小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

彼岸花の律義さ

2013-09-24 | ガーデニング

陽射しは強くても、朝夕の風はひんやりとして、暖さえ恋しいほど、暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、
真っ赤なヒガンバナが道々に咲き出すと、いよいよ秋が本番になってきたことに、はっとさせられる思いです。



ヒガンバナは、まるで正確な時計のように咲き出し、いったいいつ地中から芽を出し、あの長い茎をのばすのか、
あっという間に燃えるように真っ赤な花を一面に染めはじめると、夏から秋へ季節のスイッチが切り替わったことを
確信したように感じることができます。

ヒガンバナは、死者への供養の花として墓前に植えられていることも多く、また球根に毒を持つ有毒植物であるところから、
少し敬遠がちですが、長い茎のさきに天を仰ぐように開いたシベ、端正な姿は妖艶で、また別の魅力に満ちています。
やはり日本の秋を彩るなくてはならない花なのだと思います。 

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大山街道ウォーク第7・8回(鶴間~本厚木)

2013-09-16 | 街道歩き

今年1月に東京赤坂御門をスタートした大山街道ウォーク(矢倉沢往還)は、6月に6回を終了し、渋谷、三軒茶屋、
世田谷を通り、神奈川県に入って川崎市溝の口、鷺沼、横浜市青葉区荏田、青葉台を通過、東京都町田市、そして
鶴間宿まで歩いてきました。
順調に距離を伸ばしてきたのですが、今夏のこの猛暑、7月は歩きだしたものの数十分も歩くと目まいがするほど、
冷たい飲み物を求めて、コンビニに飛び込み、身体を冷やして歩きだしたものの、結局午前中でこの日は、予定の
コースを半分で断念しました。

9月に入って、相鉄線かしわ台から再スタート、さすがに陽射しは強くても、風は乾いて気持ちよく、予定通り本厚木まで
歩くことができました。

小田急鶴間駅~相鉄線かしわ台(2013年7月8日)

鶴間駅から厚木街道を炎天下の中、ひたすら歩きます。このあたりは相模原台地と呼ばれるほどアップダウンもなく
直線道路が続きます。
行く手右手にある西鶴寺は日蓮宗の寺院で境内はなく、お堂は道路からそのまま階段を上がるという簡素なものでした。
暑さのために人通りも少なく、人家の軒先に朱色のノウゼンカズラが勢いをつけていました。
さがみの駅近くには、戦後灌漑用水を完成した記念に植樹された「東原桜並木」があり、近くの住民の憩いの場所
になっているようでした。
結局、ひと駅先のかしわ台駅まで歩き、この日のウォーキングを終了としました。

かしわ台駅~海老名~本厚木
9月を迎え、大山街道ウォークも終盤戦、かしわ台駅近くから見える大山がぐっと近くに見えてきました。

歩道もない狭い公道(厚木街道)をしばらく歩いて行くと、「不動明王坐像」があり、道標に掘られている文字を判別するのは
難しかったのですが、どうも「右国分・左大塚・鶴間」と書かれてあるようです。
この不動明王坐像を覆うような大銀杏の樹には、すでに色濃い銀杏がびっしりと付いて、熟すころは、まるで黄葉の絨毯の
ようになるのではと思いました。


さらに進んで、望地(もうち)交差点を通過します。ここからの大山は右手にその三角頭をくっきりと見せ、昔もその眺望は
開け、旅人は大山に近づいたことにほっとしたことでしょう。
馬頭観音、道祖神も保存状態がよく天保14年とはっきり刻まれていました。


坂を下りたところに目久尻川(幅は狭いが、一級河川と表記されていました)、この川を渡り、少し川沿いに歩くと
「石橋供養塔」があります。ここは大山街道唯一、石橋に架け替えられたのだそうです。
さらに、この目久尻川先に「史跡逆川碑」があり、大化の改新の頃、灌漑用に低地から高地へ、流れに逆らって掘って
水路を造ったと、記されていました。今なおその遺構が地下に残っているのだそうです。
このあたりは、歴史も古く多くの遺跡が残されています。大山街道の中でもとても興味深い場所だと思いました。


いよいよ海老名地区に入り、今回のウォークの最大ポイント国分宿に入ってきました。大山街道と鎌倉街道の交差点には
石塔群が並び、江戸道と大山街道の「国分の辻」であったことがわかります。
このあたりは全国の国分寺の中でも最大級の規模だと言われている国分寺跡があります。
天平の時代に建てられた講堂、七重塔、金堂などの伽藍跡が広い芝生の中に礎石が残っています。
七重塔は海老名駅前にモニュメントとして三分の一の模型が復元されていました。


近くには樹齢560年の大ケヤキがあり、老樹による痛みも激しいのでしょうか。中央部分が大切に保護されていました。
この国分寺跡から少し離れた高台に国分寺薬師堂があり、境内には銅鐘(国の重要文化財)と「尼の泣き水坐像」が
ありました。


駅前の跨線橋からは大山を真正面から一層近くにみることができます。
相模川の河口に差し掛かかる旧道は、今は民家の間を縫うように曲がり、なんとか相模川の河畔にでることができました。
当時、旅人は「厚木の渡船場」から対岸へ料金を払い川を渡ったのでしょう。


現在は小田急線の鉄橋、相模大橋、私たちはさらに手前のあゆみ橋を渡りました。川には鮎を釣っているのでしょうか。
釣り人の姿をみることができました。今でこそ、のどかな風景ですが、旅人はこの大きな川を渡るのは、いろいろ困難も
あったことかと思います。


相模川を渡った道路沿いに「厚木の渡し碑」と「渡邊崋山来遊碑」があり、渡邊崋山はここで厚木の風景画「厚木六勝」などの
絵画を残しています。

9月の大山街道ウォークは、この先の本厚木駅まで、
いよいよゴールの大山が、なんとか今年中には到達できるのではと現実味を帯びてきました。

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過ぎゆく夏を

2013-09-07 | ガーデニング

一日花の酔芙蓉もモミジ葵も過ぎゆく夏を惜しんでいるかのようにみえます。

              
日暮れの虫の音がやっと耳に届くようになり、朝夕が涼しく感じられるようになりました。
お盆過ぎから鳴き出すヒグラシは、そろそろ夏の終わりを告げるかのようにも感じるのですが、
それにしても、今夏はそのヒグラシの鳴き声をほとんど聞かなかったように思います・・・。

この夏の一連の猛暑、豪雨、竜巻、落雷と続く異常気象に、私はヒグラシが鳴かないのも、今夏の異常気象の
せいかとも思ったりしましたが・・・。
確かに地球温暖化が自然のリズムに影響したことは確かなようです。
でも、今夏だけが異常気象なのではなく、来年もその次の年もいろいろな気象の変化はあるのでしょう。
長い地球の歴史からしたら、今夏は、特に変化の多い夏だったと言えるのかもしれません。
などと、やっと涼しくなってあの猛暑から解放された今、ほっとして、こんなふうに過ぎゆく夏を思っています。

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夏の終わりかと・・・

2013-09-01 | ガーデニング

8月が終わり、暦をめくりました。空は高く、陽射しもいくぶん低く、秋の気配を感じる頃と言いたいところですが、
これでもかと思うほど猛暑がぶり返しました。
この残暑はお彼岸まで続くと聞いてはそろそろ我慢の緒が切れる頃、と少しイラッとするのは、
やはり夏の疲れがたまっているのでしょうか。

四季という季節の移ろいを微妙に感じ取りながら、温暖な風土を培い、先人は自然とともに生きながら、
季節ごとの行事を育み、いろいろな知恵を生み出してきたのだと思います。
私たちは、日本の原風景をこの四季折々の中に見出していたのですが、この猛暑続きでは夕暮れに吹く風に
誘われて夕涼みに外にでることもままならず、昼夜を問わずエアコンの中で、熱中症に気を付けながら
過ごした今夏は、夏の風景までも変えてしまったのかと思われます。



庭の隅のススキの穂が出揃いました。せめて9月、中秋の名月にはススキとお団子で、秋を感じながら、
十五夜を過ごしたいものです。

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