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嵐 映画 ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”

2023-12-31 | 街角の話し
嵐のライブフィルム「ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”」が、12月31日に全国272館の劇場で大晦日特別上映されることが明らかに。本編上映前にはメンバーのスペシャルメッセージがスクリーンに流される予定だ。

「ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”」大晦日特別上映 のポスタービジュアル。



堤幸彦が監督を務めた本作は、2019年12月23日に嵐が東京ドームで行った公演を125台のカメラで記録したもの。2021年11月3日にドルビーシネマで先行上映されたのち、11月26日に全国で封切られ、国内アーティストのライブフィルムとして歴代興行収入第1位に輝いた。

たびたび再上映が行われ、ファンや劇場から愛され続けている本作。嵐25周年のアニバーサリーイヤーを控える今、改めて全国の劇場から再上映を希望する声が多数寄せられ、大晦日特別上映を開催することになった。全272館すべてで「声を出せる応援上映」を実施。なおドルビーシネマで本作の「声を出せる応援上映」が開催されるのは今回が初となる。上映劇場の詳細は、映画公式サイトで確認してほしい。



写真は小生のブログから
2021-12-08
ユナイテッド・シネマ岸和田
なかなか見る機会がなかった嵐のライブ ようやく観ました


◆12月31日(日)実施「声を出せる応援上映」がされます
「声を出せる応援上映」は、「通常上映」とは異なる運用と鑑賞ルールでの開催となります。あらかじめご確認のうえ、チケットをお買い求めいただきますようお願いいたします。

実施日:12月31日(日)大晦日の夜
※上映開始・終了時間は劇場により異なります。劇場HPにてご確認ください。

実施劇場:下記のシアターリストよりご確認ください。

大阪 ユナイテッド・シネマ岸和田もあります






映画「ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”」
嵐 映画 ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”
ここ

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光る君へ 舞台探訪

2023-12-30 | 街角の話し
2024年 大河ドラマ「光る君へ」は京都が舞台!
大河ドラマ 光る君へ 本による 舞台探訪
紫式部に関係する京都の案内です
10箇所  下記に小生のホームページでも紹介してます

平安神宮 ここ
廬山寺(ろざんじ) ここ
京都御所 春の一般公開 2008年 ここ
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)ここ
仁和寺 ここ
清水寺 ここ
野宮(ののみや)神社 ここ
旧嵯峨御所大本山大覚寺ここ
東本願寺渉成園 ここ
清凉寺 (嵯峨釈迦堂) ここ
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近くの散歩15 関空展望ホールスカイビュー

2023-12-29 | 街角の話し
関空展望ホールスカイビュー

なかなか行く機会がなく初経験です

360°のパノラマ展望

頭上をかすめるように飛行する、航空機の離着陸が間近で楽しめるベストビューポイント。

大空を眺める贅沢はスカイビューの魅力のひとつです。

関空展望ホールからの景色です




近くの散歩
近くの散歩14 古代史博物館 海会寺跡と熊野街道 ここ
近くの散歩13 岩出市民俗資料館近くの散歩 ここ
近くの散歩12 いずみさの関空マリーナ ここ
近くの散歩11 和泉市いずみの国歴史館 ここ
近くの散歩10 泉佐野ふるさと町屋館(旧新川ーにいがわー家住宅)  ここ
近くの散歩9 貝塚市民図書館 <ここ>
近くの散歩8 道の駅みさき 夢灯台 ここ
近くの散歩7 国華園 二色の浜店 ここ
近くの散歩6 和泉リサイクル環境公園 ここ
近くの散歩5 貝塚市立自然遊学館 2023-10-20  ここ
近くの散歩4 大木の里コスモス園  泉佐野市 2023-10-12  ここ
近くの散歩3 青木松風庵 月化粧ファクトリ工場見学 2023-09-20 ここ
近くの散歩2 歴史館いずみさの 2023-09-09  ここ
近くの散歩 貝塚市歴史展示館 2023-08-19  ここ
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光る君へ 2024年大河ドラマ

2023-12-28 | 街角の話し
2024年大河ドラマの主人公は紫式部!
ドラマのみどころと謎に包まれた女流作家の一生
&平安時代を解説する副読本

2024年放送の大河ドラマ『光る君へ』の序盤あらすじや登場キャラクター紹介、出演者インタビューに美術&衣裳集を掲載。
さらにドラマの時代考証を担当する倉本一宏氏の監修による時代背景の解説、聖地巡礼ガイドほか大河ドラマを10倍楽しむことができる一冊です。
世界最古の長編小説といわれる『源氏物語』を生み出した天才女流作家・紫式部はどんな人物だったのか?
平安時代の文化・風習とともに最新研究に基づき紐解きます。

『光る君へ』(ひかるきみへ)は、2024年(令和6年)1月7日から放送予定のNHK大河ドラマ第63作[。脚本は大石静。主演は吉高由里子。

平安時代中期を舞台に後世「世界最古の女性文学」と呼ばれる『源氏物語』を生んだ紫式部の生涯を描く。タイトルの「光る君」とは『源氏物語』の主人公・光源氏と、そのモデルのひとりといわれ本作でも重要な登場人物となる藤原道長を指している。

制作
2022年5月11日に制作発表が行われ、主演を吉高由里子、脚本を大石静が担当し、2023年夏にクランクイン予定であることが発表された。大石は発表会見で、「藤原家が摂関家として権力を誇った平安王朝というのは、山崎豊子さんの『華麗なる一族』と映画『ゴッドファーザー』を足して3倍にしたような権力闘争と面白い話がいっぱいある」と説明し、平安王朝の権力闘争といった「セックス・アンド・バイオレンス」を描きたいとした。

なお、『源氏物語』について、制作統括の内田ゆきは「光源氏は誰か」を描いたり劇中劇といった形で本編に登場させる予定はないと語り、物語とは重ならない「紫式部の人生」を描くとしつつ、『源氏物語』には恋愛ストーリーだけでなく、権力闘争や女性たちの喜びや悲しみが描かれているとのコメントをしている。

平安時代中期を舞台とした大河ドラマは平将門を主人公にした1976年の『風と雲と虹と』以来48年ぶりで、同作に次いで史上2番目に古い時代を描く大河ドラマとなる[5]。大石は『功名が辻』以来2作目の大河ドラマ担当である。

主演の吉高は、大河ドラマの出演は2008年の『篤姫』以来2度目で、大石の脚本作品では2020年に日本テレビ系列で放送された『知らなくていいコト』に主演しており、大石は同作での吉高の女優としての印象から、本作の企画時に彼女を主演に推薦した。

NHKの発表では、女性主人公の大河ドラマは15作目であり、主演、脚本、制作統括のチーフプロデューサー、チーフ演出の4役をすべて女性が担当するのは史上初。

2022年11月8日には第一次出演者発表が行われ

2023年5月28日、京都の平安神宮でクランクイン。

2024年1月7日に初回放送予定。第1回は15分拡大版となる
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第136回「京都八幡の歴史秘話~石清水八幡宮・松花堂庭園・~」(12月18日放送)

2023-12-23 | 街角の話し
第136回「京都八幡の歴史秘話~石清水八幡宮・松花堂庭園・神應寺・飛行神社~」(12月18日放送)
石清水八幡宮
標高140mの男山の山頂にある。全国屈指の厄除けの神社
石清水八幡宮 小生のホームページは ここ

松花堂庭園
第24回 松花堂 つばき展に行きました
庭園の入口にある
松花堂(しょうかどう)江戸時代初期の僧侶(石清水八幡宮の社僧)で文化人であった松花堂昭乗がその晩年の寛永14年(1637年)に構えた草庵の名称である。現在の京都府八幡市、石清水八幡宮のある男山の東麓に泉坊という宿坊があり、その中にこの草庵があった。
男山には石清水八幡宮に所属する宿坊が多数建っており「男山四十八坊」とも呼ばれたが、明治初年の神仏分離で宿坊はすべて撤去され、松花堂も旧所在地の南方に移築。現在は「松花堂庭園・美術館」という文化施設となっており、財団法人やわた市民文化事業団が管理運営している。現・松花堂は、移転前の旧地とともに「松花堂及びその跡」の名称で国の史跡に指定されている。
約400種類の竹がある池泉回遊式日本庭園として有名。

松花堂庭園 小生のホームページはここ
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京都浪漫 上賀茂神社

2023-12-22 | 街角の話し
上賀茂神社


小生のホームページは ここ

楼門  重要文化財
正式名は、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)という。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。
一番の社格の伊勢神宮に次ぐ神社である。下鴨神社とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。
賀茂神社の祭事が京都三大祭りの一つ「葵祭」である。


かきつばた
上賀茂神社の摂社の大田神社の杜若が素晴らしいとのことで、
上賀茂神社に行った。本末転倒とは、このことを言う(笑)

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区上賀茂本山にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

概要

高札所、一の鳥居
京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として京都という都市の形成に深く関わってきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名である。また、社報「上賀茂」が年2回発行されている。

祭神
主祭神 - 賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
歴史
神山と神山山頂の垂迹石 神山と神山山頂の垂迹石
神山と神山山頂の垂迹石
創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に神山(こうやま、賀茂山ともいう)の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)
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近くの散歩14 古代史博物館 海会寺跡と熊野街道

2023-12-21 | 街角の話し
ブログはここ
2007年に訪問しました

海会寺跡(かいえじあと)は、大阪府泉南市信達大苗代(しんだちおのしろ)にある古代仏教寺院の跡。国の史跡に指定されている。

概要
出土した瓦等の様式や、伽藍配置などから、7世紀後半の創建と推定される古代寺院の跡である。金堂、塔、講堂、回廊などの遺構が検出されており、回廊で囲まれた伽藍中心部の東に金堂、西に塔を配置する、「法隆寺式伽藍配置」の寺院であったことが確認されている。寺は室町時代頃まで存続したが、後に廃絶した。「海会寺」の名は近世の地誌に見えるもので、本来の寺号は未詳である。

出土品のうち302点は「海会寺跡出土品」として国の重要文化財に指定され、隣接する古代史博物館に収蔵・展示されている。なお、金堂の跡地には一岡神社の本殿が建てられている。

年表
1981年(昭和56年) - 事前発掘調査が行われる。
1983年(昭和58年) - 学術発掘調査が開始される。
1986年(昭和61年) - 学術発掘調査終了。
約3年間にわたる発掘調査で、法隆寺式伽藍配置の寺院が7世紀後半に存在したこと、および寺院を維持していたと考えられる豪族集落の300年間の変遷などが確認される。
1987年(昭和62年) - 国の史跡に指定される。
1993年(平成5年) - 集落部分の学術発掘調査が行われ、豪族の居館跡が確認される。
1995年(平成7年) - 調査結果をもとにした8世紀初頭の伽藍配置が再現され、史跡海会寺跡広場として整備される。発掘調査で出土した遺物のうち302点が国の重要文化財に指定される。
1997年(平成9年) - 古代史博物館・泉南市埋蔵文化財センターが開設される。
1998年(平成10年) - 古代史博物館特別展示室が一般公開される。



近くの散歩
近くの散歩13 岩出市民俗資料館近くの散歩 ここ
近くの散歩12 いずみさの関空マリーナ ここ
近くの散歩11 和泉市いずみの国歴史館 ここ
近くの散歩10 泉佐野ふるさと町屋館(旧新川ーにいがわー家住宅)  ここ
近くの散歩9 貝塚市民図書館 ここ
近くの散歩8 道の駅みさき 夢灯台 ここ
近くの散歩7 国華園 二色の浜店 ここ
近くの散歩6 和泉リサイクル環境公園 ここ
近くの散歩5 貝塚市立自然遊学館 2023-10-20  ここ
近くの散歩4 大木の里コスモス園  泉佐野市 2023-10-12  ここ
近くの散歩3 青木松風庵 月化粧ファクトリ工場見学 2023-09-20 ここ
近くの散歩2 歴史館いずみさの 2023-09-09  ここ
近くの散歩 貝塚市歴史展示館 2023-08-19  ここ
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蘭奢待(らんじゃたい) 

2023-12-18 | 街角の話し
蘭奢待(らんじゃたい) 
全浅香 [ぜんせんこう、香木]
正倉院展で観ました
長さ105.5cmあります。予想以上の大きさです。

正倉院の香木で、もっとも有名なのは、蘭奢待(らんじゃたい)-正式名は黄熟香(おうじゅくこう)という。足利義満、足利義教、足利義政、織田信長等が権力に任せて切り取ったということで有名。織田信長の物語には必ず出てきます。

それと並ぶと言われる香木です。
NHK大河ドラマ 「江~姫たちの戰國」第4話 「本能寺へ
天下の名香 蘭奢待(らんじゃたい)
初回放送日: 2023年11月22日
歴史探偵
今夜も歴史の謎が解き明かされる

天下の名香といわれる蘭奢待(らんじゃたい)。織田信長など数多の天下人が憧れた奈良・正倉院の宝だ。なぜ権力者を魅了したのか?その香りとは?謎多き香木の正体に迫る!
ブログは ここ

蘭奢待/蘭麝待(らんじゃたい)は、東大寺正倉院に収蔵されている香木。天下第一の名香と謳われる。

正倉院宝物目録での名は黄熟香(おうじゅくこう)で、「蘭奢待」という名は、その文字の中に"東・大・寺"の名を隠した雅称である。

その香は「古めきしずか」と言われる。紅沈香と並び、権力者にとって重宝された。宝物番号は中倉135。

概要
長さ156.0㎝、最大径42.5㎝、重量11.6㎏で、不整形な木材。内部はほぼ空洞となっている[1]。空洞になっている部分について1955年の『正倉院薬物』には「朽ちて空ろになった」と記されるが、数度の調査を行った薬史学者の米田該典(よねだ・かいすけ)は「燃焼時に予期せぬ香りを発しないように余分な部分を切除することは、現在も普通に行われていることで、香気成分が沈着しない部分を積極的に切除したため」としている。

米田該典は、ジンチョウゲ科ジンコウジュ属(Aquilaria)の植物の樹幹に樹脂や精油が沈積した沈香の一種で、産地としてラオス中部からベトナムにかけてのインドシナ半島東部の山岳地帯と推定している[1]。米田該典は「現在でも、そのままでも沈香特有の香りがする」(2000年)とし、正倉院事務所長であった米田雄介は「顔を近づけるとわずかではあるが芳香を放っている」(1998年)としている[2]。

蘭奢待が正倉院に納められた経緯については諸説あるが特定できていない。

名称

蘭奢待に込められた東大寺
蘭奢待という通称の由来について室町時代後期の公家三条西実隆の日記『実隆公記』には、東大寺別当の公恵が手元にあった蘭奢待を後土御門天皇に献上した際の逸話として「この沈香は聖武天皇のもので東大寺と申すべきだが、焚き物であるため縁起が悪いので、東大寺という文字を込めて蘭奢待と称する」と記している。この通称をつけた人物について堀池春峰は足利義政としたが、本間洋子による『実隆公記』の検討によりこの説は否定されており、命名者は不明である。

「蘭奢待」の初見について、本間は貞治6年(1367年)の『新札往来』に記される名香のリストが最も早いと指摘している。また「黄熟香」の初見は建久4年(1193年)の『東大寺勅封蔵開検目録』とされるが、記される寸法から当該の香木は全浅香[注釈 1]とする説もある[5]。

歴史と截香
香木の一部分を切り取ることを「截香」(せっこう)という。

蘭奢待の伝来について記される史料はない。和田軍一は羂索院の双倉に収蔵されていた宝物が倉の老朽化に伴い永久4年(1116年)に勅封倉(正倉院)に移された記録を根拠として、この時に蘭奢待が正倉院に納められたとする。また堀池春峰は延暦24年(804年)に早良親王の御霊鎮護において用いられた名香を蘭奢待と推定したうえで、同年7月に唐から帰朝した藤原葛野麻呂が舶載したものとする。ただしいずれの説も推測の範疇を出ない。

米田該典(よねだ・かいすけ)は1997年の調査で38箇所の截香跡があるとした上で、繰り返し切り取られた跡もみられることから50回くらい切り取られたとしている[6]。これまで確実に分かっているだけでも足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武[要出典]、織田信長、明治天皇らが切り取っている。現在、3箇所の切り口に「足利義政拝賜之處」「織田信長拝賜之處」「明治十年依勅切之」の付箋がつけられているが、いずれも明治期のものであり明治以前の切り口については不明である[6]。徳川家康も切り取ったという説があったが[7]、慶長7年(1602年)6月10日、東大寺に奉行の本多正純と大久保長安を派遣して正倉院宝庫の調査を実施し[8]、蘭奢待の現物の確認こそしたものの、切り取ると不幸があるという言い伝えに基づき切り取りは行わなかった(『当代記』同日条)。同8年2月25日、宝庫は開封して修理が行われている(続々群書類従所収『慶長十九年薬師院実祐記』)。


蘭奢待(らんじゃたい)とは香木の一種である。天下第一の名香と謳われる。正式名称は黄熟香(おうじゅくこう)で、蘭奢待とはその文字の中に東大寺の名を隠した雅名である。長さ156cm、重さ11.6kgの錐形の香の原木。その香は「古めきしずか」と言われる。
良く分かるように、色を付けてみました。

まさに名前の中に東大寺が隠れていますね。正倉院は当時は東大寺のものでした。
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大阪ほんわかテレビ 朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)

2023-12-16 | 街角の話し
大阪ほんわかテレビで番組の中で放送されました
世界一福虎  張子の虎です。頭の部分が動いています。
記念写真のスポット。タイガースファンが喜びそうなお寺ですね。

朝護孫子寺は以前に参拝しました
ここ

朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗の総本山の寺院。山号は信貴山。本尊は毘沙門天。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られる。初詣や「寅まつり」(2月下旬)は多くの参拝客でにぎわう。神仏習合の名残から、境内には鳥居も並んでいる

歴史

世界一福寅と本堂(左奥)
朝護孫子寺は、大和国(現・奈良県)と河内国(現・大阪府南東部)の境にそびえる生駒山地の南端に近い、奈良県側の信貴山の山腹に位置する。

当寺の創建について伝承では、敏達天皇11年(582年)に寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の一つである毘沙門天を聖徳太子が感得し[2]、後にその加護によって物部守屋に勝利したことから、用明天皇2年(587年)7月3日に聖徳太子は自ら刻んだ毘沙門天を本尊として当寺を創建し、「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとする。また寺の至る所に張り子の虎が置かれているのは、その逸話に由来している。

延喜10年(910年)には中興である命蓮(みょうれん)上人によって伽藍が整備される。また、病であった醍醐天皇を命蓮が治癒したことから天皇によって「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺とされ、「朝護孫子寺」の勅号を賜った。

寺に伝わる国宝『信貴山縁起絵巻』は、平安時代後期、12世紀の成立とされ、日本の絵巻物の代表作とされている。この絵巻は通常の社寺縁起絵とは異なって、朝護孫子寺の創建の経緯等については何も述べておらず、信貴山で修行していた聖(ひじり)の命蓮の奇跡譚が中心主題となっている。絵巻の中巻では延喜の帝(醍醐天皇)の病を命蓮が法力で治したという話が語られている。『信貴山縁起絵巻』の詞書とほぼ同様の説話が『宇治拾遺物語』にあり、『今昔物語』にも信貴山寺の草創に関する説話が収録されている(聖の名は『宇治拾遺物語』には「もうれん」、『今昔物語』には「明練」とある)。

平安時代末期に成立した歴史書『扶桑略記』の延長8年(930年)8月19日条には、「河内国志貴山寺住」の「沙弥命蓮」が醍醐天皇の病気平癒のため祈祷を行ったことが見える。なお、当時醍醐天皇の病気は相当進んでいたようで、1か月後の9月29日に死去しており、この点は説話と異なっている。なお、信貴山は大和国(奈良県)と河内国(大阪府)の境に位置し、朝護孫子寺の住所は奈良県であるが、『宇治拾遺物語』『扶桑略記』には「河内の信貴(志貴)」と表現されている。

以上のことから、醍醐天皇の時代、平安時代中期の10世紀頃には信貴山に毘沙門天を祀る庵があり、修行僧が住んでいたことは首肯される。


ざっくり半分位しか参拝出来てないと思う。境内は広い。
境内には、いろんな物があり、楽しませてくれる。
朝9時から駐車場は満杯と、駐車場の係員がぼやいていた。
とにかく「トラ」が一杯。
タイガースが嫌いな人には、不向きな寺です。(笑)
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近くの散歩13 岩出市民俗資料館

2023-12-14 | 街角の話し
岩出市民俗資料館
和歌山県岩出市根来
 岩出市民俗資料館は、平成元年4月に開館しました。
常設展示では、「岩出市の風土と暮らしの移り変わり」を基本的なテーマとして、郷土岩出の自然環境と、歴史的・文化的発展過程をポイントとしています。
展示にあたっては、他所にない歴史、文化の独自性を十分に考え、より楽しく展示に触れあえるように、視覚や聴覚に訴える演出を効果的に利用しています。
当館はふるさと「岩出」の歴史、民俗、文化の発信拠点であり、常設展示のほか、企画展、文化協会の作品展示などの展観事業、歴史学習・講座、伝統工芸伝承事業(根来塗講座)などを行っています。

館内

多宝塔 根来寺
民俗資料館の前から撮影

根来は以前に何回も参拝しました
ここ
近くの散歩
近くの散歩12 いずみさの関空マリーナ ここ
近くの散歩11 和泉市いずみの国歴史館 ここ
近くの散歩10 泉佐野ふるさと町屋館(旧新川ーにいがわー家住宅)  ここ
近くの散歩9 貝塚市民図書館 ここ
近くの散歩8 道の駅みさき 夢灯台 ここ
近くの散歩7 国華園 二色の浜店 ここ
近くの散歩6 和泉リサイクル環境公園 ここ
近くの散歩5 貝塚市立自然遊学館 2023-10-20  ここ
近くの散歩4 大木の里コスモス園  泉佐野市 2023-10-12  ここ
近くの散歩3 青木松風庵 月化粧ファクトリ工場見学 2023-09-20 ここ
近くの散歩2 歴史館いずみさの 2023-09-09  ここ
近くの散歩 貝塚市歴史展示館 2023-08-19  ここ
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近くの散歩12 いずみさの関空マリーナ

2023-12-13 | 街角の話し
いずみさの関空マリーナ
関西国際空港対岸にある、釣り、クルージングに絶好のロケーションのマリーナ。

ボート給油施設、クラブハウス、レストランが併設しており、ボートの艇置が可能。ヤマハマリンクラブSeaStyleのレンタルボート、スタッフが企画した講習会、ボート免許教室、イベントなどが開かれており、色々な海を満喫できます。
ボートがいいねえ






近くの散歩
近くの散歩11 和泉市いずみの国歴史館 ここ
近くの散歩10 泉佐野ふるさと町屋館(旧新川ーにいがわー家住宅)  ここ
近くの散歩9 貝塚市民図書館 ここ
近くの散歩8 道の駅みさき 夢灯台 ここ
近くの散歩7 国華園 二色の浜店 ここ
近くの散歩6 和泉リサイクル環境公園 ここ
近くの散歩5 貝塚市立自然遊学館 2023-10-20  ここ
近くの散歩4 大木の里コスモス園  泉佐野市 2023-10-12  ここ
近くの散歩3 青木松風庵 月化粧ファクトリ工場見学 2023-09-20 ここ
近くの散歩2 歴史館いずみさの 2023-09-09  ここ
近くの散歩 貝塚市歴史展示館 2023-08-19  ここ
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第46回貝塚市合唱フェスティバル

2023-12-10 | 街角の話し
貝塚市コスモスシアターで開催された
泉佐野混声合唱団

西村さんが参加








指揮 大和谷 潤子  ピアノ 髙槁 裕野
曲 祈ってもいいだろうか ジグザグな屋根の下で

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サライ 2024年 1月号

2023-12-09 | 街角の話し
付録 .サライ 2024年 1月号 雑誌 付録 [古都・台南を旅する
特集が

本阿弥光悦でした

五木寛之の一言
桃山時代を代表するといってもいい本阿弥光悦と長谷川等伯という二人のアーティストが、この本法寺と深いかかわりを持っていた。
本法寺は以前に参拝しました

.叡昌山本法寺は、室町時代に活躍した日蓮宗僧侶、久遠成院日親上人(1407-88)によって築かれた日蓮宗の本山です。開創の時期や場所については諸説あって、明らかではありませが、永享八年(1436)に東洞院綾小路で造られた「弘通所」が始まりとされています。その後、永享十二年(1440)に、日親上人の幕府諫暁が原因で破却され、康正年間(1455-57)に四条高倉で再建しました。

ここ
〇本阿弥光悦と巴の庭
 本阿弥光悦(1558-1637)は、安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した芸術家で、その才能は多岐にわたり、書・絵画・陶芸・漆芸などに優れた作品をのこしています。
 本阿弥家は元来、刀剣の鑑定や研磨を生業とする家柄で、足利幕府に仕えていました。光悦の曾祖父である本阿弥本光(清信)が、刀剣の鞘走が原因で足利幕府六代将軍義教の怒りに触れ、投獄された際に獄中で日親上人と出会い、教化されて熱心な法華信者になります。
 爾来、本阿弥家は本法寺を菩提寺として支え、豊臣秀吉の命によって現在地へ移転を強いられた際に、光悦は父親の光二と私財を投じ、伽藍の整備に力を尽くしました。また、これにあわせて光悦によって造られたとされる「巴の庭」は、室町時代の書院風枯山水の影響と安土桃山時代の芽生えを感じる名庭です。昭和47年に修復され、昭和61年に国指定名勝となりました。

 巴の庭
日蓮宗信者であった本阿弥光悦の作と言われている。

「巴の庭」は書院の東側から南へ曲がる鍵形で、広さはおよそ200坪におよびます。三箇所の築山で巴紋を表現することから「三巴の庭」と呼ばれますが、巴の形は経年により解りづらくなっています。また、東南隅に石組の枯瀧が配され、縦縞紋様の青石によって流れ落ちる水を表現しています。いっぽう書院の縁側前には、半円を2つ組み合わせた円形石と、切石による十角形の蓮池が配置され、「日」「蓮」を表現しています。
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煉瓦館イルミネーション 熊取町

2023-12-05 | 街角の話し
煉瓦館 中庭
熊取町 驚きの煉瓦館イルミネーション
本日は見ていただいてありがとうございます
今年は中庭も是非見てくださいね
頑張りましたから
凄いですね 感激しました

2023/12/1(金)~12/25(月)


外です


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勝尾寺(かつおうじ)「勝ちダルマ」

2023-12-04 | 街角の話し
勝尾寺
勝尾寺(かつおうじ)は、大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。山号は応頂山。本尊は十一面千手観世音菩薩。西国三十三所第23番札所。開山は開成(かいじょう)、寺号は「かつおじ」「かちおじ」などとも読まれる。
「勝ちダルマ」が有名である。

本尊真言:おん ばざら たらま きりく 

ご詠歌:重くとも罪には法(のり)の勝尾寺(かちおでら) ほとけを頼む身こそやすけれ

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勝ちダルマ奉納棚

多宝塔
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