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白日焰火@レンタル/監督:ディアオ・イーナン/出演:リャオ・ファン、グイ・ルンメイ、ワン・シュエビン/2014年・中国、香港
1999年、中国の華北地方。6都市にまたがる15ヵ所の石炭工場で、ひとりの男の切り刻まれた遺体の断片が次々と発見された。プライベートで問題を抱える刑事ジャンは、この殺人事件の捜査にあたっていたが、容疑者として浮かんだ兄弟は逮捕時に抵抗し射殺され、ジャンも負傷し、事件は迷宮入りとなってしまう。そして2004年、未解決の5年前の事件と手口が似ている、新たなバラバラ殺人が2件発生。既に辞職し警備員となっていたジャンも独自に事件の調査を進め、クリーニング店で働くウー(グイ・ルンメイ)という未亡人に行きつく。被害者たちはいずれも殺される直前にウーと親密な関係にあった。やがて彼もまたウーに惹かれていくが…。
儚い雰囲気をまとう謎めいた美女と接点を持つ男たちがバラバラ死体となる、猟奇的な連続殺人事件を、虚無感と生活臭を併せ持つ映像で描写するクライム・サスペンス。第64回ベルリン国際映画祭で最高賞にあたる金熊賞と銀熊賞(男優賞)を受賞。
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ムカつくんです、通販生活の広告。価格帯の高さや、出演者の人選。
きょうの新聞の折り込みで入ってきたものに筒井康隆が出ていたので、この機会に彼の著書『霊長類南へ』など6冊を処分。これまでも処分を重ねてきて残り14冊となったが、この機会に、というのも、金熊&銀熊の同時受賞という評判から今回の映画を見て、あらためて演技のよしあし、映画のよしあし、あるいはその原作となる小説(や特に日本の場合はマンガ)のよしあしなど考えずにはいられなかった。
私が中高時代愛読した筒井の小説は、舞台設定がNHK、創価学会、全学連、女権運動、文芸同人誌、ベトナム戦争など多彩ながら、今にして思えばパターンはほぼ決まっており、人物が一面的で陰影に乏しく、コントやギャグ漫画のように感じられる。いやお笑いや漫画の隆盛に、筒井が先駆けて貢献したのだ。こまわりくんや諸星あたるのような、欲望のままに生きる男子キャラは、フロイトにかぶれた筒井の存在なくしては生まれなかったろう。
と同時に、椎名誠・渋谷陽一・ビートたけし・村上春樹といった80年代を画した人物の、あえて大人の客・ハイカルチャーを捨てて、子ども・若い客・サブカルチャーを選ぶという新自由主義的な姿勢にも通じるだろうし、小泉元首相や橋下大阪市長の「単純化・敵を作ってたたく」ポピュリズム・劇場政治の遠縁にあたるのかも分からない。
これは筒井に限ったことではない。多くの小説にはモデルとなる人物や事件がある。だから映画化・ドラマ化にも適している。しかしどんなによくできた小説でも、作為である以上、作者の主観からは逃れられず、ある一面から描かれた人生の真実であるというに過ぎない。
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話が飛んで申し訳ない。
みなさん故・松田優作の「なんじゃこりゃァ~~
」の演技をご存知ですよな。
刑事ドラマ『太陽にほえろ』の名物となっている殉職シーンの中でもとりわけ有名で、当時の男の子はよく真似したものだ。現在でも、もはや記号のように流布し、彼のカリスマ性を高めているが、よく考えてみてください、あれって名演技ですかね、賞を受けるような。
私は『薄氷の殺人』を、印象的な佳作と思うけれども、金熊にふさわしいとは思わない。が、リャオ・ファンとグイ・ルンメイの2人が、この映画を特別な位置に高めるような、魅力的なたたずまいをしていることは認めざるをえない。
それに対し、松田優作の殉職は、人間の真実とはほど遠く、お笑い芸人や筒井のドタバタとも異なる、スターがスターであることを証明し、それをテコにドラマが、さらにはテレビ界・芸能界が少数の人気者を極端に優遇することで効率的に興行を回してゆく「スター・システム」に特化することで生み出された。平和な日本で、若い刑事が死んでは、また次の刑事が赴任する、奇妙な回転が他にもあちこちで繰り返され、ガラパゴス化は極まった。
音楽の例はもっと悲惨だが、ここでは述べない。
『おくりびと』はアカデミー賞を獲ったじゃないか、という向きもあろう。あれは演技が古い昔のスター映画だと思うが、題材の(西洋から見ての)新鮮さってことでしょう。それは『薄氷の殺人』の高評価とも重なると思う。ベルリン映画祭の、観客の評価は審査員ほどではなかったという。生活習慣も感情表現も違うし、外国人の演技のよしあしを評価するのは難しい。
スター・システムはどこにもある。近年のアカデミー賞や主要映画祭の結果をみるに、どうも先進各国共通して、その制度疲労が特に映画界の沈滞に表れている様子だ。娯楽が多様化し、小さな市場が乱立する傾向は、「映画祭・正装・赤じゅうたん」の求心力を奪い取るのかも―
1999年、中国の華北地方。6都市にまたがる15ヵ所の石炭工場で、ひとりの男の切り刻まれた遺体の断片が次々と発見された。プライベートで問題を抱える刑事ジャンは、この殺人事件の捜査にあたっていたが、容疑者として浮かんだ兄弟は逮捕時に抵抗し射殺され、ジャンも負傷し、事件は迷宮入りとなってしまう。そして2004年、未解決の5年前の事件と手口が似ている、新たなバラバラ殺人が2件発生。既に辞職し警備員となっていたジャンも独自に事件の調査を進め、クリーニング店で働くウー(グイ・ルンメイ)という未亡人に行きつく。被害者たちはいずれも殺される直前にウーと親密な関係にあった。やがて彼もまたウーに惹かれていくが…。
儚い雰囲気をまとう謎めいた美女と接点を持つ男たちがバラバラ死体となる、猟奇的な連続殺人事件を、虚無感と生活臭を併せ持つ映像で描写するクライム・サスペンス。第64回ベルリン国際映画祭で最高賞にあたる金熊賞と銀熊賞(男優賞)を受賞。
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ムカつくんです、通販生活の広告。価格帯の高さや、出演者の人選。
きょうの新聞の折り込みで入ってきたものに筒井康隆が出ていたので、この機会に彼の著書『霊長類南へ』など6冊を処分。これまでも処分を重ねてきて残り14冊となったが、この機会に、というのも、金熊&銀熊の同時受賞という評判から今回の映画を見て、あらためて演技のよしあし、映画のよしあし、あるいはその原作となる小説(や特に日本の場合はマンガ)のよしあしなど考えずにはいられなかった。
私が中高時代愛読した筒井の小説は、舞台設定がNHK、創価学会、全学連、女権運動、文芸同人誌、ベトナム戦争など多彩ながら、今にして思えばパターンはほぼ決まっており、人物が一面的で陰影に乏しく、コントやギャグ漫画のように感じられる。いやお笑いや漫画の隆盛に、筒井が先駆けて貢献したのだ。こまわりくんや諸星あたるのような、欲望のままに生きる男子キャラは、フロイトにかぶれた筒井の存在なくしては生まれなかったろう。
と同時に、椎名誠・渋谷陽一・ビートたけし・村上春樹といった80年代を画した人物の、あえて大人の客・ハイカルチャーを捨てて、子ども・若い客・サブカルチャーを選ぶという新自由主義的な姿勢にも通じるだろうし、小泉元首相や橋下大阪市長の「単純化・敵を作ってたたく」ポピュリズム・劇場政治の遠縁にあたるのかも分からない。
これは筒井に限ったことではない。多くの小説にはモデルとなる人物や事件がある。だから映画化・ドラマ化にも適している。しかしどんなによくできた小説でも、作為である以上、作者の主観からは逃れられず、ある一面から描かれた人生の真実であるというに過ぎない。
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話が飛んで申し訳ない。
みなさん故・松田優作の「なんじゃこりゃァ~~
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刑事ドラマ『太陽にほえろ』の名物となっている殉職シーンの中でもとりわけ有名で、当時の男の子はよく真似したものだ。現在でも、もはや記号のように流布し、彼のカリスマ性を高めているが、よく考えてみてください、あれって名演技ですかね、賞を受けるような。
私は『薄氷の殺人』を、印象的な佳作と思うけれども、金熊にふさわしいとは思わない。が、リャオ・ファンとグイ・ルンメイの2人が、この映画を特別な位置に高めるような、魅力的なたたずまいをしていることは認めざるをえない。
それに対し、松田優作の殉職は、人間の真実とはほど遠く、お笑い芸人や筒井のドタバタとも異なる、スターがスターであることを証明し、それをテコにドラマが、さらにはテレビ界・芸能界が少数の人気者を極端に優遇することで効率的に興行を回してゆく「スター・システム」に特化することで生み出された。平和な日本で、若い刑事が死んでは、また次の刑事が赴任する、奇妙な回転が他にもあちこちで繰り返され、ガラパゴス化は極まった。
音楽の例はもっと悲惨だが、ここでは述べない。
『おくりびと』はアカデミー賞を獲ったじゃないか、という向きもあろう。あれは演技が古い昔のスター映画だと思うが、題材の(西洋から見ての)新鮮さってことでしょう。それは『薄氷の殺人』の高評価とも重なると思う。ベルリン映画祭の、観客の評価は審査員ほどではなかったという。生活習慣も感情表現も違うし、外国人の演技のよしあしを評価するのは難しい。
スター・システムはどこにもある。近年のアカデミー賞や主要映画祭の結果をみるに、どうも先進各国共通して、その制度疲労が特に映画界の沈滞に表れている様子だ。娯楽が多様化し、小さな市場が乱立する傾向は、「映画祭・正装・赤じゅうたん」の求心力を奪い取るのかも―
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