「銀二貫」という小説がある。
大阪の書店員らが大阪ゆかりの小説の中から「ほんまに読んでほしい」本を選ぶ「Osaka Book One Project」の第1回受賞作が、高田郁(かおる)さんの時代小説「銀二貫」(幻冬舎文庫)に決まり、大阪の本屋さんには結構積んである。
早速読んでみました。
大坂天満の寒天問屋、井川屋の主・和助は、仇討ちで父を亡くした鶴之輔を銀二貫で救う。大火で消失した天満宮再建のために、工面した大金だった。引きとられた少年は松吉と改め、商人としての厳しい躾と生活に耐えていく。番頭善次郎、丁稚梅吉、評判の料理人嘉平とその愛娘真帆ら人情厚い人々に支えられ、松吉は新たな寒天作りを志すが、その矢先またもや大火が大坂の町を焼き払い、真帆は顔半面に火傷を負い姿を消す…。
ところで「銀二貫」 はいくらなのか?
調べると、当時の銀二貫の価値は、33両という、大金。
そして、1両は、大体4万円らしい、計算すると…132万円になる。
相場はいろいろあるようですが、まあこんなもんかな。
天満宮再建の為の寄進に用意していたおカネだ。
小説はなかなかに面白い、興味を引く部分がたくさん出てきます。
「寒天」知ってはいるが詳しくは知りません。
ところてんを戸外で凍結乾燥させたものが寒天である。
ところてんは、漢字で書くと(心太または心天)と書くらしい。
小説の舞台として天満橋と天神橋が何回か登場する。
主人公松吉は心に少し後暗いところがあるときは天満宮の橋、天神橋を使わない・・バチが当たるからか・・
何となく、そんな橋を見てみたくなりました。
まずは位置関係
そして天満橋
天満橋(てんまばし)は、大川に架かる天満橋筋(大阪府道30号大阪和泉泉南線)の橋。
難波橋、天神橋と共に浪華三大橋と称され、最も東(上流)に位置する。大阪市北区天満と大阪市中央区天満橋京町の間を結んでいる。
大阪では珍しい2階建ての橋になっており、上部は土佐堀通をまたぐ跨道橋になっている。天満橋南詰には天満橋交差点があり、ここより北を天満橋筋、南を谷町筋という。大阪市営地下鉄谷町線が天満橋の地下を通過している。
江戸時代には公儀橋に指定され、幕府により直轄管理されていた。
天満橋は造幣局の 桜の通り抜け で何回か利用したことがあります。
2012年のブログ ここ
そして天神橋
少し手前からの撮影
天神橋(てんじんばし)は、大川に架かる天神橋筋(大阪市道天神橋天王寺線)の橋で、大阪市北区天神橋と大阪市中央区北浜東の間を結んでいる。
1594年(文禄3年)の架橋とされ、当初は大阪天満宮が管理していたが、1634年(寛永11年)に他の主要橋とともに幕府が管理する公儀橋となった。難波橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、真ん中に位置する。
浪華三大橋の中で全長が最も長い。
ついでに浪華三大橋のもうひとつの橋 難波橋
難波橋(なにわばし)は、大阪市の大川に架かる橋。浪速の名橋50選選定橋。大阪弁では「ナンニャバシ」と発音する。
橋の南詰めおよび北詰めには、最上級の黒雲母花崗岩を素材にした獅子像(=ライオンの石像、天岡均一作)が左右両側にあるため、「ライオン橋」とも呼ばれている。このライオンは天王寺動物園の当時非常に珍しかったライオンがモデルと言われている。像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっている
天満宮 2013.8撮影
顔半面に火傷を負い姿を消した真帆と再会したのは順慶町の夜店だった…。
順慶町と言えば
昔、心斎橋の「木綿や」で良く飲んでた時にブログにしたのを思い出しました。2006.6
天目酒(てんもくざけ) 木綿や
坂本龍馬も遊んだ町である。時代は少し違うが龍馬の時代も歓楽街だった
司馬遼太郎が坂本竜馬を描いた大作が「竜馬が行く」である。
その中で、竜馬が人を訪ねて大坂の長州藩邸(現在の土佐堀辺り)を訪れたが、一足遅れで会えなかったので、やむを得ず、心斎橋近くの旅館に泊まることになり、心斎橋を歩く場面がある。
当時、すでに心斎橋周辺は賑やかな通りであったようだ。
下の文章は、司馬遼太郎作 「竜馬が行く」の第3巻より抜粋(文中の東順慶町筋というのは、今の南船場3~4丁目辺りと思うので心斎橋から四つ橋あたりまで夜店が並んでいたのだ思う。)
--以下引用----
心斎橋から、東順慶町筋、新町橋までにいたる三丁のあいだは、夜にはいって両側の店にこうこうと灯がかがやき、屋台が出、辻々に香具師が立って、往き来する人が、ひきもきらない。
...(省略)......
「面白いのう」
一つ一つ、店の品物をのぞきながら、自然と顔が笑えてくるのである。
盛り売りのそば。
焼きまんじゅう。
心斎橋名物の天目酒
豆腐のみそ田楽
うなぎのかばやき。
新田屋のきざみ煙草。
扇屋のビンツケ
....(以下省略)....
大阪のいいところを一杯思い出す本である。
大阪の書店員らが大阪ゆかりの小説の中から「ほんまに読んでほしい」本を選ぶ「Osaka Book One Project」の第1回受賞作が、高田郁(かおる)さんの時代小説「銀二貫」(幻冬舎文庫)に決まり、大阪の本屋さんには結構積んである。
早速読んでみました。
大坂天満の寒天問屋、井川屋の主・和助は、仇討ちで父を亡くした鶴之輔を銀二貫で救う。大火で消失した天満宮再建のために、工面した大金だった。引きとられた少年は松吉と改め、商人としての厳しい躾と生活に耐えていく。番頭善次郎、丁稚梅吉、評判の料理人嘉平とその愛娘真帆ら人情厚い人々に支えられ、松吉は新たな寒天作りを志すが、その矢先またもや大火が大坂の町を焼き払い、真帆は顔半面に火傷を負い姿を消す…。
ところで「銀二貫」 はいくらなのか?
調べると、当時の銀二貫の価値は、33両という、大金。
そして、1両は、大体4万円らしい、計算すると…132万円になる。
相場はいろいろあるようですが、まあこんなもんかな。
天満宮再建の為の寄進に用意していたおカネだ。
小説はなかなかに面白い、興味を引く部分がたくさん出てきます。
「寒天」知ってはいるが詳しくは知りません。
ところてんを戸外で凍結乾燥させたものが寒天である。
ところてんは、漢字で書くと(心太または心天)と書くらしい。
小説の舞台として天満橋と天神橋が何回か登場する。
主人公松吉は心に少し後暗いところがあるときは天満宮の橋、天神橋を使わない・・バチが当たるからか・・
何となく、そんな橋を見てみたくなりました。
まずは位置関係
そして天満橋
天満橋(てんまばし)は、大川に架かる天満橋筋(大阪府道30号大阪和泉泉南線)の橋。
難波橋、天神橋と共に浪華三大橋と称され、最も東(上流)に位置する。大阪市北区天満と大阪市中央区天満橋京町の間を結んでいる。
大阪では珍しい2階建ての橋になっており、上部は土佐堀通をまたぐ跨道橋になっている。天満橋南詰には天満橋交差点があり、ここより北を天満橋筋、南を谷町筋という。大阪市営地下鉄谷町線が天満橋の地下を通過している。
江戸時代には公儀橋に指定され、幕府により直轄管理されていた。
天満橋は造幣局の 桜の通り抜け で何回か利用したことがあります。
2012年のブログ ここ
そして天神橋
少し手前からの撮影
天神橋(てんじんばし)は、大川に架かる天神橋筋(大阪市道天神橋天王寺線)の橋で、大阪市北区天神橋と大阪市中央区北浜東の間を結んでいる。
1594年(文禄3年)の架橋とされ、当初は大阪天満宮が管理していたが、1634年(寛永11年)に他の主要橋とともに幕府が管理する公儀橋となった。難波橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、真ん中に位置する。
浪華三大橋の中で全長が最も長い。
ついでに浪華三大橋のもうひとつの橋 難波橋
難波橋(なにわばし)は、大阪市の大川に架かる橋。浪速の名橋50選選定橋。大阪弁では「ナンニャバシ」と発音する。
橋の南詰めおよび北詰めには、最上級の黒雲母花崗岩を素材にした獅子像(=ライオンの石像、天岡均一作)が左右両側にあるため、「ライオン橋」とも呼ばれている。このライオンは天王寺動物園の当時非常に珍しかったライオンがモデルと言われている。像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっている
天満宮 2013.8撮影
顔半面に火傷を負い姿を消した真帆と再会したのは順慶町の夜店だった…。
順慶町と言えば
昔、心斎橋の「木綿や」で良く飲んでた時にブログにしたのを思い出しました。2006.6
天目酒(てんもくざけ) 木綿や
坂本龍馬も遊んだ町である。時代は少し違うが龍馬の時代も歓楽街だった
司馬遼太郎が坂本竜馬を描いた大作が「竜馬が行く」である。
その中で、竜馬が人を訪ねて大坂の長州藩邸(現在の土佐堀辺り)を訪れたが、一足遅れで会えなかったので、やむを得ず、心斎橋近くの旅館に泊まることになり、心斎橋を歩く場面がある。
当時、すでに心斎橋周辺は賑やかな通りであったようだ。
下の文章は、司馬遼太郎作 「竜馬が行く」の第3巻より抜粋(文中の東順慶町筋というのは、今の南船場3~4丁目辺りと思うので心斎橋から四つ橋あたりまで夜店が並んでいたのだ思う。)
--以下引用----
心斎橋から、東順慶町筋、新町橋までにいたる三丁のあいだは、夜にはいって両側の店にこうこうと灯がかがやき、屋台が出、辻々に香具師が立って、往き来する人が、ひきもきらない。
...(省略)......
「面白いのう」
一つ一つ、店の品物をのぞきながら、自然と顔が笑えてくるのである。
盛り売りのそば。
焼きまんじゅう。
心斎橋名物の天目酒
豆腐のみそ田楽
うなぎのかばやき。
新田屋のきざみ煙草。
扇屋のビンツケ
....(以下省略)....
大阪のいいところを一杯思い出す本である。
最後の篇の一行目の読み出しから滂沱の涙にされました。
小説の舞台を巡るのも楽しそうです。
^^
大阪に「ライオン像」が立っている橋を見ましが、難波橋でしたか。
昨年に、「ところてん」をタイトルにしたブログをしてました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1c73903addb2d6bf87ff8543f4c70d58