小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

ウィーン・プラハ旅行記(2) 美術史美術館 芸術と空腹

2013-02-27 | 旅行

毎年、日本にやってくる海外の特別美術展はとても楽しみなのですが、どうしても目当ての作品に観客が集中してしまい、
ゆっくり観賞できないという難点があります。
海外の美術館で、このあたりのストレスを感じないで観ることができるのは、やはり絵画を観る空間なんだろうと思います。

ヨーロッパ3大美術館のひとつ、ウィーンの美術史美術館はハプスブルク家の皇帝たちが収集したルネッサンスとバロック
時代のものが多数コレクションされています。
その重厚な外観と建物の大きさ、展示室の広さには圧倒されます。

玄関ホールの大階段にはクリムトの壁画が飾られ、ふんだんに施された装飾は、内天井のフレスコ画を透明感のあるもの
にしています。
絵画が展示されているのは2階で、そのほかの階には工芸品や彫刻があったようですが、絵画だけに絞りました。

特に門外不出のブリューゲルの「バベルの塔」「狩人の帰還」「農民の結婚式」などをじっくりみることができました。







フェルメールの作品もここには展示されていました。「画家のアトリエ」、なんという静寂な世界を描き出しているのでしょうか。

ほかにもラファエロの「草原の聖母」と、観賞する絵画を絞ったものの、それでも膨大なコレクションに目がくらくらしそうなの
も確かです。

どんなに心が満足してもお腹は空くものです。ランチは2階ホールにあるCAFÉで、そのまま絵画ギャラリーとなっています。
とても優雅な雰囲気です。



ただ私は、ここで卵3個分という巨大オムレツと、夫もしっかりとウィーン料理「グラーシュ」を食べました。
あぁー、こんな芸術を目の前にしても、どうして精神も肉体もハングリーになれないのかと思ってしまいました。



2日間かけて、美術史美術館、シーレとクリムトの作品が揃うレオポルト美術館、ボッシュの不思議な世界「最後の審判」が
ある造形美術アカデミー絵画館を観て回りました。

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウィーン・プラハ旅行記(1) なぜウィーンとプラハ?

2013-02-25 | 旅行

5年前、ツアーで中欧4カ国を訪れたことがありました。その時にウィーンとプラハを観光したのですが、もっとも観たかった
美術館が月曜日で休館日であったことと、プラハでは、滞在がたった1日で、「街そのものが建築博物館」と言われている
街をほとんど見なかったことに、もういちど是非訪れてみたいと思っていました。

英会話を何度も挫折した私と「最近英単語がなかなか思い出せない」という夫、さらにドイツ語の国へ、と不安も抱えながら、
往復のエァーチケットとウィーン・プラハ間の鉄道切符と宿泊ホテルだけを決めて、8日間の旅に出かけました。
日本では寒い日はあっても春の気配を感じる季節、この2国はまだまだ昼間も氷点下の気候で、小雪舞う中、この寒い季節
にやっと念願を叶えることができました。

ウィーンの街並み
予想をはるかに超えた寒い日が続きました。中世の面影が残る石造りの建物とそこに続く石畳、空はどんよりと灰色、時に
小雪が舞い、日本であれば炬燵にもぐりこんでDVD観賞と決め込んだところを、この街を通りから路地へ、路地からまた通り
へとよく歩きました。



2時間も歩くと身体が芯から冷えてきます。街にはCAFEも多く、ウィーンの人々にとってCAFEは珈琲を飲むだけの場所では
なく、本や新聞をじっくり読んだり、おしゃべりしたり、そんなゆっくり時間を過ごす居心地のよいところのように思いました。
代表的なコーヒー「メランジェ」はコーヒーと泡だてた暖かいミルクを半々に入れたたっぷりのコーヒー、冷えた身体が芯から
温まります。必ず水が添えられ、さらにコーヒースプーンがカップの上に横向きに置かれているCAFEが多いようでした。


すっかり日本のケーキ屋さんで定着した「ザッハトルテ」は、ここウィーンのホテルザッハ―が発祥、ケーキに添えられた
クリームの大きさに「とても私には・・・」なんて思っては見たものの、数分後にはすっかり胃袋に収まりました。

ウィーンは、東京から比べると人口168万人余の小さな首都。ホテルの玄関に、何カ国の国旗が掲げられているのは、
きっと外国人の宿泊客を歓迎してのことでしょう。



ひときわショーウィンドウがおしゃれに見え、街角の花屋さんの花が一層鮮やかに見えたのは、この鉛色の空と石造りの
建物に映えているからでしょう。



季節柄、観光客は少なかったように思います。この街があまり外国という違和感がなく歩けるのは、体格も比較的小柄な
せいでしょうか。家族と散歩している犬にもよく出会いました。老夫婦に合わせるようにゆっくり歩いている犬の姿がとても
印象的でした。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大山街道ウォーク第2回(三軒茶屋 ~ 代官屋敷)

2013-02-14 | 街道歩き

春の兆しを感じたのもつかの間、北風が吹き荒れた先週、2回目の大山街道ウォーキングを決行しました。
三軒茶屋からの出発です。二子玉川までのルートには2つあり、世田谷ボロ市通りを通る上町線ルートは江戸前期までは
大山参りに利用されていたそうですが、江戸後期には、現在の246号線を通る新町経由が近道として開け、こちらがメイ
ンになったようです。

あえて、私たちは今回史跡などが多く残る上町線ルートを選びました。
ところが、三軒茶屋を下りたとたん、この入り組んだ道路を地図とおりに歩くのに迷い苦労しました。
まず世田谷通りから少し外れて、東急世田谷線を横切り、江戸五色不動の一つである目青不動に立ち寄りました。
前回の表参道の街並みと違い、ここ世田谷通りは交通量も人も多く、庶民の生活が息づいている感じがしました。

三軒茶屋駅から下高井戸駅までを結ぶこの東急世田谷線はたった2両の路面電車です。住宅地の中をまるで縫うように
走ります。都民の足として大活躍!以前、緑色の旧式電車だった記憶はまだ新しいと思ったのですが、すっかりスマートな
姿に変わっていました。

現在の東急世田谷線と すでに保存されている旧型車両

少し旧道を外れて世田谷城址へ、お濠もほとんど残っていませんが、この世田谷城の主要部だったとされている豪徳寺へ
も寄ってみました。
ここには、井伊直弼のお墓もあり、とても寒い日でしたが、いくつかのグループがこのお墓に訪れていました。


なお、ここは招き猫の発祥の地という説があり、江戸の初期にニ代藩主・井伊直孝が鷹狩の帰り道、寺の門前で手招きし
ていた猫のおかげで雷雨から救われたという伝説にちなんでいるのだそうです。


街道沿いに世田谷代官屋敷跡があり、ここのカヤぶきの表門と主屋は国の重要文化財に指定されています。
中には見事な梁と柱が時代を物語っています。庭には「さんしゅゆ」の木があり、すでに蕾の先が薄っすらとクリームがか
って、この花が咲く春も間もない気配を感じました。
敷地内に世田谷郷土資料館があり、資料館の前には道標兼石塔が建っていました。ここが交通の要衝だったことがわか
ります。館内では世田谷の歴史が詳しく説明されていました。

すでに、ここでお昼を過ぎてしまい、寒い日であったこともあり、三軒茶屋に引き返しランチとなりました。
歩行時間3時間でした。

10日間ほど留守をします。コメント欄を閉じさせていただきます。
まだ厳しい寒さが続きます。どうぞ、お身体に気を付けて

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鬼のかく乱は不用心

2013-02-09 | 日常

 

久しぶりに背中がぞくっとして、喉も痛み、めったにない身体のシグナルに、来週の慌ただしいスケジュールが頭
をかすめ、やっぱり病院に行っておこうと久しぶりに病院の門を潜りました。

インフルエンザの患者さんの多いこと!次々に別室に呼ばれます。昨秋インフルエンザの予防注射は済んでい
ましたが、ここでもう一度鼻の中に細い綿棒を通して検査、10分ほどで判定がでました。「陰性」でした。

熱があったことと、「関節も少し痛いかも」と訴えた症状に5種類の薬が処方されて、帰ってきました。

こうなると、俄然、わが身を労わらなければと、思いつくのは美味しいものを食べて、貯めたDVDをゆっくり観よう
ということしか思い当たりません。結局半日も過ごしたらすっかり疲れて、風邪の症状はなにも改善さえていませ
んでした。

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする