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宮内庁三の丸尚蔵館

2010-06-20 | ア-トな話し
三の丸尚蔵館は,皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類が平成元年6月,国に寄贈されたのを機に,これら美術品を保存・管理するとともに,調査・研究を行い,併せて一般にも展示公開することを目的として,平成4年9月に皇居東御苑内に建設され,翌年11月3日に開館した。

なお,平成8年10月に故秩父宮妃のご遺贈品,平成13年4月に香淳皇后のご遺品,さらに平成17年10月には故高松宮妃のご遺贈品が加わり,現在約9,500点の美術品類を収蔵。

若冲の最高傑作「動植綵絵」の30幅を所蔵していることで有名。

現在開催中の展覧会



花ひらく個性,作家の時代-大正・昭和初期の美術工芸

第3期:6月5日(土)~7月4日(日)

会場は小さいので一度に展示できる作品数は限られる。

今回の展示は

川端龍子 松鯉図 1幅 昭和13年(1938) 絹本着色

堂本印象 松鶴佳色 六曲一双 昭和10年(1935) 紙本墨画淡彩  等

堂本印象の松鶴佳色はすごい迫力で迫ってきます。



大手門
旧江戸城の正門

三の丸尚蔵館には、ここから入ります。

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マネとモダン・パリ展 manet et le Paris moderne

2010-06-19 | ア-トな話し
三菱一号館美術館の開館記念展
2010.4.6~7.25

マネ すみれの花束をつけたベルト・モリゾ 1872年

ベルト・モリゾはオルセー美術館展で2006.10に会って以来の再会です。
「すみれ」を確認するためには、近寄らないとだめです。
こんなに可愛く描けるのは尋常じゃないですよね。



ベルト・モリゾ Berthe Morisot、1841年1月14日 - 1895年3月2日

マネの絵画のモデルとして有名な、19世紀印象派の女性画家。

マネに絵画を学びながら、マネのモデルを多く務めた。
モデルは1868年~1874年の7年間で油彩は、ほぼ10作と言われる

1874年にマネの弟ウージェーヌ・マネと結婚した。
結婚を機に、マネのモデルを辞めたのですね。
1879年に娘ジュリーを出産。

ルノワール -伝統と革新展 で、ルノワールが描いた娘のジュリーと会いました。

16歳で母が亡くなった(ウージェーヌ・マネはすでに亡くなっていた)から、ルノワール等が後見人をしてたようだ。


横たわるベルト・モリゾの肖像 1873年 マルモッタン美術館蔵

元々は全身像だったのを製作途中で下半分のキャンバスを切ったようだ。
そのせいで全体が引き締まって感じる。





バラ色のくつ(ベルト・モリゾ) 1872年 ひろしま美術館 蔵





扇を持つベルト・モリゾ 1874年 リール美術館

マネのモデルとしての最後の作品。指輪が目立っていますね。

結婚前・後なのに、元気がないですね。

今までは画家の方を見るポーズだったのに。目も何かウツロです。
まるで結婚がウレシクないような(マネが?モリゾが?)



ヴェールを被ったベルト・モリゾ 1872年 ブティ・パレ美術館

未完成の作品。
これはひどいよね。ヴェールを被っているとはいえ。
友人のルノワールでさえモリゾと思わなかったらしい。
モネの記録から没後に判明した。

マネとモリゾは親密な関係だったという噂ですが・・・・

モリゾをよくぞ集めたという展覧会です。
マネとモリゾに迫るという題はついてませんよ。(笑)

おまけに、オルセー美術館展でみた、もうひとつのモリゾです。



マネ  バルコニー 1868年 (*今回は展示されていません)

タイトルにはモリゾとありませんが、最初にモデルをした作品です

マネとモリゾに関心ある人は、お見逃しなく。

他の人の作品もありますよ



ドガ ル・ペルティエ街オペラ座の稽古場


こんなのも、ありました。


マネの代表作
メキシコ皇帝マクシミリアンの処刑

油彩は、有名な作品ですが、これはリトグラフ。
検閲によって廃棄の指示を受けていたのを、没後再刷したもの。

皇帝マクシミリアンはハプスブルク家最後の人ですね。
ナポレオン3世が見捨てたことにより処刑されてしまう。
メキシコの兵隊の服装はフランス兵の制服で描かれている。
政府に対する痛烈な非難です。
反体制派的、絵だったのです。
でも民衆の怒りは、やがてナポレオン3世の失脚につながる。
そんな歴史ドラマのひとつ。



三菱1号館
イギリス・クイーンアン様式の外観を持つレンガ造の復元建築物である。


美術館の入り口
美術館の前は、カフェや庭園です。
東京のどまんなかとは思えない雰囲気ですが、人は多い。
カフェの屋外の席も、空きを探すのは難しい。




庭園には、ヘンリー・ムーアの作品がありました。
彫刻の森美術館の所蔵です。

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オルセー美術館展2010 ポスト印象派

2010-06-16 | ア-トな話し
国立新美術館 2010.5.26~8.16

ドガ 階段を上がる踊り子

巧みな構成です。自然に目線が右で練習してる人達に向く。

これが入り口にあるから
会場が混む原因を作っていますね。


今回の展覧会は
モネ(5点)、セザンヌ(8点)、ゴッホ(7点)、
ゴーギャン(9点)、ルソー(2点)、ロートレック(3点)、スーラ(11点)等々
傑作115点(半数が初来日)が大挙してやって来た

まさに空前絶後の展覧会です。

世界3都市を巡回する。日本は東京だけ。

ニコラ・サルコジ フランス大統領が

「これらの絵画がまとめてフランスを離れることは2度とない」

とパンフレットに書いてます。

オルセー美術館の印象派ギャラリー改装工事(2009.11〜2011.3)の間だから実現できた展覧会です。

オルセー美術館展は、過去に3回神戸で開催されました
ここ。



セザンヌ サント=ヴィクトワール山

セザンヌと言えば、これという位に代表的です。

「水浴の男たち」
「篭の静物、または台所のテーブル」

も素晴らしい。
そして、モーリス・ドニの「セザンヌ礼賛」もありました。面白い絵です。



ゴッホ 星降る夜

ゴッホの単純なイメージの外にありながら、やっぱりゴッホという作品です。
以前にも見ましたが、大好きな作品です。

「自画像」「アルルのゴッホの寝室」もあります。

ゴーギャンは、何と言っても「黄色いキリストのある自画像」が出ていました。

「タヒチの女」「牛のいる海景、あるいは深い淵の上で」もある。

とても紹介仕切れませんね。



モネ 睡蓮の池 緑のハーモニー

モネの睡蓮は良く見ます。睡蓮だけとか、究極には光だけ(笑)というのもある。

そんな中、安心して見れるオーソドックスな作品です。

ドキッとするような作品もあります。



ギュスターヴ・モロー オルフェウス

あまり見る機会のない作品です。
幻想的です。二人は見つめ合っている(?)-笑-



サージェント ラ・カルメンシータ

現物はみたとことないけれど、サージェントの「マダムーX」が大好きなのです。
ジェフリー.フォード著 「シャルビューク夫人の肖像」という本の表紙に載っていました。
美貌の「マダムーX」はこちら
絵に釣られて読んだ本です。

サージェントの作品は初めてです。華麗な肖像画ですね。感動。

後も一杯素晴らしい作品があります。

最後は、これかな?


ヴィルヘルム・ハンマースホイ 休息

2008.12 ヴィルヘルム・ハンマースホイ展で見ました。

感動が蘇りました。二度と出会うことはないだろうと思ってたのですが・・・


これ程、内容の濃い展覧会は、めったにないと思います。


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赤い靴をはいてた女の子

2010-06-15 | 街角の話し
横浜の山下公園に 赤い靴をはいてた女の子像がある。1979年
横浜散策はこちら

赤い靴(くつ) はいてた 女の子
異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった
横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える

(野口雨情作詞・本居長世作曲)

この横浜から異人さんに連れられて行っちゃったのだ。




後ろ姿です。横浜は美しい港だけれど、なんなく寂しそう。


歌詞は、実話を題材にして書かれたという話が定説化していた。(疑問・捏造説もあるが)

「赤い靴をはいてた女の子」の名前は、岩崎きみ ちゃん。

静岡県清水市有渡郡不二見村(現在の静岡市清水区宮加三)出身の岩崎かよの娘。

1902年(明治35年)7月15日 - 1911年(明治44年)9月15日。

生まれた清水にも像があります。
2008.11に行って来ました。

清水への旅行はこちら



アップです。



静岡県は日本平にあります。『母子像』(1986年)


岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り、鈴木志郎と結婚する。
きみが満3歳の時、鈴木夫妻は、社会主義運動の一環として当時注目されていた北海道の平民農場へ入植する。
しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは義父・佐野安吉の仲介により、娘・きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことにした。

やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核に冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま東京・麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられてしまう。

きみは孤児院で母親に会うこともできず、9歳で亡くなったという。母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、きみが東京の孤児院で結核で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごした。

何とも哀しい話ですが、なくなった孤児院があった所にも像があります。
山下公園だけでは中途半端なので行って来ました。



東京都港区 麻布十番の『きみちゃん像』(1989年)

麻布十番商店街の中にあります。

他には少し遠いけれど

北海道留寿都村『母思像』(1991年)
北海道小樽市『赤い靴 親子の像』(2007年)
北海道函館市『きみちゃん像』(2009年)

さらに

横浜と縁の深いアメリカ・サンディエゴにも同様のブロンズ像が設置される。
2010年6月27日に除幕の予定。

史実はともかく、童謡を歌った時の様に

今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう

で。いいな。


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モーリス・ユトリロ展 

2010-06-14 | ア-トな話し
損保ジャパン東郷青児美術館
2010.4.17~7.4

全作品(90点)が日本初公開 と言うのが謳い文句。

モーリス・ユトリロ ファンなら泣いて喜ぶ展覧会です。

モーリス・ユトリロは日本では人気のある作家なので、いろんな展覧会で見かけます。

2006.2には大阪高島屋でモーリス.ユトリロ展が開催され感動しました

カルボネルの家  トゥルネル河岸

今回パンフレットにも使われている作品です。

パリの街角の風景、ムーランルージュや教会や酒場など。特に漆喰の壁は得意です。

ユトリロらしい雰囲気が出る。
人がまったくいないか、いても通行人のような人が小さく描かれているだけ。

壁に飾るには、もってこいの絵なのですね。



雪のサン=ピエール広場とサクレ=クール寺院、モンマルトル

ここまで白が徹底するといいですね。


バイアン通り、パリ

扉も大体閉じられていますね。

ユトリロは中学の頃から酒依存症の症状があったようで、そもそも治療の一環として母のすすめで絵を描き始めた。
絵が売れるようになってきてからも、母と義父に監禁されるような生活だったらしい。
本当の父は不明。
母の死後も年上の資産家の未亡人だった妻に同じような生活をしいられていたとのこと。
亡くなるまでほとんど自由のない人生だったようだ。

そんなことを思うと、暗さが絵に出ているような・・・・
決して、そうではないですね。静かだけれど暗くない。



風景

明るいですね。いつも通行人の人物がメインに出てます。
ユトリロの絵で、こんなに人物が大きいのは珍しい。

でも、タイトルは「風景」なのです。
思わず、苦笑いしてしまいました。
ガッシュ画です。油絵の白と違い、軽やかですよね。

お母さんには先日会いました(笑)。




ルノワール -伝統と革新展で出会いました

ブージヴァルのダンス
女性は、当時18歳のマリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン(後に画家になる)
画家モーリス・ユトリロの母です。

この美術館の楽しみは、最後に、ゴッホのひまわりに会えることですね。
画像は、モーリス・ド・ヴラマンク展 損保ジャパン東郷青児美術館
ご覧ください。

今回ショップで見つけたもの。


カプセルのガチャポン
石膏デッサン入門1【完全版】TAKARA TOMY

ラボルトですね。デッサンに使うには小さすぎるけれど。

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東京スカイツリー

2010-06-14 | 街角の話し
東京都墨田区押上に建設中の電波塔である。
高さが634.0m。完成すれば自立式電波塔としては世界一の高さとなる。
2008年7月14日に着工し、2011年12月から遅くとも2012年早春に竣工の予定。

工事中の今こそ、二度と見れない瞬間を見ることが出来る。

分かったような分からんような理屈(笑)で、結構人気スポットになっています。



現在398mです。



路地からも、こんな風に見えます。
まさにわが町の塔という雰囲気ですね。

ネット上で有名な撮影ポイントがこれです。



誰が名付けたか、「逆さスカイツリー」

見事に川に写ります。



駅近くの案内板です。現物にはマークは付いていません。

駅が白丸、赤丸がスカイツリー、撮影ポイントが青丸の

十間橋(じゅっけんばし)からの撮影です。

川が蛇行してるから、川の中央にあるように見えるのですね。

観光バスが1台来てました小さな橋なので、橋の上は10人も居てれば満員です。
人を前景に記念写真というのは、結構大変です。



パンフレットもあります。
今の高さを朱記しましたが、これからですね。

634mを覚えるコツは「ムサシ(宮本武蔵)]--kokumiさんのブログからの受け売りです。

そして東京タワーは「ささやん(佐々木小次郎)」 338mです。

夢のある、お話です。


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アメンボ見つけた !

2010-06-08 | 街角の話し
2010年5月10日から月9枠で始まった『月の恋人〜Moon Lovers〜』
その第一話で盛り上がった「アメンボ」見つけました。

昔は見たけれどね。最近見ないな。今度見かけたら写真に撮ろう。
ドラマ見た人は、みんな思ってたかも(笑)

葉月蓮介(木村拓哉) が、コインを4枚置いて、「何に見える?」

リュウ・シュウメイ(リン・チーリン)が答える。

「それは水馬(シェイミン)」

*水馬て、アメンボ又はミズスマシのこと

「シェイミンを見ると幸せになると私のお父さん言いました。
だから私はいつもシェイミンさがした。
シェイミンは水溜りにいる。水溜りは雨降ると出来る。雨降ると街はきれいになる。
木も花も米も育つ。みんな幸せになるアルよ~」

そんな幸せになるアメンボが一杯居ました。




びっくりする程居ました。

写真撮ってるのは、ボクだけでしたが・・・・

今は水辺まで立ち入れますが、そんな人が増えると立ち入り禁止になるかも。



この手前の池です。

奈良は平城宮跡の東院庭園。

朱雀門-大極殿と見て、ぐるっと回らないといけないので、観客は、随分減ります。

夏の間だけでしょうから、是非寄ってみてください。

ドラマでもやってましたが

正岡子規の句

水馬(アメンボ)流れんとして飛び返る

一見、スイスイと滑ってるように見えますが

確かに、ひっくり返りそうに飛び上がっているのがいます。

正岡子規の観察眼はすごい。

アメンボはロマンチックではなくて必死なんだよ。

ちなみにアメンボの足は6本あるのだが、4足歩行です。

あまりにも広い、平城宮跡

歩き疲れた後の絶好の癒しのポイントです。

幸せを見つけに・・・・

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難しい漢字の花の名前 1 「あ」~「く」

2010-06-06 | 漢字を覚えよう
漢字を覚えよう 3 花の名前の漢字です。

花のギャラリーで花を載せていますが、漢字には結構苦労しますね。

難しい漢字も多いですね。

五十音に順次掲載します。

1.薊 アザミ

大和文華館

2.紫陽花 あじさい
読める人は結構多いけれど書くとなるとなかなか出てきません。


三室戸寺のあじさい


3.馬酔木 あせび


馬が葉を食べれば苦しむという所からついた名前
壷阪寺が見事です

4.菖蒲 あやめ


古くは「あやめ」の名はサトイモ科のショウブを指した語で
ショウブも漢字は「菖蒲」と書く。

大鳥大社 菖蒲園

5.銀杏 いちょう 又は 公孫樹

御堂筋のいちょう並木が有名だ。


6. 空木 うつぎ


茎が中空のため空木と呼ばれる。
卯の花というのは、この木の花のことです。
長居公園  卯の花 -夏は来ぬ-


こんな実が成ります。
城南宮


7.含羞草 おじぎそう


8.苧環 おだまき



苧環とは元来は機織りの際に麻糸をまいたもののこと
五條 金剛寺


9.女郎花 おみなえし



秋の七草の一つ。

10. 杜若 かきつばた


「大田の沢」
上賀茂神社の東にある境外摂社。大田神社日本三大自生カキツバタ群生地です。


11.烏瓜 からすうり



秋が来た

12. 枳殻 からたち


13.桔梗 ききょう


円城寺が有名


14. 葛 くず



秋の七草-全部載ってます


15. 梔子 くちなし



伊太祁曽神社

続く

漢字を覚えよう 1
漢字を覚えよう 2
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堺のピラミッド? (十三重 土塔)

2010-06-04 | 街角の話し
見たときは感動します。
スゴイの一声です。堺にピラミッドがあった(笑)

正式名は、「史跡 土塔」。1953年に国の史跡に指定されている。

元は、近くの大野寺の仏塔。今は周囲が公園になっています。
大阪府堺市中区土塔町2143-1


土を盛り上げた一辺53.1m、高さ8.6m以上の十三重の塔で、
各層には瓦が葺かれていたようです。
平成21年4月復元整備によって創建当時の姿が一部再現されました。



見る方向を変えると、一部は復元されずに残っています。



近づいて見ました。十二重(?)ですよね。



瓦の感じが、何ともアートですね。
近くに復元模型が作られていました。1/200の模型。



頂上に塔が建っていたのですね。
これで合計十三重。
高さ8.6m以上--の謎が解けました。

頂上の塔は、円形に基壇が残っていた、陶製の双輪の遺物から
夢殿や栄山寺の八角堂を模して、復元したようだ。

夢のある話です。





土塔があった大野寺は、今も近くにあります。

行基が727年に建てた寺。
この仏塔も、その頃の物ですよね。

平城京が710年ですから、ここにも1300年の時が過ぎています。

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