小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

ヨーロッパ旅行記8 ~スイス・ツエルマットの4日間(後半)~

2019-07-20 | 旅行


2日目
朝起きると、雨は止んでいたものの肌寒く、ただホテルの窓からは雪の付いたアルプスの峰々が見え隠れしていました。
朝食後、予定通り、ハイキングの支度をして地下ケーブルカーで標高2288メートル、スネガ展望台まで高低差683メートルを一気に上がります。


凄い角度の地下ケーブルカー、かなりのスピードで斜面を上がっていきます

下りると空気がさすがにヒンヤリと、やはり残念なことにマッターホルンは雲の中

4000メートル級の高さは雲が邪魔をしてなかなか全容をみることができません

ハイキングコースはここスネガからツエルマットまで下るというコース

眼下にみえるのはライゼー湖、まずこの湖を1周しました


足元には可愛い高山植物が夏を待ちわびるかのように咲いています

まもなく、フィンデルンの集落にでました

小さな集落の間を縫ってつづら折りの急坂を下ります

やがて針葉樹林帯に入り高山植物の種類は少なくなっていきますが、木の切り株を利用してキノコの彫刻(?)がありました。この切り株は今回のハイキングでいろいろなところで見かけました。


                 ハイキングの標識は至る所にあり迷うこともありませんでした


ツエルマットの村に2時間ほどでつきました

一度ホテルに戻って小休止したあと、午後はツエルマットの街を散策しました。
日本の妙高高原と姉妹都市を提携しているというプレート

1865年にマッターホルン初登頂を果たしたエドワード・ウィンパー候
初登頂の栄光と下山中に4名が遭難死した悲劇と、切れたロープのエピソードが頭をよぎります


村には馬車と電気自動車のみ、排気ガスをシャットアウトする環境への試みが伺えます

 3日目
朝起きたら、なんとか青空も覗くお天気に回復していました。この日はマッターホルンの姿がスイス随一と呼ばれているゴルナグラードを目指します。
ツエルマットを流れるマッタ―フィスパ川は氷河から流れ出る水で乳白色をしています。ツエルマットの村からマッターホルンが見えるビューポイントと言われているこの橋から見ると、マッターホルンは墨絵のように見えました。


まだ雲がかかっていましたが、そのうち晴れるのを期待して出発しました

ゴルナグラード登山電車で、ゴルナグラード展望台まで急斜面をのぼりながらおよそ30分高度差1469メートル。電車両脇の景色は、アルプスの山々がくっきりとその雄姿を見せはじめました。

この登山鉄道はアルプス登山ブームの全盛期の1898年に開通したというのですから驚きです。

ゴルナグラードの展望台につきました。標高3100メートル、さすがに雪も多く寒いです。


マッターホルンがある西側はなかなか雲が取れませんが、
鋭くとがったアルプスの山々が見事に現れました。
私はこの景色を見れただけでも十分だと思いました。(夫は諦めきれない様子)


眼下には、見事にくねった氷河が続きます

本来はゴルナグラード鉄道の中間駅リゥフェルベルク駅(2582m)からハイキングをする予定でしたが、まだ積雪が多く断念せざるを得ませんでした。そこでさらに下の中間駅リッフェルアルプ駅(2210m)からツエルマットまで歩くことにしました。


ほぼ森林樹林帯の限界地帯であるので、高山植物はあまり期待できませんが
きもちのいい森林浴を楽しむことができました。


まるで、アルプスの少女ハイジの物語のなかに迷い込んだようです。

この日も午後2時ごろにはツエルマットに戻ることができました。

ツエルマットで一番古いレストランで遅いランチをとりました。

店内にはアルプスの長い歴史を刻んだ登山家や雪のシーズンや登山シーズンに
リゾート地として訪れた白銀のスターたちの写真も飾られていました。

ツエルマットには、昔ながらの風景を残す古い地区が保存されていました。


高床式の穀物倉庫で、ネズミなどが倉庫に上がってこれないように
倉庫の床と小屋を支える柱の間に円盤状の石が積み重ねられていました。

ツエルマットに滞在して3日、天候は回復に向かっているように思えるものの、まだマッターホルンを見ることができず、次の日はいよいよ最終日となります。
夫と話して、翌日はチューリッヒに5時間ほど寄ったあと、ドイツとスイスの国境の街コンスタンツで1泊する予定でしたが、翌朝が快晴であればもう一度スネガの展望台でマッタ―ホルンを見てみようということになり、翌朝の天候に期待して休みました。

4日目
さすがに早く目覚めて、カーテンを開けると日の出にはまだでしたが、雲一つない快晴で天気は回復していました。ヤッター!
朝食を済ませ荷物を纏め、チェックアウト後、荷物をホテルのフロントに預けて出発しました。

ツエルマットの村を流れるマッタ―フィスパ川、この川に架かる橋からみえるマッタ―ホルンは絶好のフォトスポットだと言われています。まず、この橋を通ります。


そこで見たこのマッターホルンの姿に唖然としました。
4日目でやっと姿を見せた雄姿に言葉を失いました。感激ひとしおでした。

すぐにケーブルカーに乗って、スネガ展望台に向かいます。

期待通りの朝日を浴びたマッタ―ホルン
スイス側から見えるマッターホルンは北壁と東壁
この北壁の絶壁はまさにこの山の凄さを物語っています


ライゼー湖の湖面は風もなく逆さマッターホルンを見る絶好のチャンス


360度の大パノラマ!雲一つない真っ青な空
パラグライダーから見るマッターホルンは、鳥になった気分でしょうか・・・

マッターホルンをはじめアルプスの山を 十分に堪能して、12時にツエルマットを出発しました。
途中チューリッヒを経由して、ドイツとスイスの国境の街コンスタンツに着いたのが夕方5時でした。

          コンスタンツはローマ帝国皇帝の名前から、ホテルにも中世の壁画が

コンスタンツはドイツとスイスの国境となっているボーデン湖の西に位置しています


ホテルにチェックイン後、まだまだ陽は高く、夕飯を食べにコンスタンツの街にでました。さすがに疲れていた上に街の様子もわからず、取り敢えず英語のメニューのあるレストランに入り、サーモンのグリルとサラダを食べました。


これがさっぱりしてとても美味しかったのは、旅も終盤、ほっとしたせいでしょう。

翌日、4時間半の列車の旅を終えて、フランクフルトに戻りました。なにか、フランクフルトがとても懐かしい感じがしたのは、それだけ今回の鉄道の旅が緊張の連続だったのかも知れないと思いました。日本の温かい懐に戻ったようでホッとしたのも事実です。また3週間という長い間、世話になった長男家族に感謝です。

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ヨーロッパ旅行記7 ~スイス・ツエルマットでの4日間(前半)~

2019-07-16 | 旅行

1日目 ベルンで途中下車
6月10日から4日間、ICE鉄道で国境を越えてドイツからスイスに入りました。
フランクフルト8時50分発、ベルンにはお昼の12時56分着です。

座席指定券もすでに前日に購入済みだったので安心していたのですが、指定券にワゴンNO.(車両)と座席番号が書かれていたにもかかわらず、車両の場所を見つけるまでホームを右往左往することになりました。


乗る列車の車両番号は直前に駅のホームで確認することができます
(その規則性があるらしいのですが私には最後までさっぱりわかりませんでした)
まぁ、なんとか順調に滑り出しました。

国境の駅(バーゼル)はどこの駅とも変わらず、少し停車時間が長いかなと思う程度でした。ヨーロッパEU諸国間は入国審査もないので移動に関してはほとんど意識することもなく、国境を通過することができます。

ベルンに着いて、荷物をコインロッカーに預け、次は夕方5時発の列車の予定なので、4時間の市内観光をしました。

スイスが長く中立を保ってきたので、ベルンは大戦中の爆撃などで壊されることもなく
現在でも中世の姿をそのまま保っている丸ごと世界遺産の街です。


石造りのアーケード(ヨーロッパ最長のショッピング・プロムナード)が続いています。
そのアーケードに挟まれるようにして赤いトラムが走っています。


街の至ることろにある水飲み場、この泉は中世から人の喉を潤してきたそうです。

泉のデザインもカラフルで楽しいものでした。100か所以上あると言われる泉はメインストリート周辺に多くみられるようです。


パイプ吹きの泉         アンナ=ザイラーの泉        正義の女神の泉

メインストリートのほぼ中央に時計塔が時を刻んでいます

1530年に作られた天文時計と仕掛け時計
天文時計は盤面中央に地球があって天動説をテーマにした天文版になっていました。 

アーケードを進んでいくと、アーレ川に架かるニーデック橋に着きます。

夏季になると、このアルプスの冷たい雪解け水のアーレ川でベルンっ子は泳ぐのだそうです

                     中世の雰囲気が残る街並み

夕方5時6分ベルン発の列車に乗り、乗換駅Visp(フィスプ)で、スイスの在来線に乗り換えツエルマットに入ります。
ベルンからはスイストラベルパス(スイス国内の鉄道・バス・湖船などが一定期間乗り放題になるチケット)で、チケットを買う手間と苦労は半減できる上に、言葉の不自由な旅行者には大助かりです。

スイスアルプスの天気が気になる所でしたが雨はやむ気配もなく、1時間あまりでVisp着、スイスでは公共交通機関の接続が正確に移動できるようネットワークされているようで順調に乗り換え、さらに1時間あまり、窓が大きく広い景観列車で、雨で曇っていましたが、スイスらしい田園風景を楽しみました。
列車のテーブルには地図が印刷されていました。

ツエルマットは夕方7時に到着しました。標高1602メートルのマッターホルン登山の基地ツエルマットは降り立つとさすがにひんやりしていました。
ホテルは駅から5分ほどでしたので、まずチェックインしてメインストリートを歩いてみました。まさに観光地といった感じで、お土産物屋さんとレストラン、時計店(さすがスイス)、チョコレートのお店などが軒を連ねています。お昼も慌ただしかったので、夜はスイス料理を食べようと気合を入れて、英語でメニュー表示のあるレストランを探して早速、スイスの代表料理チーズフォンデュとラクレットを注文しました。

ラクレットはお皿に溶け出したチーズをナイフですくいながらジャガイモなどにつけて食べます。

チーズフォンデュはお鍋に溶かしたチーズにパンやじゃがいも、酢漬けした野菜などを絡めて食べます。

とても美味しかったのですが、味も濃く、量も多く、すぐに満腹になってしまいました。
ホテルに戻っても、雷ゴロゴロで雨のやむ気配はしませんでした。長い長い一日が更けていきました。

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ヨーロッパ旅行記6 ~日帰り旅行 ケルン~

2019-07-13 | 旅行

次の日は、やはりICE鉄道に乗って1時間50分、ケルンにやってきました。
私が子供の頃は、ケルンは世界屈指の工業地帯と社会科で習っていたように思います。鉄鋼業が盛んで、刃物やはさみなどで有名だったと記憶しています。
現在でもやはり、熟練技を駆使したモノづくりが盛んでマイスター制度を積極的に奨励していると聞きました。

ケルン中央駅に下りると目の前に、ケルン大聖堂が聳え立っています。

ケルン中央駅前の大聖堂


2つの塔が聳え立っています

ケルン大聖堂は世界遺産にも登録されているカトリックの大聖堂、尖塔は157メートル、ゴシック様式の大聖堂としては世界最大です。
1248年に建設が開始されて、およそ600年後の1880年に完成したと言うことですので、気が遠くなる話です。当時は世界一高い建物だったそうです。

 
南正面玄関には聖母マリアの彫刻が施されています。


イエス・キリストの誕生を予言した東方の三賢者の聖遺物が収められている黄金の棺

 ステンドグラスも素晴らしいです。

ルートヴィヒ1世が奉納した「バイエルンの窓」         格子柄のステンドグラス

第二次世界大戦で、当時あったステンドグラスが粉砕されてしまったために、2007年にドイツ美術界の巨匠ゲハルト・リヒターが大聖堂のステンドグラスから72色を抽出して、モザイク柄のステンドグラスをデザインしたということで、このモザイク柄のステンドグラスは世界でも珍しいそうです。

地下入口近くに南塔に上がる入口があり、当然途中まででもエレベーターがあるものと思い軽い気持ちで入場料を払い足を踏み込んだのですが、そこは人も一人やっと通れるほどの螺旋階段の始まりでした。塔の先まで526ステップ、登り始めたことに後悔しました。


展望台からの眺望は素晴らく、目の前にライン川が流れます。
螺旋階段の下りは登りよりももっと大変でした。
こんなところで、転んで骨折でもしたら大変と慎重に下りてきました。

すっかりこの尖塔踏破に疲れてしまった私たちは、歩行者天国で賑わうホーエ通りのカフェでお茶をしてから、旧市街の古い建物が広場を囲むマルクト広場にでて一息つきました。


パステルトーンの建物に囲まれたマルクト広場

この広場の周辺は ケルンの地ビール「ケルシュ」(とても安価)が名物で、たくさんの酒場がありました。私たちも息子と一緒に飲もうと重たいビール瓶を3本も抱えてフランクフルトに戻りました。

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ヨーロッパ旅行記5 ~日帰り旅行 ハイデルベルク~

2019-07-10 | 旅行

滞在にも慣れてきた頃、今度はフランクフルト中央駅からICE特急で1時間弱、古城の街ハイデルベルクに行ってみました。私たちはドイツ国内、期間内であればどこでも乗り降り自由にできるドイツ国鉄のドイツ鉄道チケットを購入していたので、切符を買う手間もなくフランクフルトから少し遠くにも出かけることができました。


定刻になると、音もなく発車します

ハイデルベルク中央駅からバスに乗り、ケーブルカーに乗り継いで、山の上にある古城ハイデルベルク城を目指します。



ほとんど廃墟化したように見えるのですが、その古城の存在感には圧倒されます。

重厚な石づくりでゴシック、ルネッサンス、バロックなど様々な様式が取り入れられています。
ドイツ三大名城の一つと言われています。


お城の地下には世界最大級のワインの大樽がありました。
当時の城主の力を誇示するものなのか、とにかく大きいです。

お城のバルコニーから見た旧市街は、ライン川の支流ネッカー川に沿って旧市街が眼下に広がります。
バロック風の街並みはまるでおとぎの国の箱庭を見ているようでした。

ハイデルベルク城から下りて旧市街に入ります。
建物を挟んで路地が続き、カフェやレストラン、お土産物やさんが軒を連ね、たくさんの人で賑わっていました。

聖霊教会や市庁舎などは旧市街の中心マルクト広場にありました。


マルクト広場から、ほどなく若者たちが多くなったかなと思うと
ドイツ最古の歴史を誇る大学ハイデルベルク大学の構内に入っていきます。


ネッカー川に架かる1786年に建てられたカールデオドール橋を渡ります。


橋からは城下町と古城が目の前に広がり
タイムスリップして中世ヨーロッパに入り込んだように感じてしまいます。

川を渡ると、橋のふもとから山に向かって急坂があり、哲学者の道と呼ばれる散歩道が続いています。

この石畳は山の稜線まで続きます。
ゲーテをはじめ、多くの哲学者や詩人が歩いて思索にふけった道なのだそうですが

私としては思索どころか、暑さと疲れで登ってしまった自分を悔やみました。
でも、このあと旧市街に戻って食べたジェラードの美味しかったことは忘れられません。

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ヨーロッパ旅行記4 ~フランクフルトを歩く~

2019-07-07 | 旅行

バルセロナから帰った翌日はさすがに疲れましたが、一日ゆっくり過ごしたらなんとか元気を取り戻すことができました。

息子たちの家から電車と地下鉄を乗り継ぐと、15分ほどでフランクフルト中央駅に着くことができます。滞在中は、乗降駅として使ってすっかり馴染みになりました。

ドイツ各都市そしてヨーロッパ各国を繋ぐ国際列車など、ドイツ屈指のターミナル駅です


フランクフルトは、国際金融都市としても有名で、個性的な高層ビルが立ち並んでいます。

まずフランクフルト中心部にあるゲーテの生家を探します。街の人々はゲーテのことを「フランクフルト市民の偉大な息子」と呼んでいるほど誇りにしているのだそうです。

文豪ゲーテが生まれ、少年時代を過ごしたゲーテハウス     ゲーテ愛用のデスク

「父の書斎」                調度品も立派な「北の間」 

その生家はフランクフルトでも屈指の名家だったらしく、その暮らしぶりは家具や調度品からも上流な豊かさが感じられるものでした。ぎっしりと詰まった本棚や絵画からも、芸術家としてのゲーテが育まれていった暮らしぶりが伝わってきました。

「詩人の部屋」のシルエットはゲーテとロッテ

ここから5分も歩くと、旧市庁舎のあるレーマー広場にでます。この広場はフランクフルトの観光スポットでしょうか。たくさんの人で溢れていました。かって中世の時代にはこの広場で神聖ローマ帝国皇帝の選挙や戴冠式など儀式が行われていたのだそうです。
ただ、木組みの建物は可愛く、おとぎの国に迷い込んだようです。


1階部分はレストランやお店になっているようでした
私たちも広場のレストランのテラスでソーセージとオニオンスープのランチを取りました。


階段状の切妻屋根を持つ建物は現在では旧市庁舎となっています


広場には正義の女神ユスティシアの噴水があり
女神は正義と公平を測る天秤を掲げています。

フランクフルトにはライン川の支流マイン川が流れ、この川を挟んで旧市街と新市街に分かれます

マイン川に架かるアイゼルナー橋を渡ります。
橋の手すりにはたくさんの南京錠がぶら下がり、恋人たちの恋愛成就なのでしょう。
鍵をかけたあとは、キーは川に投げ込まれるようです。


マイン川はゆったりと流れ、この川沿いにはいろいろな博物館や美術館が軒を連ねています

ドイツ国内で随一のコレクション数を誇る大きなシュテーデル美術館



この美術館には、生涯に絵画を33点しか残さなかったフェルメールの作品が1点だけ所蔵してあります。午後の気温は上がり、やっとたどり着いたのですが、なんと期待していたフェルメールの絵画は、スペインマドリッドのプラド美術館に貸し出し中でした。
運が悪いとしか言いようがありません。ただ、膨大な世界の名画が惜しげもなく並んでいました。

        モネ                   ルノアール

シャガール                    ボッティチェリ


もう少し、ゆっくり市内を見て回りたかったのですが、この日は真夏のように暑い一日でした。夕方にはフランクフルトの息子の家にもどりました。

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ヨーロッパ旅行記3 スペイン・バルセロナへ ~後編~

2019-07-04 | 旅行

第3日目
3日目は9時にホテルを出発、地下鉄を乗り継いでガウディの代表的な建築であるサグラダ・ファミリア聖堂を見学しました。
1882年に着工してから未完の世界遺産として知られていますが、2026年には完成とか。


大きすぎて全容がカメラに収まりません


チケットは予約制で、入館は時間で指定されていました。私たちはすでにネットで購入済みでしたので、入館まで外部の建築を見て回りました。それにしてもその大きさには圧倒されます。
教会は東側の「生誕のファサード」と西側の「受難のファサード」に分かれていて、その各ファサー ドには4本ずつの鐘塔が立っています。


全体的には厳かと言うよりは丸みを帯びたポップなデザインという感じがしました

いよいよ聖堂内部に入ります。荷物検査などのセキュリティーチェックもありました。
生誕のファサード入口の彫刻はよく見るといろいろな動物が蔦の葉に隠されていて、孫たちがとても喜んでいました。


サグラダファミリアの主任彫刻家を務める日本人彫刻家の外尾悦郎氏が手掛けたものだそうです

聖堂内に入ったとたん、巨大な大理石の柱が林立しステンドグラスからは七色の光が差し込み、この異空間にただただ驚きました。


ステンドグラスを通した光は聖堂内で七色のグラデーションに


遥か遠くの天井までステンドグラスの光が届き、淡い色を放しています


天井近くの柱はさらに分散して、それは巨大な樹木が枝分かれしているように見えます


主祭壇には50個のランプに囲まれ十字架にはりつけになったキリスト像がありました

外の生誕のファサードの彫刻もこれでもかと言うほど、細かくほどこされています。父ヨセフを象徴する「希望の門」イエスを象徴する「慈愛の門」、母マリアを象徴する「信仰の門」

一方、東側の受難のファサードは、生誕のファサードとまったく雰囲気を異にしています。彫刻が雑なのではと思うほど直線的です。「最後の晩餐」から「イエスの埋葬」までが物語になっていて、日本語ガイドでも聞きながら見ないととても理解できませんでした。すでに十字架上で死んでいるイエス。左側にはマグダラのマリアがひざますき、聖母マリアもいます

この衝撃的なサグラダファミリア聖堂にすっかり疲れ果ててしまいましたが、ランチをとった跡、元気を出してガウディつながりで、グエル公園に行きました。世界遺産にも登録されているガウディの作品群のひとつで、庭園住宅です。
ギリシャ劇場のように半円形をしている広場
バルセロナ市内が一望でき、遠くには地中海も見ることができました。


まず、ガウディらしい奇抜なデザインの高架橋が見えてきます。この下はまっすぐな柱と斜めの柱が組んであって、うまく上を支えている感じがします。回廊としても調和されています。石と煉瓦でつくられた柱の上にはヤシの木も並んで、自然と調和しているのがガウディの世界観でしょうか。


建ち並ぶ柱のなかに1本だけ、洗濯籠を頭に乗せた女性の柱があるために
「洗濯女の回廊」とも呼ばれています

こちらも予約チケット制の入場でした。まず入場すると楕円形の広大なテラスになっていて、周りはモザイクのタイルのベンチで縁取られています。


タイルの模様は明るく可愛く座り心地もよく、このタイル装飾はガウディの弟子の作品


 手前の建物は管理人室と守衛の家

この庭園の中央の階段上に列柱ホールがあります。このホールに上がる階段はモニュメント階段と呼ばれてとても可愛いモザイクの破裂タイルが貼られています。ガウディは曲面体にも貼れるように廃材で色別にわけて適切なサイズに割って使ったようです。階段中央にある蛇の噴水とトカゲの噴水。ここにもカラフルなタイルが使われていました。階段上の列柱ホール。ギリシャ建築からヒントを得たという86本のドーリア式の柱が立っています。


帰りは、外食も疲れたのでデパ地下で買い物をして、ホテルでおうちごはんとしました

第4日目
フランクフルトに帰る日ですので、息子たちには荷物を空港の近くの一時預かり所に持って行ってもらい、私たち夫婦と孫のひとりはピカソ美術館に一足先に行くことになりました。地下鉄を乗り継いで最寄りの駅に下りたのですが、なかなか美術館の場所がわからず迷ってしまいました。私と夫の拙い英語で聞くのですが、答えてくれるスペインの人たちは親切でおしゃべりなので英語の言葉が多すぎて分からず、9歳の孫の英語力に助けられました。

ピカソ美術館は奥まった路地の先にありましたピカソの9歳からの作品がありその早熟ぶり、天才ぶりが伺えるものでした。

この日のランチは、最後のバルセロナということで、これまた最後のパエリアを堪能しました。
前菜はイベリコ豚

珍しい麺のパエリア

午後は、2日目にも訪れたカテドラルの近く、2日目には探し出せなかった王の広場を探して寄ることにしました。カテドラルのすぐ裏手にありました。
ローマ時代の城壁が残るゴシック建築に三方囲まれた空間で新大陸到達の航海から戻ったコロンブスが、
女王に謁見するために上がった階段が残っていました

夕方には、太陽の照り付ける街、熱い人々の街バルセロナを後にして、フランクフルトに戻りました。

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ヨーロッパ旅行記2 スペイン・バルセロナへ ~前編~

2019-07-02 | 旅行

第1日目
フランクフルトについて2日目、孫たちの学校の休みと合わせて、息子家族5人と私たちと総勢7人でスペインのバルセロ
ナに、4日間の旅行にでかけました。

フランクフルトからバルセロナ空港までは飛行機で2時間20分!この一っ飛びは日本的にはあっという間と私は思うのです
が・・・、フランクフルトの搭乗口で何のアナウンスもないまま待つこと1時間あまり、日本の交通機関であれば、数分の
遅れでさえ必ずその状況をアナウンスするのが当たり前と思っていたのが、まったくその気配なし。

また待つ人たちもあまり気にしている様子もなく、待つのが当然みたいにゆったりしていることに
日本との国民性の違いを感じました。

ともかく無事にバルセロナに着きました。19時ごろでしたが、まだ太陽は沈む気配がありません。
バルセロナの中心カタルーニャのアパート型のホテルに入りました。

ホテルのオーナーと部屋のキーのやり取りが1回あっただけで、
4部屋を自由に使うことができました。

街は街路樹の緑が覆い、清涼な空気を感じました。早速、夕食を取るために街に繰り出し、バルと呼ばれる食堂に行きま
した。オリーブオイルの香りと新鮮な海産物、地中海をひかえた街であることを感じました。

第2日目
翌日は、地下鉄で旧市街にまず出ました。20世紀初頭に建築され、現在もコンサートホールとして使用されているカタ
ルーニャ音楽堂、内装も素晴らしいようですが、ガイドツアーは予約制のために音楽堂の中に入ることができませんでし
た。


モザイクや彫刻で飾られた正面


現在もコンサートホールとして使用されています。
花模様のモザイクタイルで飾ったチケット売り場?

旧市街の路地を通ってカテドラルに着きます。ここは13~15世紀に150年かけて建てられたというバルセロナの守護
聖人を祀っています。司教が座る椅子を持つ「司教座聖堂」はこのバルセロナの大聖堂だけで、最も格式が高いと言われ
ています。


荘厳なゴシック建築


高い天井を支える柱とステンドグラス


スペインを代表する建築家のガウディの作品であるガス灯が立つレイアール広場

お昼も近くなったので、バルセロナのメインストリート・ランプラス通りにでました。プラタナスの街路樹が覆う通りは海
岸まで1.2キロ。行き交う人でいっぱいです。

お昼も近くなったので、バルセロナの台所サン・ジュセップ市場に入りました。恵まれた気候にゆたかな海!なんと大らか
で活気のある市場なのでしょうか。市場は広く奥へ奥へと続いています。思わずここで生の魚介類に舌鼓を打ちました。


さすがスペイン、香辛料の豊富なこと


たっぷりなデザートも食後には外せません

お腹も満たされて、午後はランプラス通りを南にコロンブスの塔に向かって歩きます。高さ60メートルのコロンブスの
像が立っています。海に向かって右手を上げている様子はアメリカ大陸かと思ったのですが、どうも正反対のようです。

強い日差しのもと、地下鉄からフニクラを乗り継ぎ、かつてのバルセロナ・オリンピックのメイン会場に向かいます。眼
下にバルセロナの街が一望でき、その真ん中にまだ完成を見ない、大きなクレーン車もあるサグラダファミリア聖堂も観
ることができました。

さらに坂道を上がって行くとモンジュイック城に着きます。

城と言っても、ここは16世紀に監視塔として設置された城塞という役目をしていた場所 眺めは抜群でした。

 スペイン村に戻り、ここでフラメンコを鑑賞しました。


ダンサーは4人(女性3人、男性一人)、ギター奏者2人、ボーカル2人とたっぷり1時間楽しみました。

ダンサーにもそれぞれ個性があって、村の素朴な女性風から情熱的な女性、男性のダンサーも素敵でした。
そして、ダンサーを引き立てるのはギターの音色と深い歌声でした。

この日の夜はスペインの代表的な食べ物パエリアを食べました。

すでに私の胃袋は、オリーブオイルと香辛料に少し辟易とした感が・・・


イカ墨のパエリアを取り分けて

なんとも盛りだくさんな一日でした。

 

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ヨーロッパ旅行記1 フランクフルトの日常

2019-07-01 | 旅行

旅行から帰って2週間、やっと少しずつ旅行記を纏めています。少し長くなります。よかったらお付き合いください。

長い旅の始まり
長男家族がアメリカからドイツ・フランクフルトに転勤して1年。すでに海外での駐在生活は9年目を迎えました。羽田
空港からフランクフルト・マイン国際空港まで直行便で行けるとは言え、12時間の飛行時間と時差8時間は年齢的にも
厳しいものがあり、気力と体力がどこまで持つのか、若干の不安を抱えての出発となりました。

空港では息子が元気な姿で迎えてくれ、自宅までハイウェイで15分ほどの近さにほっとしました。
1年ぶりに再会した孫たちはまたすっかり大きくなって、姉弟間では英語で遊んだり喧嘩をしたり、お友達とは仲良く日
本人学校に通い、外に出ればドイツ語が飛び交う地域で過ごすという、そのバイリンガルな柔軟性に1年の大きな成長を
みました。

自宅近くのSバーン(近郊電車)
高学年になった孫は電車に乗って一駅先の小学校に通います。



自宅はフランクフルトの中心街のビル群が近くに見えるけれど、
自宅の周りは驚くほど緑が多く、深く、とても自然に恵れていました。


さすがサッカーの国ドイツ、少年たちのサッカーにも熱がはいります。


季節は陽ざしこそ強いけれど、爽やかな風が吹いて汗をかくこともなく、とても心地よく感じました。この時期にしか収
穫できない白アスパラガスが、外食をしてもふだんの食卓にも上がりました。


ふっくらとした白アスパラの味は今回の旅では忘れられない味となりました。

週末に近くの森のレストランに ランチに行き、ドイツ語のわかる家族に助けられて、やっとドイツらしい料理を食べるこ
とができました。


シュパーケル

フランクフルトシュニッシェル

フランクフルト、マッシュポテト、ザゥワークラフト

フラムクーヘン

ボイルしたソーセージとフライドポテトとケチャップソース

深い緑に囲まれたレストランでした。

 

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