小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

甲州街道8回目(鳥沢~初狩)

2024-03-23 | 街道歩き

膝関節症と診断されていた足も、リハビリを続けて、だいぶ改善されるようになりました。
理学療法士からは、「歩くのは大いに結構!でも痛かったらやめておいてくださいね」という心強い言葉に、今週も甲州街道を先へ進むことにしました。
ただ、気になるのはスギ花粉!帽子にマスクに眼鏡という少し怪しいスタイルでの出発となりました。

6:50 2024年3月16日 自宅スタート
 自宅を出発してからおよそ3時間、先回の到着駅JR中央本線鳥沢駅に到着しました
乗降客の少ないこの区間は、しばらくドアは自分で開ける半自動ドアとなり
駅に着いても一瞬ドアが開くのを待ってしまいました

10:00 ウォーキングスタート
駅前には、扇の形をした扇山が迫っています

鳥沢宿は上鳥沢宿と下鳥沢宿に分かれている合宿でした
その間は550mしか離れていません


上鳥沢宿本陣跡 「叶屋 旅籠風」


10:10 本陣跡 明治天皇駐蹕地碑

11:00 猿橋宿
史跡猿橋は日本三大奇橋のひとつで、もの見物人で賑わった宿場でした

芭蕉の句碑「うき我を淋しがらせよかんこ鳥」

両岸から張り出した四層のはね木で橋を支えています
橋の長さは31m、川面まで30m
現在の猿橋は寛永四年(1851年)の図面をもとに、昭和59年に復元されました

12:10 大小の馬頭観音

江戸日本橋より23里目の一里塚があったようですが、わからず通り越してしまいました

12:23 駒橋発電所送水管
 明治40年当時は日本最大の水力発電所だったそうです

中央線の踏切を渡り、駒橋宿に入ります
本陣も脇本陣もない、旅籠数件だけの小さな宿場には桂川の渡船場がありました

12:40 厄王大権現  秋葉大権現常夜燈

駒橋宿の街並み

旅籠橿屋 古い町並みが残っていました

大月宿
この宿場は富士街道との追分を控え、富士講の人々で賑わっていたようです

13:00 大月駅
特急が止まる大月駅の駅前は賑やか、駅前のミモザが見事でした

13:30 大月市役所の先に「明治天皇御召換所跡」と本陣跡

13:50 一里塚跡
庚申塔や芭蕉の句碑が残るのどかな風景が広がっていました

花咲宿
やはり下花咲宿と上花咲宿で構成され、それぞれに本陣1と脇本陣2があり
全長は600mほどでした

14:00 溝口本陣跡

代々溝口五左衛門が務めました「明治天皇御召換所跡」の碑

丸石の道祖神は甲州特有
この先街道は交通量の多い国道沿いを歩きます

15:00 源氏橋
笹子川とJR中央本線を渡り、線路に沿って進みます

砂利道でこれが甲州街道かと不安になりました
そのままセメントの鉱業所の敷地に入ったようでしたが、
これが甲州街道でまもなく舗装道路にでて、国道と合流しました

初狩宿
初狩宿は下初狩宿と中初狩宿の二宿で構成されています

15:20 聖護院道興歌碑

文化3年聖護院の僧正の歌碑
「今はとてかすみを分けてかえるさにおぼつかなしやはつかりの里」

15:26 山本周五郎出生地碑

街道筋の建物は、道路より一段低いところに建っているのが気になりました
多分街道の改修がされたのでしょうか

15:28 廿三夜塔 傍らに明治40年建立の常夜灯

15:35 初狩駅
しばらく、甲州街道はJR中央本線沿いにあるので
この日ももう少し歩こうと思ったのですが、疲れが残らないうちにと
この日のウォーキングを初狩宿までとしました
(歩数:30106歩 距離:15キロ)

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甲州街道第7回目(上野原~下鳥沢)

2024-03-08 | 街道歩き

昨年秋から冬にかけての各地のクマ出没情報に、甲州街道も峠も多いので出かけるのに怖気づいてしまいました。
とにかく怖がりなので・・・
でもこの調子だと、甲州街道の終点「下諏訪」にはいつ着くのだろうと心配にもなり、思い切って再スタートを切りました。

2024年3月3日 6:55自宅出発(バス)


10:10    上野原宿
冷え込みもあまり感じることなく快調な滑り出しだったのですが
上野原宿の外れ、上野原本町歩道橋を過ぎたところで
思いっきり鋭角に右に折れることころを間違えて直進してしまいました
上野原を過ぎると街道は、JRから大きく離れてしまうので、
このあと旧道沿いのJRの最寄り駅は14キロ先の鳥沢駅
果たして鳥沢駅まで歩けるのか、半年ぶりのウォーキングでもあったので
少し不安で、先を急げとばかり道を間違えてしまったようです

11:00 鶴川沿いにでたので間違えないだろうと思い先にすすみ
鶴川橋とおぼしきところで、道に間違えたことに気がつきました
やはり土地の人に聞くのがいちばんと思い、近くの床屋さんを覗いてみたら
お客さんもいないようだったので聞くと・・・
とても親切にもとの鶴川歩道橋に戻る道を教えてくれました
(結局、この方は教えたけれど心配になって、車で先回りして
鶴川歩道橋脇で待っていてくれました 感謝!感謝です!)
結果、1時間以上のロスとなってしまいました

12:00    鶴川橋
昔は橋はなく、120m下流に渡しがあったようです
 遅いお昼 30分ほどの休憩

橋の上から上流側と下流側を望む

12:10 鶴川宿の街並み
明治・大正の二度の大火で、建物はほとんど焼失してしまったそうです

脇本陣跡、問屋場跡、本陣跡のみ


傍らに地蔵尊が祀られている水天宮

12:40 中央自動車道の跨線橋

 大椚(おおくぬぎ)の一里塚 江戸日本橋より19里目

13:05 大椚観音堂
 宿場のはずれに吾妻神社と観音堂が建っていました

大日如来坐像と 千手観音像菩薩像が納められ
その奥に昔クヌギが立っていたので、名前の由来になったということです

13:50 野田尻宿
 中央自動車道の脇に宿場は位置し、今では近くに談合坂SAがあります
鶴川が川留になると大いに賑わったようですが
やはりこの宿場も明治19年の大火でほとんど焼失してしまいました

14:15 荻野の一里塚 江戸日本橋より二十里目

14:35 武甕槌(たけみかづち)神社

「軍神」を祀るところから軍勢神社とも呼ばれていました

14:45 座頭転がし

 先導者の声を頼りに進んできた盲人が、屈折している峠道を声の方に進み
深い谷に落ちてしまったという急坂が続いています

15:10 犬目宿場
「この地は狗目嶺とて一郡の内にて極めて高き所なり・・・」
というように海抜500mを越えるところに位置しています

宝勝寺 
葛飾北斎、歌川広重もこの境内から犬目峠や峠から見える富士山を描いたといわれています

15:20 白馬不動堂 神仏混合の赤鳥居

15:36 恋塚の一里塚 江戸日本橋より二十一里目

16:30 下鳥沢宿
 

JR鳥沢駅
17時の電車で帰路につきました
長い長い一日でした
(歩数:37563歩 距離:16.1キロ)

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甲州街道第6回目(小原~上野原)

2023-09-29 | 街道歩き

秋分の日を境に急に秋らしくなったかと思われた先週末、酷暑で行けなかった街道歩きがやっとできると、甲州街道ウォークを再開することにしました。(ところが、この2,3日また暑さがぶり返しました)

甲州街道は江戸以前から甲州古道と呼び、地域の人々の生活や交流の場として使用されていました。江戸時代に幕府が甲州古道を五街道のひとつとして整備し発達しましたが、途中、山間僻地の通行が多いので、旅人は比較的少なかったそうです。
参勤交代した大名は、諏訪高島藩(3万石)、伊那高遠藩、伊那飯田藩の三藩でした。

確かに今まで歩いた東海道や中山道と違うのは、見附が残っておらず宿場と宿場の区切りが分かりづらいなと思いました。

6時50分 自宅をスタート
9:35 JR相模湖駅到着、前回(7月10日)の到達点

与瀬宿の坂本本陣は石垣と築山のみで、「明治天皇興瀬御小休止跡」碑のみが残っていました

10:05 慈眼寺(虫封じの寺)そのとなりに興瀬神社

 大きな鳥居があり、神社はその奥鳥居の長い急な階段の先にありました。体力温存のため入口まで

10:15 与瀬の一里塚跡あたり(日本橋から16里目)

旧道を進んで、高速ガード下を潜ると国道20号線と合流します
本来の旧道がカーブしているようでしたが、草が覆い茂り不明でした

10:30 石碑群

首の欠けた地蔵尊像など庚申等などがありました

10:40 甲州古道標柱「子の入り」あたり
 急坂の上にガイドブックの「回り込む」の表記にまどわされ、迷った挙句に高速を下にみながら橋を渡ります

11:15 椚戸旧道江戸口―甲州古道赤坂標柱

 迷いに迷って山道に人家あったので、行き会った土地の人らしき人に聞くと、この先は行き止まりだと言われ
その人は竹林の細い道を下りていきました。
少し先に行くと「観福寺」に通りかかりました。この道で間違いないと思い、先へ進むとやはり行き止まりでした 
庭先にいた人にもう一度聞くと、先ほど道を尋ねた人と同じ竹林の細道を行くと吉野宿にでるとのことでした やれやれです

11:40 吉野橋(小猿橋)

大月の猿橋と構造も工法も同じで、規模の小さいところから「小猿橋」呼ばれていたそうです
橋げたを立てることができず、両側からせり出した橋木によってかけられていたそうです
(現在はコンクリート)

11:30 吉野本陣跡

吉野宿は歩道のない交通量の多い20号線
旅館「ふじや」跡は資料館としてかたちを残しています

11:50 関野の一里塚 津久井の銘木「エノキ」 江戸日本橋より17里目

12:00 藤野駅前 ランチ(12:50まで)

13:10 関野本陣跡 説明版のみ

13:18増珠寺

 大相撲の「追手風」のゆかりのあるお寺 「関野宿講中」と刻まれた庚申塔

13:40 名倉入口
 甲州古道標柱に従って細い道を登っていき、結局また道に迷うことに
 13:45 境沢橋

 相模と甲斐の国境に架かる橋で、神奈川県から山梨県に入ります

14:00 諏訪関所跡
武田氏が設置した「甲斐国二十四関のひとつ

14:45 諏訪神社(古都神社)境内に芭蕉の句が残っている

5本の大きな杉が並び、ヒガンバナの赤色が緑の境内に点在して、とても雰囲気がよかったので小休止

塚場の一里塚(不明)
14:40 疱瘡神社

 水疱瘡や皮膚病にご利益がある


塚場の旧道沿い

15:00 牛倉神社

旧上野原村の鎮守 

15:10 若松屋脇本陣跡(現ホテルルートイン)
 
現上野原の街並み このあたりに本陣や脇本陣

このあたりからしばらくJRと街道は離れていくので、最寄り駅(JR上野原駅)に
比較的近いといっても25分の地点でこの日の甲州道を終了としました
(歩数:29354歩 距離:17.6キロ)

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甲州街道第5回目(小仏~小原)

2023-07-10 | 街道歩き

九州・中国・北陸地方に活発な梅雨前線が停滞して大きな災害をもたらしています。一方で、私の住んでいる横浜は梅雨らしい雨も長続きせず、梅雨明けかと思わせるカンカン照りの猛烈な暑さが続いています。
そんな中、もっと暑くなる前にと思って甲州街道の小仏峠越えを決行したのですが、さすがに暑く、この日の目標には至らず、早々と引き上げました。

7時半に家をスタート
JR八王子で乗り換えJR高尾駅に降り、そこから京王バスで小仏峠の登山口に向かいました


10:15
バスの終点は、小仏峠や景信山へのハイキングスタート地点
山の中は、強い日差しも遮って木漏れ日の中、小鳥の声がさえずる快適な山道でした。


歩き出して間もなく、臨済宗南禅寺派の宝珠寺の参道がありました
本堂までは行かなかったのですが、山寺らしい雰囲気でした

10:30 道標
石ころがゴロゴロとした、歩きにくいヘアピンカーブを繰り返しながら高度をあげていきます

11:20 小仏峠
元気なハイカーに追い越されながら頂上に到着、こんもりとした森のなかに峠はあり
武蔵國、相模國の境、いまでは東京都、神奈川県の境となっています。

八王子市街               

11:45 甲州道中標識



標識に従って小仏峠西坂を下りていきます
道は落ち葉が積み重なって歩きやすくなっていました


東海自然歩道に沿って歩きます。中央自動車高架近くを通り過ぎると
山の中の静寂から高速道路の騒音に、よけいに暑さを感じるようになりました
まもなく舗装道路にでます

13:10 小原宿
小原の一里塚跡
中央自動車道の敷設で消滅してしまい、確認をすることができませんでした

13:35 清水本陣跡
神奈川県下に26軒あった本陣のなかで唯一現存する貴重な建物(県指定重要文化財)






小原宿の街並み


14:20 相模湖駅着
暑さのためにこの日はここまで、駅前のカフェでゆっくりお茶をして疲れを取ってから帰りました
(歩数:24073歩 距離:12.5キロ)
 

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甲州街道第4回(八王子宿~小仏宿)

2023-05-14 | 街道歩き

過去の街道歩きだった東海道や中山道から比べると、今年から始めた甲州街道は、横浜の自宅から東海道線、横浜線、中央線と乗り継いでも、比較的近い距離だと思っていたのですが。
歩き始めてみるとやっぱり1か月に一度のペースになってしまいました。もう少し頻度多く歩くことができるのかなと思っていたのですが・・・
4回目は連休前に歩いてきました。

JR八王子駅に9時30分に着き、先回に終えた最終地点である竹の鼻一里塚跡からスタートしました。



9:40 市守大鳥神社
新町の枡形を左折する手前にがあります
市の守護神で「酉の市」にはとても賑わうそうです


旧甲州街道は国道20号線を進みます

9:55八日市宿跡碑
街道は追分に向かって横山町、八日町、八幡町と宿場に由来する町名が続きます

まもなく宿場の中心である横山町の本陣、脇本陣、問屋場があり八王子宿の中心でしたが
その痕跡は見当たりませんでした

10:20 追分道標
「左甲州道中高尾小道」「右あんげ道」と刻まれた追分道標を左に折れていきます

八王子千人同心屋敷跡記念碑
案内板にはこの辺りには頭や幹部の屋敷、邸宅があり
平同心は八王子周辺で半士半農の生活を送っていたと書かれてかれていました

11:55 イチョウ並木
西八王子駅を過ぎると街道の両側には立派なイチョウ並木が続きます
これは多摩御陵造営記念に植えられたもので、街路樹は4キロほどになります


12:10 黒塀の旧家
多摩御陵先の交差点を右方向に入ると旧道になり、黒塀の旧家が続きます

旧道はやがて国道と合流し、熊野神社の前にでました。熊野橋を渡るとJR高尾駅の前を通過します。JRのガードをくぐって少し先の西浅川の交差点で国道20号線から都道516号線に入ります。
ぐっと目に染みる新緑の景色に変わり、小仏峠に続くゆるい坂道となってきました。

12:40 高尾駒木野庭園
まもなく左手に、昭和初期にかけて建てられた本格的な枯山水や池泉回遊式の
日本庭園があり、ここでゆっくり休憩をとりました
鶯が鳴き、藤棚の下を抜ける風が気持ちよく
ここでの一息にどんなに元気づけられたことかしれません


13:05 駒木野関所跡
関所の通過には、明け六つ(午前6時)と暮れ六つ(午後6時)間に
手形を必要としたとかかれていました

関所近くに駒木野宿があり関守を務めた4家が住んでいたということです


13:20 念珠坂碑
 昔はもっと急坂だったのかもしれないと思いました

13:30 いのはな慰霊碑
昭和20年8月5日、トンネル付近で列車が米軍機に銃撃され
山梨の疎開に向かう学童52名が死亡したという悲しい慰霊碑の入口がありました

圏央道ジャンクション
このあたりが小仏宿ですが宿場の面影はほとんど残っていません
当時人口は252人だったそうです


14:20 小仏バス停 京王バス、高尾駅北口発の終点
道はこのあと登山道となり、小仏バス停がバスの終着地点となります

小仏峠越えを次回にして、折り返しバスで高尾駅に戻りました
いよいよ次回は甲州街道一つ目の峠、小仏峠を越える予定です
歩数:23975歩 歩行距離:15.3キロ

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甲州街道第3回(府中宿~八王子宿)

2023-03-31 | 街道歩き

桜は満開になったものの、花冷えのする雨模様の日が続いていました。
予定していた日も、また翌日も雨で、桜も満開を過ぎるのではと心配していましたが、先週3月27日にやっと決行することができました。
家を出たのが、8時25分、先回の到着駅京王線東府中に下りたのが10時20分でした。
旧甲州街道は駅前の国道229号線よりスタートです。

道路をはさんで北側が新宿、南側が八幡宿内の地区となります


10:45 大國魂神社
交通量の多い国道の南側には、武蔵国総社である大國魂神社が鬱蒼とした
欅の森のなかに鎮座しています

武蔵国の一宮から六之宮までを合わせ祀っています
平日に関わらずたくさんの参拝客で賑わっていました


11:10 現存している高札場
甲州道中と鎌倉街道が交叉する、府中宿の中でもっとも賑わったところで
昔は札の辻とも呼ばれていました。高札場が当時のまま残されています

北側には、蔵造の酒屋も残り、隣には問屋場跡もありました

11:20 高安寺
大きなお寺が続きます

足利尊氏が安国寺として建てたもので
境内には藤原秀郷の秀郷稲荷がありました


11:40 旧本宿村の名主を務めた内藤家の冠木門

11:50 秋葉大権現の常夜灯
本宿村は台地に位置していたため、度重なる火災に苦しみ
この地に寛政4年、火防の秋葉大権現の常夜灯を祀ったということです

12:15 野保天満宮
湯島天神、亀戸天神と並び、関東三天神のひとつ
藤原道真の三男道武が父の死後父の像を彫り、この地に祀ったと言われています

                撫で牛
神の使いとして信仰の対象である御神牛、撫でるとご利益があるとか
社殿は、鳥居をくぐって石段を下った右に回り込むようにあります

しばらく街道を進みJR矢川駅近くで、やっとランチの場所をみつけ遅いお昼にありつけました。

14:00
日野橋の交差点を過ぎて、旧甲州街道標識に沿って進むと多摩川の土手にでます
このあたりはみごとな桜並木が続いていました。


14:20 多摩川にかかる立日橋を渡ります

日野の渡し場跡を伝える石碑があり、多摩川もだいぶ川幅が狭くなってきました
江戸の中期から大正時代までは渡しが使われていたということです
多摩都市モノレールも川を渡ります

14:30
日野宿に入ります。宿場へは、敵の軍が攻め込まないように鍵型に作られていたようです。
現在でも奥多摩街道入口の交差点は直角に曲がっていました
右側には大きなスポーツ公園があり、ここの桜もみごとでした


14:50 日野宿場の中心
風格ある蔵造の洋風建築は、日野宿の名主を務めた有川家

日野宿は東西9町で、都内で現存する唯一の本陣があり
名主と問屋場を兼ねた上佐藤家と下佐藤家が務めていました


15:00
日野街中を通り、八坂神社の向かい側にわずかに旧道が残っています
鍵型の道を左折して日野駅の線路をくぐります

ここから、大阪上通りと呼ばれている長い急坂がつづきます
坂を上がりきると、日野自動車本社・日野工場の大きな敷地が続きます
江戸日本橋より十里目の「日野台の一里塚」があったようですが確認できませんでした

15:55 高倉稲荷神社
浅川は将軍家に献上された鮎が名物だったとか

国道16号線を横断します。浅川に架かる大和田橋を渡るとまもなく八王子宿に入ります

17:15 竹の鼻の一里塚跡と永福稲荷
竹の鼻公園内に「史跡一里塚跡」という碑があり、江戸日本橋より十一里目になります

この碑のとなりに永福稲荷があり、この地の鎮守として境内には芭蕉の碑もありました

 

17:30
この先のJR八王子駅で、この日の行程を終えました。薄曇りの暑くも寒くもないウォーキングでいい日和でしたが、家に帰ってから疲れがどっと出てきました。
歩いている時はあまり疲労を感じなかったのですが、年々、体力的には疲労が溜まりやすくなっているのでしょうか。この先の甲州街道、気を付けなければと思いました。
歩数:36099歩 歩行距離:15.8Km

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甲州街道第2回(京王線明大前駅~京王線府中駅)

2023-03-12 | 街道歩き

甲州街道ウォーキングの2回目を2月下旬に歩きました。今までの街道歩きと違って、ただただ高速下の国道の車の行きかう中、昔の街並みの面影があるわけでなく、季節を感じることもなく歩きました。
甲州街道のブログを更新しようにも、ちょっと気が進まないのも確かでしたが、3週間前を思い起こし、なんとか記録しました。

10:00 明大駅前をスタートします
商店街スズラン通りを抜けて国道にでると国道上には首都高速が通り、この直下の側道を歩いていきます。
北側には玉川上水跡が暗渠となって遊歩道、公園になっていました。


10:50 宗源寺
境内の不動堂がかって高台にあったため「高井堂」と呼ばれ、これが高井戸の地名の由来となったと言われています

まもなく、高速道路は右手にルートを変えて、江戸から4里目の一里塚跡の案内板があります
「甲州道中一里塚跡」都心から初めて一里塚跡とは言え、その形跡だけでも確認できました


11:45  大橋場跡(親柱「武州千歳村大橋場の跡」
鳥山用水に架橋されていた金属製の親柱と石仏、すでに暗渠化された用水の跡


昔の街道筋を忍ばせる風景は残っていませんが、この道筋そのものが街道だったようです


12:40 里程跡
給田の交差点を過ぎた右手の民家の庭先に、明治3年建立の「新一里塚」あり、
内藤新宿を起点とし甲州街道に建てられた新しい一里塚だということです。

                  仙川をを渡ります
13:00
仙川駅入り口交差点近くに仙川一里塚の碑があり、江戸日本橋より五里目


まもなく、草に半分隠れるようにあるのが瀧坂旧道の石碑で
この瀧坂道は雨が降ると瀧のように流れる急坂の難所で唯一残る旧甲州街道、現在は穏やかな坂


13:40 野川


13:50旧甲州街道入口

旧甲州街道入口交差点で二叉となり、現在の調布駅を中心に国領、下布田、上布田、下石原、上石原のご宿場がつづきます。
ただ、五宿合わせて一宿の機能をもって「間の宿」のような宿場だったようです。

14:40 小島の一里塚跡 江戸日本橋より6里目

樹齢200年を越すエノキが塚木だったようだが、危険防止のために伐採されてしまったようです。

15:00 常夜燈と近藤勇の銅像

勇は天保5年多摩郡上石原村(現在の調布市)で生まれました

だいぶ午後の日差しも傾け始めたころ、この先の府中市に兄が住んでいるので、在宅か電話をしたところ「折角近くに来たのなら、是非会おう」ということになりました。
義姉とともに街道途中まででてきてもらい、4人で街道筋のレストランでおしゃべりと早めの夕飯を一緒にとり、この日の甲州街道中ウォーキングを終えました。
歩数:34102歩 歩行距離:15.3Km

 

 

 

 

 

 

 

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甲州街道第1回 (日本橋~京王線明大前駅)

2023-01-21 | 街道歩き

中山道を昨年の3月、奥州街道を8年がかりで昨年の10月に終えて、もう街道歩きから足を洗い、近隣のウォーキングを楽しむつもりでいました。
ところがなんとなく物足りない!
街道歩きの楽しさは、例え、今回歩く距離が少なくても、次回歩く目標があり、そして最終到達点を目指して少しずつでも歩き進めることができる!それが4街道を歩いて気が付いた、街道歩きの楽しさなのかなと思いました。

そんなわけで、完歩できるかわからないけれど、甲州街道ウォーキングを、年の初めに決行することになりました。
相変わらず夫との珍道中ですから、お天気なら歩く、無理はしない、寄り道OKということになります。

甲州街道は日本橋から下諏訪まで53里24町(約208km)
折しも正月3日ウォーキングアップを兼ねた歩き始めとなりました

9:45 日本橋
五街道のスタート地点、久しぶりにこの地に立ち、とてもなつかしく思いました。

2040年には、日本橋に架かる高架橋も撤去される予定とか、長い間残念に思っていたこの景観
私が生きているうちの撤去は無理だけれど・・・
みごと彫刻などが青空の下に観ることができるのはうれしいことです

10:05 「まよひ子のしるべ石」(一石橋)

子供が迷子になったとき、似顔絵を貼り付けたそうです
地域ぐるみで迷子をさがしたのでしょうか。この辺りは盛り場で迷子が多かったようでした

10:15 JR東京駅
街道は八重洲口構内を横切って丸の内北側にでます

まっすぐ進んで、突き当たりは和田倉濠

10:30 和田倉橋
 右手にパレスホテル、正面は皇居

正月休みで観光客の姿も多く見かけました
お堀にはカモや白鳥がのんびり浮かんでいます
馬場濠に沿って日比谷に向かいます。有楽町によって長めのお茶タイム

11:50 日比谷公園~半蔵門
お堀にそって、マラソンのトレーニングコースとなっているので、たくさんのランナーと行き交います
さらにウーバーイートの自転車もたくさん行き来しているので、なかなかせわしない。さすが都内!

「柳の井」桜田壕の土手下に柳の木に因んだ井戸があり名水と言われていたようです

11:50 法務省、警視庁、国会議事堂、最高裁判所と続きます
お休みでもあって警備姿はほとんどみかけませんでした

12:20 半蔵門
半蔵門を左折してお堀から離れ、麹町から四谷と向かいます
四谷見附の大番所があったところは現在でも枡形になっています
陸橋の下は四ツ谷駅のホーム、四ツ谷駅を過ぎて西へ新宿に向かいます


13:10 四谷大木戸跡
街道は右斜め方向に進みますが、四谷4丁目交差点に四谷大木戸があります。
5,6年前に玉川上水を近所のウオーキング仲間と歩いた時、玉川上水の終点でかって訪れたところでした
水番所が置かれていたという玉川上水水番所跡がありました

13:20 秋葉神社
ここの狛犬は左右ともに子供の狛犬をかかえているもので、ユニークなものでした

13:30 太宗寺
ここには、「奪衣婆像」、「閻魔大王像」、「布袋様」などが祀ってあります。
特に「奪衣婆像」はなかなかの迫力
三途の川を渡ってきた亡者の衣服を剥いでその重さをはかり、
それによって現世での罪状を決める役割の鬼婆であったそうです
             塩を被った「塩かけ地蔵」

その怖さに反して銅造地蔵菩薩坐像は、
江戸の出入り口となる六つの街道筋に安置されていた「江戸六地蔵」のひとつ
なかなか美しい顔立ちでした

13:40 新宿3丁目交差点
青梅街道の追分となっていて、甲州街道は左折します
新宿駅南口を通過します。この駅周辺はものすごい人・人・人でした

14:00 文化学園大学脇
甲州街道はそのまま国道20号に名前を替えて、高速道路の高架脇を通ります


14:15 初台駅前商店街
やっと遅いランチをとりました
15:30 笹塚駅前 
このあたりに笹塚の一里塚があるはずだがまったくみあたりませんでした
道路拡張などにより街道から奥へ追いやられてしまったのでしょうか
この笹塚という地名は街道の両側は一面の笹で覆われていたといわれています

16:00 京王線 明大前駅
年はじめの初ウォーキングはお正月からの身体の重さもあり、
予定では上高井戸まででしたが、初回はここで終了となりました
歩数:30579歩 歩行距離:19.57Km

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奥州街道 最終回(大田原宿~白河宿)

2022-10-07 | 街道歩き

中山道ウォークを3月に終えてやれやれと思っていたところ、そういえば、奥州街道がまだ残っているんだと気がつきました。

奥州街道はほぼ8年前に大田原宿まで歩いていて、残りの43.6キロを残していました。あまりにも長いうえにその間宿泊場所が芦野温泉だけなので、実はビビッていたのでした。

そこで、なんとかしてかたをつけたいと思い、前泊で大田原市内に泊まり半日だけ歩いて、距離を稼ぎ、2日半で歩こうと実行に移すことにしました。


日本橋から大田原までは、過去のブログにまとめてあります。

奥州街道1日目 宇都宮宿~白沢宿~氏家宿 - 小さな庭 (goo.ne.jp)

奥州街道2日目 氏家宿~喜連川宿~佐久山宿~大田原宿 - 小さな庭 (goo.ne.jp)

10月1日
大田原宿場はすでに昔の面影はほとんど消滅していますが、本陣は奥州道中最大であったようです。

12:50 大田原市の旧跡、愛宕神社の薬師堂
五重塔を乗せた石塔七重塔は市の有形文化財


金属製の「金燈籠」

石造の台座には、この交差点が塩原道の追分であることから、江戸と彫られていました

13:30 長い階段の先にある大田原神社
藩祖の大田原資清が大田原城築城の際にご神体を移しました

その奥州街道を挟んで向かい大田原城があります。土塁が残されていました

蛇尾(さび)川を渡ります
昔は暴れ川だったようですが、今では水も澄んで穏やかな流れでした


14:25 中田原の一里塚
両塚が残っていたようですが、道路拡幅の際に取り壊されたようです

14:40 道標(棚倉街道との追分)
材質は安山岩、右奥州道、左棚倉道と刻まれています
棚倉街道は大田原宿を経由して江戸・日光方面に向かう近道として重要な街道でした

15:00 樹齢400年の高野槇(こうやまき)

市野沢交差点の先にあり、奥州道中三槇のひとつ

ここで、この日の宿泊大田原市内に戻るのにちょうどいいコミュニティバス停があったので、この日の到達点としました。(1日目歩数:17196歩)

10月2日
昨日の到達点市野沢まで、一日に数本しかないコミュニティバスで行くつもりでしたが、日曜日は運休だったことに気がつきませんでした。しかたなくタクシーで行こうと思ったところ、宇都宮で開催されている国体で出払ってしまっていると言われましたが、なんとか手配できたタクシーで、予定よりも遅れて2日目のスタートとなりました。

9:20 永代常夜灯・一九夜塔
市野沢の先、綿貫(ねりぬき)集落の街道沿いにがありました

10:30 樋沢神社
小さいが階段の先にひっそりと、また神社脇の林のなかに鍋掛の一里塚がありました

鍋掛宿に入ります。ほとんど宿場の面影はありませんでしたが、道路わきに並んだ石碑の石が秋の陽の影を落としていました。

11:30 加茂神社境内の芭蕉句碑
「野をよこにうまひきむけよほととぎす」

11:40 昭明橋
「昭和の新しい時代を明るく」という願いを込めて命名された昭明橋
この那珂川は徒歩渡りで水の多い時だけ船渡しだったそうです。

まもなく越堀宿に入ります。那珂川の増水で足止めされた、参勤交代が水の引くのを待った宿として越堀宿ができたということです。

12:35 寺子の一里塚
寺子は越堀宿と芦野宿の間の宿
牛を供養する碑 のんびりとした牛の石碑

 14:00 余笹川が流れる黒川橋
稲刈りがはじまり、日本の原風景を見ているような景色でした

15:00 芦野温泉
思ったより早く今宵の宿に着くことができましたが、疲れました。

ここ芦野温泉は、昔から湯治場としても有名で、お風呂も何種類かあります。その中に薬草の湯というのがあって、1分も入っていると身体がヒリヒリ・ピリピリして、その刺激は相当なものでした。ほかの湯はとても気持ちがよかったです。ただ、歩き疲れているので、何度も入ることができないうえに翌朝は時間がなく、一度だけ温泉に浸かっただけでちょっと残念でした。また、ぜひ来てみたいところでした。(2日目歩数:29874歩)

10月3日
8:30出発し、芦野宿にはいります。
芦野は東北の入口にあたり、関東へも続き、交通の要所で宿場はにぎやかだったようです。
家の軒先には屋号が書かれて宿場らしい雰囲気でした。丁子屋は当時より鰻が有名で現在も営業していました。



9:00 三光寺
日本三大聖天の一つで、本堂正面に銘木と言われている松の木がありました。

9:20 本陣跡
本陣跡には芦野石を使った近代的な石の美術館が建っていました
このあたりに問屋もあったようです

9:40 遊行柳
 一遍上人が旅の途中、使っていた柳の杖が根付いて柳になったという伝説の残る場所
ここには、西行、芭蕉、蕪村も訪れ、芭蕉は「田一枚植えて立去る柳かな」と残しました
遠くからこんもりとした場所を眺めただけでしたが・・・


しばらくは大型車など交通量の多い国道沿いを歩きます

稲がすっかり色づき、赤とんぼが飛び交い、みちのくらしい牧歌的な景色が続きます

11:20 間の宿である寄居宿に入ります
那須三十三所観音霊場の第10番札所である與楽寺(よらくじ)

11:40 泉田の一里塚
国道沿いにがあり、きれいに整備されていました
石塔群が一列にならびのどかな街道が続きます


12:00 初花清水碑
「飯沼勝五郎夫妻」のゆかりの清水、この夫婦のお墓は東海道の箱根山中にあったそうです
そういえば箱根の「初花そば」もこの地と関係があったのかと・・・

旧道から国道に出る手前にひょうたんの形をした石がありました
石碑には「瓢石 勝五郎旧跡」とありました。単調な国道をすすみます

12:40 境の明神
栃木と福島の県境 関東と奥州の国境を挟んで玉津島神社と住吉神社の2社がありました

長い緩やかな登りをやっと終えて道は下り坂、街道は白坂宿に向かいます

13:40 白坂宿
当時の面影はほとんどなく、「雨が降っても傘いらず」と言われるほど軒を連ねていたようです
本陣や問屋などもほとんどわからずじまいでした

14:45 観音寺
本陣を努めた庄屋・白坂家の菩提寺

15:00稲荷山の辺り
戊辰戦争がもたらした悲劇の白河口古戦場跡地 


15:40 奥州街道最後の宿場白河宿場に入りました
本町は白河宿の中心で、本陣跡、脇本陣、などがあり右折左折を繰り返します


15:50 田町に入ります

津島神社 お天王さまと親しまれている

16:00 田町大橋で阿武隈川を渡ります


16:20 奥州街道の終点 女石の追分

会津街道は左へ入り、奥州街道は右へ仙台・松前と続きますが、この分かれ道が正式の奥州街道の終点となります。
長い長い一日でしたが、お天気に恵まれてケガもなく無事に奥州街道を終えることができました。(3日目歩数:42061歩)

これで4街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道)はすべて踏破ということになります。

2004年にスタートした街道歩き、なんと18年の歳月をかけました。
江戸の時代に作られた街道は5街道、あとひとつ甲州街道が残っていますが、年齢的にもすべてを踏破するのは厳しいことかと思います。
ただ、街道ウォーキングは大変楽しいものでした。街道を歩きながら、史跡や城跡、旧宅など当時のおもかげを辿り、また四季折々の風景も堪能しました。目的地はいつも遥か遠くで、続きがあって、到達目標があったのも旅を楽しめた要因だったかなと思います。

また、機会があったら、今度はワンポイントで訪れたいと思います。

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第19回中山道ウォーク4日目 最終回(武佐宿~草津宿)

2022-04-13 | 街道歩き

3月28日
昨日は膝の不調で、予定を1時間半ばかり切り上げたので、最終日は強行軍になりそうです。
京都駅を8:05発JR野洲駅8:36着、昨日の到達点の近江鉄道バスのバス停「鏡石」に戻る予定でした。
ところが野洲駅に到着後、バス停を探している間にバスの発車に間に合わず、結局タクシーで鏡石バス停まで行くことになりました。

8:45「鏡石」バス停着
この辺りは「鏡」と呼ばれて鎌倉時代の宿駅で、武佐宿から守口宿までが長かったので、間の宿として栄えていたようです。

8:50 本陣跡がありましたが、ただ間の宿で正式な宿場ではなく宿泊はできなかったようでしたが、街道筋には「旅籠吉田屋跡」や「桝屋跡」などが残っていました。

源義経がこの地で元服したことで、いろいろな遺跡が残っていました。義経宿泊の館跡や義経が元服したときに被っていたという「烏帽子掛け松」、義経元服の池など。



9:00 平家終焉の地
平宗盛、清宗は壇ノ浦で滅び
捕らわれの身となり、護送途中のこの場所で処刑されたと伝わっています

              蛙不鳴池
           平宗盛親子の首を洗った池でそれ以降蛙が鳴かなくなったと伝わる

10:00 甲山古墳公園
 6世紀を中心とする古墳群で円墳で、川堤の桜がきれいでした


銅鐸モニュメント
東海道新幹線敷設工事の際、多数の銅鐸が出土したそうです


10:20 稲荷神社の鳥居                  

              茅葺屋根の慶長元年創業の酒造「曙」の蔵元

昨日はこの近くにある JR野洲駅まで歩く予定でした。しかし疲れ切っていたので予定を切り上げた判断は、昨日の疲れを引きずらずに、最後の一日を元気にスタートできたので、よかったと思いました。

10:50 背比べ地蔵
子供の背丈が地蔵くらいになれば一人前と背比べさせたという伝えです


11:10 野洲川橋
鈴鹿山脈に源を発して琵琶湖に注ぎます

日が暮れると野洲川を渡る旅人のために、常夜灯に灯したというお堂が近くにあり
芭蕉の句碑も残っていました

11:40 守山宿入口
長かった武佐宿が終わり、守山宿に入ります。
守山宿は比叡山の東門として、「守山」という語源は、山を守るという語源からきています。
江戸時代には東海道石部宿へ至る交通の要所として栄えていたようです。

益須寺跡の標識には日本書紀の中に、この地で湧く泉が病気に効くので水田などを寺に献上したという記述がありました。


             守山宿の街並み
              当時は一戸ごとに段違いにする屋敷割りだったようですが
              すでに改修などが繰り返されてわからなくなっていました

12:10

本陣跡推定地で名残はありませんでしたが、まわりには歴史を感じる遺構が残っていました。
宇野本家(元首相宇野宗佑氏の実家)りっぱな酒造元


          本陣跡

      
12:20 今宿の一里塚(江戸日本橋より百二十八里目)
滋賀県内で唯一現存する一里塚

黄連坊母公墓標石
一目会いたいと京からここまで来たが、すでに斬首されたと聞き
母は、この村の尼ケ池に身を投げてしまった

東門院
石造五重塔国重要文化財


13:00 佛眼寺地蔵堂
川から拾い上げた地蔵を「さぞ寒かっただろうと」頭から綿を被せたと伝えられます

      伊砂砂(いささ)神社

13:30 まもなく JR栗東駅を過ぎ、花園の交差点を過ぎると草津市に入ります。
中山道最後の宿場です。道は住宅街の中の狭いトンネルを潜って線路わきの狭い道を通ると草津の駅や繁華街に入ります。

最後の最後でわかりずらい「中山道標識」


やがて商店街を抜けると草津トンネルが見えてきます
トンネルの上はかって草津川が流れる天井川だったのですが、現在は明るい公園になっていました


14:00 旧東海道との合流点追分に着きました。中山道の終点です

なんとか草津宿までたどり着きホッとしました
旧東海道、中山道の終点であり、東海道五十三次の西の起点でもあります


14:30 京都三条大橋
合流点からその足で、草津駅からJRで京都駅、地下鉄に乗り換えて三条大橋に向かいました。
三条大橋は花冷えのする寒い午後でした。

               三条大橋から鴨川


三条大橋の西の袂に十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場する
「弥次さん喜多さん」の銅像があります


私たちもここで3年半を要した、夫との弥次喜多中山道道中の終了としました(歩数:37,033歩)

中山道をスタートしたのが、2018年9月29日 日本橋から東京・板橋宿まででした。
その後、ほぼ1か月に1回のペースで、本庄宿(埼玉県)まで進み、だんだん日帰りが難しく成り、本庄宿から下諏訪宿(長野県)までは、1泊2日の行程で進みました。

しかし、2020年からはコロナ禍による緊急事態宣言、蔓延防止等重点措置にょる外出制限などがあり、ほぼ1年間中断を余儀なくされました。
後半は、年ごとに加算される年齢との体力勝負。なんとか、ゴールに近づきたいと木曽に入ってからは、2泊3日、最後は3泊4日の行程で歩き続けました。
全18回 36日間、日本橋~滋賀県草津 510キロでした。(日本橋・京都間は63次534キロ)

おかげさまで、ブログ友、友人、家族の応援、ほんとうにありがとうございました。

また、旧東海道を2008年に京都三条大橋まで歩いていますので、草津・京都三条大橋へは同じ街道になります。
下記のURLをご参考までに

旧東海道ウォーク 石部宿~三条大橋まで
https://blog.goo.ne.jp/yokohama-akiko/c/ea71ff634da13670b7fcad46ecb08119

 

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