小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

オーストリア・ミュンヘン・パリ鉄道旅行記Vol.10 食事編

2014-07-31 | 旅行

朝食は、ほとんどホテルでとったり、小さな電気ポットを用意していったので、お茶やインスタントみそ汁を
飲んだりしていました。

お昼と夜は、街のレストランで。
メニューはほとんどがドイツ語、大きなレストランでは、英語表記のものもありました。
日本のようにメニューが写真付きで紹介しているものはほとんどなかったので、これは注文したお料理が
イメージ通りでてくるかがお楽しみ!

ただ慣れてくると、それなりに胃袋と相談ができ、満足度も高く、楽しい食事となったことも多々ありました。

ウィーンはやっぱり「ウィンナー・シュニッツェル」、奥の厨房で豚肉をトントンと薄くたたいている音が聞こえて
くると、まもなくお皿からはみ出すほどのウィーンカツレツが出来上がってきます。

写真右は煮込んだ牛肉 グーラシュ

日本ほど、野菜料理は豊富でなかったような・・・まぁ、選ぶものも限られてしまうのですが
ただ、野菜サラダはどれもたっぷり、野菜の種類も多く、ドレッシングが別に用意されているということも
ありませんでしたが、味は素材が生かされて最後まで美味しくいただきました。

写真右:メインディシュとして選んだもの ラビオリにチーズがたっぷり


写真右:このソーセージの量 ポテトも一緒にとなると一人で食べるのは無理でしょう


ミュンヘンで食べたシュニッツェル、場所が変わると、大きさも違えばジャムまで付いてきました。
本場のビール、なんとも存在感のあるこの形

街角で見かけたマーケット、野菜も果物も種類が豊富で粒ぞろい、

さすが主食のパンは、どこも香ばしく、おいしかった。

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オーストリア・ミュンヘン・パリ鉄道旅行記Vol.9 インスブルックからミュンヘンへ

2014-07-30 | 旅行

7月1日 ハイキングを終えて、ホテルで荷物をまとめミュンヘンに向かいます。
最後のオーストリア連邦鉄道(OBB)、所要時間は特急で1時間50分、いよいよドイツに入ります。
車窓の景色ものどかな田園風景から、森も目立ってきました。
座席は1部屋6席のコンバートメントタイプに2人だけでしたので、荷物も運び入れ、すっかりリラックスして
しまいました。

ミュンヘン駅に降り立って
ザルツブルク、インスブルックと小さな街の賑わいに慣れてしまうと、久しぶりの都会(ミュンヘンはドイツ第3の
都市)に戸惑います。
しかも駅の周りにはアラブ系の人、ガタイも大きければお腹も大きなドイツの人、アフリカ系の人など
さまざまな人たちと、行き交います。

ところが、はじめこそ緊張していたものの、そのうち「私もいろんな人が集まる街のひとり」と、
なんとも言えない開放感に、「言葉が話せなくてもなんとかなる」と気持ちが楽になってきたようでした。
そんな街に慣れるのにあまり時間はかからなかったように思います。

また、街はたくさんの人で溢れていました。ちょうど夏季休暇に入る前の子供たちの課外授業でしょうか。
元気な声が聞こえ、街に活気が溢れていました。


どこの国でも健康志向は同じ、インストラクタの掛け声にみんな体操を始めていました。
カメラを向けている私にも「さぁ、一緒に!」と誘います。


ミュンヘン中央駅からほど近いところに、マリエン広場があり、おもな見どころはここを中心に徒歩圏内に
集まっています。

ミヒャエル教会
ルネッサンス様式の教会で、ファサードには歴代ローマ皇帝や聖人の像が並んでいます。


フラウエン教会
教会の塔はミュンヘンのシンボル、後期ゴシック様式で建てられ、窓が高いのが特徴


バイエルン王家の住まいレジデンス
バイエルンを5世紀にわたって統治したヴィッテルスバッハ家の本宮殿で、豪華な部屋や応接間、
贅を尽くした美術品や調度品の数々。
目も眩むほどの宝石類、ただ一度目が眩んだ後はあまり感動がないのは、我々庶民にとっては、
宝物はひとつあれば十分なのかも知れないと、納得できたのでした。

ルネッサンス様式の丸天井は現存するレジデンツの中では最も古い アンティクヴァリウム

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オーストリア・ミュンヘン・パリ鉄道旅行記Vol.8 ツィルベンヴェークハイキング

2014-07-27 | 旅行

インスブルック近郊の山へハイキング
標高2000メートル近くまでロープウェイで行き、その山頂駅からほぼ7キロメートルのハイキングコースに
なっているツィルベンヴェークハイキングを、実は今回の旅行計画の中で、とても楽しみにしていました。
まぁ、そのためにリュック、トレッキングシューズ、雨具(防寒具)、ストック等で荷物が
膨らんでしまったのですが・・・。

ところが、ハイキング予定日に、張り切って麓まで行ったものの、ロープウェイが故障で運転せず、
この日は断念せざるを得ませんでした。翌日のミュンヘン行きの列車の時刻を夕方に変更して、
翌日に再度挑戦!でもこの予定変更をお天気が味方してくれて、当日はすばらしい好天気となりました。

ロープウェイを途中で乗り換えて、パッチャーコーフェル山頂駅まで一気に登ります。


山頂駅からはイン川を挟んでインスブルックの市街を眺めることができます。


このツィルベンヴェークコースの名前は、香りのいい松の一種であるツィルベがたくさん生息しているところからきています。

快適な登山道が続きます。谷を隔ててノルトケッテ連峰の山並みが並行して連なり、
つい立ち止まってその眺望の美しさに見入ってしまいます。


足元には高山植物が咲き、ほとんど私達の他に、登山客は見当たりません。
異国の地で遭難などしたら、という不安がまったくないのは、
あまりにも美しい景色とハイキングコースがよく整備されているせいでしょうか。

ルート中間点にあるヒュッテ

ここからは、山間の村や氷河を抱いた山々を見ることができます。

少し険しい岩がゴロゴロする登山道を巻くとパッチャーコーフェル山頂(2246メートル)へ


さすがに風は冷たく、風も強く、森林帯もないのは自然が厳しく、ここが高山地帯であることがわかります。


しかし、360度に開けた眺望はすばらしく、Tシャツ一枚で犬と一緒に登ってきた老人が
「この景色すばらしいだろう! 十分に楽しんだかい」と言ったような言葉をかけてくれました。

帰りはまた別ルートで、ツィルベ松の香る中をロープウェイ駅まで下りてきました。


遅いお昼を山頂駅のテラスで食べ、アルプスの眺望を堪能した一日となりました。

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オーストリア・ミュンヘン・パリ鉄道旅行記Vol.7 ザルツブルクからインスブルックへ

2014-07-24 | 旅行

インスブルックへ 駅の風景
5日目 ザルツブルク中央駅を11:52発インスブルックへ向かいます。所要時間はほぼ1時間38分の旅、
今回は余裕を持って駅に着き、落ち着いて列車を待ちます。だいぶ旅慣れてきました。列車の中は
現在どのくらいの距離がでているかという掲示板と地図が表示されています。


今回もスープを注文しました。オーストリアのお菓子ブリッゼルの小袋はサービスでした。

大きなスーツケースを抱えて、列車のこの段差、やっぱり旅行はバックパックに限ります。石畳の多いヨーロッパの街は、
思ったよりバリアフリーではなく、大きなスーツケースの運搬にも苦労しました。

別れを惜しむ人、再会に喜ぶ人、楽しそうなグループ、いつも駅のホームにはドラマが

                                       雨模様の寒いインスブルック駅

インスブルックの駅中にあるスーパー、インスブルック滞在中に足繁く通いました。


アルプスの麓 インスブルック
アルプスの山に囲まれた、チロル地方の中心都市インスブルックに降り立つと、
険しい山が雲の切れ間から迫るようにそびえています。

麓の村の家々の庭や窓辺に花が飾られ、その家人のガーデニングへの心意気が伝わってくるような、
そして道行く人をも楽しませ、アルプスの麓に彩りを添えていました。


インスブルックの街の名は「イン川にかかる橋」から由来されているように、溢れんばかりの豊かなほぼ白色の川が
市街を流れています。

旧市街は、たくさんの観光客で終日にぎわっています。


金の瓦で葺かれた屋根のあるバルコニー、皇帝マクシミリアン一世は、ここから広場で催される祭りや競技会を
見物したと言われています。

写真右上:ロココ様式の飾りが施されているヘルプリングハウス
石造りのアーケードとエルカーと呼ばれる出窓

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オーストリア・ミュンヘン・パリ鉄道旅行記Vol.6 サウンド・オブ・ミュージックの舞台へ

2014-07-22 | 旅行

サウンド・オブ・ミュージックの舞台 ザルツカンマーグート
旅も4日目、言葉の壁にぶつかり、不慣れな地理と、思わぬトラブル、「私付いて行く人」の私も、
さすがに夫の疲れが気になり、この日はゆっくり、時にはツアーに参加してみようと
「ザルツカンマーグート」の半日観光を提案しました。
ツアーと言っても、2組4人だけで日本人ガイドのついたワゴン車で巡る小さなツアーでした。

ユネスコ世界自然遺産にも指定されているザルツカンマーグートは、アルプスの山々と複数の湖から
形成されています。


お天気にも恵まれて、青い空と湖がまわりの山々をくっきり浮きだたせています。


ヴォルフガング湖畔の小さな街「ザンクト・ギルゲン」は、モーツアルトの母の生家があります。
バイオリンを引く幼いモーツアルト像

ヴォルフガング湖畔は 風光明媚なところから湖畔にはホテルや別荘地が点在しています。


ベナツキーのオペレッタ「白馬亭にて」の舞台となった人気のホテル、鉄細工の看板がチロルの山をバックに雰囲気が
あります。その前のホテルの看板は鹿の鉄細工、ホテルの看板には動物が使われていたようです。


サウンド・オブ・ミュージックで、マリアとトラップ大佐が結婚式シーンに使われた教区教会があり、
ちょうど主人公と同年代の2人の結婚式がおこなわれようとしていました。村のたくさんの人に祝福されていました。


レースフラワーの咲く牧草地帯、どこからともなく「エーデルワイス」や「ドレミの歌」が聴こえてきそうです。


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オーストリア・ミュンヘン・パリ鉄道旅行記Vol.5 大司教の街「ザルツブルク」

2014-07-20 | 旅行

ホーエンザルツブルク城塞(塩の砦)
ザルツブルクカードでケーブルカーに乗って、中世の城砦ホーエンザルツブルク城塞をめざします。
ここは、1077年に大司教ゲープハルトによって建設され、その後歴代の大司教によって引き継がれ、
現存している中世の城砦のなかでは最大級のものと言われています。

手前の球体は、現代アート



当時、この堅牢な要塞を建設するために、資材をこの切り立った山の上まで引き上げるのにどれだけの
人力を必要としたのか、当時の権力がしのばれます。





眼下に、大司教のレジデンツと大聖堂

ザルツブルクを1000年にわたり支配してきた歴代の司教のレジデンツ
ここでは若きモーツアルトも演奏したと言われる広間があります。

このレジデンツ広場にはヨーロッパ最大級と言われている6000本のパイプが使用されているパイプオルガン
のある大聖堂があります。
名指揮者、カラヤンの葬儀もこの大聖堂でおこなわれたそうです。

写真下右:レジデンツ広場のモーツアルト像


私達も夕方、ここで行われたモーツアルトのミサ曲(無料)で重厚なパイプオルガンの音色を聴いたり、
翌朝にはミサにも参加することができました。

旧市街の中心ゲトライデガッセ
ひときわ観光客で賑わう通りのほぼ中央に、モーツアルトの生家があります。中は撮影禁止だったのですが、
モーツアルトが使ったとされるオルガン、ピアノなどがあり、各部屋にはモーツアルトの音楽を視聴できる
オーディオも用意されていました。

このモーツアルト生家に面しているゲトライデ通りは、店が所せましと軒を連ね、どこの店からも鉄細工の
看板が通りに向けて張り出しています。
これは、中世に文字が読めない人にも店がわかるように工夫されているものだそうです。

写真(中左側) 黄色い建物はモーツアルトの生家

マクドナルドの看板も鉄細工で

ミラベル宮殿と庭園
ザルツブルクは大司教の街と言われ、司教は国王、そして教会の力も兼ね備えた絶対的な力を持っていました。
カトリック教会の聖職者は独身であることが求められるため、時の大司教が愛人と子供たちのために建てた
宮殿がこのミラベル宮殿です。

ミラベル庭園からは、左前方、丘の上にホーエンザルツブルク城塞も見ることができます。

要塞のような険しさから比べると、解き放されたように美しく平和な趣があります。

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オーストリア・ミュンヘン・パリ鉄道旅行記Vol.4 ユーレイルパスでザルツブルクへ

2014-07-18 | 旅行

6月28日
ウィーン西駅を9時30分発の列車に乗り、ザルツブルクに向かいます。

私達は、今回オーストリア、ドイツ、フランス間を鉄道で移動するために、前もって5日間有効のユーレイルパスを
購入していました。
これは特急も含むファーストクラスの列車に乗り放題のものですが、不慣れなこともあり座席指定券だけは
それぞれの駅で購入しました。
で、これで安心と車両と指定された座席へ直行と思いきや、なかなかすんなり行かないもので、2人とも大きな
スーツケースを抱えて長い列車を右往左往!、この経験は次に乗る駅からは活かされていくのですが・・・、
車両をワゴンと呼び、座席番号もなぜか不規則、整列されておらず、特に座席指定席にも、自由席の人は空いて
いれば座り、座席指定券を持っている人が来れば空ける程度のことなので、自分の席をみつけるのに四苦八苦、
やっと落ち着いたのは発車1~2分前。
また発車も定刻になると、なんのアナウンスもなく動きだしたので、危機一髪という感じでした。


でも席に座ってしまえば、こちらのもの!
車窓からは、豊かな丘陵がどこまでも続き、牧歌的な風景の中に、尖った教会と、絵本にでてくるような可愛い家が点在し、
飽きることのない風景が流れていきます。




やがて、食事のメニューが各席に配られてきました。
食堂車もあるようですが、私達は一昨年の苦い経験があり、今回はパンを少し用意していたので、スープと
飲物を注文しました。スープについてきたなんと可愛い塩とコショウのセット。手のひらに乗るサイズです。

やがて、2時間半でザルツブルク中央駅に着きました。

ザツルブルクは、モーツアルトを生んだ音楽の街として一大観光地となっています。
また、7月からザルツブルク音楽祭が開かれると、世界各地から著名な音楽家や音楽ファンが集まり、ホテルも街も
たいへんな賑わいになるようです。その時はホテルも高騰するようで、比較的静かなザルツブルクを訪れることができて
よかったかなと思います。

ザルツブルクの地形は、ザルツァッハ川を挟んで、新市街と旧市街に分かれます。


旧市街はほとんど歩いて見て回ることができるということですが、迷路のように入り組んだ道を読み解くのに、
これまた苦労します。マップとにらめっこする夫、しかしビールのグラスもしっかり握りしめています。

ここでも、24時間市内の交通機関乗り放題、さらに博物館、観光スポットほとんどが無料で入場できる
「ザルツブルクカード」を購入しました。

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オーストリア・ミュンヘン・パリ鉄道旅行記Vol.3 やっぱりウィーンは音楽の街

2014-07-15 | 旅行

ベルヴェデーレ宮殿
すっかり使い慣れた「ウィーン48時間フリーパス」、そして自由に乗降りできるようになったトラム、
次の日はウィーン郊外のベルヴェデーレ宮殿に行ってみました。


トルコ軍からウィーンを救った英雄プリンツ・オイゲン公の夏の離宮として建てられたバロック建築の代表格!

左右対称の宮殿となだらかに広がる庭園、
ここにはクリムトとエゴン・シーレの代表的な絵画が展示されているギャラリーもあります。

ウィーンのもうひとつの宮殿、ハプスブルク家の権力を誇る「シェーングルン宮殿」はその部屋数の多さに
見て回った後ぐったりしてしまうのですが、こちらは許容範囲内、疲れた頃、見学も終えられ、
広い庭園で一息つくことができます。


やっぱり、ウィーンは音楽の街
旧市街のメインストリートは歩行者天国になっているので、あちこちで自由に音楽を奏でている人たちを見かけます。
演奏者自身がとても楽しそうです。
また、世界に名の知れたオペラハウスやコンサートホールでは、ほとんど毎日オペラやコンサートが開かれ、
いつも音楽を楽しむことができるのも、ここウィーンが音楽の街だからでしょう。
チケットも、ホールの前でモーツアルト時代のコスチュームを身につけたチケット売りの人から購入することもできます。

私達はウィーン最後の夜を、ウィーン交響楽団の本拠地である、コンツェルトハウスでモーツアルトの「レクイエム」を
聴き、ヨーロッパの長い夜の過ごし方にもだいぶ慣れてきました。

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オーストリア・ミュンヘン・パリ鉄道旅行記Vol.2 ウィーン旧市街

2014-07-14 | 旅行

ウィーンの旧市街
旧市街の中心に、ウィーンの象徴であるゴシック様式のシュテファン寺院があり、いつも寺院の前の広場は
たくさんの観光客で賑わっています。
今回のホテルはこの近くにあって、大きな荷物を持ってもすぐに地下鉄に乗ることができ、とても便利な立地でした。


国会議事堂
トラム(路面電車)はリンクと呼ばれる環状道路沿いに走っています。
トラムに乗って市街を窓越しに見ていると、ギリシャ神殿風の造りの国会議事堂が目を引きます。
民主主義の象徴として、その発祥の地アテネにちなんで構想されと言われ、アテネ像の足元の水は、
オーストリアに流れる川を表しているようです。
それにしても、なんの警戒もなく、入口近くまで這入れてしまうことに、厳重な日本の国会議事堂と違って、
不思議な気がします。

教会ではなく 市庁舎
公園の木々の間から教会の塔を思わせるりっぱなゴシック建築が見え隠れします。
この1870年代に建てられた市庁舎が、今もなお機能していることに長い歴史に育まれた文化の深さを感じます。
また、それぞれの窓に飾られた花が公共の施設としての活気さも表しているようです。
近くの市民公園はバラの季節を迎えて、市民の憩いの場所としてたくさんの人でにぎわっていました。


ヴォティーフ教会
初期教会建築の典型的な建築様式を持っていると言われるヴォティーフ教会。2本の塔が特徴ですが、
現在1本は修復中でした。やはり歴史的建造物はどこに行っても必ず修復中のものにあたります。
しかも何年もかかるので、全容をみることができる建造物に当たると運がいいと思ってしまいます。
ゴシック様式の美しい内部とステンドグラス。

この教会の近くにある600年以上の歴史を誇るウィーン大学も、ヴォティーフ教会と同じ設計者によって建てられた
ものだそうです。この大学は12人のノーベル賞受賞者を輩出しています。

ベートーベンハウス「パスクァラティハウス」
なかなか探し出すことができず、幾度となく同じ道を行ったり来たり、
やっとみつけることのできたベートーベンハウスでした。
アパートの狭い狭いらせん状階段を5階まで登ると、ベートーベンが一時期、ここで交響曲第1、第5、第7などを
作曲した住居で、現在は記念館になっています。
ベートーベンが使用していたピアノなども展示されていました。

ペダルが5つあるベートーベン時代のピアノ

ウィーン旧市街は、リンク沿いにたくさんの建造物や美術館、記念碑や記念像、緑豊かな公園も多くあり、
これらを正確に地図上で把握して、訪れることの難しさ。私にはまったく不向きで・・・と言ってもいられず、
地図を縦にしたり横にしたりとやってみるのですが・・・勘も頼りにならず、苦労します。

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オーストリア・ミュンヘン・パリ鉄道旅行記 Vol.1

2014-07-12 | 旅行

大雨と台風の爪痕を残した今年の梅雨、今朝は梅雨明けを思わせる強い陽射しに
ムクゲの白さが目に沁みます。

やはり、年齢のせいでしょうか。時差ボケがなかなか取れずにこの1週間、3時間ぐらいの睡眠ですぐ目が
覚めてしまいます。

それにしてもいろいろあった旅行でした。
ていのいい添乗員と思っていた夫に頼り過ぎたことに、今回は大いに反省させられました。
(旅行中に古希を迎えた夫に、添乗員の役割に少し陰りが・・・)
少し長くなりますが「ヨーロッパ珍道中!」、よかったらお付き合いください。

あわただしい出発
ヨーロッパ旅行の場合、我家から成田空港へのアクセスは遠く、羽田国際空港からフランクフルト経由で
ヨーロッパ各地に入るのが便利になったことで、今回の出発は羽田国際空港を利用することにしました。

日付が変わった0時55分発という時間帯に、すっかり日にちを勘違いしてしまい、出発日が1日早いことに
気が付いたのが当日の3日前、なんともあわただしく6月24日夜半、自宅出発となりました。
確かに、1時間以内で空港まで行けるのはとても楽で、空港についてからは随分時間にも余裕が
ありましたが。
深夜の羽田国際空港

                              掲示物もない、フランクフルト空港内

12時間のフライトの後、フランクフルトに到着、1時間半のトランジットの後オーストリア航空でウィーンに向かいました。
所要時間は1時間半。

ウィーン到着は午前8時半、3度目のウィーンは懐かしく、風景が少し変わって見えたのは前回が寒い2月で、
今回は夏、気候は爽やかな日本の5月のような陽気でした。


日本と8時間(サマータイム7時間)の時差、時間は逆戻り、少し辛かったのですが、ホテルに荷物だけ置いて、
そのまま街にでました。
前回あまりトラム(路面電車)、地下鉄、電車に乗らなかったので、今回はなるべくこれらの交通機関を利用してみようと
いうことが目的のひとつ。
まずインフォメーションで「ウィーン48時間フリーパス」を購入、このカードは市内の交通機関が48時間乗り放題というもの、
言葉が分からないうえに、乗車券の購入方法も不慣れなので、このフリーパスはとても便利でした。
はじめに乗車するときに、入口の機械で日時の刻印をつければ、あとは特にカードの提示もなく、まったく乗り降り自由。


ウィーンの森
この日は、夫が交通路線図と首っ引きで、トラム→バス→トラムと乗り換えて、ウィーンの北外れハイリゲンシュタット
(ウィーンの森)に行ってきました。
ここはベートーベンゆかりの地で、聴覚が戻らなくなってしまったことに絶望して遺書を書いた家、散歩道、
「田園」の構想を練った家などが点在しています。

現在は閑静な高級住宅街、そしてホイリゲ(今年できたての新しいワイン)酒場の中心地ともなっています。
ウィーンの森は東京23区の倍ぐらいの広さを持ち、ウィーンを3方向から囲み、ヨーロッパアルプスの一番東に
位置しています。
展望台からはウィーンの市街を眺めることができます。

空模様があやしくなってきたので、帰り道を急ぎます。ところが、あわてて飛び乗ったSバーン(市街電車)、
実は帰る旧市街と反対方向に進み、30分も経過した頃に気がつき、結局終点まで行って折り返したという
初日、早々の失敗となりました。

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