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日本初公開!シカゴ ウェストンコレクション 肉筆浮世絵-美の競艶  大阪市立美術館

2015-05-14 | ア-トな話し
2015年4月14(火)~6月21日(日)
その後 長野(北斎館)、東京(上野の森美術館)に巡回予定


肉筆浮世絵の展覧会は、以前にも見ました


2010 ボストン美術館浮世絵名品展 錦絵の黄金時代~清長、歌麿、写楽 神戸市立博物館2010.8.1~9.26
ブログはここ ボストン美術館浮世絵名品展
2007 ギメ東洋美術館所蔵浮世絵名品展 を大阪市立美術館で見ました。
ブログは ここ ギメ東洋美術館所蔵浮世絵名品展 
2006 ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展 江戸の誘惑 神戸市立博物館 2006.4.15~5.28
 ブログは ここ 江戸の誘惑 ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展



本展は、アメリカ・シカゴの実業家ロジャー・ウェストン氏により収集された肉筆浮世絵が展示されます。個人コレクションとしては世界有数の規模と質を誇るウェストンコレクションから肉筆浮世絵の名品約130点を、近世初期から明治に至るまで歴史的に系統立てて展観されます。なお、ウェストンコレクションは日本初公開。

肉筆浮世絵とは、絵師が絹や紙に筆で直接描いたものを指します。浮世絵といえば、摺られた版画を思い浮かべる人が多いと思いますが。そのような浮世絵版画と区別するため、あえて肉筆浮世絵と呼んでいます。

量産される浮世絵版画に対して、一点物の肉筆浮世絵は大変貴重であり、大名や豪商たちからの注文を受けて描かれることもありました。絵師たちが腕をふるった肉筆浮世絵には、女性の髪の生え際や華麗な衣裳の文様まで精緻に描かれている作品が多く見られます。

今回展示方法も工夫されています

超絶技巧で精緻に描かれた肉筆浮世絵の魅力は、作品を間近で鑑賞することで実感出来ます。そこで本展では、作品まで約30~40cmと奥行きがなく、独立した薄型の陳列ケースに入ってます。絵師の技を至近距離で存分に堪能することができるこのケースは、作品にやさしく美しく照らすLED照明、薄型で面発光の有機EL照明、透明度が高く反射が少ないアクリルパネルといった日本の最新技術を利用することで実現しています。

がらっと雰囲気が違います。

そして注目の作品がこれです




美人愛猫図(びじんあいびょうず)葛飾北斎 

北斎の代表作といえば『冨嶽三十六景』ですが、美人画も多く残している北斎。

北斎展  大阪市立美術館 2012.11は ここ

独特の曲線美、香り立つ色香…そんなすらりとした女性の立ち姿が、絹に描かれ、ちらりとのぞく襦袢やかんざし、口紅の赤がその色香を際立たせています。左手は袖を通さずに懐へ。その手に抱かれた、どことなく不気味な猫の首輪も、襦袢と同じ鮮やかな赤。主に灰色と赤の濃淡で表現されていますが、少ない配色ながら鮮やかさが表現されています。

それにしても、女性は哀れみを感じているようなまなざし。懐の猫をどんな思いで見つめているのでしょうか。

けっして可愛いとは言えないような猫ですね。
猫をアップにして見ました



テレビで特集をしてました。

美の巨人たち 葛飾北斎『美人愛猫図』日本が誇る浮世絵師が魂を込めた肉筆画の謎
2015/04/25(土)

日本にはなかったのでまだまだ調査中とのこと・・・

女性のモデルは?


テレビを見た、私の個人的な感想です

源氏物語の「若菜上」で

六条院の蹴鞠の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。
女三宮とは、光源氏の姪で、二番目の正妻。

そこから柏木の恋が始まるのですね

北斎の空想の世界ですね(笑)




北斎の弟子

葛飾 北濤(かつしか ほくとう) 松風村雨図



松風・村雨(まつかぜ・むらさめ)とは、平安時代、須磨に暮らしていたという伝承上の姉妹。姉が松風、妹が村雨。

地元である須磨で語られる伝説によれば、須磨に汐汲みに出たところ、天皇の勘気を蒙り須磨に流されていた在原行平と出会い、「松風」「村雨」と名づけられて愛された。のちに行平は赦されて都に帰る際、松の木に形見の烏帽子・狩衣を掛けて残した。また小倉百人一首収録の「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる 待つとし聞かば いま帰り来む」の歌も、この離別の際に詠んだものとされる。松風・村雨姉妹は尼となって行平の旧居に庵を結び、彼を偲んだという。





勝川 春潮(かつかわ しゅんちょう)立姿遊女図

顔がリアルですね



二代目 喜多川歌麿(にだいめ きたがわ うたまろ)三美人音曲図
細面ながら丸みを感じる容貌

そして最後に河鍋暁斎



一休禅師地獄太夫図(いっきゅうぜんじじごくだゆうず) 河鍋暁斎
河鍋暁斎と言えば、以前に展覧会に行きました

ブログは、ここ 暁斎 Kyosai 展 京都国立博物館2008.4

 骸骨とともに踊り狂う一休とその様子を見つめる地獄太夫。地獄太夫は、一休が悟りに導いたとされる堺の遊女である。河鍋暁斎は、地獄太夫を好んで描き同種の作品を多くのこしている。


いずれの作品も保管が完璧なようで、色鮮やかです。
作成当時と変わらないのではと思ってしまいます。

2階ではコレクション展が開催されてました

1.動物と美術-日本画と工芸-展


枯野 児玉希望
朝霧 金島桂華

が良かったですね

2.香の道具 展

3.五月人形 丸平と永徳齋
 

大正から昭和初期にかけての東西を代表する人形師、京都の丸平大木人形店、東京の人形司永徳齋によって制作された、鍾馗・武者・飾り馬などの五月人形。

いずれも~5/17まで


2階ではシャンデリアを一生懸命に撮影する女性が居ました。テレビでこのシャンデリア褒めてました。テレビの影響ですね

天王寺公園は工事中でした

旧黒田藩蔵屋敷長屋門

天王寺公園工事中の為か、門の下が通れます



いつもは締まってたと思うが



通れます

公園内の慶沢園が有料になってます




1987年(昭和62年)に行われた天王寺博のテーマ
「いのちいきいき」の像とハルカス

いのちいきいき天王寺ですね



通天閣です。
いのちいきいき ですね




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卑弥呼-女王創出の現象学-   大阪府立弥生文化博物館

2015-05-03 | ア-トな話し
2015年5月1日(金曜日)~7月5日(日曜日)

大阪府立弥生文化博物館は2009年以来である

ブログはここ 弥生文化博物館-池上曽根遺跡-貝塚寺内町

この時のテーマは、「弥生建築 卑弥呼のすまい」
卑弥呼ファンなのです(笑)



「卑弥呼と出会う博物館」をコンセプトにリニューアルした弥生文化博物館が、謎の倭国女王・卑弥呼にふたたび挑みます。


卑弥呼(ひみこ、生年不明 - 248年頃)は、『魏志倭人伝』等の中国の史書に記されている倭国の王(女王)。邪馬台国に都をおいていたとされる。封号は親魏倭王。後継には宗女の壹與が女王に即位したとされる。

邪馬台国(やまたいこく)は、2~3世紀に日本列島に存在したとされる国のひとつである。 邪馬台国は卑弥呼が治める女王国であり、倭国連合の都があったとされている。邪馬台国の所在地が九州か近畿かは、21世紀に入っても議論が続いている。



卑弥呼の登場です



卑弥呼の横顔



卑弥呼の館 復原

中央が高殿、その右が神殿



レプリカですが、印影も見えるように工夫されてます


金印

「漢倭奴国王」は、漢の皇帝から日本の「奴(な)」国の王に送られた称号で、この文を刻んだ金印が発見されています。年代は1世紀。漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、漢委奴國王印)国宝です



そして、「親魏倭王」は、魏の皇帝から日本の「邪馬台国」の女王卑弥呼に送られた称号で、『魏志倭人伝』の記載から、この印文をもつ金印が卑弥呼に与えられたと考えられています。年代は3世紀。
まだ発見されていません。卑弥呼のお墓にある可能性が大きいと考えられている

鏡とか鉄器も展示されていました




超大型内行花文鏡(おおがたないこうかもんきょう)




画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)




マンガ日本史 改訂版 【創刊号】

これで更に、卑弥呼の勉強をしよう。


近くの「池上曽根史跡公園」へ行きました 弥生時代の建物が復原されています

いずみの高殿

東西17m、南北7m、面積約135m²の最大級の独立棟持柱(むねもちはしら)の高床式建物跡で、神殿らしい。
建物を支えていた直径70cmヒノキ柱の基礎部分25本が腐らずに出土。
柱の間隔は1.8m、長辺の中央部2.3m前後。
土器編年では弥生時代中期後半であるが、柱の1本を年輪年代測定法で調査の結果、紀元前52年に伐採されたことが判明。
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聖護院門跡の名宝~  龍谷ミュージアム

2015-05-01 | ア-トな話し
龍谷ミュージアムは2012.4に 仏教の来た道 ―シルクロード探検の旅で往訪したことがあります

2015年3月21日(土・祝)~5月10日(日)

京都洛東に伽藍を構える聖護院(しょうごいん)は、出家した皇族が住職をつとめてきた門跡寺院です。そのため、境内の書院や宸殿には、金色に輝く華麗な障壁画が1 0 0 面以上伝えられています。また、聖護院は本山修験宗の総本山でもあり、勇壮な山伏たちの寺として、修験にかかわる仏教美術が多く伝えられています。2 0 1 4 年は、聖護院の開山・増誉大僧正(1 0 3 2~1 1 1 6)の9 0 0年遠忌にあたり、御遠忌法要が厳修されました。これを記念し、聖護院および本山修験宗の名宝を披露する展覧会を、龍谷ミュージアムと京都文化博物館で同時開催されます。寺外初公開を含む約1 4 0 件(うち国宝1件、重要文化財13件)を展示し、聖護院9 0 0 年の歴史と文化、その魅力の神髄を余すところなく紹介します。
聖護院は明治まで37代を数える門主のうち、25代は皇室より、12代は摂家より門跡となった。江戸時代後期には2度仮皇居となるなど、皇室と深い関わりを持ち、現在も「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されている。宮門跡でもあり寺社勢力でもあった。

最初の写真は孔雀図 聖護院の孔雀の間
展覧会では残念ながらこんな風には展示されていませんが、間近で見ることが出来ます
他にもたくさんの障壁画が展示されています



木造 不動明王立像(本尊) (重要文化財) 聖護院
草創期からの本尊 片方の目をすがめ、左右の口角から上下に牙を出す。腰を右に捻って左足を踏み出して立つ
15年振りに寺の外で公開される



銅造 役行者半跏坐像・前後鬼坐像 聖護院 出羽守政常作

修験道と言えば開祖とされる役行者。たくさん展示されています。他の寺から出ているのもあります





木造智証大師坐像 良成 作 (重要文化財) 聖護院




木造不動明王二童子立像 (重要文化財) 京都・峯定寺

峯定寺(ぶじょうじ)は京都市域の北端近くの花背に位置する山寺である

今回の展覧会のポスター等には、この仏像が使われています

多くの仏像が出ています。極間近で見れるし、後ろからも見れます。
楽しくなりますね。



龍谷ミュージアムは、西本願寺の前にあります



中庭のモミジは緑に輝いていました
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琳派400年記念 細見美術館 琳派のきらめき-宗達・光琳・抱一・雪佳-   高島屋

2015-04-01 | ア-トな話し
神坂雪佳 金魚玉図

琳派(りんぱ)とは、桃山時代後期に興り近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称である。本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、酒井抱一・鈴木其一が江戸に定着させた。
400年に亘り継承された琳派は、日常の中で追求された日本独自の美、そして日本人に寄り添った美として高い人気を博しています。
琳派を幅広く蒐集し国内外から高く評価されている細見コレクションを通して、京都・大坂・江戸と3つの都で咲き誇った琳派の系譜、それぞれの特徴や魅力を、美術館開館以来初めての規模で展覧します。
また今回出品される屏風や掛け軸等は細見家で実際に飾られていたものも数多く、個人コレクションならではの視点と美意識が 光る琳派です。

日本が誇る美の世界「琳派」の優品の数々を、細見コレクションで・・・

2015年が琳派400年の記念年ということで実現したこの展覧会。
本展では、琳派の始祖 本阿弥光悦に俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一から神坂雪佳まで、100年ごとに私淑という形で受け継がれた「琳派」の“時代の流れ”“上方と江戸の違い”そして“それぞれの作家の画風”などをみることができます。
とりわけ江戸琳派に関しては、酒井抱一と鈴木其一、そしてその流れを組んだ絵師たちの世界が広く展開されるのも本展ならではです。

2007年に細見美術館に行きました ブログはここ 琳派展X「神坂雪佳-京琳派ルネサンス-」




神坂雪佳 金魚玉図 久々の再会です。

全体図です。
吊りしのぶをあしらい、表装は葭津(よしず)に見立てるなど、涼を呼ぶ趣向です

春なのに、ここはもう夏です。何度見てもいい作品ですね




尾形光琳 墨竹図

わずかな筆使いながら感動しますね



中村芳中 白梅小禽図屏風

梅の花は簡略化して書いてます。それが全体的な雰囲気を出しているのかも・・・



酒井抱一  桜に小禽図

酒井抱一と親交のあった亀田 鵬斎(かめだ ぼうさい、宝暦2年9月15日(1752年10月21日) - 文政9年3月9日(1826年4月15日))は、江戸時代の化政文化期の書家、儒学者、文人。の息子、亀田綾瀬が漢詩を寄せている



本阿弥光悦(書) 俵屋宗達(下絵)
月梅下絵和歌書扇面

雲れかし なかむるからに悲しきは つきにおほゆる人のおもかけ

作品は約90店
京都、大阪、横浜、日本橋 と高島屋4店を巡回します
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川喜田半泥子物語─ その芸術的生涯 ─

2015-03-19 | ア-トな話し
あべのハルカス美術館 2015年 3月17日(火)~ 5月10日(日
美術館前の大きな垂れ幕


川喜田 半泥子(かわきた はんでいし、1878年(明治11年)11月6日 - 1963年(昭和38年)10月26日)は、日本の陶芸家・実業家・政治家。「東の魯山人、西の半泥子」、「昭和の光悦」などと称される。本名は久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)

大阪府生まれ。15代続く伊勢の豪商の家に生まれる。裕福な家庭で育ったが、祖父や父は半泥子の生後まもなく他界し、1歳で川喜田家16代当主となった。三重県尋常中学(現在の三重県立津高等学校)を卒業。1901年(明治34年)、23歳で四郎兵衛の長女・為賀と結婚している。

1903年(明治36年)に百五銀行の取締役に就任。1919年(大正8年)に第6代頭取となり、1945年(昭和20年)2月まで頭取を務めた。
彼の時代に百五銀行は三重県有数の金融機関に成長した。頭取以外にも、三重県財界の重鎮として、三重合同電気社長や明治生命の監査役などいくつもの会社の要職を務めている。また、1909年(明治42年)からは津市会議員、1910年(明治43年)からは三重県会議員を務めた。

陶芸は趣味で、当初は陶工に作らせていたものの納得が行かず、50歳を過ぎてから本格的に自ら作陶するようになった。1933年には千歳山の自宅に窯を開き、本格的に作陶を開始した。主に抹茶茶碗を製作した。作風は自由奔放でおおらかと評される。陶芸のほかに、書や画もよくしたが、あくまでも趣味としての立場を貫き、生涯に一作品も売ることはなく、出来上がった作品は友人知人に分け与えた。

半泥子の名前を知ったのは、今から10年前 2005.6
大先輩の小林さんのファミリーコンサートにご招待され、津にお邪魔し、石水(せきすい)博物館を訪れた時のことですーー川喜多家ご用達の新玉亭でうな丼を食べました
ホームページはここ

そんな思い出をメールしたら、メル友のミントさんから

石水博物館はその後、2011年に半泥子の自宅と千歳文庫のある千歳山に移転しましたと教えていただきました。

今年2/8に「日曜美術館」で 銀行頭取 陶芸を革新せり~川喜田半泥子~ という放映があり事前勉強もバッチリです

今回一番会いたかったのは、これです



伊賀水差し 銘「欲袋」

茶碗よりは少し大きめです

古田織部の作と伝わる 古伊賀の水差し「砂袋」(重要文化財ー現在は五島美術館蔵)
旧津藩主の藤堂家に伝わる。半泥子が東京の藤堂邸で拝見しなんとか再現しょうと作った作品


これが重要文化財の「砂袋」


「砂袋」に魅了された半泥子が試行錯誤の結果得たもの モノマネでない良さを感じますね。
割れ目には青海波の模様が入っている。



刷毛目茶碗 銘「これはこれは」

名前の付け方に感服します
なんか失敗作のような感じながら 趣がありますね
思わず 「これはこれは」と言ってしまいそうです(笑)・・・


粉引茶碗 銘 「たった川」



井戸手茶碗 銘 「雨後夕陽(うごせきよう)」


朝鮮全羅南道咸平の土を用い井戸釉をかけて焼成している



粉引茶碗 銘 「雪の曙」

指の跡が見所です 轆轤を一気に引き上げたため器の口の部分が切れたのを、そのままに・・あるがままにしておく
半泥子風なのです


『半泥子(はんでいし)』というユニークな雅号の由来は、南禅寺の管長にもなったことのある大徹禅師から授かったもので、『半ば泥(なず)みて、半ば泥(なず)まず。』ということに由来しています。その意味は、『何にでも没頭し、泥んこになりながら、それでも冷静に己を見つめることができないといけない。』というようなことです。

絵もあります



窓辺の花

10代の時の作品とのこと、最近修復され額縁もあたらしくなったようだ



親交のあった 画家 藤島武二の作品 「桜の美人」藤島武二は半泥子の洋画の先生だった

書もすごいです



「波和遊(ハーワーユー)」


How are you? 漢字で書くとこうなります

楽しいですね




無茶苦茶の「苦茶」

上手いですね。「無茶」も展示されていました。

何をやらしても上手いですね。

感心します。



美術館の入口は 「泥仏堂」でした

人に褒められようともしていない茶碗、これが半泥子のいきついた境地であった

それは、まさに 「これはこれは」なのだ
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古切手コンサート 吉岡昌美さん  2015.3.15

2015-03-15 | ア-トな話し
去年に続き2回目です。
去年は、ここ  古切手コンサート 吉岡昌美さん

会場は 岸和田の自泉会館

吉岡昌美さんは奈良教育大学卒業、同大学院終了。関西二期会オペラ スタジオ終了。
ソプラノ歌手 今年で8回目の古切手コンサートを主催
 

第一部は
去年と同じ 「早春賦」 で幕を開けました 作曲 中田 章

「浅き春に寄せて」
「さくら横ちょう」この曲の作曲者は 中田 喜直。冒頭で歌った「早春賦」の作曲家 中田 章の息子です

「からたちの花」 北原白秋 作詞  山田耕筰 作曲

「人気のない森で」 モーツァルト

オペラ「ロミオとジュリエット」より
「私は生きたいの」  C・グノー

これが"ソプラノ" よと言う位に迫力のある歌でした

本日の二部はまさに特集です。

休憩時間を利用して、概略の説明があり、二部は一挙にやります

途中休憩なし、拍手なしです。

タイトルは

"空想(あそ)んで、詩(うた)って、描(えが)いて・・・
104歳で逝った「まど・みちお」"


構成・ビアノ 安達裕子
語り     稲葉元子
うた     吉岡昌美

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まど・みちおのプロフィール

まど・みちお(本名:石田 道雄〈いしだ みちお〉、1909年〈明治42年〉11月16日 - 2014年〈平成26年〉2月28日)は、日本の詩人。25歳のときに北原白秋にその才能を認められ、33歳のときには太平洋戦争に召集された。詩作りは20代から始め、以来生涯にわたって詩を作り続けた。
「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」などの、そのおおらかでユーモラスな作品は童謡としても親しまれている。

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「ふたあつ」
「せっけんさん」
「おにぎり ころりん」
「そらに てんてん おほしさま」
「なみとかいがら」
「ふしぎなポケット」
「いちねんせいになったら」
「やぎさん ゆうびん」
「ぞうさん」
「ドロップスのうた」
「ケヤキ」

ぞうさん は 

今でも歌詞を覚えていて口ずさむことができますね

ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね 
そうよ
かあさんも ながいのよ

ぞうさん
ぞうさん
だあれが すきなの
あのね
かあさんが すきなのよ

**********
ぞうの子は、鼻が長いねと悪口を言われた時に、

しょげたり腹を立てたりする代わりに、

一番好きな母さんも長いのよと、誇りを持って答える。
******

そんな歌なんです


語りと歌を 組み合わせての素晴らしい一時でした。

拍手に促されて、アンコールがありました。

曲目は まど・みちおの才能を認めていた 北原白秋 作詞

「からたちの花」

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ

童謡にどっぷりの一日でした

ピアノ 青谷理子 相愛大学音楽部器楽科ピアノ専攻卒業
構成・ピアノ 安達裕子 洗足学園大学音楽学部ピアノ科卒業
語り 稲葉元子 大学で演劇部に所属 卒業後芝居の世界に


会場の風景




会場の隣では、ヨーロピアンフラワーアレンジサークルの展覧会が行われてました

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煉瓦館アート展2015(3月8日~15日)

2015-03-08 | ア-トな話し
煉瓦館アート展には2008年から2011年まで連続して出展してました。
今年は久々の出展です。

今年の案内ハガキは
昨年1位の「道」(油彩画)阪口杜士子さんの作品でした






今回はA3ノビと少し大きめの作品を出展した
一番右側の作品です

タイトルは「凛としたカワセミ」

ずっと澄ましていてくれた。感動です

撮影時のブログはここ ついに撮ったぞ~ カワセミ 熊取町 長池オアシス

ヒスイ、青い宝石 と言われる様が伝わります。

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改組 新第一回 日展     大阪市立美術館

2015-02-24 | ア-トな話し
第39回日展
第40回日展 
第41回日展
第42回日展 
第43回日展
第44回日展
第45回日展
今年で連続8回です
いろいろ問題があったようで、今年から改組新第一回となった。

出展者にも馴染みの方が出てきました。もちろん作品だけですが・・

いつも通り、自分がいいなと感じた作品を紹介します
【洋画】



李 暁剛 (り しゃおがん)


大好きな画家の一人です。なんとなくミレー風と感じるのは私だけかも




木原和敏
「moment」
モデルさんにも馴染みがあります



樋口 洋 「宵の函館」

函館を描かせたら樋口さんという雰囲気ですね



松浦國樹

樹陰・加茂の大クス

この木なんの木 という位の大樹ですね。
木の描き方も素晴らしいが、下にたくさんの人が居ますね。
人と木の大きさの対比も面白い


熊谷有展 「かわいい訪問者」

近づいてみるとジグソーパズルのような細かい模様があります。
絵画の手法なのかな?




古賀英治 「刻の狭間-26」

ロボットの世界に来たような不思議な雰囲気です


鈴木順一 「海のあなたの空遠く」

この不思議な雰囲気は何だろう スーラ? 点描でもないし。優しいです



歳嶋洋一朗 「マヘレのはね橋」

無茶優しいですよね。まるで水彩画のよう・・・



ナカジマ カツ 「真贋の扉」

特選

すごいリアリティー。こういう描き方もあるんだ・・・



中島健太 「After Dark」

夕方だろうか室内の雰囲気がまさに夕方。すごい描写力ですね




永田英右 「棕櫚のある静物」

いつもとは少し違う。丸型のフレームにチャレンジ。リアルな表現は変わってない。



成田禎介 「アルプの高原」

緑と雪山の対比。いいですね




長谷川 仂 「日の終わりに」



福井欧夏 「波の唄」

この画家もお馴染みです

【日本画】



鍵谷節子 「赤い記憶」

日本画と言えば、この人。毎年作品に出会えることを楽しみにしています。



棚町宜弘 「狭間、冬陽差す」
特選

少し離れて見ると気づきます。線路がいくつもあります。電線は無数。なのに電車は一台もない。
冬の日差しも見事に描かれています。
精密な描写です。

夢のような空間ですね。

今年一番感動した作品です



鵜飼雅樹 「椅子」



中路融人 「新雪浄苑」

雪の金閣寺ですね




岸野圭作 「簇簇」


簇簇は ぞくぞく又は そうそうと読むようだ 群がり集まるさま
まさに、そんな感じです。



土屋禮一 「美雪晴・梟」

ふくろう ファンとしては見逃せない作品ですね

【彫刻】


二塚佳永子 (ふたづか かえこ) 「夢」

石膏の白が引き立つ作品 何か夢が叶えばいいな・・・

【工芸美術】



武田 司 「繋ぐ」
特選

まるで絵画のような作品
蜘蛛の巣につかまり、地に落ちた蝶、しかし次の生命へと繋ぐものが出てきている、漆のレリーフだが、貝殻等を使っているようだ



西山邦彦 「春宵慕情」

彫金の作品
ふくろう ファンにはうれしい。





原 益夫 「知恵の瞳」

鋳金 の作品

【書】



倉橋奇艸 「實盛」
特選

本阿弥光悦(俵屋宗達、尾形光琳とともに、琳派の創始者)の光悦書状の筆法を習得した秀作(寛永の三筆 本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗)

いずれも見事な作品ばかりであった。
特に今年は日本画にいい作品が多かったように思う

今、美術館の2階ではコレクション展が行われています。日展観た人は無料です。

お雛さまを飾る
2015年2月21日(土)~3月22日(日)

京都の「丸平」大木平蔵、東京の永徳斎という東西の名匠による明治末〜昭和初期に製作された雛人形を陳列されています
他に
中国工芸-精緻な技の世界-
東南アジアのやきもの
江戸時代のきもの 徴古裳 中村清コレクション
が行われていました。
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開創1200年記念 高野山 祈りの美 高島屋

2015-02-21 | ア-トな話し
高野山開創1200年を記念して、2月18日(水)3月2日(月)まで。

この展覧会では、明治以降、高野山に奉納されてきた美術品の数々が一堂に展示されます。

なかでも、この開創1200年に合わせて、日本画家の中島千波氏が制作された「桜の間障壁画」(金剛峯寺奥殿の襖絵12面、通常非公開)が初めて公開されます。

そして、この展覧会が終わると襖絵は金剛峯寺奥殿(通常非公開) に納められます。

二度と見ることが出来ない・・・これは行かねば(笑)

桜の間障壁画 大きな絵葉書で3枚。これで一部なのです。




他にも富岡鉄斎の作品もありました
富岡鉄斎と言えば、2009年に清荒神に参拝して鉄斎美術館を訪れたことがあります。
ホームページは、ここ
力強いタッチに感動します。

美術家の奉納品と言えば、こんなのもありました



高屋尚哲 「弘法大師像」
優しさ溢れる弘法大師です。
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チューリヒ美術館展      神戸市立博物館

2015-02-06 | ア-トな話し
神戸市立博物館
2015年1月31日(土)〜5月10日(日)

スイスが誇る美の殿堂チューリヒ美術館のコレクションを、日本で初めてまとめて紹介。出品されるのは幅6メートルにおよぶモネの大作やシャガールの代表作6点に加え、ホドラーやクレーといったスイスを代表する作家の珠玉の絵画、さらにはマティス、ピカソ、ミロといった20世紀美術の巨匠の作品など、これまでなかなか来日の実現しなかった印象派からシュルレアリスムまでの傑作70点以上。スケッチや習作がほとんどない、まさに「すべてが代表作」といえるラインアップです。
世界的な金融都市でもあるチューリヒの富と、スイスの人々の美への慧眼を象徴するようなチューリヒ美術館展は、日本とスイスの国交樹立150年を記念する展覧会でもあります。

チューリヒ美術館が所蔵する10万点以上の所蔵品の中から、世界屈指の近代美術コレクションを日本で初めて紹介する同展。モネ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソ、ダリ、シャガールなど、印象派からシュルレアリスムまで近代美術史を彩る巨匠など34作家の作品74点(うち58点が初来日)が一堂に会する。



クロード・モネ「睡蓮の池、夕暮れ」

縦2m、横6m 大きな作品である。モネの睡蓮は、いくつかの展覧会で出会っているが、こんなに大きいのは初めてだ。
夕暮れの差し込む睡蓮の池の水面の様子を描いている



ジョヴァンニ・セガンティーニ 「虚栄(ヴァニタス)」
イタリアの画家。アルプスの風景などを題材とした絵画を残し、アルプスの画家として知られている。一方で神秘的、退廃的な作品を残したことから、作風は世紀末芸術とされることもある。
虚栄と欺瞞を描いた作品とのことですが・・・
隣に展示されていた(淫蕩な女たちへの懲罰)は、もっと分かりません 青白い月光に輝く、綺麗な作品ですが。

通り過ぎてからいくつかの作品を見たあと、どうにも納得できなくて、戻って再度見ました。
戻れるくらいの混み具合だったから、良かったです(笑)



オーギュスト・ロダン(殉教の女)

彼女は何処を見てるのだろう? 一緒に見てみましたが、天井でした(笑)




ポール・セザンヌ(サント=ヴィクトワール山)

セザンヌは故郷エクス=アン=プロヴァンスのサント=ヴィクトワール山を、生涯をかけて何度も描いた。最晩年の本作では、水彩のように瑞々しい大ぶりのタッチが、色彩と空間を緊密にまとめつつ、画面に躍動感を与えています。



モーリス・ド・ヴラマンク(シャトゥーの船遊び)

モーリス・ド・ヴラマンクは姫路市立美術館で初めて出会いました「川沿いの村」

その後 損保ジャパン東郷青児美術館で展覧会を見ました。2006.4 ここセザンヌ? ゴッホ? その感じが好きです



フィンセント・ファン・ゴッホ(サント=マリーの白い小屋)
青々とした空、白い壁、黄色い大地 ゴッホが感じた物が伝わって来ます。



マックス・ベックマン(スヘフェニンゲンの海岸の散歩)

不安定な空間。それは不思議な緊張感がある。



ワシリー・カンディンスキー(黒い色班)

2002.7に京都国立近代美術館で、「コンポジションⅥ」「コンポジションⅦ」と二つの大作を見ました
そして2011.6に「カンディンスキーと青騎士」展を 兵庫県立美術館で見ました。久々の出会いです
ブログは ここ



マルク・シャガール(窓から見えるブレア島)
シャガールの特徴的な絵は、このあとの時代なのでしょう
開放した窓からの景色 誰もがチャレンジしそうな構図ですが ぼかしの効果が夢幻的な雰囲気になってます。
全部で6点出展されています。シャーガールらしい絵もあります



フェルディナント・ホドラー(真実、第二ヴアージョン)
今、兵庫県立 美術館でホドラー展が開催されています
ここにも6点、展示されています。


ピート・モンドリアン(赤、青、黄のあるコンポジション)
三原色と白。黒い線 比率と配置 絶妙ですね。

この展覧会のカタログの表紙(カバー)は3種類あります
モネ、ゴッホ、モンドリアンの3種類です。私はモンドリアンを選びました。

売店では特製ブックマークをくれます。10種類あるそうです。


私は絵ハガキも買ったので、2枚選んでくださいということでした
ゴッホとマックス・ベックマン でした




クロード・モネ(ノルマンディーの藁葺きの家)
画家にとってはよくあるバターンの構図ながら、そこにモネを感じる




パブロ・ピカソ(大きな裸婦)

ピカソだ・・・


アルベルト・ジャコメッティ(ディエゴの大きな頭部)

ジャコメッティは大好きです

2010.12には兵庫県立美術館で出会いました ディエゴの胸像他 
「ザ・コレクション・ヴィンタートゥール スイス発―知られざるヨーロピアン・モダンの殿堂」 ここ
今回は絵画作品も含め 6点 展示されています。

とにかく大満足の一日です
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高野山開創1200年記念 高野山の名宝 展 あべのハルカス美術館

2015-01-23 | ア-トな話し
2015年1月23日(金)~3月8日(日)

今回の展覧会は、待ちに待っていました。
狙いは二つです。
まずは「八大童子」です。日頃高野山に行っても、8体同時に見れることはないと言われています。
2004年に和歌山県立博物館で出会いました。感動してホームページにしました。 ここ 国宝 八大童子立像

左から、指徳(しとく)、恵光(えこう)、矜羯羅(こんがら)、制多伽(せいたか)、烏倶婆ガ*ガの漢字は(言+我)(うぐばが)、清浄比丘(しょうじょうびく)、恵喜(えき)、阿耨達(あのくた)

指徳(しとく)、阿耨達(あのくた)は後年に補われたものと考えられます。後は運慶作


不動明王の眷属としての性格を超え、童子の彫刻としても非常に優れた像。もちろん不動明王も展示されています



重要文化財 不動明王坐像 不動堂本尊

弘法大師空海が、真言密教の根本道場として高野山の下賜を時の嵯峨天皇に願い出て、勅許を得たのは、弘仁7年(816)、43歳の時でした。標高千メートル級の山々に囲まれたこの地で、弘法大師は自らの理想を具現化した「壇上伽藍」の建立にとりかかりました。以来、1200年、幾多の盛衰を経ながらも、高野山は、真言密教の聖地として、今も人々の厚い信仰を集めています。

他に類を見ないこの山上の大宗教都市には、弘法大師ゆかりの宝物をはじめ、豊麗な密教美術、さまざまな人々からの寄進物などからなる、わが国屈指の仏教芸術の宝庫が形成されました。高野山開創1200年を記念して開催される本展では、運慶作の国宝「八大童子像」ほか、壮大な歴史のなかで、時には命がけで守り伝えられてきた高野山の名宝が一堂に集められます。空海の教えとともに連綿と受け継がれてきた至宝です。



「空海、少年の日、好んで山水を渉覧せしに、吉野より南に行くこと一日、さらに西に向かって去ること両日程にして、平原の幽地あり、名付けて高野という、計るに紀伊国伊都の郡の南なり、四面高嶺にして人蹤蹊絶えたり」と、初めて高野山の地に一歩を記した経緯を記している。

もうひとつの狙いは、これです。



重要文化財 孔雀明王坐像 快慶 作

フィギュアを持ってる程、いつかは本物を見たいと思っていました。
いろんな角度から何回も見てみました。いいですね。



弘法大師坐像(萬日大師)
弘法大師空海の肖像は多いが、顔を左に向けているのが、珍しい。

萬日大師の謂れは、弘法大師像に日々30年間(1万950日)参詣を続けた行者がいました。ある時、その人の夢に弘法大師が現れて、「万日の功、真実なり・・」と申され、東方を顧みられたというのです。その行者が夢からさめて弘法大師像に詣ってみると、お首が左(東方)を向いていたということです。



国宝 聾瞽指帰(ろうこしいき)空海 筆
空海24歳の真跡 797年
瑞々しく勢いのある筆致です 三筆と言われる空海の筆です

三筆(さんぴつ)とは、日本の書道史上の能書のうちで最もすぐれた3人のことであり、平安時代初期の空海・橘逸勢・嵯峨天皇の3人をさす。



国宝 諸尊仏龕(しょそん ぶつがん)

師・恵果から密教のすべてを伝授された空海は、多くの経典や文物を日本に持ち帰った。その内容は、帰国後朝廷に提出された『御請来目録』に記載されている。なかでも本品は、密教の第五祖のインド僧金剛智が中国に伝え、不空、恵果を経て空海に伝わった「密教正系の証」ともいえるものを集める項目に記される由緒深いもの。香木(白檀材)を縦に三分割し、蝶番でつながれる。高さ約23cm、中央には如来を中心に11尊、左右の龕には菩薩を中心に各7尊が緻密に彫り出されている。両扉となる龕を閉じれば、携帯できるように工夫されており、枕本尊とも呼ばれている




重要文化財 四天王立像 快慶作

*左から持国天立像、増長天立像、広目天立像、多聞天立像

広目天に快慶の銘があることから、快慶とその工房の作と考えられる。特に快慶の直接の手になる広目天は、険しい忿怒の表情を見事にあらわし、腰を左にひねって立つ体勢のバランスの良さや、衣文表現の巧みさはその中でも際立っている。
近くで見ると、本当に圧倒されます



両界曼荼羅

左が金剛界、右が胎蔵界

美術館のショーウィンドーには複製ながら「血曼荼羅」が展示されていました。
NHK 大河ドラマ 「平清盛」のシーンを思い出しますね。
清盛が頭に付いた血を 高野山の曼荼羅に塗るシーンでしたね。



清盛は鳥羽院の命にて高野山の大塔の修理を行いました。修理完成時に参詣した清盛は、一人の老僧に出会います。その老僧は大塔の修理のお礼を述べ、荒れている厳島の修理を清盛に依頼しました。奥之院の方へ去る老僧の姿はしばらくすると、ふとかき消えてしまいました。清盛はこの老僧は弘法大師の化身であったと知り、ますます信仰を深め、金堂に曼荼羅を奉納しました。その時奉納した曼荼羅は、胎蔵界大日如来の宝冠に清盛自身の頭の血を混ぜて描いたとあります。この曼荼羅が「血曼荼羅」として現在まで伝えられています。

次に高野山に行った時のポイントですね。

高野山は、我が家は高野山真言宗なので何回か参拝してます。

高野山 参拝記はここ

父は高野山 龍泉院に分骨しています 龍泉院のわらべ地蔵のブログはここ
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原 公香 作品展 1/13~1/23

2015-01-16 | ア-トな話し
今年のトヨタ自動車のカレンダーです。
カレンダーの表紙と1月分です

初めて出会った原公香さん。温かいものを感じホームページを見ると、大阪で作品展があるという事で出かけました


「らったった」




刺繍イラストレーター とのこと1月13日(火)〜23日(金)に大阪のGallery SPOONにて個展を開催。
プロフィールは

1984年生まれ。

京都出身・在住。

布、糸、アクリル絵具、ビーズなどを使い、カラフルな色の自由なステッチの刺繍を作っています。

楽しく、かわいく、見るとちょっと幸せになれるような・・・がテーマです。

2007 年3 月成安造形大学造形学部デザイン科イラストレーションクラス 卒業(芸術学士)

ホームページは、ここ http://kimikahara.blogspot.jp/





どれも癒されますね。



そして会場では、ご本人に出会うという超ラッキーでした。
今後のますますのご活躍を祈っています
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金子さん ガッシュ画展 

2014-11-15 | ア-トな話し
2014.11.14~11.16 大阪くらしの今昔館 企画展示室

金子茂子 「ブルゴーニュ 豊穣の街」

フランスのワインの生産地として有名な街、ブルゴーニュです

ご自身が行った時の写真を元に制作、まるでワイン色の建物が鮮やかに飛び込んで来ます。



山路鈴香 「ドリーム」

金子さんの先生の作品です。これぞ ガッシュ画という見本のような作品ですね


ガッシュ画会の先生たちの作品です



船本清司 「風走り」
題名の「風走り」が実感です





船本大輔 「Irresistible(魅力的な)」

Irresistible イレジスティブル たまらない魅力 と訳したらいいのでしょうか。
そんな迸る情熱を感じる赤です



船本礼子「シャルリナムナム 願いの叶う夜」
夢の中ですね



船本礼子「レイコの妖精たち」
粘土で作った妖精たちです。作品の前で、礼子先生のお話を暫く聴くことが出来ました。




唐住美恵子 「ジャカランダの森」
神秘的な紫です


木村伸子「緑陰」
陰をどう表現するかですね。


兒玉博子 「錦秋に立つ」
遠景とアップ?


中井京子 「白樺の木陰で」

白樺のアクセントがいい



森 純子 「気高く優しく」
ガッシュ画に「ふくろう」登場 感激的ですね
優しい色合いに感動です
ふくろう大好きなので資料館にも行ってきました
ここ 豊島ふくろう・みみずく資料館 来年も是非 ふくろうで楽しみにしています



板橋英子 「シンフォニー」

黄色が見事



五味志津子 「異国の街で私はエトランゼ」
いい雰囲気ですね



井上楷子 「砂漠の風」
勇気のある視点ですね



太田尭子 「滝の流れのように」

子安地蔵寺の藤を思い出しました。ホームページはここ



今井世津子 「緑陰より」

ゴッホ? と思ってしまいますね

他にも力作が一杯でした。

いつも通り会場を案内しながら絵の説明をしてくれます。今回もランチご馳走になりました。

船本先生のミニカレンダーも戴きました
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安野光雅 皇后美智子さまのうた 装画展 泉北タカシマヤ

2014-11-14 | ア-トな話し
泉北タカシマヤ開店40周年を記念して、パンジョホールで「安野光雅 皇后美智子さまのうた 装画展」が開かれている。
天皇皇后両陛下が詠まれた歌に添えて描かれた水彩画。そして、日本の唱歌・童謡の風景を描いた作品など、安野光雅氏の作品約60点を展示している。

会期:2014年10月29日(水)~11月18日(火)
場所:パンジョホール(パンジョ5階)


安野光雅さん(88)が、皇后さまの短歌を中心に、天皇、皇后両陛下の歌133首を選んで感想をつづった本「皇后美智子さまのうた」(朝日新聞出版)を出版した。
「週刊朝日」の今年の新年号から9回の連載をまとめた。
戦争を詠んだ皇后さまの歌に、自身の戦争体験を重ねた。皇太子妃時代の1972年、沖縄返還に際して詠んだ「雨激しくそそぐ摩文仁(まぶに)の岡の辺(へ)に傷つきしものあまりに多く」。
75年の歌「いくさ馬に育つ仔馬の歌ありて幼日(をさなび)は国戦ひてありぬ」。
95年の全国植樹祭に際し詠んだ「初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うるこの子供らに戦あらすな」。

天皇、皇后両陛下が詠まれた歌と歌に添えて描かれたサクラやラベンダーなど草花の水彩画約30点を展示されています。
安野光雅さんと言えば、今年3月に見た展覧会が心に残ってます


安野光雅が描いた『御所の花展』 ~両陛下のお庭を彩る四季の草花 高島屋 大阪

あの時の作品と同じような優しい花達が続きます。



ムラサキシキブ


今回、感じが違うのは
「繪本 歌の旅」から「赤とんぼ」や「ふるさと」といった日本の唱歌の風景を描いた作品も並んでいます
花達とは違う優しさが伝わってきます。シヨップで売っていた本を思わず買ってしまいました。




「繪本 歌の旅」


「汽車」
津和野の城山の下を行く汽車
安野光雅さんの故郷が津和野でした

1.今は山中 今は浜
今は鉄橋渡るぞと
 思う間も無く トンネルの
 闇を通って広野原(ひろのはら)
2.遠くに見える村の屋根
近くに見える町の軒(のき)
森や林や田や畑(はたけ)
後(あと)へ後へと飛んで行く


「ふじの山」
山梨県都留市の山道から見た晩秋の富士

1.あたまを雲の 上に出し
 四方の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く
 富士は日本一の山

2.青空高く そびえ立ち
からだに雪の 着物着て
 霞のすそを 遠く曳く
 富士は日本一の山


思わず日本のいいところのみ集めた絵に感動します
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天皇皇后両陛下傘寿記念 第66回 正倉院展  奈良国立博物館

2014-10-31 | ア-トな話し
正倉院「正倉」外構
2014.10.28
平成26年10月24日(金)~11月12日(水)

過去の展覧会です。
第65回 正倉院展
第64回 正倉院展
第63回 正倉院展
第62回 正倉院展
第60回 正倉院展
第57回 正倉院展
今回で7回目です。


正倉院「正倉」外構の公開が再開されました 2006.4に拝観して以来です。23年度から工事に入り久々の公開です

本年の正倉院展には、北倉6件、中倉28件、南倉22件、聖語蔵(しょうごぞう)3件の、合わせて59件の宝物が出陳されます。そのうち初出陳の宝物は6件です



桑木阮咸 [くわのきのげんかん]

円形の胴を持つ四弦の楽器。阮咸 とは、竹林の七賢(ちくりんのしちけん)の一人。3世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した、下記の七人の称。
阮籍(げんせき)
嵆康(けいこう)
山濤(さんとう)
劉伶(りゅうれい)
阮咸(げんかん)
向秀(しょうしゅう)
王戎(おうじゅう)
阮咸は琵琶の名手と伝わる。
この楽器は、東大寺の法要に使われたと伝わる。




衲御礼履 [のうのごらいり] 儀式用の靴

色と大きさにびっくりです
本品は天平勝宝4年(752)4月9日に挙行された大仏開眼会(だいぶつかいげんえ)にて、聖武天皇が履かれたものと推測されています。

長さ31.5cm、幅14.5cm。聖武天皇は大柄なお方だったのでしょうか・・・
内側は柔らかい鹿皮を、外側は牛皮を赤く染めています。


鳥毛立女屏風 [とりげりつじょのびょうぶ]


教科書でおなじみ、今年最注目の宝物です。全6扇のうち、ここには4扇が出品されております。縦約136cm×横56cmの壮大な作品です。もともとは樹木や衣装の部分を日本産のヤマドリの羽で彩っていたため、このような名がつけられているようです。


右第二扇、左第4扇


右第五扇 、左第六扇

残り2つは東京で開催されている日本国宝展にありました。 ここで見てきました 日本国宝展 東京国立博物館 平成館 特別展示室

とりあえず東京に行く予定のない人も安心してください 国立博物館の中庭のシヨップに売ってました。
全6扇揃いのポストカードです




金銀絵長花形几(きんぎんえのちょうはながたき)献物用の台
東大寺東小塔院への献物に用いられた



銅三鈷(銅製の仏具)
平安時代初期に本格的な密教が伝わる以前から我が国で行われていた古密教に用いられたと推定される金剛杵である。
高野山には

三鈷(さんこ)の松というのがある。ホームページ高野山は、ここ
空海が修行の地を選択するのに、唐から帰るときに三鈷杵(さんこしょう)を投げた。帰国してみるとここ高野山の松に架かっていた)という伝説の松。



白瑠璃瓶(はくるりのへい)
ペルシャ風の持ち手付きの水差し。アルカリ石灰ガラス製で、透明だが、やや緑がかっている。宙吹きの技法で本体を作り、持ち手の部分を溶接している。全体的に気泡が多いのが特徴。類例や出土品などから、製作地は現在のイラク・バグダッド周辺が有力視され、唐の頃に中国を経て日本に伝えられたと考えられる。

 ◆高さ27.2cm ◆胴径14.0cm ◆底径8.1cm ◆重さ634g



「雑玉幡残欠 ざつぎょくのばんざんけつ」(直径23センチ)。

 青や赤、緑、褐色など色とりどりのガラス玉を銀線で連ね、円形の籠のように編んだ品。とりわけシルクロードを通って西アジアか地中海沿岸からもたらされたとみられる青い玉が美しい。

 ガラス玉には大小2種類あり、外側に大玉(直径8~11ミリ)を約100個、内側に小玉(直径3~5ミリ)を約2600個も使っている。同系色をグラデーションをつけて連ね、変わり目に黄色玉を数個、挟んでいるのが特徴だ。「残欠」とは一部欠けていることを意味する。

 青い玉は、天然ソーダなどを原料にコバルトで着色して作ったとみられる。この種類のガラスは古代日本では作ることができず、ガラス玉を輸入する以外に、輸入品のガラス板やガラス玉を溶かして再利用したとの説がある。
「古代のガラス玉の装飾品で籠状のものは、ほかに例がなく、貴重な品だ」

実際の用途は明らかでない。

でも その美しさ、オシャレ度は、今も通じる。今年一番の品かも知れない
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