小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

甲州街道8回目(鳥沢~初狩)

2024-03-23 | 街道歩き

膝関節症と診断されていた足も、リハビリを続けて、だいぶ改善されるようになりました。
理学療法士からは、「歩くのは大いに結構!でも痛かったらやめておいてくださいね」という心強い言葉に、今週も甲州街道を先へ進むことにしました。
ただ、気になるのはスギ花粉!帽子にマスクに眼鏡という少し怪しいスタイルでの出発となりました。

6:50 2024年3月16日 自宅スタート
 自宅を出発してからおよそ3時間、先回の到着駅JR中央本線鳥沢駅に到着しました
乗降客の少ないこの区間は、しばらくドアは自分で開ける半自動ドアとなり
駅に着いても一瞬ドアが開くのを待ってしまいました

10:00 ウォーキングスタート
駅前には、扇の形をした扇山が迫っています

鳥沢宿は上鳥沢宿と下鳥沢宿に分かれている合宿でした
その間は550mしか離れていません


上鳥沢宿本陣跡 「叶屋 旅籠風」


10:10 本陣跡 明治天皇駐蹕地碑

11:00 猿橋宿
史跡猿橋は日本三大奇橋のひとつで、もの見物人で賑わった宿場でした

芭蕉の句碑「うき我を淋しがらせよかんこ鳥」

両岸から張り出した四層のはね木で橋を支えています
橋の長さは31m、川面まで30m
現在の猿橋は寛永四年(1851年)の図面をもとに、昭和59年に復元されました

12:10 大小の馬頭観音

江戸日本橋より23里目の一里塚があったようですが、わからず通り越してしまいました

12:23 駒橋発電所送水管
 明治40年当時は日本最大の水力発電所だったそうです

中央線の踏切を渡り、駒橋宿に入ります
本陣も脇本陣もない、旅籠数件だけの小さな宿場には桂川の渡船場がありました

12:40 厄王大権現  秋葉大権現常夜燈

駒橋宿の街並み

旅籠橿屋 古い町並みが残っていました

大月宿
この宿場は富士街道との追分を控え、富士講の人々で賑わっていたようです

13:00 大月駅
特急が止まる大月駅の駅前は賑やか、駅前のミモザが見事でした

13:30 大月市役所の先に「明治天皇御召換所跡」と本陣跡

13:50 一里塚跡
庚申塔や芭蕉の句碑が残るのどかな風景が広がっていました

花咲宿
やはり下花咲宿と上花咲宿で構成され、それぞれに本陣1と脇本陣2があり
全長は600mほどでした

14:00 溝口本陣跡

代々溝口五左衛門が務めました「明治天皇御召換所跡」の碑

丸石の道祖神は甲州特有
この先街道は交通量の多い国道沿いを歩きます

15:00 源氏橋
笹子川とJR中央本線を渡り、線路に沿って進みます

砂利道でこれが甲州街道かと不安になりました
そのままセメントの鉱業所の敷地に入ったようでしたが、
これが甲州街道でまもなく舗装道路にでて、国道と合流しました

初狩宿
初狩宿は下初狩宿と中初狩宿の二宿で構成されています

15:20 聖護院道興歌碑

文化3年聖護院の僧正の歌碑
「今はとてかすみを分けてかえるさにおぼつかなしやはつかりの里」

15:26 山本周五郎出生地碑

街道筋の建物は、道路より一段低いところに建っているのが気になりました
多分街道の改修がされたのでしょうか

15:28 廿三夜塔 傍らに明治40年建立の常夜灯

15:35 初狩駅
しばらく、甲州街道はJR中央本線沿いにあるので
この日ももう少し歩こうと思ったのですが、疲れが残らないうちにと
この日のウォーキングを初狩宿までとしました
(歩数:30106歩 距離:15キロ)

コメント (2)
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甲州街道第7回目(上野原~下鳥沢)

2024-03-08 | 街道歩き

昨年秋から冬にかけての各地のクマ出没情報に、甲州街道も峠も多いので出かけるのに怖気づいてしまいました。
とにかく怖がりなので・・・
でもこの調子だと、甲州街道の終点「下諏訪」にはいつ着くのだろうと心配にもなり、思い切って再スタートを切りました。

2024年3月3日 6:55自宅出発(バス)


10:10    上野原宿
冷え込みもあまり感じることなく快調な滑り出しだったのですが
上野原宿の外れ、上野原本町歩道橋を過ぎたところで
思いっきり鋭角に右に折れることころを間違えて直進してしまいました
上野原を過ぎると街道は、JRから大きく離れてしまうので、
このあと旧道沿いのJRの最寄り駅は14キロ先の鳥沢駅
果たして鳥沢駅まで歩けるのか、半年ぶりのウォーキングでもあったので
少し不安で、先を急げとばかり道を間違えてしまったようです

11:00 鶴川沿いにでたので間違えないだろうと思い先にすすみ
鶴川橋とおぼしきところで、道に間違えたことに気がつきました
やはり土地の人に聞くのがいちばんと思い、近くの床屋さんを覗いてみたら
お客さんもいないようだったので聞くと・・・
とても親切にもとの鶴川歩道橋に戻る道を教えてくれました
(結局、この方は教えたけれど心配になって、車で先回りして
鶴川歩道橋脇で待っていてくれました 感謝!感謝です!)
結果、1時間以上のロスとなってしまいました

12:00    鶴川橋
昔は橋はなく、120m下流に渡しがあったようです
 遅いお昼 30分ほどの休憩

橋の上から上流側と下流側を望む

12:10 鶴川宿の街並み
明治・大正の二度の大火で、建物はほとんど焼失してしまったそうです

脇本陣跡、問屋場跡、本陣跡のみ


傍らに地蔵尊が祀られている水天宮

12:40 中央自動車道の跨線橋

 大椚(おおくぬぎ)の一里塚 江戸日本橋より19里目

13:05 大椚観音堂
 宿場のはずれに吾妻神社と観音堂が建っていました

大日如来坐像と 千手観音像菩薩像が納められ
その奥に昔クヌギが立っていたので、名前の由来になったということです

13:50 野田尻宿
 中央自動車道の脇に宿場は位置し、今では近くに談合坂SAがあります
鶴川が川留になると大いに賑わったようですが
やはりこの宿場も明治19年の大火でほとんど焼失してしまいました

14:15 荻野の一里塚 江戸日本橋より二十里目

14:35 武甕槌(たけみかづち)神社

「軍神」を祀るところから軍勢神社とも呼ばれていました

14:45 座頭転がし

 先導者の声を頼りに進んできた盲人が、屈折している峠道を声の方に進み
深い谷に落ちてしまったという急坂が続いています

15:10 犬目宿場
「この地は狗目嶺とて一郡の内にて極めて高き所なり・・・」
というように海抜500mを越えるところに位置しています

宝勝寺 
葛飾北斎、歌川広重もこの境内から犬目峠や峠から見える富士山を描いたといわれています

15:20 白馬不動堂 神仏混合の赤鳥居

15:36 恋塚の一里塚 江戸日本橋より二十一里目

16:30 下鳥沢宿
 

JR鳥沢駅
17時の電車で帰路につきました
長い長い一日でした
(歩数:37563歩 距離:16.1キロ)

コメント (2)
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