
松尾寺は2回目です
前回は紅葉がこれからという感じでした
今回は絶好の秋
松尾寺(まつおでら、まつおのでら、まつおじ)は、大阪府和泉市松尾寺町にある天台宗の寺院。山号は阿弥陀山。本尊は如意輪観音。
天武天皇元年(672年)に役小角が当地で7日間修法し、霊木を得て如意輪観音を彫り、小堂を建てて安置したことに始まる。その後泰澄が中興し、熊野権現、蔵王権現、白山権現を勧請した。
中世での松尾寺は、真言宗と天台宗を学ぶための寺院として発展した[3]。
平安時代に当寺に住んでいた河内国の僧尋祐にまつわる奇瑞が『日本往生極楽記』や『今昔物語集』などに記されている。鎌倉時代には源頼朝が祈祷所として保護している。

お寺の入り口 裏から






桃山学院大学(ももやまがくいんだいがく、英語: Momoyama Gakuin University/St. Andrew's University)は、大阪府和泉市まなび野1-1に本部を置く日本の私立大学。1884年創立、1959年大学設置。大学の略称は桃山、桃大、桃学。
桃山学院大学は日本聖公会系のキリスト教主義学校(ミッションスクール)であり、2023年4月現在、文系6学部7学科4研究科を有する文科系総合大学となっている。

松尾寺の帰りに寄りました
両サイドの紅葉が圧巻です
日曜美術館
「モネ 睡蓮にひたる」
放送時間:11月24日(日) 午前9:00~9:45
印象派の巨匠、クロード・モネ(1840-1926)は、光と色彩を追い求め、移りゆく一瞬の光景を「連作」として描き続けました。その集大成が晩年に自らが手掛けた「水の庭」を舞台にした「睡蓮」シリーズです。残した作品の数は300枚を超えます。
日曜美術館もテレビで観ましたが
来年のカレンダーが雑誌サライの付録にありました

ここのカレンダーは今年も使っています
来年の1月から5月です

モネ展は以前に観ました
モネ展 マルモッタン・モネ美術館所蔵 「印象、日の出」から「睡蓮」まで ここ
泉大津市千原町
ようこそ、紀元前52年へ
池上曽根弥生学習館は、弥生時代のものづくりを「いつでも」「だれでも」体験できる施設です。泉大津市と和泉市に広がる弥生時代の大集落「池上曽根遺跡」。その北側で、弥生時代を「みて」「きいて」「ふれて」楽しんでください。
弥生時代
弥生時代(やよいじだい、旧字体:彌生時代)は、日本列島における時代区分の一つであり、「日本で食糧生産が始まってから前方後円墳が出現するまでの時代」とされる。年代としては紀元前10世紀あるいは紀元前9-8世紀から紀元後3世紀中頃までにあたる。採集経済の縄文時代の後、水稲農耕を主とした生産経済の時代である。弥生時代後期後半の紀元1世紀頃、東海・北陸を含む西日本各地で広域地域勢力が形成され、2世紀末畿内に倭国が成立した。一般的に3世紀中頃古墳時代に移行したとされるが、古墳時代の開始年代には異論もある。
池上曽根遺跡は、弥生時代中期頃の環濠集落です。広さは約60万平方メートルで、環濠の内側に、掘立柱建物群があり、中央には大型の掘立柱建物があります。花粉などの自然遺物の分析により、アカガシなどの広葉樹の森や、アシ、ススキなどの湿地草原が遺跡周辺に広がっていといたと思われます。
後方には大阪湾がみえます。二千年前の大阪湾は、池上曽根遺跡のわずか2キロメートル後方にまで迫っていました。 遺跡の東側を横切って走る大きな道路が、第二阪和国道(現26号線)です。弥生時代にはその道路の手前と、遺跡の奥に河川がありました。
手前の河川では堰が発見され、遺跡の北側には水田が拡がっていたと考えられます。ただし、池上曽根遺跡が最も栄えた「弥生時代中期後半」には河川の流れは止まっていたようです。この二本の河川にはさまれ、二条の環濠が、集落をとりまいています。その外側には方形周溝墓(弥生時代のお墓)があったようです。池上曽根遺跡では、お墓は集落の外側に造る習慣があったのかもしれません。
また、環濠のまわりには竪穴住居が密集していました。竪穴住居には、一時期に「何棟存在」し、「何人の人」がいたのか人口をめぐる解釈は様々です。
池上曽根遺跡は平野部に位置していますが、二千年前には河川などの影響もあり、今よりもっと起伏に富んだ地形をしていました。
信太山丘陵からも2キロメートルと近く、海と川と山に挟まれた豊かな土地であったようです。
信太山丘陵からも2キロメートルと近く、海と川と山に挟まれた豊かな土地であったようです。
構造概要説明文化財種別
弥生時代の環濠集落遺跡 および 復元建物 |
和泉市池上町から泉大津市曽根町に広がる、南北1.5km、東西0.6km、総面積60万㎡もの規模をもつ弥生時代の遺跡。直径300mにおよぶ環濠により囲繞されていた。1995年に集落の中心部で弥生時代最大級の建物跡と井戸が発見された。1999年には大型掘立柱建物跡の近くで発掘された絵画土器を参考に、切妻屋根と独立棟持柱形式の建物「いずみの高殿」と、直径2.3mのクスノキを刳りぬいて井筒にした巨大刳り抜き井戸「やよいの大井戸」を復元し、史跡公園として整備。周辺の池上曽根弥生情報館・池上曽根弥生学習館・大阪府立弥生文化博物館はいずれも吉羽逸郎の設計である。 |
国史跡![]() 紀元前52年の柱 |
毎年8月16日に夜空を彩る「京都五山送り火」は、お盆の精霊を送る伝統行事です。
東山に【大】の字が浮かび上がり、続いて、松ケ崎に【妙・法】、西賀茂に【船形】、大北山に【左大文字】、そして、嵯峨に【鳥居形】が点火されます。
火は、地元保存会の人々の手によって灯され、これら5つの送り火はすべて「京都市登録無形民俗文化財」に指定されています。
東山に【大】の字が浮かび上がり、続いて、松ケ崎に【妙・法】、西賀茂に【船形】、大北山に【左大文字】、そして、嵯峨に【鳥居形】が点火されます。
火は、地元保存会の人々の手によって灯され、これら5つの送り火はすべて「京都市登録無形民俗文化財」に指定されています。
この「五山送り火」を、本年もKBS京都・BS11共同制作で生中継。
数百年に渡り伝統の炎を守り継ぎ、一夜のために準備を進めてきた地元保存会の人々の思いとともに亡き人を偲び、再びあの世へ送る、お盆のひと時をお送りします。
数百年に渡り伝統の炎を守り継ぎ、一夜のために準備を進めてきた地元保存会の人々の思いとともに亡き人を偲び、再びあの世へ送る、お盆のひと時をお送りします。
今年は、京都市上京区にある西山浄土宗の寺院で、普段は非公開の十念寺の本堂に特別放送席を設け、
ゲストには、世界的に活躍する現代美術家の村上隆さんと、俳優の坂井真紀さん。
解説には、テレビでもお馴染み、歴史学者で国際日本文化研究センター教授の磯田道史さんをお迎えします。
ゲストには、世界的に活躍する現代美術家の村上隆さんと、俳優の坂井真紀さん。
解説には、テレビでもお馴染み、歴史学者で国際日本文化研究センター教授の磯田道史さんをお迎えします。
番組では、五山が東から順に点火されていく模様を、地上と山上、両視点のカメラから じっくりお見せするとともに、
最後に点火する鳥居形近くで営まれている「広沢池 燈籠流し」の幻想的な様子も中継いたします。地元の人たちの尽力・支えのもと脈々と受け継がれている大切な伝統行行事であることを念頭に、全国の視聴者に送り火の臨場感ある映像をお届けします。
最後に点火する鳥居形近くで営まれている「広沢池 燈籠流し」の幻想的な様子も中継いたします。地元の人たちの尽力・支えのもと脈々と受け継がれている大切な伝統行行事であることを念頭に、全国の視聴者に送り火の臨場感ある映像をお届けします。
五山送り火(ござんのおくりび)(京都五山送り火とも言う)は、毎年8月16日に京都府京都市左京区にある如意ヶ嶽(大文字山)などで行われるかがり火。宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」と呼ばれることがある。
概要
京都の名物行事・伝統行事。葵祭・祇園祭・時代祭とともに京都四大行事の一つとされる。
毎年8月16日に
- 「大文字」(京都市左京区浄土寺・如意ヶ嶽(大文字山)。20時00分点火)
- 「松ケ崎妙法」(京都市左京区松ヶ崎・西山及び東山。20時05分点火)
- 「船形万灯籠」(京都市北区西賀茂・船山。20時10分点火)
- 「左大文字」(京都市北区大北山・大文字山。20時15分点火)
- 「鳥居形松明」(京都市右京区嵯峨鳥居本・曼荼羅山。20時20分点火)
以上の五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるとされる。
点火時間は1962年までまちまちだったが、1963年から観光業界からの要請により、大文字が20時ちょうどの点火となり、反時計回りに20時10分から松ヶ崎妙法、20時15分から船形万灯籠および左大文字、20時20分から鳥居形松明と固定化した。
2014年に51年ぶりに点火時間が変更され、松ケ崎妙法および船形万灯籠がそれぞれ5分点火時間が早まった。この変更により5山が5分おきに点火されていくことになる。
なお、近年では「大文字」が最初に点火されているが、1956年頃までは「大文字」は最後に点火されていた、とする文献がある。これは大文字が五山の中でも横綱格であるから、という理由からであるという。
また、日本の太陽暦移行後は20時よりの点火となっているが、それ以前のいわゆる旧暦の時代は、1時間程度早かった、と言う説が2014年、在野の歴史研究者である青木博彦により打ち出された。これは本居宣長 1756年 『在京日記』などの資料を分析した結果であるという。詳しくは、如意ヶ嶽#送り火を参照。

如意ヶ嶽(大文字)

広沢池(灯籠流し)

メイン放送席
十念寺(京都市上京区)
金剛寺(こんごうじ)は、大阪府河内長野市天野町にある真言宗御室派の大本山の寺院。山号は天野山(あまのさん)。本尊は大日如来。五仏堂は新西国三十三箇所第7番札所で本尊は千手観音である。
境内の多宝塔は平安時代後期の建立で、日本最古の多宝塔であると同時に大阪府最古の木造建築物である。
高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。奥河内の観光地の一つ。大阪みどりの百選に選定されている。また日本遺産『中世に出逢えるまち 〜千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫〜』の構成文化財のひとつでもある。
以前に参拝しました ホームページ 大阪みどりの百選 ここ
今回は参拝出来なかったのは残念です

ホームページから
塔婆(多宝塔)重要文化財
平安時代の創建、最古の多宝塔の形式をとどめている
平安時代の創建、最古の多宝塔の形式をとどめている

(発売日2023年10月05日)
奈良 新しき「仏像」の見方
第1部 「ダ・ヴィンチ」の視点で奈良の仏像を読み解く
筋肉を見る1 大胸筋 興福寺 金剛力士立像(阿形)/東大寺 金剛力士立像(吽形)
筋肉を見る2 顔・尻・脚 中宮寺 菩薩半跏像/東大寺 金剛力士立像(阿形)/興福寺 龍燈鬼立像
骨格を見る1 肋骨・鎖骨 法隆寺 塔本塑像/興福寺 乾漆十大弟子立像(迦旃延)
骨格を見る2 背骨・骨盤 新薬師寺 十二神将立像(伐折羅)/東大寺 四天王立像(多聞天)
老若を見る 興福寺 乾漆八部衆立像(阿修羅)/室生寺 十一面観音菩薩立像/當麻寺 四天王立像(広目天)/東大寺 重源上人坐像
「美術解剖学」と「仏師の視点」から読み解く
第1部掲載仏像の拝観案内
第2部 町家が立ち並ぶ「ならまち」を食べ歩く
第3部 泊まってみたい奈良の宿
日本の伝統工芸の原点は奈良にあった
奈良の伝統工芸の逸品を通販で手に入れる
奈良散策地図
焼畑農法で育てる「常陸秋そば」とは
特集 この秋は旨い「アップルパイ」が食べたい
老舗のアップルパイができるまで 近江屋洋菓子店
青森・弘前でアップルパイを食べ歩く
評判店のアップルパイ
殿下のアップルパイ
姿も旨いアップルパイを我が家で味わう
「アップルパイ」よもやま噺
インタビュー 柄本 明(俳優・74歳)
インフォメーション
難航 十字語判断
城で読み解く 戦国武将列伝
サライ美術館 日本美術の王道
展覧会情報
日本美術そもそも講義
「シン・老人力」対談
五感を研ぐ
カクタンボウ
発見ニッポンの地域力
『ザ・スコッチハウス』“日本上陸50周年限定”冬の装い
サライの眼 バーミキュラ ライスポット
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難航 十字語判断
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今回で18回目ですが第1回は1996年7月17日です
23年前ですね
この会は最初は「オン泉会」という名前でした 1990.126 発足
第2回は1995.11.24
途中から 小林会と名前変更.
開催年も最近は毎年に変更
小林会の過去ブログは ここ
開会の挨拶は小林さん
司会は福伝さんと山本邦さん
乾杯の挨拶は蜂谷さん

開式に間に合わなかった針尾さんがご挨拶--これも恒例になりました





57年同期一同揃い

締めのご挨拶は 塩田さん
初披露の 大阪締め
大阪締めは大阪を中心に行われている手締めである。大阪では「手打ち」という。
一般的な流れ
1.「打ーちまひょ(打ーちましょっ)」 パンパン
2.「もひとつせ」 パンパン
3.「祝うて三度」 パパン パン
4.「おめでとうございますー」パチパチパチ…(拍手)
来年もよろしくですね

例年配られる参加者名簿
今回は工夫してました 小島さんありがとうごいます
23年前ですね
この会は最初は「オン泉会」という名前でした 1990.126 発足
第2回は1995.11.24
途中から 小林会と名前変更.
開催年も最近は毎年に変更
小林会の過去ブログは ここ

開会の挨拶は小林さん
司会は福伝さんと山本邦さん
乾杯の挨拶は蜂谷さん

開式に間に合わなかった針尾さんがご挨拶--これも恒例になりました





57年同期一同揃い

締めのご挨拶は 塩田さん
初披露の 大阪締め
大阪締めは大阪を中心に行われている手締めである。大阪では「手打ち」という。
一般的な流れ
1.「打ーちまひょ(打ーちましょっ)」 パンパン
2.「もひとつせ」 パンパン
3.「祝うて三度」 パパン パン
4.「おめでとうございますー」パチパチパチ…(拍手)
来年もよろしくですね

例年配られる参加者名簿
今回は工夫してました 小島さんありがとうごいます
2019.7.25
前回は2018.10.24 ブログは ここ
またまた 炉ばた焼 網兵衛で開催
前回小林会で叶井さんから「俺も呼んで・・・」ということで
現在東京に転勤になった叶井さんに幹事が声をかけてくれました。
天王寺会は
2016.9.14 2016夏の陣 でテンシバのロバ-トで開催
その後3回 網兵衛で開催
久々に参加の叶井さんはこのお店は初めて。

内田さん撮影





叶井さんのゴルフの足の骨折による ゴルフやめます宣言がビックリ発言でした
みんな健康に注意して ジムとかスポーツに頑張っているようです
再会を楽しみにしています。
前回は2018.10.24 ブログは ここ
またまた 炉ばた焼 網兵衛で開催
前回小林会で叶井さんから「俺も呼んで・・・」ということで
現在東京に転勤になった叶井さんに幹事が声をかけてくれました。
天王寺会は
2016.9.14 2016夏の陣 でテンシバのロバ-トで開催
その後3回 網兵衛で開催
久々に参加の叶井さんはこのお店は初めて。

内田さん撮影





叶井さんのゴルフの足の骨折による ゴルフやめます宣言がビックリ発言でした
みんな健康に注意して ジムとかスポーツに頑張っているようです
再会を楽しみにしています。
1996.7.17 に第1回小林会を開催し、今回17回目(2018.11.8)だ。
過去の開催記録は ここ 小林会報として載せている
今回は 新装工事が完了した大阪銀行会館で開催した 第13回から第16回は別の場所で開催したので
久々の古巣開催だ

新装なった大阪銀行会館の夜景

開会の挨拶 福伝さん
まずは今年亡くなった仲間の訃報連絡
01/13 大和 重郎 さん 87歳
02/16 吉岡 進 さん 68歳
ご冥福をお祈りします。
大和さんは写真撮影の大先輩でした 青葉台 写友会作品展 に行きました ここ
同期だった吉岡君の想い出のページは ここ
小林さんも吉岡君との想い出のページを作っています ここ
そして今回から初参加のお二人の紹介
三好将さん、細川さん

小林さんのご挨拶
今回の会合の小林さんのブログ ここ



金子さん、滝さんとは
『フランス人がときめいた日本の美術館』の話題
お二人共「MIHO MUSEUM」に行ったことがあるということで美術館の話で盛り上がりました
勤務場所が変わった人も何人かいました。みんな元気です

締めの挨拶と一本締め 叶井さん
『一生仲間』の人たちとの楽しい会でした また来年ね
過去の開催記録は ここ 小林会報として載せている
今回は 新装工事が完了した大阪銀行会館で開催した 第13回から第16回は別の場所で開催したので
久々の古巣開催だ

新装なった大阪銀行会館の夜景

開会の挨拶 福伝さん
まずは今年亡くなった仲間の訃報連絡
01/13 大和 重郎 さん 87歳
02/16 吉岡 進 さん 68歳
ご冥福をお祈りします。
大和さんは写真撮影の大先輩でした 青葉台 写友会作品展 に行きました ここ
同期だった吉岡君の想い出のページは ここ
小林さんも吉岡君との想い出のページを作っています ここ
そして今回から初参加のお二人の紹介
三好将さん、細川さん

小林さんのご挨拶
今回の会合の小林さんのブログ ここ



金子さん、滝さんとは
『フランス人がときめいた日本の美術館』の話題
お二人共「MIHO MUSEUM」に行ったことがあるということで美術館の話で盛り上がりました
勤務場所が変わった人も何人かいました。みんな元気です

締めの挨拶と一本締め 叶井さん
『一生仲間』の人たちとの楽しい会でした また来年ね