小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

大山街道ウォーク第5,6回 (荏田 ~ 鶴間)

2013-06-25 | 街道歩き

梅雨の最中らしい不安定なお天気が続いています。
晴れ間の覗いた先日、大山街道を歩いてきました。月1回のペースで歩いているのですが、5月は雨に当たり半日だけ
なんとか歩きましたが、途中で断念。
今月は頑張って、大和市鶴間(小田急線鶴間駅)まですすめました。

荏田~青葉台
田園都市線荏田駅に降り立った時はすでに雨が本降り、雨のウォーキングもまた楽しとも思ったのですが、写真は
撮れないし、傘は重みを増して、身体も濡れてきたので、この日は田園都市線青葉台駅でリタイアとなりました。


雨で木々もすっかり重くなった、旧大山街道に面している小黒公園
谷本川(鶴見川)、架かる橋は川間橋(三文橋)三文の渡り賃をとったところから

後日、仕切り直しで青葉台駅に降り立って
青葉台地区
青葉台の駅から旧大山ルートを辿る道は、国道246号線沿いに旧道が入り乱れ、しばらくは地図を片手に正確に歩くのに
苦労しました。

長津田地区
長津田宿の出入り口に設置されていた下宿常夜燈(下宿側は道路拡張工事に伴い、現在の場所に移設)と上宿常夜燈


長津田小学校脇の谷戸を進む旧道


つくしの地区
交通量の多い幹線道路が交差するあたり、246号沿いに急坂を上がると、馬の背中のように地形が左右低くなった馬の背に
でます。右下には田園都市線が走り、直下にはすずかけ台の駅がみえます。


南町田地区
ちょうどお昼になったので、南町田駅近くのグランベリーモールでランチをとり、誘惑の多いアウトレットモールをなんとか
通過します。
246号線と16号線との交差点近くには、一里塚や地蔵堂、道祖神などが残されているのですが、多くは道路拡張工事で
移動され、見付けることができないものもありました。
写真上:南町田グランベルモール  下:大ケ谷庚申塔


この後、旧道はほぼ直線のルートで進みます。南北に走る八王子街道からは、いよいよ大和市に入り、昔の面影の残る
神社、民家などが目につきます。

写真左上:観音寺  写真右上:武蔵国と相模国の境を流れる 境川
写真左下:下鶴間ふるさと館  写真右下:阿夫利神社御分霊社(旅人は身体とお財布を清めて金運を祈願した)

鶴間地区
あの喧騒な道路から離れ、いかにも旧街道らしい景色にかわり、大山に近づいてきた感じすらします。

写真上:まんじゅう屋跡 まんじゅうを売りながら旅籠も営んでいて、渡辺崋山が投宿したという跡
写真下左:滝山道と大山道の交点 
写真下右:相模川から水を引く灌漑用水路として整備された、現在は遊歩道として残されている。

この日は、小田急江ノ島線の鶴間駅まで、頭の上を飛行機の轟音がし、厚木基地が近いことを感じます。

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枇杷を収穫する時が・・・

2013-06-20 | ガーデニング

梅雨が本格的になってきました。台風4号も北上しているようです。梅雨前線が刺激されて大雨にならないと
いいのですが・・・。
梅雨の果物と言えば、やはり枇杷でしょうか。私はこの種ばかりが大きいうえに多く、甘さももうひとつ、 実はあまり
好きではなかったのですが・・・。

昨年の暮れ、このブログで隣家の枇杷の花が満開だという記事を書いたのですが、いよいよその枇杷の収獲の時が
やってきました。
我家からは、手が届く距離にあるのですが、隣家からは遥か頭の先(隣家と我家の境は4メートルほどの段差)。
カラスが盛んに突きにやってくると言う話で、ご夫婦で我家の庭の方から、出来るだけ収獲して、枝も剪定することに
なりました。もちろん私も枇杷の手渡しなどのお手伝いをしましたよ。

カラスは上手に甘い所から摘み、食べた後の種はご丁寧に玄関先に置いて行くんだと、とても悔しそうに語る御主人。

我家にもたくさんいただきました。しばらく花瓶に挿し、熟したところから食べていますが、これがとても瑞々しく、
薄い皮を剥く先から滴る果汁、ちょっと渋みがあって、ほんのり甘く、昔懐かしい素朴な味、枇杷ってほんとに
美味しい果物と再認識したところです。来年ももっと背を伸ばそう、隣の枇杷の木!

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日光街道第4回 栗橋宿 から 野木宿

2013-06-14 | 街道歩き

2日目は午前8時に幸手駅より隣の南栗橋駅まで電車で行き、前日の到達ポイントからスタートしました。

しばらく旧道は、国道4号、利根川と平行して続きます。街道は住宅地の中をまっすぐ進み、まもなく江戸から7番目の宿場
栗橋宿に入ります。

村の鎮守である八坂神社があり、ここの夏祭りの御神輿は盛大に行われるそうです。また、狛犬ならぬ狛鯉が鎮座し、
その横に鯉が広げる古書の石のモニュメントには、この神社の神様は、利根川の洪水時に水波の中を鯉と亀とが運んできた
ものと伝えられていました。


昭和22年の台風で利根川が決壊したときの浸水線があり、そのテープ跡は、はるか人の背を越えているものでした。

今はゆったりと流れる利根川橋をわたります。川を境に茨城県古河市に入ります。

堤防を下りてすぐに、江戸から8番目の宿場である中田宿に入ります。ここの宿場は当時の旅人の多くは江戸を発って
2日目に、ここに宿を取ったと言うのですから、昔の旅人の健脚ぶりには驚きです。

この街道には神社も多く点在していました。
源頼朝が相模国鶴岡八幡宮の分霊を勅請したと言われる鶴峯八幡神社(写真上左)
鎌倉鶴岡八幡宮にあった大銀杏と同じようにここにも大銀杏がありました。奥に見える神楽殿では、古河市の無形文財
である神楽を伝えています。(写真下左)
光了寺 静御前が帰依した寺としても有名(写真下左)

次の宿場、古河宿までは長い交通量の多い街道をひたすら歩きます。古河宿の手前に一里塚跡があるのですが、
高校校庭のグランド隅にありフェンス越しに覗くことになります。

古河宿の入り口は、すっかり整備された歩道が続き、江戸時代の大名土井藩主の城下町として栄え、日光街道宿場と
しても栄えていたようです。高札場跡、本陣跡、など古い街並みが残る整然とした街の印象をうけました。


古河宿から3キロほどで、次の野木宿に着きます。この野木宿は比較的小さな宿場だったようです。

参道を紫陽花が覆う先に野木神社があり、1600年前の仁徳天皇時に建立されたもので、樹齢1200年の大銀杏と
いい、社殿の彫刻もりっぱなものでした。

この途方もない長い歴史をもつ神社を地元の小学生が一生懸命写生していました。
近くの渡良瀬川に埋もれていたという錨(写真下左)、その船の大きさが偲ばれます。


今回の日光街道はどこも紫陽花が満開を迎えていて、日本のこの季節の美しさをあらためて感じることができました。
歩行距離13キロ

帰路につく東北本線「野木駅」は、湘南新宿ラインも通っていて、乗り換えなしの2時間、グリーン車とビールを奮発して、車中の
人となりました。しかし、あっという間の2時間、あぁー、電車って便利!

コメント (11)
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日光街道③ 粕壁宿から南栗橋

2013-06-14 | 街道歩き

やっと厚い雲が空を覆って、梅雨空が戻ってきました。ほっとします。しばらくは鬱陶しいお天気も我慢です。

今週始め、まだ梅雨空に戻る前、日光街道を春日部から栃木県野木宿まで歩いてきました。
薄曇りの中、思ったより暑くもなく、歩いている時は汗ばみますが、風は爽やかでした。

粕壁宿入口 ~ 杉戸宿 10:00
家は朝7時前に出たのですが、前回の街道の到着ポイント(粕壁宿入口)まで戻ったので、時間がかかってしまいました。

街道はすっかり整備され、比較的若い層が多く住む街という印象でしたが、当時の趣を残す商家や道標がありました。

写真上:東陽寺 芭蕉が宿泊した寺と言われ、同行した僧侶の随行日記の碑が残っています。
写真下:粕壁道標「西南は岩槻、北は日光、東は江戸」と書かれています。

高札場や河岸場もあった古い街並みを通り、古利根川に架かる新町橋を渡ります。
市街地から離れ、まわりがのどかな風景に変わり、やがて道は二股にわかれます。「左日光道」と刻まれています。


国道16号線を横断し、しばらく行くと観音院が見えてきます。県指定文化財となっている趣のあるものですが、東日本大震災で
大きなダメージを受けたのでしょう。今にも崩れそうな山門でした。

歩道の幅がぐっと広がったあたりに、地球儀の大きなモニュメントがあり、ここが国道4号線と北緯36度線が交差する地点に
あたると書かれていました。埼玉県北葛飾郡杉戸町を通過します。

杉戸宿に入るあたりからは畑や田んぼが目立つようになり、緑が疲れを癒してくれます。
家屋に沿うように植えられている大きな生垣は防風壁の役目も果たしているのでしょうか。
当時の古い商家も残ります。
写真左下:御成街道 徳川家康の遺骸を駿河の久能山から日光に移した以降、江戸時代に将軍の日光参詣に使われた。


やがて御成街道は日光街道と一緒になり幸手宿に入ります。

幸手宿 ~ 南栗橋
実は、この日は幸手駅近くのホテルを予約していたのですが、まだ午後2時半でしたので、ホテルで少し休憩した後、
もう少し距離を伸ばすことにしました。

幸手宿は、日光御成道と日光街道が合流し、筑波道が分岐する地点の宿場町として問屋場跡、本陣跡が残り、賑わった宿場と
言われています。

幸手の市街を抜け、権現堂川(中川)を渡り、車の激しい国道と平行している旧道に入ると、道幅は狭く田んぼが広がります。
なかにはすっかり干上がった田んぼもあり、水不足の現実を目の当たりにします。
このあたりの地区を外国府間「そとこうま」と呼び、道標には「右つくば道、左日光道」とあります。


旧道の左側に東武日光線が走っています。午後5時30分、ちょうど南栗橋駅近くになったので、この日の行程を終えて、
電車で幸手駅まで戻りホテルに入りました。 歩行距離は21.8キロでした。

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梅雨に咲く花

2013-06-08 | ガーデニング

空降り梅雨は、昨日ちょっとだけ地面を湿らした程度、我家の庭はさておいて、農作物が深刻な水不足になって
います。


ホタルブクロ
ホタルに宿を貸したことがあるのか、ないのか、
この袋の中にホタルを閉じ込め、灯をともしてみたらと考えただけで楽しい、その名もホタルブクロ。
英語名ではBellFlower(鐘の花)、日本人は、なんと素敵な名前をつけたものかと思います。
雨煙る夕刻にでも、このホタルブクロに蛍が灯ったらどんなに風情のあることでしょう。ひと雨ほしいところです。


賑やかに咲き出した、スカシユリとヒペリカム

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多摩川河口ゼロポイントを探して

2013-06-04 | 小さな旅

梅雨の中休みか、長期休暇か?爽やかなお天気が続いています。おかげで庭の水遣りを油断して、植木鉢の植物が
水切れでぐったり・・・雨が降らなければ、もう夏の陽射しなんですね。

昨年、多摩川は河口から奥多摩湖までを歩いて踏破していたのですが、笠取山(山梨県塩山市)山頂近くの最初の一滴と、
海と川の境を表すゼロポイント(東京都羽田沖)はまだ未到達でした。
この0ポイントの場所を特定するのは難しいと聞いていたのですが、一昨日の梅雨の晴れ間、このゼロポイントを探して
歩いてきました。

スタートは、京急線六郷土手から下流を目指します。
この辺りはすでに川幅も広く、川岸には広々としたスポーツ広場があり、ゴルフの練習場にもなっているようでした。

河口近くの多摩川には、六郷橋や大師橋が架かり、京浜地区の大動脈的幹線道路が行き交っています。

橋の近くには今もお醤油の香ばしい香りが漂う佃煮屋さんがあり、かっては東京湾でとれたあさりを炊く佃煮屋さんが
ここ羽田にたくさんあったのでしょう。一人二人と橋下で今も貝を採っている姿がみられました。


やがて潮の香りもしてきました。弁天橋を渡り赤い大鳥居の脇から、大型車がビュンビュン奔る環8の道路沿いに進みます。
いよいよ空港のエリア内に入ってきました。前方には飛行機の姿も見えてきました。左手はすでに羽田空港国際ターミナル、
空港を繋ぐモノレールの姿も見えます。


ところが、この0ポイントの位置は地図上には表記されておらず、まるで宝物探しのようです。目安は弁天橋脇の大鳥居から
1.5キロ先。
ありました!「建設省 多摩川 0.0K」の表記が赤く塗られていました。
昨年多摩川を歩いた仲間と、バンザイ!!し、この0ポイントをみんなで指さしながら記念撮影となりました。




長い多摩川の流れの旅の終わりと、太平洋に流れいく途方もない旅のはじまりです。
さぁ、残るは、最初の1滴。

コメント (8)
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