小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

中山道ロス!

2022-04-25 | ウォーキング

華やかに春を彩っていた桜の季節が終わり、昨日は雨!今朝はたっぷり吸った木々の新芽がいっそうと瑞々しく感じます。雨もまた季節を春から初夏に進めるのに、大きなエネルギーとなっているのでしょう。

世界情勢は、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まってすでに2か月余りとなってしまいました。一向に終わりをみない戦闘、ほんとうに暗い気持ちになります。

私はと言えば、3月の下旬に中山道ウォーキングが取りあえず終わってから中山道ロス!、歩く目標を失ってしまい、元気がありません。ちょっと時間がかかりそうです。
でも近場のウォーキングは続けています。

藤沢市引地川親水公園の藤棚


鎌倉佛行寺のツツジ
満開には少し早かったようでした







5月の連休はお天気が続いてほしいですね。
思い切って、家の中の断捨離をしたいです。

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第19回中山道ウォーク4日目 最終回(武佐宿~草津宿)

2022-04-13 | 街道歩き

3月28日
昨日は膝の不調で、予定を1時間半ばかり切り上げたので、最終日は強行軍になりそうです。
京都駅を8:05発JR野洲駅8:36着、昨日の到達点の近江鉄道バスのバス停「鏡石」に戻る予定でした。
ところが野洲駅に到着後、バス停を探している間にバスの発車に間に合わず、結局タクシーで鏡石バス停まで行くことになりました。

8:45「鏡石」バス停着
この辺りは「鏡」と呼ばれて鎌倉時代の宿駅で、武佐宿から守口宿までが長かったので、間の宿として栄えていたようです。

8:50 本陣跡がありましたが、ただ間の宿で正式な宿場ではなく宿泊はできなかったようでしたが、街道筋には「旅籠吉田屋跡」や「桝屋跡」などが残っていました。

源義経がこの地で元服したことで、いろいろな遺跡が残っていました。義経宿泊の館跡や義経が元服したときに被っていたという「烏帽子掛け松」、義経元服の池など。



9:00 平家終焉の地
平宗盛、清宗は壇ノ浦で滅び
捕らわれの身となり、護送途中のこの場所で処刑されたと伝わっています

              蛙不鳴池
           平宗盛親子の首を洗った池でそれ以降蛙が鳴かなくなったと伝わる

10:00 甲山古墳公園
 6世紀を中心とする古墳群で円墳で、川堤の桜がきれいでした


銅鐸モニュメント
東海道新幹線敷設工事の際、多数の銅鐸が出土したそうです


10:20 稲荷神社の鳥居                  

              茅葺屋根の慶長元年創業の酒造「曙」の蔵元

昨日はこの近くにある JR野洲駅まで歩く予定でした。しかし疲れ切っていたので予定を切り上げた判断は、昨日の疲れを引きずらずに、最後の一日を元気にスタートできたので、よかったと思いました。

10:50 背比べ地蔵
子供の背丈が地蔵くらいになれば一人前と背比べさせたという伝えです


11:10 野洲川橋
鈴鹿山脈に源を発して琵琶湖に注ぎます

日が暮れると野洲川を渡る旅人のために、常夜灯に灯したというお堂が近くにあり
芭蕉の句碑も残っていました

11:40 守山宿入口
長かった武佐宿が終わり、守山宿に入ります。
守山宿は比叡山の東門として、「守山」という語源は、山を守るという語源からきています。
江戸時代には東海道石部宿へ至る交通の要所として栄えていたようです。

益須寺跡の標識には日本書紀の中に、この地で湧く泉が病気に効くので水田などを寺に献上したという記述がありました。


             守山宿の街並み
              当時は一戸ごとに段違いにする屋敷割りだったようですが
              すでに改修などが繰り返されてわからなくなっていました

12:10

本陣跡推定地で名残はありませんでしたが、まわりには歴史を感じる遺構が残っていました。
宇野本家(元首相宇野宗佑氏の実家)りっぱな酒造元


          本陣跡

      
12:20 今宿の一里塚(江戸日本橋より百二十八里目)
滋賀県内で唯一現存する一里塚

黄連坊母公墓標石
一目会いたいと京からここまで来たが、すでに斬首されたと聞き
母は、この村の尼ケ池に身を投げてしまった

東門院
石造五重塔国重要文化財


13:00 佛眼寺地蔵堂
川から拾い上げた地蔵を「さぞ寒かっただろうと」頭から綿を被せたと伝えられます

      伊砂砂(いささ)神社

13:30 まもなく JR栗東駅を過ぎ、花園の交差点を過ぎると草津市に入ります。
中山道最後の宿場です。道は住宅街の中の狭いトンネルを潜って線路わきの狭い道を通ると草津の駅や繁華街に入ります。

最後の最後でわかりずらい「中山道標識」


やがて商店街を抜けると草津トンネルが見えてきます
トンネルの上はかって草津川が流れる天井川だったのですが、現在は明るい公園になっていました


14:00 旧東海道との合流点追分に着きました。中山道の終点です

なんとか草津宿までたどり着きホッとしました
旧東海道、中山道の終点であり、東海道五十三次の西の起点でもあります


14:30 京都三条大橋
合流点からその足で、草津駅からJRで京都駅、地下鉄に乗り換えて三条大橋に向かいました。
三条大橋は花冷えのする寒い午後でした。

               三条大橋から鴨川


三条大橋の西の袂に十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場する
「弥次さん喜多さん」の銅像があります


私たちもここで3年半を要した、夫との弥次喜多中山道道中の終了としました(歩数:37,033歩)

中山道をスタートしたのが、2018年9月29日 日本橋から東京・板橋宿まででした。
その後、ほぼ1か月に1回のペースで、本庄宿(埼玉県)まで進み、だんだん日帰りが難しく成り、本庄宿から下諏訪宿(長野県)までは、1泊2日の行程で進みました。

しかし、2020年からはコロナ禍による緊急事態宣言、蔓延防止等重点措置にょる外出制限などがあり、ほぼ1年間中断を余儀なくされました。
後半は、年ごとに加算される年齢との体力勝負。なんとか、ゴールに近づきたいと木曽に入ってからは、2泊3日、最後は3泊4日の行程で歩き続けました。
全18回 36日間、日本橋~滋賀県草津 510キロでした。(日本橋・京都間は63次534キロ)

おかげさまで、ブログ友、友人、家族の応援、ほんとうにありがとうございました。

また、旧東海道を2008年に京都三条大橋まで歩いていますので、草津・京都三条大橋へは同じ街道になります。
下記のURLをご参考までに

旧東海道ウォーク 石部宿~三条大橋まで
https://blog.goo.ne.jp/yokohama-akiko/c/ea71ff634da13670b7fcad46ecb08119

 

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第19回中山道ウォーク3日目(愛知川宿~武佐宿)

2022-04-07 | 街道歩き

3月27日
8:00に京都のホテルを出てJR、近江鉄道に乗り換えて、昨日の愛知川駅まで戻りました。電車のトラブルで遅延して2時間を要してしまいました。

10:00 愛知川駅
中山道に戻ると間もなく「愛知川宿ゲート」が迎えてくれます。ここは近江商人発祥の地であり、どんな町並みなのか期待がたかまります。 本陣、脇本陣、問屋場などは現存せず、案内板のみでした

古民家風「愛知川駅」                   


10:10 地蔵堂
民家の脇に揃ったお地蔵さん

            黒ポストは当時の書状集箱と言われ実際に使われていたもの

10:20 宿場の中心地
八幡神社は県の有形文化財に指定され
本殿まで石灯篭が続き、参道の入口には高札場跡の標石などがありました
八幡神社                  

                 旧旅籠の「竹の子屋」料亭・竹平楼
 宝暦八年の創業の旅籠で脇には明治天皇御聖蹟の石碑が建っていました

10:30不飲橋
不飲川(のまずかわ)源流で平将門の首を洗ったところ血で濁り、だれも水を飲めなくなったという伝えがあるそうです。


10:30 愛知川の一里塚 (江戸日本橋より百二十二里目)

11:00 秋葉山常夜燈 
愛知川の両岸に建つ常夜灯で睨み燈籠とも呼ばれています

小幡人形窯元 「小幡でこ」と呼ばれる土人形 代々細井家が伝承してきた土人形

11:30 ポケットパーク
 桜には少し早いけれど、のどかな公園でした

             
11:50 旧五個荘局 大正十四年竣工の郵便局(国有形文化財)
梵鐘鋳型の玄関前

近江商人 市田庄兵衛家本宅 呉服繊維商として活躍

12:00 金毘羅大権現常夜燈
大名や公家などの茶屋本陣の役目を果たしていたという草ぶき屋根の家 家の横には常夜燈も残していました


         石塚の一里塚( 江戸日本橋より百二十三里目)

12:50 老蘇の森(国史跡)
荒地を「石辺大連」という人物が、杉松などを植えて神助を仰いだところ、大森林となったと言われる。
その石辺大連も百数十歳まで生きたところから老蘇の森と言われるようになったそうです。

森の中に社殿「奥石神社」                   

                    13:00 緑苔園  

13:40 西福寺 
地蔵堂に僧が飲み残した茶を、茶屋の娘が飲んだところ身ごもり子を産んだ。
三年後、この僧が現れ、子に息を吹きかけたところ、子は泡となって消えてしまったという伝えがあります。境内の松が見事でした


                  おしゃれな弁柄模様の民家の木の塀

13:50 武佐宿の入り口
武佐宿は近くに近江商人の町が控えており物資の往来が盛んにおこなわれたようです。
町並みも古い大きな屋敷が街道筋に並んでいました

14:00 旧八幡警察署武佐分署庁舎 明治19年建築で文化庁登録有形文化財

本陣跡 代々下川七左衛門が勤め、本陣門と土蔵を残しています

まもなく武佐駅を通過して、民家の塀の外でむさりんどうを育てている家がありました

「むさりんどう」 近江八幡市の花で大事に継承されているそうです

15:30 横関橋
国道から離れて旧道に入ると民家もわずかで、田んぼが目立つようになってきました。
日野川に突き当たると昔の渡場で、広重の絵はこの辺りを描いていたようです


土手を迂回するように横関橋を渡ります

15:30 間もなく「西横関」という集落を過ぎます。
交差点の角に道標があり「古よりいせみち みなくち道」と彫られていました。
さすがに3日目となると疲労が出てきました。国道に出たところ、運よく近くに「鏡石」というバス停があり
この日の到達予定のJR野洲駅行きでした。バスにのり、翌日このバス停をスタート地点としました。

17:00 野洲駅
18:00 京都駅前のホテル着(歩数:37,001歩)

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第19回 中山道ウォーク2日目 (高宮宿~愛知川宿)

2022-04-06 | 街道歩き

3月26日

この日の天気は雨の予報で、特に午後からは雨脚が強くなるということでした。午前中に歩けるところまで行き、午後は両親の眠る高槻にお墓参りに行くことにしました。コロナ禍でなんと2年ぶりに両親の墓前にお参りすることになります。

7:56彦根駅スタート
近江鉄道彦根駅からひと駅高宮駅に戻り、8:00から歩きだしました。空はどんよりしていますが、雨はまだ降りだしていません。
昨暮の雪害が目立ちます。昨日も彦根の在住の方から、屋根の瓦も樋も直したいが職人さんが忙しくて手が回らないと言っていたのを思い出しました。

しかも町並みの統一上、樋は銅拭きなので簡単に直せないのだそうです

8:10 高宮の町並み
高宮は多賀大社の入口にあたり、宿場を中心に人々の往来が盛んで賑わっていたようです。宿内には名産「高宮布」を扱う問屋などが軒を連ねていました。

問屋跡 布惣跡
高宮は高級麻布の産出、集散地として栄えていたようです

                提灯店

芭蕉の石碑「紙子塚」
芭蕉が小林家に一泊したところ、紙子の汚い僧姿の芭蕉をただの坊さんと間違え
その夜芭蕉は寒さに耐えて詠んだ句が「たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子」


 8:15 本陣跡                     
 門前に高札場、問屋もかねていたようです    
 
                 由緒ある円照寺(本陣前に明治天皇の宿泊先)
                境内には明治天皇ゆかりの「しらん松」があります

8:20 高宮橋(当時のむちん橋)
江戸時代は無賃橋と呼ばれ、彦根藩は増水時に川を渡れなくなるのを防ぐため、橋の費用を広く募らせ設置した橋で、当時はほかの橋は有料でこの橋は無料だったそうです。


高宮橋              

                 法土の一里塚(江戸日本橋より百二十里)
                 中山道中、一番かわいそうな一里塚標柱でした

産の宮地蔵尊とわずかに残る松並木


9:35石畑の一里塚(江戸日本橋より百二十一里目)

この辺りが高宮宿と愛知川宿の間の宿として発展した

9:40 歌詰橋

平将門は藤原秀郷に成敗され、その首を運ぶ際この橋までくると、将門の首が襲い掛かってきたが、歌を詠んでほしいと頼むと歌に詰まって橋上に落ちたという、ちょっと怖い伝説が残っているようでした


橋を渡っていくと、まもなく愛知川宿に入っていきます

10:00
ぽつりぽつりと雨が降り始め、近江鉄道の愛知川駅に着いたところで、この日の中山道ウォークを切り上げ、近江八幡駅で下車してランチをとったあと、京都経由で大阪高槻の両親のお墓参りをしました。

高槻に着いたのが午後2時、ちょうど雨も止み、コロナで来れなかったことを墓前で詫び、夕方には宿泊先の京都のホテルに到着しました。(歩行歩数:22,742歩)

 

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第19回 中山道ウォーク 1日目(醒ヶ井宿~番場宿~鳥居本宿)

2022-04-02 | 街道歩き


中山道ウォーク最終回 3/25~3/28(醒井宿~草津宿)

3月25日
いよいよ今回が最後の中山道ウォーク、早朝に家を出、朝食を新幹線の中で、到着駅のコンビニでその日の食料を調達。
そんなルーティーンでさえも今回で終わりかと思うとちょっと寂しいです。
この日も自宅を6時20分に出て、東海道新幹線米原駅乗り換えでJR醒ヶ井駅には10時に着きました。
今回のスタート地点です。(前回の到達日2020年12月26日)


10:10 醒ヶ井宿 スタート

町には名水が湧き出る清水が流れ、
「醒ヶ井」という名前の由来は古く日本武尊が「目を醒ました」とことからが名付けられたそうです

一類狐魂等衆碑
母を慕い行き倒れた老人に乳をふくませると、安らかに往生したと言われている碑
両側の石碑もおっぱいみたいだ!

礼(くれ)の一里塚(江戸日本橋より百十七里目)

のどかな田園風景が広がります。桜の開花にはまだ早く、街道にはこの黄色い花が目立ちました。

11:00 中山道最短の宿場「番場宿」
慶長八年に琵琶湖水運の港と中山道を結ぶ米原道が開通し、物資輸送の要として大いに賑わいました


                    最盛期は問屋場が六軒もあったそうです

番場宿の街並み 
宿の長さは南北に127メートルと中山道最短の宿場と言われています

街道は名神高速道路と並行して緩い坂道を上がっていくと、やがて
現在の彦根市と米原市の境界である「小擦針峠」にでます

12:10 摺針の一里塚跡(江戸日本橋より百十八里目)


                    琵琶湖方面は霞んでいますが
摺針峠の頂上「神明宮」神社の脇に望湖堂跡があり
その昔旅人は「すりはり餅」を食べながら、琵琶湖方面の絶景を眺めたと書かれていました
私たちもここで昼食タイムとしました


13:00 彦根市モニュメント
気持ちのいい山道を下りると国道8号線にぶつかり左折します。
「おいでやす彦根市へ」のモニュメントを見ながら、その昔には彦根八景と呼ばれた松並木跡を通り過ぎていきます


三本の石柱に麻を背負った人、近江商人、菅笠を被った旅人の像


13:00 まもなく鳥居本宿に入ります
鳥居本の地名の由来は多賀大社の鳥居に由来して、彦根城下に通じる要衝として栄えました


藁ぶき屋根や虫籠窓を残している旧家もあり、街も当時の面影の残るものも多い印象でした

鳥居本の商家
赤玉神教丸を製造販売する有川家
「赤玉神教丸」は万治元年に創業、下痢、食あたり、腹痛の妙薬

      合羽の形をした庵看板を掲げている合羽所木綿屋
昔の旅人にはなくてはならない必需品で、鳥居本では合羽の生産で有名だったようです

                   「包神紐荷造材料」と書かれた看板

本陣跡               
寺村家が勤め、当時は137坪もあったようですが本陣も脇本陣も高札場も案内板のみでした

13:50 旧小野村
小野の集落に入ります。東山道時代からの古い宿駅で、小野小町生誕の地と言われています。


「小町塚」がありました                   

                   手前に八幡神社常夜燈
線路を越えた先に八幡神社があり、小野小町に関する郷土芸能が奉納されているようです

14:00 原八幡神社(聖徳太子を祀る)
境内には芭蕉ひるね塚や門人の祈川居士の白髪塚があります。

昼寝塚 芭蕉の句「ひるかほに 昼寝せうもの 床の山」            
 白髪塚 門人の句 「恥じながら 残す白髪や 秋の風」             

                     芹川 鈴鹿山脈に源を発し、琵琶湖に注ぐ
              芹川は不知哉川「いさや川」と呼ばれ、歌枕になりました

15:15 しばらく行くと、近江鉄道の踏切を渡り、高宮宿に入ります。
この日の中山道の行程を高宮の入り口までとして、近江鉄道「高宮駅」から彦根駅に向かいました。
彦根駅に着いたのが15:30 是非「彦根城」を観たいと思っていました。閉館時間も迫っていたのでタクシーで彦根城へ向かいました。

彦根城は連郭式平山城で標高136メートルにあるので長い石段が続きます。(疲れた足にはキツイ!)
国宝天守は慶長12年に完成、とても美しい外観でした


ゆるキャラ”ひこにゃん”                  



天守閣から琵琶湖を覗く

玄宮園
井伊家の旧下屋敷の大名庭園
藩主が客人をもてなす茶室

大池泉回遊式の優雅な庭園

18:00 駆け足でしたが、彦根城も見学することができました。
第1日目の予定を終えて、彦根駅前のホテルにチェックインしました。(歩行歩数:33,666歩)

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