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1970~73年の洋楽 ⑪ ジェシー・コリン・ヤング「ソング・フォー・ジュリー」

 

 ジェシー・コリン・ヤング(Jesse Colin Young)の”ソング・フォー・ジュリー(Song for Juli)”です。ジェシー・コリン・ヤングのアルバム「 Song for Juli」(1973年)からです。

 ジェシー・コリン・ヤングはフォークやブルースから影響を受け、1964年にファースト・アルバム「The Soul of City Boy」,1965年にアルバム「Young Blood」をリリース。その後ジェリー・コービット(Jerry Corbit)(ギター)、ローウェル・バナナ(Lowell Banan)(エレクトリック・ピアノ・ギター)、ジョ・ーバウアー(Joe Bauer)(ドラム)とヤング・ブラッズ(Young Bloods)を結成し、1967年にデビュー・アルバム「The Young Bloods」をリリース、シングル・カットした”Get Together"が小ヒットしました。

 1969年にはアルバム「Elepant Mountain」をリリース、”Get Together"がロック・ブームにのって、リヴァイバル・ヒットしました。ジェリー・コービットがグループを脱退し、ジェシー・コリン・ヤング、バナナ、ジョ・ーバウアーの3人組となりましたが、自身の音楽レーベル「Racoon」を設立し、ヤン・グブラッズ、メンバーのソロ・アルバム、他のバンドのアルバムをワーナー・レコードを通じてリリースしました。

 グループは1972年にアルバム「High on a Ridge Top」をリリース後解散、ジェシー・コリン・ヤングはソロとして、アルバム「 Song for Juli」をリリースしました。

 NHKFMで日曜日の午後6時から7時まで放送していた石田豊さんの「リクエスト・アワー」で初めて聴き、イントロのギターとピアノ・ソロ、フルートの美しい音色に続くジェシー・コリン・ヤングのやさしく温かいヴォーカルに感動してしまいました、当時国内盤は高かったので、一週間後の日曜日に新宿の輸入盤レコード店へ行ってLPを買ったのを覚えています。

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ルイス・ボンファ ③ 映画「黒いオルフェ」より「カーニヴァルの朝」スティーヴ・ローレンス、イーディー・ゴーメ、Rio 65 Trio

 

 スティーヴ・ローレンス、イーディー・ゴーメ、ルイス・ボンファが共演したアルバム「Steve & Eadie Bonfa & Brasil」(1967年)から”カーニヴァルの朝(A Day in the Life of  Foo)l”です。”カーニヴァルの朝(”は英語詞が付けられ”A Day in the Life of  Foo”のタイトルで歌われています。スティーヴ・ローレンスの歌にルイス・ボンファがギター伴奏しています。

 スティーヴ・ローレンス、イーディー・ゴーメの温かいいヴォーカル、見事なエウミール・デオダートのアレンジとルイス・ボンファのギター、私は米国のボサノヴァ・アルバムの中で、この「Steve & Eadie Bonfa & Brasil」がベストだと思います。

 ただ1970年代に日本でLPで再発された後、CDになってからは1987年に日本で再発されただけで廃盤になっています。珍しい、希少盤といえるボサノヴァのアルバムまでCD化されているのに、このアルバムをCDで気軽に聴けないのは残念としか言いようがないです。

 

 

 

 ブラジルのピア・ノトリオ「Rio 65TRio」のデビューアルバム「Rio 65TRio」(1965年)から”カーニヴァルの朝”です。Rio 65TRio はエヂソン・マシャード(Edison Machado)(ドラム)が結成、ドン・サルヴァドール(Don Sarvador)のピアノ、セルジョ・バローゾ(Sergio Barroso)のベースからなるジャズ・ピアノ・トリオです。ハード・バップ・ピアノ・トリオに多い、高速でアドリブをすることなく、メロディーの美しさを充分に活かした演奏です。

 

 

 

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1967年~70年の映画音楽 ⑲「女王陛下の大作戦」「南から来た用心棒」

 

  映画「女王陛下の大作戦(COLPO MAESTRO AL SERVIZIO DI SUA MAESTA BRITANNICA)」(1967年)のテーマ曲です。イタリア・スペインの合作映画で、当時のスパイ映画ブームに便乗して製作された作品の一つです。監督はミケール・レーポ(Michele Lupo)、主演マイケル・ハリソン、マーガレット・リー、「007サンダーボール作戦」で悪役を演じたアドルフォ・チェリ、音楽はフランチェスコ・デ・マージ(Francesco De Masi)で、日本では1968年3月に公開されました。

 文化放送「ユア・ヒット・パレード」では1968年2月26日に20位で初登場、3月11日に最高位16位、3月18日に18位までランクされました。

 

 

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 イタリア映画「南から来た用心棒(Arizona Colt)」(1966年)から、ラオールRaol)が歌うテーマ曲です。日本では1967年4月に公開されました。イタリア製西部劇「マカロニ・ウェスタン」の「荒野の用心棒」(1965年)「夕陽のガンマン」(1966年)が世界中で大ヒットし、日本でも「マカロニ・ウェスタン」が続々と公開されました。

 監督は「女王陛下の大作戦」と同じミケール・レーポで、主演は「荒野の1ドル銀貨」「続さすらいの一匹狼」など、甘いマスクで人気のあったジュリアーノ・ジェンマです。「

 音楽はフランチェスコ・デ・マージで、ラオールRaol)が歌うテーマ曲が日本でヒットしました。文化放送「ユア・ヒット・パレード」では4月10日に14位で初登場、5月1日、8日、15日、22日、29日、6月5日、12日、19日、26日、7月3日、10日、17日、24日、31日、8月7日、14日まで3ヵ月以上1位でした。TBS「今週のベスト10」では、4月23日に17位で初登場、6月11日に最高位3位、7月16日に8位にランクされました。

 「洋楽ヒットチャート大事典」(八木誠著)では1967年年間チャートでは26位に選ばれています。

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今週の笑点 9月1日8日号

 桂宮治のタピオカネタですが、それを面白くさせたのは機転の利いた林家たい平が北島三郎物まねで、”タピオカナー(食べよかなー)”と歌ったから。桂宮治は盛り上げた林家たい平に拍手送るのが当然。

 なのに普通に"タピオカナァ"を一緒に歌う桂宮治。あげくは右三人、立川晴の輔、三遊亭好楽ともにタピオカナァを合唱。あまりの面白くなさに愕然とした。小遊三と一之輔が黙っていたのは笑いをわかっているため。

 北島三郎物まねだから面白いのであって合唱してどうするのよ。

 9月1日には桂宮治が受けない回答「マッチ売りの少女 マッチでーす」それを面白くさせたのがたい平の、たのきんトリオ、トシちゃん(田原俊彦)のものまね。黙って聞いていればいいのに、マッチに似ていない”マッチです”をしつこく繰り返す宮治。”スニーカー・ブルース”でも歌えばいいじゃない?あげくは”野村義男はどうしているんでしょうかね”などとしらけることを言う。言うのならギターのヨッちゃんでしょ!たのきんトリオも知らないのでしょうかね。

 立川晴の輔の回答も”電車に乗ったらじろじろ見られた。女性専用車両だったから”と当たり前の答えで、落ちも洒落もない。宮治も”子供に歯の磨き方を教えていたら、オエッとなって失敗した”という答え、当たり前すぎてどうすれば笑えるのでしょうか。しかも受けないから何度も”オエッ”というしつこさ。宮治と晴の輔に共通しているのは当たり前の答えを言っても面白くない、笑えないということ。

 「業界一番」というお題で、一之輔が”うちの結婚式場は業界一番、一回した方が2回、3回来ます”という答えが笑えるのは何回も離婚しているから、小遊三が”うちの刑務所は一番、出た人がすぐ戻ってくる”という答えが笑えるのはまた犯罪を犯しているからで、洒落だけでなく、ひねりががなければ笑えないのです。

 一事が万事、桂宮治と立川晴の輔は同じレベル。たい平と世代が違うから?それはNOです。一番若い春風亭一之輔は爆笑を誘っている。笑点の伝統をしっかり受け継いでいる。

 三遊亭好楽が宮治の側に移ってからは、酒と競馬とやる気ないネタだけで、表情がゆるゆるしていて答えを聞きたくなくなってしまった。

 立川晴の輔、三遊亭好楽、桂宮治のあとに挨拶する、つまらん山田隆夫の小学生向けのなぞなぞが面白く感じてしまう。ずーとるびと聞くと即、座布団を持ってくるタイミングが面白くてしょうがない。

 一之輔が山田隆夫をネタにするのだから。宮治、晴の輔も山田の悪口くらい言ってみなさいよ。

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ルイス・ボンファ ② 映画「黒いオルフェ」より「 カーニヴァルの朝」アストラッド・ジルベルト、ジョアン・ドナート

 

 アストラッド・ジルベルト(AStrad Gilbert)の2枚目アルバム「The Shadow of Your Smile」(1965年)から”カーニヴァルの朝(Manha de Carnaval)”です。淡く爽やかなアストラッド・ジルベルトの歌に、ルイス・ボンファのギターがやさしく寄り添っています。アストラッド・ジルベルトはルイス・ボンファの作品と相性が良く、カーニヴァルの朝”は”ジェントル・レイン(Gentle Rain)”と並ぶ名唱だと思います。

 アルバム「The Shadow of Your Smile」は、デビュー・アルバムの「AStrad Gilbert Album」(1965年)とほぼ同じ頃に録音され、プロデュースはクリード・テイラー(Cleed Taylor)、曲の特徴に応じてクラウス・オガーマン(Claus Ogerman、ドン・セベスキー(Don Sebesky)、ジョアン・ドナート(Joao Donato)がアレンジを提供しています。

 

 

 

 ブラジルのピアニスト、ジョアン・ドナート(Joao Donato)のアルバム「The New Sound of Brasil」(1965年)から”カーニヴァルの朝”です。「The New Sound of Brasil」はボサノヴァ作品集で、アレンジはクラウス・オガーマンです。ジョアン・ドナートのピアノ、トロンボーン・ソロ、管楽器のアレンジが繊細で美しい演奏です。

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ルイス・ボンファ ① 映画「黒いオルフェ」より「カーニバルの朝」「オルフェのサンバ」

 ボサノヴァの最重要アーティストの一人、ブラジルのギタリストで作曲家でもあるルイス・ボンファ(Luiz Bonfa)(1922~2001年)の紹介をしていきます。安岡孝一・安岡素子様のルイスボンファのディスコグラフィーを参考にさせて頂いています。ルイスボンファのディスコグラフィーとして世界最高のものだと思います。安岡孝一・安岡素子様には感謝の気持ちしかありません。ありがとうございます。

 ルイス・ボンファは11歳でクラッシック・ギタリスト、イサイアス・サビオに師事し、熱心にギターを学びました。ボンファが初めて広く知られるようになったのは、1947年にラジオ・ナショナルに取り上げられてからで、新進気鋭の才能豊かな音楽家として認められていきました。1940年代後半にはボーカル・グループ「Quitandinha Serenaders」のメンバーでした。

 ルイス・ボンファは1945年にSPをContinentalレコードで初レコーディング、1949年までに自身の楽団、「Quitandinha Serenaders」の録音も含めてSPを14枚リリース.1950~1952年にはオデオン・レコードからQuitandinha SerenadersのSPを12枚録音しました。

 1951年からは自身の楽団の他、ギタリストとして男性歌手ディック・ファルネイ(Dick Farney)、ルシオ・アルヴェス(Lucio Alves)などのブラジルの歌手の伴奏も務め、1957年2月まにでContinentalレコードから35枚のSP、1955年にはSinterレコードから2枚のSPをリリースしました。1957年にPolidorレコードからディック・ファルネイのバックで4枚のSPを録音。1957年8月から1962年までオデオン・レコードから10枚のSPをリリースしました。初LPは10吋レコード(8曲入り)「Luiz Bonfa」で、1955年にContinentalレコードからリリースされました。

  ブラジル・フランス・イタリア合作の映画「黒いオルフ(Black Orphues/Orpheu Nigro」(1959年)はマルセル・カミュの監督で、カンヌ国際映画祭でパルムドール、アカデミー外国映画賞、英国アカデミー賞などを受賞しました。ルイス・ボンファとアントニオ・カルロス・ジョビンが音楽を担当し、ルイス・ボンファが作曲した”カーニヴァルの朝(Manha de Carnaval)”と”オルフェのサンバ(Samba de Orfeu)”は世界中でヒットし、ルイス・ボンファの名は一躍有名になりました。

 

 

 

 「黒いオルフェ」のサウンド・トラックからアゴスティーニョ・ドス・サントス(Agostinho dos Santos)の歌で”カーニヴァルの朝”です。ルイス・ボンファの伴奏で録音しましたが、サントスはホベルト・メネスカル(Robert Menescal)のギター伴奏で録音をしてしまったため、ルイス・ボンファの演奏は前半部分のギターだけになってしまいました。

 

 

 ルイス・ボンファのギター伴奏、エリゼッチ・カルドーソ( Elizeth Cardoso)の歌で”カーニヴァルの朝”です。映画のために録音されましたが、映画では使われませんでした。

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