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東大寺ミュージアム

2012-10-30 | ア-トな話し
平成23年10月10日にオープン。東大寺南大門のすぐ北に生まれた東大寺ミュージアム。
寺に伝わる文化財を展示する初めての施設である。
正倉院展の帰りに立ち寄った。
法華堂の日光・月光菩薩立像と、法華堂須弥壇の解体工事期間のみ仮安置される本尊の不空羂索観音立像。この至宝の仏たちがお堂の暗がりの中ではなく、目前にその姿を拝むことができるようになった。



法華堂内 国宝 不空羂索観音立像(像高362cm)と国宝日光・月光菩薩立像(像高206cm)

 日光・月光菩薩は、法華堂にあったときと同じように巨大な本尊の両脇に立ち、優しくふわりと手を合わせている。彩色がほとんど落ちて月の光のような白い肌、そして三日月の弧のように引かれた気高い眉。思わず一緒に手を合わせてしまう。
すごい迫力で迫ってくる。


国宝 誕生釈迦仏立像及び潅仏盤
4月8日大仏殿前の潅仏に登場するのはこの像の模像である。



重要文化財 弥勒仏坐像
法華堂に伝来。良弁僧正の念持仏という伝承。あるいは「試みの大仏」という俗称がある。
大仏のひな形という伝承がある。
他とは違う雰囲気のある仏像だ。
ミュージアム内は他にも見所いっぱいだ。



外に出たら、朝からの雨も止み、秋が顔を出していた。



すぐ近くに会津八一の歌碑があった。

おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて
              おほき ほとけ は あまたらしたり

歌意
 大きくゆったりと両手の指をお開きになって、大仏様はこの宇宙に広く満ち広がっておられる。まるで宇宙そのもののように。

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第64回 正倉院展    奈良国立博物館

2012-10-30 | ア-トな話し
平成24年10月27日(土)~11月12日(月) 全17日

過去の展覧会です。

第63回 正倉院展

第62回 正倉院展
第60回 正倉院展

第57回 正倉院展

今年は先に奈良で昼食をしたこともあり雨のせいもあり、10分程の待ち時間で入館出来た。

本年の正倉院展は、数ある正倉院宝物の中から北倉23件、中倉23件、南倉14件、聖語蔵(しょうごぞう)4件の総計64件が出陳された。初出陳も9件。


本年の注目は平成6年以来18年ぶりの出陳となる瑠璃坏(るりのつき)です。
コバルトブルーのうっとりするような輝きやワイングラスを思わせる器形は、シルクロードの果てにある遠い異国を想い起こさせます。ポスター等でもよく見ます。展覧会のカタログの表紙もこれでした。




瑠璃坏(るりのつき)

展示されているのはもう少し明るい照明の方がいいかなと思いました。

根付やストラップをお土産に買いました。


犀角杯(さいかくのつき)

犀の角のさかづき

犀の角は牛やヤギの角と異なり加工が容易であり工芸品の材料として用いられる。
インドイッカクサイの角と思われる。
展示の照明の工夫がすごい、キラキラと輝いている。





螺鈿紫檀琵琶(らでんしたんのびわ)
聖武天皇ご遺愛の四弦琵琶
ヤコウガイを用いた螺鈿(らでん)、タイマイや琥珀の象嵌によって描かれた模様はほぼ左右対称だ。

琵琶で思い出すのは2010年の螺鈿紫檀五絃琵琶です。





螺鈿紫檀五絃琵琶 こちらは五絃でした。今年は四弦です。


磁瓶(じへい)(二彩-にさい-のかめ)

圧倒される大きさと華やかな色彩だ、宝庫の陶器の中では最大。高さ42.0cm、胴径25.8cm
花器のようだが、当時の用途は不明。


さいころ(象牙)とさいころの振り筒
筒はシタンの一木、筒状に刳り貫いている。

NHKの大河ドラマ、平清盛に出てくる、さいころ遊びのシーンを思い出す。そっくりだと思いながらも、あれは西暦1130年ごろ、
聖武天皇は750年ごろ。変わってないのかな・・・・とふと感じた。

たくさんの出陳物には感動するが、これは形が面白かった。



銅薫炉(どうくんろ)

香を炊き込める道具。球形の香炉。地球儀のようだ内部の火皿を水平に保ち、香や灰がこぼれない工夫のようだ。

国立博物館の1階ロビーのガラス越しに見える風景です。ご存知の方も多いと思います。



八窓庵(はっそうあん)

もとは興福寺の大乗院庭内にあった茶室で、含翠亭(がんすいてい)ともいい、江戸時代中期に建てられまし た。江戸時代の名茶人、古田織部(ふるたおりべ・1544-1615)好みと伝えられる多窓式茶室として有名です。この茶室と興福寺塔頭慈眼院の六窓庵 (ろくそうあん 現所在東京国立博物館)、東大寺塔頭四聖房の隠岐録(おきろく 東京へ移建の後、戦災で消失)と称される茶室とあわせて大和の三茶室といわれていました。
この八窓庵は、地元に永久保存されることを望む奈良在住の篤志家数名の努力によって当時の帝国奈良博物館へ献納されたものです。明治25年(1892)に博物館の敷地に移設されました。
様式は四畳台目下座床で、草庵風になっており、入母屋造り茅葺で、天井は床前から点前座にかけて蒲天井とし、残りは化粧屋根裏になっています。


中庭に出ないと写真を撮るのは難しいですが、正倉院展開催中は中庭に茶席があるので庭に出られます。
他の展覧会の時には、庭は開放してないので、今がチャンスです。




八窓とは…景趣をつくるという視覚的な効果を意図し,一つの壁面に集中的にあけるなどして窓を多くとり入れる態度は千利休の茶室にはみられなかったが,古田織部や遠州たちの作風に顕著な特色であり,この傾向は金森宗和の作風においてさらに強調され,また茶室の新しい時代的傾向に発展した。八つの窓をもつ茶室は八窓軒とか八窓庵と称され,織部や遠州の好みと伝えられるものが多いが,金地院八窓席のように八窓に満たないものも含まれる。代表的な遺構として,札幌市中島公園内の八窓庵(伝遠州好),奈良国立博物館苑内の八窓庵(伝織部好),曼殊院八窓軒(伝不詳),桂離宮松琴亭茶室(伝遠州好)などがある。…

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コスモス、マンデビラ 和泉リサイクル環境公園

2012-10-14 | 街角の話し
2009年は11/1の朝日新聞朝刊で和泉リサイクル環境公園のコスモスが紹介された。
今年は一足早く訪れた。
2009年の花のギャラリー掲載分
ここ
花のギャラリーはここ

ここは入園無料ながら手入れが行き届いているので、いつも楽しませてくれる。
ひまわりが、まだまだ元気なので対比させながら楽しむのもいい。
夏の終わりのひまわりと、一足早い秋のコスモスだ。



向こうにひまわりが見えます。









縦の位置で撮ると、また楽しい。





これは熊の三山の帰りに串本で見た花だ!2007年だ。懐かしいですね。

ディプラデニアと表記してましたが、今日確認すると公園の人は マンデビラと教えてくれました。
調べると同じようです。
2007年串本の花


白もいいです。


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「大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年」京都市美術館

2012-10-13 | ア-トな話し
10月10日(水)~12月6日(木)
エルミタージュ美術館はロシアのサンクトペテルブルクに位置し、ロマノフ王朝の歴代皇帝の宮殿からなる建物と、300万点を超える所蔵作品とが見事な調和を織りなす、世界有数の美術館です。
本展覧会では同館の優れた所蔵品の中から、16世紀から20世紀における西洋美術の「顔」ともいうべき名作を、その世紀を象徴するキーワードを軸に紹介します。

16世紀=人間の世紀、17世紀=黄金の世紀、18世紀=革命の世紀、19世紀=進化する世紀、そして20世紀=アヴァンギャルドの世紀。各世紀を彩るのは、ティツィアーノ、ルーベンス、レンブラント、ブーシェ、レノルズ、モネ、ルノワール、セザンヌ、マティス、ピカソら83作家の作品、全89点です。
まさに400年にわたる西欧絵画の歴史をたどる豪華ラインナップです。特に注目されるのは、マティスの最高傑作の一つである《赤い部屋(赤のハーモニー)》。東京では実に約30年ぶりの展示となります。

どれが有名なの?
いつも京都市美術館では展覧会毎に注目作品が壁に出るのですが、今回はありませんでした。



ティツィアーノ・ヴェチェリオ 《祝福するキリスト》

この人間味あふれるキリストの右手の仕草は祝福をあらわしている。左手に支えられた球形のクリスタルガラスは、万物の支配者としてのキリストの象徴である。


バルトロメオ・スケドーニ 《風景の中のクピド》

バロック時代(17世紀)のイタリア絵画は、カラヴァッジョだ。
メリハリの利いた明暗表現はカラヴァッジョにも通じる。クピドは「恋の使者」ともいうべき存在で、恋そのもののように気まぐれな存在でもある。得意とする弓で、金の矢じりの矢を打ち込まれた人は最初に会った人に恋し、鉛の矢じりだと恋心も一気にさめるというクピドが、ここでは一人木の幹に寄りかかっている。意味ありげにこちらを見ながら、考えごとでもするように指を口に当てている。頭上には矢を入れたエビラが、足下には弓が置かれている。ひと休みしながら、「次は誰を恋のとりこにしよう、それはあなたかも」とでも読める眼差しであり、仕草でもある。バロック絵画には珍しい一種の茶目っ気を感じさせる絵である。

バルトロメオ・スケドーニ。好きになりそうだ。


レンブラント・ファン・レイン 《老婦人の肖像》
さすがレンブラント。圧倒される迫力で迫ってきます。
顔も手も皺だらけ、老婦人の伏し目がちの瞳からは、深いものが感じられる。





ジャン=バティスト・シメオン・シャルダン 「洗濯する女」

日常的な風景ながら違うものを感じる。
ロココ美術全盛の18世紀フランスを生き抜いた画家であるが、その作風は甘美で享楽的なロココ様式とは一線を画し、穏やかな画風で中産階級のつつましい生活や静物画を描き続けた。

三菱1号館で
Chardin シャルダン展―静寂の巨匠 2012年9月8日(土)~2013年1月6日(日)が開催されている。
今まであまり知られてないが、これから有名になりそうだ。


ピエール=オーギュスト・ルノワール
《黒い服を着た婦人》
さすがピエール=オーギュスト・ルノワールという絵ですね。



ポール・セザンヌ 《カーテンのある静物》

画家オディロン・ルドンの言葉、「絵を描くとは、テーブルの上のリンゴをいかに見るかを理解している人間の技術なのだ。ただのリンゴを描くのはほとんど意味がないように思われる。しかしこのように単純至極なものを美しいという段階にまで引き上げるには、そこに完璧な絵が存在しなければならないだろう」。

まるでセザンヌの言葉のようですね。


アンリ・マティス 《赤い部屋(赤のハーモニー)》
さすがの傑作。

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高橋由一展   京都国立近代美術館

2012-10-13 | ア-トな話し
2012年9月7日(金)~10月21日(日)

日本一有名なで有名。


鮭(重要文化財)を描いた画家として有名、明治時代を代表する洋画家、高橋由一。


 明治維新後に丁髷(ちょんまげ)を落とし「由一」を名乗るところから、近代洋画の父と呼ばれる高橋由一の活躍がはじまります。
この時すでに40歳を超していました。絵が好きで画家になりました、といった甘さは微塵もなく、洋画を日本に普及するのが自分の果たすべき使命だという強い自負にあふれていました。画塾を開き、展覧会を催し、美術雑誌を刊行し、ユニークな美術館建設構想も抱きました。日本には洋画が必要なのだ、ということを必死になって世間に訴えたのです。由一には留学経験がありませんが、本場の西洋画を知らずに写実に挑んだ男が生み出した油絵だからこそ、黒田清輝以降の日本洋画の流れとは一線を画す「和製油画」として日本的な写実を感じさせるのです。


 本展では、由一の代表作を網羅し、初期から晩年までの作品を一堂に紹介するほか、イメージソースとなった広重や司馬江漢らの作品、あるいは「由一史料」と呼ばれる文書類もあわせて展示し、「近代洋画の開拓者」高橋由一の魅力を探る。


これは作品の部分です
鮭 重要文化財 東京芸術大学蔵


会場には、鮭が3つ並んで飾られています。


鮭 東京芸術大学蔵140.0cmx46.5cm



鮭 山形美術館寄託127.5cmx36.5cm



鮭図 笠間日動美術館蔵 85.9cmx24.6cm

とにかく、これを見るだけで感動十分な展覧会です。意外に大きいですね。

昔は切手収集もやっていたので、手元の特殊切手帳 1980年版にありました。


昭和55年2月22日発行
50円郵便切手

風景画は、名所浮世絵の油絵版ということができる。明治14年頃からは東北の地に取材した風景画を多く描くが、それらは新しく開拓されていく土地の記録を残すことを目的とした洋画普及の方法のひとつだった。
知っている風景も出てきて楽しいものでした。


ランチは前回同様に『 ROLLOT(ロロ) 』で

前回は2011.10のワシントン・ナショナル・ギャラリー展京都市美術館でした


ポークバーグ味噌ソース
おからと豆乳であっさり味、サラダはおいしかった。

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輝ける皇妃 エリザベート展 京都伊勢丹

2012-10-13 | ア-トな話し
9月7日(金)~10月28日(日)

エリザベート生誕175周年記念。「星の髪飾り」日本初公開!
19世紀末のヨーロッパ世界の大革命の中、数奇な運命に翻弄された、絶世の美女、皇妃エリザベート(1837-1898)。「シシィ」の愛称で国民から愛されたオーストリア皇妃。
わずか16歳にしてヨーロッパ王家の名門ハプスブルク家の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に嫁ぐものの、旧態依然とした宮廷生活には馴染めず、現実から逃避し、生涯自らの美と自由を追い続け、贅の限りを尽くした生活を送りました。一方では国家のあり方としての共和制に関心を寄せ、ハンガリーの建国にも尽力しました。しかし晩年は、宮廷を離れた孤独な旅の果てに、テロリストの暗殺による悲劇的な最期を遂げました。
今回の展覧会では、ハプスブルク家をはじめ、ヨーロッパ各地の美術館や個人が秘蔵する遺品から、絵画、装飾品、工芸品など、選り抜かれた約120点の品々を展示。
中でもエリザベートが最も愛した肖像画『オーストリア皇妃エリザベート』(1865年・ヴィンターハルター作)に描かれた「星の髪飾り」が日本初公開。
残念ながら・ヴィンターハルター作の有名な肖像画はポスターにはあるけれど展示されていません。

2010.3に京都で THE ハプスブルク展で、その肖像画は見ました。

そして本も読んで読書感想文にしました。
名画で読み解く ハプスブルク家12の物語

★伝説の<星の髪飾り>
ヴィンターハルターの描いた有名な皇妃エリザベートの肖像に見られる「星の髪飾り」は、ダイヤモンドの星型十角形であると思われている。実際は八角形と十角形のものが造られたことが知られている。この「星の髪飾り」は、エリザベートの夫である皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が妻のために、オーストリア宮廷・皇帝御用達の宝石店ロゼット&フィッシュマイスター社に造らせたものである。エリザベートは星のいくつかを女官たちに下賜(げし)し、女官たちはそれぞれ家族で大事に受け継いでいった。今回出品される「星の髪飾り」も、こうした家族の手を経て、宝石店へ戻ってきたもの。
ショップでは模造品が1000円位で売ってました。



星の髪飾り



フランツ・クサファー・ヴィンターハルターの描いた「オーストリア皇妃エリザベート」の肖像画。
THE ハプスブルク展より

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ハルカスついに日本一に

2012-10-13 | 街角の話し
ハルカスがついに日本一になった。
過去のブログ
ハルカス ついに251mに・・・・・・2012.6.9
あべのマーケットパーク キューズモール 2011.4.30

「あべのハルカス」の高さが、今年8月30日(木)午前5時22分に、300mに到達しました!

~ビルとして日本一の高さになったのです~

全景です。

鉄骨が見えなくなりましたね。
JR阪和線から撮ってみました。

シャープ工場の向こうに見えます。



左がシティタワーグラン天王寺161.775m 大阪市阿倍野区松崎町です。


完成が楽しみです。

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熊取町だんじり 駅前パレード

2012-10-09 | 街角の話し
熊取町だんじりは、10/6の宮入、10/7の駅前パレードが華である。
それぞれ何回も行った。
ホームページの熊取だんじり

今年2012年は、ここ

駅前のパレードの中心はシャワークラッカーだ。華やかだ。
だんじりによって色が違う。みんないろいろと工夫している。



祭りの主役は、なんといっても大工方。だんじりの上での所作が男だ。



見所は一杯ある。綱を引く、この姿も美しい。




命と言われるてこ。

脇役はない、みんなが主役。役割が違うだけ。みんなの祭りだ。
だんじりを見てると、だんだん熱くなる。



祭りの興奮も冷めない中、駅前から散会する人々。熊取の人がみんな来たのという位の人出でした。


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喜寿が一杯

2012-10-03 | 「へぇ~」という話し
喜寿というおめでたい名前の木がある。
堺市のハーベストの丘にあります。

立札には「喜寿」と表示してますがカンレンボク(旱蓮木)というそうです。


カンレンボク(旱蓮木) は、中国原産のミズキ目ヌマミズキ科カンレンボク属の落葉高木です。
夏に咲く花は、ギンネム(銀合歓)に似ており、秋に成る果実は遠くから見ると栗の実のように見えます。さらに、果実を近くで見るとクリ(栗) の実を軽小軟短にしたような形をしています
葉は長楕円形で大きく光沢があり、葉脈がはっきりしています。互生に付き、葉表毛は無毛ですが、葉裏の基部には綿毛が密集します。
夏に淡黄色の花を咲かせ、秋に黄緑色をした球形の集合果をつけます。 
用途としては、街路樹や家具等の加工材、製紙材、果実、根、茎葉に抗癌効果があり薬用とされます。

落下した実を手に取りましたが、特に大きな特徴はなかった。栗のようなイガもありません。

77歳の祝いを「喜寿」と呼ぶ。
なぜ77歳=喜寿なのか?
75歳のほうがキリがよさそうなものなのに…
「喜」の字を草書体や略字にすると、漢数字の「七」を3つ合わせた(上に1つ、下に2つ)形になります。



しかし、いくらなんでも777歳という年齢はありえません。そこで、「七」が2つの77歳を古希の次の長寿祝いの歳にしようということになったのです。つまり、喜寿祝いとは、「77歳だから喜寿」ではなく「喜寿とは77歳」。昔の人の縁起かつぎと、文字に対する洒落っ気が生み出した長寿祝いが喜寿というわけです。

私自身、喜寿は、まだまだ先ですが、そのうち宴会しても喜寿の人一杯というのが、そう遠くないかも知れません(笑)
ハーベストの丘には「喜寿」の木が一杯でした。
 


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