小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

秋のハイライト シュウメイギク

2007-10-29 | Weblog
私の中で最も好きな花「シュウメイギク」が、一昨日の雨風に少し痛みつけられましたが、今朝も元気に咲いていました。深山に在るかのように深い緑の葉を持ち、はっとするような真っ白い顎に、山吹色の細かい縁取りをもった花「シュウメイギク」。花は細い茎の上で秋の風に心もとなく揺れて、そんな少し寂しいイメージをこの花にずっと持っていました。ところが、ほんとは太陽が大好きで秋の陽をいっぱい浴びながら、かわいいまあるい蕾から次々と白い顎を開きます。また、よく見るとガクはひとつひとつは不揃いで、ちょっと愛嬌があるように見えるのですが、その姿は凛としてとても魅力的です。そんな豊かな表情をもったこの花が私は大好きです。
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なぜ? コスモスが黄色

2007-10-22 | ガーデニング
「秋桜」と書いて「コスモス」。だから少し薄紫がかったピンク色がやっぱりコスモスらしい!と私は思うのですが、どうしてコスモスを黄色にしてしまったのだろうと、少し恨めしくも思うのは私だけでしょうか。最近クリーム色のコスモスも見かけるようになりました。先日歩いた旧東海道の街道筋にも、秋を謳歌するようにクリームイエローのコスモスが一面に咲いていました。この黄色いコスモス(橙黄色のキバナコスモスとは別種)は、たまたまピンクの花弁に黄色い筋の入ったコスモスを見つけたところから、玉川大学農学部が30年間あまりの研究を重ね、黄色いコスモスを育成し、世の中に作出されるようになったそうです。そんな黄色いコスモスの誕生までの長い年月を思うと、ピンクや白だけがコスモスではない!黄色も受け入れなければと、急にこの柔らかなクリーム色のコスモスが愛おしくもなってきました。(単純!)
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東海道五十三次 四日市宿~亀山宿(後編)

2007-10-17 | 旧東海道歩き
二日目の出発地点は、近鉄内部(うつべ)線の四日市駅から3駅先の「南日永駅」。午前8時30分、小さな無人駅に降り立ちました。このあたりは、新しい住宅が多く昔の面影はほとんどありませんでしたが、伊勢参宮道と東海道の追分があり、当時はどんなに賑わっていたかと思います。


江戸幕府が街道の1里ごとに交通の目安として設けた一里塚、「日永の一里塚」は、民家と民家の間に挟まれた格好で、碑だけが残っていました。


やがて、小さな集落を過ぎると、日本武尊が剣を杖かわりにして越えたと伝えられている「杖衝峠」、松尾芭蕉も「歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな」と残している当時の急坂は、長い年月にカーブも緩やかになったのでしょう。難なく越えることができました。


四日市を過ぎ、鈴鹿市に入ると、やがて石薬師の宿場。この石薬師には明治の歌人「佐佐木信綱」の生家があり、街道沿いには信綱が残した歌がプレートに書かれて行く先々に立ち、街ぐるみでこの地が育んだ歌人の偉業を大切に伝えている様子を伺うことができました。


街道は、国道一号線と平行だったり、交差したりと付かず離れず進むことが多いのですが、時には寸断して、田んぼの中を進むこともあります。広重の「庄野の白雨」の絵を連想させる田園風景は、この季節、実りの秋を迎えて、神社の境内では笛と太鼓の音に合わせて獅子が舞っていました。



まもなく庄野宿にさしかかると連子格子の古い家が軒を連ねて、その静かな街並みは往時を偲ばせてくれます。


本日の終着である亀山宿に入ったのは午後3時過ぎ、街道沿いの畳屋、油屋、髪結屋といった表札から、職人や店屋が軒を連ねていたことがわかる家並みが続いていました。

関西本線「亀山駅」を午後4時に出て名古屋駅に到着。次回はいよいよ鈴鹿越え、昔は最後の難所と言われていましたが・・・もうひとがんばりとなりました。
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東海道五十三次 桑名宿~四日市宿(前編)

2007-10-12 | 旧東海道歩き
秋晴れに恵まれた10月6日、旧東海道ウォークは日本橋から96里(約377キロ)離れた「桑名宿」が今回の出発点、自宅を6時20分に出発して、名古屋まで新幹線、近鉄名古屋線に乗り継いで「桑名駅」に降り立ったのが10時15分、随分遠くへ来てしまったようだけど、京都にはぐっと近づいた感じがします。

10:30 桑名七里の渡し場は、伊勢国の東の入り口。その昔、船から降りる旅人にとって、この一の鳥居が「お伊勢参り」への出発点だったそうです。どんなに心が弾んだかと当時がしのばれます。


10万石の城下町であった桑名には、海に向かって桑名城がそびえ立っていました。今は掘りも船だまりとなって、石積みされた城壁がわずかに残っているだけでした。


街道沿いの街並みは、当時の面影こそありませんが、、静かな佇まいの東海道らしい道が続いていました。


土手には彼岸花がな真っ赤に染まり、立ち寄った古寺の庭先に白い彼岸花の鉢が午後の秋の陽を浴びていました。


午後の陽が傾き始め、遠くに四日市のコンビナートが海蔵川の川下に見えるといよいよ四日市宿の入り口。安藤広重も描いた四日市宿はきっとこのあたりかも知れないと、当時を忍ぶその風景は、どこまでも伸びやかに広がっていました。


「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」の石造りの道標は、「もうひとがんばり」と疲れた足取りを励ましているようにも見える、どことなくユーモアのあるりっぱなものでした。

近鉄「四日市」の駅に着いたのは、夕闇も迫った午後6時、第1日目はここで宿を取り、ビールで取りあえず乾杯となりました。(つづく)

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東海道ウォーク

2007-10-08 | 旧東海道歩き
確か桜が満開の頃、宮(名古屋)の渡しにたどり着いたものの、野暮用の多い現在の旅人は、「七里の渡し」を渡れぬまま、6ヶ月も過ぎてしまいました。この連休で宮と桑名を結ぶ航路をスキップして、やっと近鉄名古屋線の「桑名駅」に降り立ちました。この2日間、訪れた土地の食べ物はおいしく、行き交う土地の人々はやさしく、笛や太鼓が奏でる秋祭りの鎮守の杜を横に見て、コスモスと彼岸花の咲く街道を「亀山宿」まで歩き進めることができました。詳しくは、近いうちにまた記録していきたいと思います。
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紫式部の実

2007-10-05 | ガーデニング
あんな控えめな花から、秋になると目の覚めるような紫色の実をつける「紫式部」。今年も色づきはじめました。この優雅な宝石のような実は、誰を意識してこんな美しい実を付けているのかと問いただしたいような・・・。きっと、人知れず通ってきて、この実をそっと啄ばんでいる鳥でもいるのではと想像してみたくもなるのは、やはり「紫式部」という名前から源氏物語の世界を連想してしまうからなのでしょうか。
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もっとも日本的な花「ヤブラン」

2007-10-03 | ガーデニング
夏から秋にかけて、スッと伸びた平たい葉を持ち、薄紫色のまるい小さな花穂を花茎にいっぱいつけて、お日様が照っても、雨が降っても、深い木々の下で静かに咲いている、そんな藪の中に咲く花「ヤブラン」。氷点下の真冬でも常緑のままで耐寒性あり、日陰でも十分に育ち、病気になることも、虫がつくこともない、そんな強さを持ちながら、少し遠慮がちにひっそりと咲く「ヤブラン」。その風情がなんとも好きで、なんとか我家にも迎え入れたいと、もう何年も園芸種を探していたのですが、先日ふと立ち寄った園芸店でやっと、斑入りのヤブランを見つけました。山林などで自生している割には、ちょっと値が張るなぁーと思いながら、「出会いが大切!」と、早速買い求めました。かわいい花を次々につけ、しばらく楽しめそうです。
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葛の花のかくれんぼ

2007-10-01 | 野の草花
秋の七草のひとつ「葛の花」が今、盛んに咲いていますと、記したいところですが、どうしてこうも葛の花は捜しにくいのでしょう。葛の茎はツルとなって伸びに伸びて、ほぼ20メートルにも達するそうです。我家の家の周りでもこの葛のツルですっかり覆われた空き地や樹木、フェンスなどをよく見かけます。ところがその大きな3枚の丸葉の脇から顔をだすはずの花を見つけるのに苦労します。葉の陰に隠れでもしているのかと、葉の裏を覗き込むとそこには、もう大きな豆のような実がついていたりもします。万葉の頃から咲く葛の花、なかなか奥ゆかしいのですね。
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