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ルーシー・ブラックマンさん事件に思う「相対警察論」

2015-08-06 19:59:04 | 読書
ドラッグ絡みかどうかという問題は、すぐに解決した。「(ルーシー・ブラックマンさんの親友・同僚・同居人の)ルイーズの顔色から、麻薬使用の様子は見受けられませんでした」と松本(警視正)は言った。「さらに、長時間の尋問を受けているときの彼女の体の状態からも明らかでした。薬物使用者は口角に泡がたまることが多いのですが、それも見られませんでした。痩せてもいなかったし、疲れやすいということもなかった。薬物使用の兆候は皆無でした」。言い換えれば、顔色と肉づきがよく、口から泡を吹いていなければ、違法薬物の使用者ではないというわけだ。なんとも純粋無垢な意見だが、これはれっきとした警察上層部の言葉だ。その認識の甘さは滑稽でもあり、日本の警察がいかに純粋で世間知らずかということのさらなる証明とも言えるだろう。重大犯罪に直面した経験がほとんどない彼らは、ときに物事の表面しか捉えることができない。

ただし、松本警視正のあとを引き継いだ刑事たちは、それほど純朴ではなかった。ある日、ルイーズが取調室に入ると、日本語の翻訳文と一緒にルーシーの日記が机に置いてあった。

「おはようございます、ルイーズさん」と刑事は言うと、机の書類を手に取って続けた。「ルイーズ、あなたとルーシーのどちらかが、日本でドラッグを使用したことがありますか?」

「いいえ、一度もありません」とルイーズは首を振って答えた。

「本当ですか?」と刑事は日記をめくりながら言った。

「ええ、もちろんです。一度もありません」

それまで、警察がルイーズをあからさまに疑うような素振りを見せることはほとんどなかった。時間をかけて事情聴取をするのも、ルイーズを疑っているからではなく、念には念を入れて調べたいという警察の純粋な気持ちの表れのように思えた。しかし、その日の雰囲気は、いつもとはちがった。

刑事はルイーズに尋ねた。「では、ルーシーはなぜ日記にこう書いたのでしょう? "音楽、ポストカード、そしてドラッグを求める果てしない旅"」 ―(リチャード・ロイド・パリー 『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』 早川書房・2015年)





W杯の試合後のインタビューで、なでしこジャパンの大儀見選手だったか、「自分たちのサッカーができたか」との問いに対し、「相手のあることだから」と返答し、「自分たちのサッカー」というような言い方そのものを突き放してみせたのが印象的だった。

対戦競技の宿命といえよう。
かねて私が相対芸能論というシリーズ記事で述べてきたことも、そのようなことである。
芸能界は競争が激しく、切磋琢磨、あるいは足の引っ張り合い、常に周囲の同業者と比べて浮いたり沈んだりして時価が変動する、そういう芸能界のあり方自体が彼らの個性やキャラの形成に影響し、彼らがそこで生き残れるかどうかに決定的に関与する。

そして、引用した迫真のドキュメンタリー『黒い迷宮』によれば、日本の警察がしばしば無能であったり、不祥事が多いのも、われわれ日本人が善良で、ほかの国に比べ犯罪率が低く、凶悪犯や知能犯が少ないことの裏返しとしての、相対的な現象なのだと。

犯罪率が低いにしても、警察が不要であるとまではならない。
いざという時の保険として、われわれの税金で彼らを養って、備えなければならない。
必然、彼らにとって「有事」は滅多にやって来ない。ナニワ金融道の浴田のように、勤務中にカップ麺を食べていたり、副業のマルチ商法やそのための金策にうつつをぬかしていても、クビになることはない。『黒い迷宮』のイギリス人著者の目には、ブラックマンさん事件の捜査に携わる警視庁の、特にお偉いさん、組織のあり方、情報の扱いなども同様にユルく映るのだ―




日本人男性が西洋人女性に"憧れている"というのは、人種差別に基づくステレオタイプ以外の何物でもない。東京の街を見渡せば、若い日本人女性の尻を追いかけまわす自信過剰な外国人男性が至るところにいるはずだ。そんなガイジンのほうが、有名な痴漢より数が多いのは言うまでもない。確かに、日本のアダルト作品や漫画には独自のスタイルがある、しかし、日本人のほうが欧米人よりもポルノ消費量が多いという考え自体、あらゆる事実や統計と矛盾するものである。また、日本が性的に抑圧された国だと信じる人は、一度、六本木ガールズとともに金曜日の夜を過ごしてみるといい。外国人男性を狙う彼女たちの熱と欲に驚かされることだろう。

では、なぜ日本はそんなにちがうのか? もちろん、看板の文字や人々の顔のせいもあるだろう。しかしもっと深い何か、捉えどころのない曖昧な性質のようなものがあるはずだ。ガイジンの生活にこれほど大きな喜びとフラストレーションを与える源とは何か? まず欧米と根本的に異なるのが、街の雰囲気や人々の所作、群集心理だ。そんな東京には激しくスリリングな力がみなぎっている。が、その力は慣習や社会規範にぎりぎりのところで制御される。多くの人がそれを認識するのは、日本人の"遠慮"や"礼儀正しさ"に触れたときだ。そしてそれこそが、日本人を理解すること、状況を把握することを非常に複雑にする原因でもある。

西洋人男性は、相手に強い印象を与えたり、威圧したりするために、攻撃的な男らしさを誇示しようとすることがある。一方、日本人男性にはその傾向はほとんど見られない。威張って自慢することなどめったになく、"悪意"や"脅威"とは正反対の場所に留まることが多い。リンゼイ(・アン・ホーカー)やルーシーのような日本語も理解できない新参者にとっては、日本人男性は"かわいく""シャイ"な存在であり、ときに"退屈"に映るかもしれない。私は日本に住んで15年になるが、殴り合いの喧嘩を2回しか見たことがない。どちらの喧嘩も、相手を扇動するような怒鳴り合いや睨み合いもなく、突如として始まり、突如として終わった。

そんな状況に置かれると、多くの外国人の警戒が薄れていく。母国では自分を守るために常に警戒の眼を周囲に向けていたはずなのに、その本能がいつの間にか失われてしまう。それこそ、リンゼイ・アン・ホーカーとルーシー・ブラックマンの共通点だった。彼女たちは、平凡なイギリス人女性だった。見知らぬイギリス人のマンションの部屋にひとり上がり込んだりはしない。そんな"まっとうな"女性たちだ。しかし彼女たちにとって日本は安全な場所に感じられた。いや、実際に安全だった。その魔法にかかったふたりは、ほかの場所では決して取らない行動に出てしまった。 ―(同じく)





日本人がおおむね善良であることの反映として、「警察がユルい」。実はルーシー・ブラックマンさん事件の本質も、このことに収斂されてゆく。
世界一エネルギッシュで猥雑な都市であるにもかかわらず、夜中に女性が身の危険を感じずに歩くことができる、東京という街が、彼女の防衛本能を薄れさせ、初対面に近い男の部屋に入ってゆかせ、麻酔薬入り飲み物を口にさせる。

中国の習主席が模範としている紀元前の儒教思想家・荀子は、どんな人でも悪いことをする可能性があり、まして権力者は必ず堕落するという「性悪説」の見地から「人治より法治」という、孔子などとは毛色の異なる考え方を説いたのだという。
同様に、西洋文明の基盤となっているユダヤ/キリスト教も、「一神教による強力な法の支配」という必要に迫られた発明だったと考えられる。そしてわが国は、法や宗教によらず、人間相互の明文化されない慣習や社会規範といった「暗黙の了解に基づく人治」によって、極めて特異な文明を築きあげ、著者やブラックマンさんやホーカーさんを魅入らせ、招き寄せたのではないだろうか。

この著者は経験豊富なジャーナリストで、ブラックマンさんの命を呑み込んだ、外国人ホステスが働く六本木のクラブなど日本の「水商売」の世界が、表向きは性的なサービスを提供していないとしても、「ホステスはみな麻薬中毒の売春婦」のような偏見・蔑視が根強く、また初対面の客にも名刺を渡して店外デートするのを経営側が黙認、むしろ奨励するなど、男社会の従属物としてリスクを押しつけられがちであることを指摘する一方、襲った側の織原城二もまた在日韓国人二世というマイノリティーであることが、その病的な人格形成に影響したという見方をとる。

カミール・パーリアによれば「アイデンティティーは闘争の産物。女は本来的に安定しているから男ほどはそれを必要としない」のだという。
ユダヤ人のように、迫害され、放浪を強いられると、より強くアイデンティティーを求める。そこへいくと織原は、帰化して本名を変え、その他にも常に多数の偽名を使い、サングラスをかけ、決して顔写真を撮らせない、むしろアイデンティティーを消すよう努めていたのは、表向きは対立や差別を避けるが、実際は断固として序列や派閥を作り異分子を排除する、暗黙の村社会的なわが国のあり方の反映なのではと。

織原の性行為は、常に相手を昏睡させた上で行う。日本の女である場合は器量が悪いことがほとんどで、逆に外国人である場合は、ブラックマンさんのように長身の美人であることが多いのだという。ジェームス三木の「女の手帖」やフィリピン1万2千回買春男のように詳細な記録を残し、証拠物件として墓穴を掘った。
他にも、興味深い事実が満載で、といって決して謎がすべて解決されたわけでなく、今もなお東京の闇が次の犠牲者をうかがっているかのような、現在形で多面的な、稀に見る(不謹慎ながら)面白本といえよう―



黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実
Richard Lloyd Parry,濱野 大道
早川書房

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