対して斜めに建っている建物が目立ちます(ちょっと写真ではわかりづらいのですが)
街道の見張りや大名行列が通る時の物隠れに一役買っていたようです。

またこの地域にも出梁造りの旧家がありました。

10:30
中山道は国道から枡形の道を右に折れて千曲川におりていきます。
塩名田の「川原宿」には千曲川に架かる中津橋が架け替えられて
国道が高い場所を通過するため、国道に出入りしやすいように3階建ての住宅が建てられたようです。

通称「お滝通り」この辺りは千曲の渡しを控えて賑わっていたのでしょう。
旧家の屋号も残っています。

今は中山道は中津橋を渡りますが、当時は橋も度々流されたので渡し舟で渡っていました。
船を繋ぎ止める船つなぎ石が遺構としてあるようですが、先日の台風19号の雨で護岸が崩れたのでしょうか。
補修工事が行われていました。

10:40 
中津橋から千曲川の上流側と下流側を望む 

先日の大雨で洪水は免れましたが水量がだいぶ多かったのでしょう。川岸に流木などが多くみられました。

11:00
千曲川を渡ると対岸の御馬寄(みまよせ)村に入りました。
貢馬を寄せ集めたところから、地名の由来と言われています。

小高い丘の上に大日如来像や芭蕉の句碑「涼しさやすぐに野松の枝のなり」
まもなく日本橋より四十四里目の御馬寄の一里塚跡を通ります。
中山道はゆるやかな登りとなり、間もなく八幡宿につきます。

11:30 八幡宿 本陣1 脇本陣4 旅籠3
宿場は千曲川を控えて、その悪路のために休憩する大名も多く賑わっていたのだろうと思います。
八幡神社 宿場の名前の由来にもなっているだけに、立派な本殿や随神門が目立ちます。


ところが、私は神社前に佇むバス停になぜか惹かれました。

私にとって、遠い過去に思いを巡らすことのできるのは、こんな昭和のレトロなものかもしれません。

11:40 
布施川にかかる「百沢橋」を渡ると、中山道は旧道に入りすっかり山道になってしまいました。

この急坂に「瓜生坂の一里塚跡」がありました。江戸より四十五里目

13:00
 望月宿入口 中山道はしばらくこんな急坂をおりていきます。

急坂の道沿いに道祖神や馬頭観音等がへばりつく様にありました。日中は日当たりもいいのでしょう。
近くの農家が収穫した豆や大豆、ゴマなどを箱に入れて天干ししていました。のどかです。

13:30 望月宿 本陣1 脇本陣1 旅籠9
古くから馬の名産地として知られ、毎年旧暦8月15日の満月の日に
馬を朝廷や幕府に献上したことから「望月」の名がつきました。

中沢川の上流側と下流側


街は本陣跡や脇本陣跡が残り、山間の小さな宿場の面影が感じられるひなびた感じでした。



当時の旅籠は現在では旅館となっていました。
中には犬神家の一族の撮影で使われたというプレートのある旅館もありました。

鉄道のアクセスの関係から、この日は望月宿をゴールとしました。千曲バスで25分、長野新幹線「佐久平駅」に着いたのが午後3時でした。
2週間続けて1泊2日の中山道の旅を2回、なんとか中山道69次の25次に辿り着きました。3分の1を少し越えたあたりでしょうか。夫と2人の年齢を考えると加齢と体力の減退が気になる所ですが、健康に気を付けて来年も先に進むことができればいいなと思っています。

コメント (2)
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第9回中山道ウォーク(軽井沢~岩村田~望月)前編(11月4日)

2019-11-16 | 街道歩き

今年最後の街道歩き、なかなか夫との休暇が合わなかったり、また今年は度重なる異常気象に予定の変更を余儀なくされたり、思ったより進まなかった中山道ウォークでしたが、なんとか来年に繋げて行きたいと思っています。




早朝6時50分東京駅発の東北新幹線で軽井沢駅に下り立ったのが8時10分
8:15身支度を整えて、先回の終着ポイント「六本辻」の交差点に着きました。

ラウンドアバウトの信号のない環状交差点です。

街道の両側は見事に紅葉していました。
林の中に別荘地が点在し、すっかり紅葉して枯れ葉がはらはらと舞い落ちる様は
なんとも気持ちがよく快適なウォーキングをスタートすることができました。


9:00 この奥に市村記念館 総理大臣を務めた近衛文麿の別荘跡があるようです。


9:20 浅間山に源を発し、千曲川に流れる湯川
この橋を渡ると「沓掛宿」の入口となります。


9:25 沓掛宿 本陣1 脇本陣3 旅籠17 
沓掛と言う名前は「わらじ」を履き替える場所のことをいい、
京都からは碓氷峠を控えていたので、このような名前が残っているのでしょうか。

9:35 脇本陣鳶屋跡(しなの鉄道 中軽井沢駅近く)と草津道道標 
側面に「右くさつへ」と書かれている 草津温泉へは十里の道のりだったとか

宿場はこのあたりまでで、国道を左手の道に入って行くと登り坂になり古宿(ふるしゅく)と呼ばれる村落に入ります。なかなか長い登り坂が続いていました。

10:30 遠近(おちこち)宮

伊勢物語の在平業平がこの神社を詠んだと言われています
フカフカと落ち葉が積もっていました。
この辺りは旧借宿村と言われ、間の宿で賑わっていたようで馬頭観音などが多く残されていました。

11:00 追分宿 本陣1 脇本陣2 旅籠35 
名前の通りに中山道と北国街道の「追分」で、当時はとても繁栄していたと言われています。

浅間神社、常夜燈を過ぎると堀辰雄文学記念碑があり、この辺りの紅葉はみごとでした。
この一帯が軽井沢の文教地区とも言われているのも納得のいくものでした。


11:10この先の泉洞寺の紅葉は見事でした。


11:25 枡形の近くにあった茶屋で「桝形茶屋つるがや」で現在でもほぼ原形を保っています。


11:25 分去れの碑 追分発祥の地とも言われています。

常夜燈には「是より左伊勢」
道標には「さらしなは左みよしのハ左にて」と
更級(千曲市)と吉野(奈良)の方向を示しているものです。

まもなく、追分から左手にはいり、ひなびた街道はゆるやかなアップダウンを繰り返します。御代田地区に入ります。ここ御代田には、6年前に近所のウォーキング仲間が移住した場所であり、メールでお昼ごろ御代田の一里塚近くを通過することをあらかじめ伝えてあったので、友人が迎え出ていてくれました。
中山道は、しなの鉄道御代田駅と交叉していて、彼女の家はこの近くにありました。6年ぶりの再会に彼女の近況や新しい生活など思わずおしゃべりに花が咲き、2時間半の大休憩となりました。


浅間山がくっきりと姿を現し、友人と食べたお蕎麦のおいしかったこと

15:00 小田井宿 本陣1 脇本陣1 旅籠5件
小さな宿場で飯盛り女もなく婦女子の宿泊が多いところから姫の宿と呼ばれていたそうです。

 街道沿いには往時をしのぶ白壁や赤松が残っていました。

上の問屋と下の問屋 静かな街並みでほとんど人通りもありませんでした


15:45 小田井宿を過ぎると人家が途切れ
街道沿いに畑やリンゴ園が広がり周りの景色も後方に浅間山、前方に蓼科山連峰がみえました。


16:10 岩村田宿の江戸(東)口

日没前の住吉神社と境内の樹齢400年のケヤキ


この日のゴール岩村田宿につきました
宿泊した佐久ホテルは文人も多く泊まったようで、葛飾北斎や若山牧水、小林一茶などの
名前が刻まれていました。

名物は鯉料理、鯉こくや鯉の刺身などが夕食にだされました
(次の日に続きます)

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晴天なり

2019-11-06 | ウォーキング

悪天候が続いた10月を取り戻すかのように、秋晴れの清々しい青空が続いています。秋は空が高くほんとに気持ちがいいです。
連休の後半、今年最後の中山道ウォークを軽井沢宿から2日間かけて望月宿(長野県佐久市)まで歩いてきました。海抜は800メートルから1000メートル、日中は暖かったのですが、朝晩の冷え込みは厳しく、宿では暖房を入れてくれました。それだけに紅葉は見事でした。

家に戻ったら洗濯の山と部屋の片づけ、布団干しなど、貴重な晴天に主婦業もフル回転。
少し落ち着いてから街道ウォークの記録を書いていこうと思います。11月ともなると山はすでに冬の兆し、街道歩きも来年の4月ごろまでは無理なので半年ほど歩くことができません。
その間少し身体を鍛えておかなければと思っていますが。

軽井沢宿の紅葉




沓掛宿

追分宿

 

コメント (3)
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