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第5回「熊取のみどり・花・自然」写真展  熊取町

2014-08-31 | 街角の話し
8月30日㈯〜9月7日㈰

熊取交流センター 煉瓦館

今年も出展しました。


「悠然・カワセミ」
ついに念願のカワセミの撮影に成功した
結構動きのある鳥ながら、今日は何故かオスマシ 悠然とした姿もいいものです




「一休み」

ハスとトンボ ピンクのハスとトンボ いい感じですね。
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りんくう花火    りんくう公園(マーブルビーチ)

2014-08-30 | 街角の話し
8/30
りんくう花火は、毎年夏に泉佐野市のりんくう公園(マーブルビーチ)で開かれる花火大会。

開催費用として広く企業や賛同者から協賛金を集めて開催している花火大会。海上での打ち上げであるため、マーブルビーチの沿岸より広く見渡すことができる。

もともとは関西国際空港の開港やりんくうタウンのまちびらきを契機に行われていたイベント「つばさのまちフェスタ」(主催:つばさのまちフェスタ実行委員会、共催:大阪府・泉佐野市・泉南市・田尻町・産経新聞社など)の一環として、1995年(平成7年)関西国際空港開港1年の記念にはじまったもの。「りんくう花火の祭典」などの名称でそれ以降は毎年開催されていたが、泉佐野市の財政難などを理由に、2004年(平成16年)7月28日の開催を最後に中止となっていた。


スターライト りんくう 関空2007は私も見ました。ここ

再開を求める地元有志が「りんくう花火実行委員会」を結成し、2012年(平成24年)9月1日に8年振りに復活させている。開催スタッフとして、多数のボランティアが参加しているのも特徴のひとつ。

2012年の大会は私も見ました ここ

2013年(平成25年)8月31日にも協賛金を集めて開催を予定していたが、強風による荒波で打ち上げ用の台船が使えず、開催当日に中止となった。
本当に残念でした。
そして今年無事開催できました。


マーブルビーチは大阪の玄関口、関西国際空港の対岸にある公園。
白い大理石の玉石を敷き詰めた海岸で有名です











帰りは一歩人より先んじたつもりでしたが、駅は超満員でした。

ホームページは ここ
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はるか と ハルカス

2014-08-29 | 街角の話し
はるかは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が、関西国際空港のアクセス列車として米原駅・草津駅・京都駅 - 関西空港駅間で運行している特急列車である。

あべのハルカス(Abeno Harukas)は、大阪市阿倍野区に立地する超高層ビル。阿部野橋ターミナルビルの中核を担っている。2014年(平成26年)3月7日に全面開業した
地上60階建て、高さ300mで、日本で最も高い超高層ビルであると同時に、日本初のスーパートール(300m以上、世界基準超高層ビル)である。また、日本国内の構造物としては東京スカイツリー(634m)、東京タワー(332.6m)に次ぐ3番目の高さ なお、東京スカイツリーおよび東京タワーは電波塔であるため、スーパートールにはカウントされない。

二つを同時に写真に撮ると面白いな。

やってみました。



発車直後のはるか

もう少し離れないと全体は難しそう。
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グリコランナー

2014-08-29 | 街角の話し
大阪・道頓堀にある江崎グリコの有名なネオン看板に8/25、綾瀬はるかが登場。新しい看板が登場するまでの特別工事幕だ。

学生風の女の子が騒いでいました

「グリコなくなったよ・・・」

「何でやねん?? 」

撮影は8/27 まだまだ有名ではないようです。

グリコランナー(社内の正式名は ゴールインマーク と言うらしい。) 



1935年(昭和10年)、大阪道頓堀の戎橋にグリコ看板が初めて登場。

その後、2代目(1955年~)→3代目(1963年~)→4代目(1972年~)と代替わり。

そして、1998年に現在の5代目のグリコネオンの看板になりました。次は6代目です

5代目の特徴は、ランナーの後ろに大阪の名所が取り入れられた事です。

大阪城・海遊館・京セラドーム・通天閣。


空の部分のネオンが変化するのも特徴です。

朝、昼、夕焼け、星空、と2分7秒かけて変化します

そして、毎時ちょうどだけ少し画面が変わるのをご存知ですか?




写真は19時ちょうどです。「19」という数字がランナーの足元に浮き上がり、時間を知らせます。確実に見えるのは30秒程です。

2007.7.14のブログはここ 

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東海道新幹線開業50周年記念 夢の超特急展   大阪高島屋

2014-08-27 | 街角の話し
今年10月に開業50周年、半世紀という節目の年を迎える東海道新幹線。

東海道新幹線は、世界初の高速鉄道として東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年10月1日に東京~新大阪間にて開業し、今年で50周年を迎えます。

 戦後の復興期から高度経済成長期にわたる昭和30年代、東海道本線の輸送需要の急増に対応するため新たな線路を増設することになり、目新しい技術ではなく在来線で培った信頼できる技術を活用して新幹線の開発が進められました。日本国有鉄道(国鉄)が主導する中、多くのメーカーが参画し、まさに国民の叡智と努力を結集して生まれた『夢の超特急』は、世界で初めて時速200キロを超える営業運転を実現した。

 この圧倒的なスピードと高い安全性、そして快適かつ正確な大量輸送は、日本の技術力の高さを世界に示すとともに「鉄道は斜陽産業」と考えられていた国内外の評価を覆し、三大都市圏を結ぶ大動脈としてその後の日本の経済成長を支え続け、多くの人々に夢を与えたのです。

会場には多くの子供達と、昔子供だった(笑)人たちが数多くいました。


上の写真は、歴代車両を紹介したパネルと模型です。


我が家にある0系新幹線21型

コレクション「国産鉄道」の付録です





先頭部の形状比較です 0系・100系には、東海道新幹線区間でのラストラン時に使用されたヘッドカバーが展示されていました。
ニュースでは見たことがありますが・・・





歴代車両のパンタグラフ。

おじいちゃんが孫に説明してました 「パンタグラフて言うのはね、電車に電気を送るんだよ・・・」


展示物は、いろいろあります。一部を除き写真撮影okです。



0系と700系の運転台が展示されていて運転台に座ることができます。

さすがに並んで座る勇気は出ませんでした。

誰も居なかったら、座ったかもですね(笑)。


大型ジオラマです。
大阪地区の代表的な建物として、この高島屋大阪店と通天閣、そして太陽の塔。その横を新幹線の模型が走行していました。
見ていても飽きないですね・・・


そしてドターイエローの登場です

残念ながら本物には出会ったことがないが大好きです。



923型ドクターイエロー
Nゲ-ジ ダイキャストスケールモデル


マクドナルド ハッピーセット プラレール や
「くら寿司 回転むてん丸 ミニチュア新幹線」 も懐かしく思い出しました

このドクターイエローは、今はなくなった 交通科学博物館  で買いました ブログは ここ



N700系新幹線「のぞみ」

マグネットでビタッとつながるゼンマイで走る

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デュフィ展   あべのハルカス美術館

2014-08-20 | ア-トな話し
ヴァイオリンのある静物 バッハへのオマージュ

2014年8月5日(火)~2014年9月28日(日)

「色彩の魔術師」20世紀のフランスのパリを代表するフランス近代絵画家。

ラウル・デュフィ(1877-1953)は、ピカソやマティスなどとともに20世紀前半にフランスで活躍した画家です。彼は1937年に開催されたパリ万国博覧会のための装飾壁画《電気の精》に代表されるような、明るい色彩と軽快な筆さばきで描く独自のスタイルを築きました。

本展は、デュフィが1899年に故郷のル・アーヴルから国立美術学校で学ぶためにパリに出てきたころから晩年に至るまでの作品を紹介する回顧展です。20世紀初めのパリでフォーヴィスムやキュビスムによって造形の革新を試みる動向のただなかに身を置きつつ、また様々な分野を横断しながら自らの独創的表現の探求を続けたデュフィの歩みを辿ります。


デュフィは、はじめ印象派に共感を覚えます。しかし、その表現方法に限界を感じ始めた頃に、マティスの《豪奢、静寂、逸楽》を観て刺激を受けると、固有色にとらわれない強度あるコントラストと堅固なフォルムによる画面構成を行うようになりました。
 さらに1907年、サロン・ドートンヌで行われたセザンヌの回顧展に感銘を受けたデュフィは、その翌年にブラックと共に南仏のレスタックに滞在し、セザンヌ風に筆触を重ねて風景を描きました。
 その後、フォルムの輪郭のうちに色彩がとどめられることのない、線と色が互いに自律した表現によって大きな飛躍を遂げます。線から自由になった色彩は、さらに「光=色彩」という独自の理論のもと、空間に満ちる光のように画面を覆い、作品全体の美しい調和を生み出しました。
 こうした鮮やかな色彩による洗練されたスタイルは、今日まで多くの人々を魅了し続けるデュフィの最大の魅力です。



1937年に開催されたパリ万国博覧会のための装飾壁画《電気の精》



1949年 黄色いコンソール



まさに、線から自由になった色彩が、さらに「光=色彩」という独自の理論のもと、空間に満ちる光のように画面を覆い、作品全体の美しい調和を生み出す。



1948年 赤いヴアイオリン



1942年 アネモネとチューリップ

すごい感動ですよね。他の作品もあるから自分ごのみを探して・・・




馬に乗ったケスラー一家

石油会社の創業者ジャン・バティスト=オウグスト・ケスラーの注文による、家族の集合肖像画。デュフィの作品に特徴的な澄んだ青色の背景には、木々が装飾的に描かれ、画面を活気づけています。高さ約2m、幅約2.7mの大作 会場でも目立ちます
この絵がケスラー家の階段の踊り場に飾られていたようです。
なんちゅう家や・・・



1907年から1911年までの4年間、デュフィは木版画の制作に力を注ぎました。
今回もたくさん出展されています。モノクロームの世界です。
後期の展示予定ですが、絵葉書は売ってました
ミミズク
ふくろうファンなので思わず買ってしまいました。
小生の ふくろうコレクションのホームページはここ

あべのハルカスのおしゃれなエスカレーター



左があべのハルカスダイニングの14階からのエスカレーター
右が途中の踊り場から美術館のある16階へ

途中すれ違った女性が「ワァー すっごい オシャレ・・・」と感動してました

日本一おしゃれなエスカレーターですーー多分(笑)
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「レゴ・ブロック」で作った世界遺産展 PART-3

2014-08-20 | 街角の話し
2014.7.19から8.31 堂島リバーフォーラムで開催

「レゴ・ブロック」で作った世界遺産展も今回で3回目になる
2003年の第1回展開催から延べ約200万人を動員。

1回展は全国13ケ所で開催 2回展は2008年に開始、全国14ケ所に巡回した。

今回会場には、世界27カ国の世界遺産40作品が展示されてます  

2008.8 1回展に行きました。ブログはここ
レゴによる世界遺産展 堂島リバーフォーラム


hoso_yan のお誘いでした。今回はメールで案内を貰いました。

当時は、京阪中之島線中之島駅が出来ていませんでした 2008.10.19 開業
今回は中之島駅から歩きました。



今回は世界遺産になったばかりの富士山がお目当てです。

使ったレゴ 21,500 ピース

そして今回のもうひとつのお目当ては「はやぶさ」です。


はやぶさ です。
2003年に打ち上げられ、2005年小惑星「イトカワ」へのタッチダウンに成功。2010年に地球に帰還。世界で初めて小惑星からのサンプル採取に成功。
 小生の はやぶさのページです ここ




「宇宙から見た『世界遺産』SPECIAL」コーナーでは、宇宙飛行士の若田光一さんが宇宙からツイッターで発信した地球の写真等も展示されています


はやぶさ、H-ⅡBロケット 、だいち2号



会場風景 親子連れが多数でした


四川ジャイアントパンダ



スルタンアフメット・モスク



サグラダ・ファミリア 25、000ピース



モン・サン=ミシェル 6、800 ピース



アテネのアクロポリス



ウェストミンスター宮殿


コロッセオ


マチュピチュ

楽しいもので一杯でした。

今回初めて中之島駅で降りました。


駅の前はロイヤルホテルです

川に面した茶色の低い建物が堂島リバーフォーラムです。



レゴのスターウォーズ ダースベイダーです。

6年前は
レゴのスターウォーズ スト-ムトル-パ-でした。

変わってないね(笑)

小生のスターウォーズのホームページです。ここ

May the force be with you ... always

フォ-スと共にあらんことを 
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国宝 醍醐寺のすべて -密教のほとけと聖教-|奈良国立博物館

2014-08-16 | ア-トな話し

8/14に行ってきました~9/15までです

醍醐寺は都府京都市伏見区醍醐東大路町にある、
平安時代初期、空海の真言密教の流れをくむ聖宝(理源大師)によって 貞観16年(874)に開創され、以来千百年余り、真言密教の信仰と実践の場として発展してきた。
この間、醍醐、朱雀、村上天皇をはじめとする皇族、公家、武家の信仰を集め、豊臣秀吉の治世には「醍醐の花見」の名で知られる盛大な花見が開かれるなど歴史の表舞台においても重要な役割を果たした。

 また、奈良の地と醍醐寺とは、深いつながりをもっています。醍醐寺を開山した聖宝が東大寺で修行を積んだことに始まり、多くの僧侶が醍醐と南都を行き来しました。鎌倉時代に東大寺復興に尽力した重源や、西大寺を再興して真言律宗の教えを広めた叡尊も、若き時代に醍醐寺で修行をした後に奈良にやってきたのでした。また、大峯山や吉野を拠点として活動した当山派修験者たちは歴代の醍醐寺三宝院門跡を棟梁に仰ぐなど、さまざまな絆で結ばれていたのです。
 こうした醍醐寺の歴史と伝統は、大切に守り伝えられてきた膨大な古文書や聖教(仏教の教えや儀式に関する文書)によって知ることができます。昨年、これら文書聖教のうち約7万点が国宝に指定されました。

本展はこれを記念して開催するもので、彫刻や絵画、書跡、工芸品など国宝62件、重要文化財85件を含む約190件の寺宝を一挙に公開されます。

醍醐寺の参拝記はここ 2006年 2009年に再参拝

2009年4月に 上醍醐に参拝 参拝記はここ 
2008年8月24日の火災により、醍醐寺東側の山上にある西国三十三観音霊場第11番札所の「准胝(じゅんてい)観音堂」がほぼ全焼した。火災後上醍醐の入山は禁止されていたが、2009年1月7日から再開された。

今回の展覧会は国宝62件、重要文化財85件 堂々の集結!

これぞ 「醍醐寺のすべて」



重要文化財 弥勒菩薩坐像 快慶作

醍醐寺 三宝院の本尊。清新さと気品があります。
今回の展覧会のパンフレット等はこの仏像です



国宝 薬師如来及び両脇侍像

上醍醐薬師堂の本尊。半丈六(じょうろく)の大きさの薬師如来坐像に、等身よりひとまわり小ぶりの日光・月光菩薩立像が随侍する


重要文化財 不動明王坐像 快慶作

不動明王という忿怒尊でありながら、表情は品があり体躯のバランスもよく、さすがに快慶作という感じだ。


如意輪観音像

繊細さを帯びた瀟洒な姿と、光背周縁部の精微な透かし彫が美しい 

今回のひとつの目玉は上醍醐の五大明王像が一挙公開されると言うこと



重要文化財 五大明王像(五大堂安置)

左から
大威徳明王像  平安時代(10世紀)、軍荼利明王像  江戸時代 慶長13年
不動明王像 江戸時代 慶長13年、降三世明王像 江戸時代 慶長13年
金剛夜叉明王像 江戸時代 慶長10年

五尊がそろって寺外で公開されるのは、本展が初めてとなる。

2009.4に五大堂で見ました



以前に醍醐寺の霊宝館で「金天目」を見てがっくり来たことがあります。さすがに今回は光り輝いていました



金天目・金天目台
すり鉢形で、口縁がわずかにすぼまり、高台が比較的小さな、いわゆる天目形の茶碗

豊臣秀吉の「金の茶室」で使われたのかも


重要文化財 醍醐花見短冊

醍醐の花見の宴において詠んだ和歌を短冊に書き記したもの
普通は自筆が多いが、後日、清書して醍醐寺に納められたもの

最初の分は
「あらためてなをかへてみん深雪山うつもるはなもあらはれにけり 松」
残り二葉も秀吉のものと伝わる

素晴らしい展覧会だったが、入場料は1500円だった



八窓庵

博物館の中庭にある八窓庵は、もとは興福寺の大乗院庭内にあった茶室で、含翠亭(がんすいてい)ともいい、江戸時代中期に建てられまし た。江戸時代の名茶人、古田織部好みと伝えられる多窓式茶室として有名。
ここへ来るとカメラを向けたくなる。季節ごとに面白いですよ
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日本一高い ひまわり   貝塚市馬場

2014-08-16 | 街角の話し
昨年ブログに載せました
 「残念!」 日本一高い ひまわり   貝塚市馬場

去年は残念ながら時期が過ぎてしまってました。2013.8.17

今年は7月に一度下見に来ました。2014.7.22 一本咲いていました。高さは、まだまだでした

山薗僖大(やまぞの・よしひろ)さんにお聞きすると「お盆頃かな~」

と聞いていたので今朝行ってきました。




いくつか咲いていました。ここ元の天候不順のせいか元気がないのもありました。






今年の記録は7m15cm だそうです。
多分これでも日本一かも知れませんが・・ 8m いや9mなら文句なしだし、当面破られない記録に・・と山薗さんが熱く語ってくれました。



今年は下の方にもひまわりを植えていました。色鮮やかな品種です。来年はもっと多くなるかな?


写真撮影にも気楽に応じてくれました。



スイカ食べるかとご馳走してくれました。皮の薄い甘いスイカでした。ごちそうさまでした。




近くにはタカサゴユリが一杯咲いていました。



瓢箪とカボチャもたくさんあります。他のお客様から頂いたという風鈴が いい音を聞かせてくれます。

早朝でしたが心温まる応対 ありがとうございました。帰りに大きな長細いカボチャも戴きました。


7m上のひまわりの気持ちで下を眺めて見ました。
貝塚市 馬場

いい景色ですね。
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『モンゴメリと花子の赤毛のアン展』 心斎橋大丸

2014-08-11 | ア-トな話し
NHKの朝ドラはよく見ている 花子とアンだ。

『赤毛のアン』に代表されるモンゴメリなどの英米児童文学の日本語訳版を著し、明治から昭和の混乱期に翻訳家として活躍した村岡花子の半生をもとにしたテレビドラマである。

モンゴメリーと花子の赤毛のアン展は 作者 モンゴメリーと訳者 村岡花子に焦点を当てています。



作者 L.M.モンゴメリ
(1874-1942)
プリンス・エドワード島に生まれ育ち島の大自然と生活を愛しました。物語「アン・オブ・グリン・ゲイブルス(赤毛のアン)」にも、その美しい風景や生活が生き生きと描かれ、物語は、1908年の発表から今日まで、多くの人々に読み継がれています。


訳者 村岡 花子
(1893-1968)
「アン・オブ・グリン・ゲイブルス」を翻訳し、日本において「赤毛のアン」を誕生させました。彼女は、関東大震災、愛児の死や戦争という大きな苦難の中、子どもたちへ夢を与えることを信念に、アン・シリーズをはじめ数多くの翻訳作品や著書を生み出し続けました。




「赤毛のアン」は読んだことがないが・・・・


カナダからはるばるやってきた赤毛の女の子に息を吹き込んだのは翻訳家・村岡花子です。日本には、母国カナダ同様"アン"のファンが多く生まれましたが、それは、村岡花子の名翻訳に支えられたものです。本展覧会は日加修好85周年を記念して開催されます。  作家として、牧師の妻として、そして母として人生を生きたルーシー・モード・モンゴメリと、同時代に生き、戦前戦後の激動の時代に命がけで「赤毛のアン」を翻訳した村岡花子の情熱と人生を振り返ります。年齢を問わず、多くの人々の心をとりこにしてきた「赤毛のアン」の魅力を楽しもう

会場は若い女性で一杯です。

赤毛のアンのファンの人、NHKの朝ドラファンの人、それぞれに楽しめる展覧会です

展覧会では、村岡 花子には二人の親友が居てたと紹介されてます。



柳原白蓮と片山廣子 です

柳原白蓮は朝ドラでは葉山蓮子 仲間由紀恵が演じています。ドラマですから事実とは違うこともあるでしょう。
もう一人の片山廣子はドラマでは醍醐亜矢子  高梨 臨が演じています。なかなか結び付きません。ドラマだからいいのですが・・・色々と意見もあるようです。

赤毛のアンの原作の原名が  Anne of Green Gables グリーンゲイブルズのアンです。
 

グリーンゲイブルズはアンが住むことになるカスバート家の屋号であり、直訳すると、「緑の切妻屋根」という意味になる。

モデルとなった家はカナダのプリンスエドワード島にあります。

展覧会出口近くにはジオラマがありました。




A4サイズのクリアファイルです。




そして絵葉書

朝ドラでもいつも写るから見慣れて来ました。


そして、そして




マグネットです。

ショップではグリーンゲイブルズ以外は女の子の喜びそうな物ばかりでした
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崖の上のユリ

2014-08-11 | 街角の話し
岸和田の農産物直売所の愛彩ランドに行く直前の外環沿いを大阪方面に走行してると。
崖の上に、ユリがいくつも咲いているのが見えます。反対側の和歌山方面の崖の上にも見えます。

崖の上のポニョ ならぬ 題して「崖の上のユリ」。多分タカサゴユリです。


岸和田市 阿間河滝町 きしわだし あまかだきちょう 1号交差点の近くです






2009.8には熊取町で見つけました。

熊取町のタカサゴユリ ここ

ササユリは 犬鳴山で見つけました ここ

七宝瀧寺 参拝の時 ここ

ヤマユリは京都府立植物園で2007.7に出会いました。ここ
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熊取町のひまわり

2014-08-08 | 街角の話し
熊取町は我が町であり、町の花は「ひまわり」だ。

我が町の熊取を紹介するホームページです。 ここ 我が町熊取町

以前は地元の子供達が育てた ひまわり がありました。外環沿いです。
当時の写真は ここ

大きくて、たくさん。見事でした。最近は道路工事のせいで見かけなくなりました。残念です。

JR 熊取駅の前の きのくに信用金庫 に立派に咲いています。



熊取駅の名前も見えます




実家のある和歌山市ではATMを含めればアチコチきのくに信金です。


是非 これからも ひまわり 継続して下さいね。
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生誕120年 武井武雄の世界展-こどもの国の魔法使い-  

2014-08-06 | ア-トな話し

大阪高島屋7階グランドホール 8/6~8/18

長野県岡谷市に生まれた武井武雄(1894-1983)は、大正から昭和にかけて、「こどもの心にふれる絵」の創造をめざし、『コドモノクニ』『子供之友』『キンダーブック』などの児童向け雑誌で活躍しました。特に"童画"〈大人が描くこどものための絵〉という言葉を生み出し、それまで童話の添え物として扱われていた絵にいのちを吹き込みました。

武井武雄生誕120年を記念し、童画、版画、刊本作品、おもちゃ・陶芸など約400点にのぼる、過去最大にして故郷・長野県岡谷市以外ではじめての巡回展。


武井武雄が活躍したのは大正12年から昭和58年だ


イソップモノガタリ 表紙


ふねのなか 1964年(昭和39年)


たくさんある作品の中で私の一番のお気に入りがこれでした



空のむこう 1964年(昭和39年)


淡い太陽、緑の小山、頂上の城、大きな鳥、遠くの町、湖のほとりの小さな少女・・・・

いいですね。



そしてこの絵にはびっくりです



鳥の連作 NO.11 1973年(昭和48年)

ピカソ???岡本太郎????

昭和に青春時代だったけれど武井武雄さんの作品は残念ながら、今まであまり知ることが
なかった。

今の時代の絵本とも変わらないような気もします


以前に

デビュー20周年記念 島田ゆか 絵本原画展へ行ったことがあります。ここ



島田ゆかさんの絵本です


会場の出口に 塗り絵の用紙がありました
一枚貰ってきました。



久々にチャレンジしてみるかな~



展覧会は7階で行われますが、一つ下の6階には美術画廊があり、時々覗いています

素晴らしい作品に出会えますよ 高いですが・・・

観覧は無料ですが係員がきちっと付いてきます。写真撮影は出来ません。カタログもあまり見かけない。

そこで今回 【高島屋幻想博物館】が開催されます


■8月6日(水) → 12日(火)
■6階美術画廊



『高島屋幻想博物館展』は、東京・日本橋、大阪、京都、横浜、名古屋、新宿の高島屋各店にて開催されます。
現実にはないことをまるであるかのように心に思い描くこと、存在さえ疑わしい事柄に心を寄せること、など“幻想”は誰しも経験していることかもしれません。子供の頃に夢中になった本や漫画、映画などから思いをよせることも、そういった経験のひとつといえるでしょう。しかし、大人になるに連れ幻想の世界へのあこがれは心の片隅に追いやられてしまい、日常の中に徐々に埋もれていってしまってはいないでしょうか。今展では、そんな実態のありそうで無いものに思いを馳せ、形にしている作家による、幻想博物館を作りました。絵画、彫刻、工芸、それぞれの分野で活躍する気鋭のアーティスト、総勢27名が鑑賞者を幻想の世界へ誘います。この博物館の展示作品をご覧いただくことで、心の片隅に眠っていた不確かな“幻想”へのあこがれ、畏れ、など様々な思いを呼び起こすことができたら幸いです。

いつも通り、写真撮影は出来ませんが、今回はカタログが販売されています。
税込500円です。
そしていつも通り作品は買うことが出来ます。画廊ですものね



これがカタログです。30ページ程です。



cardiovascular
小俣英彦 1977年生まれ

cardiovascularとは心臓とそれに接続する血管によって構成された循環器の意味

まさに幻想の世界ですね




バシリスク

田畑奈央人  1969年生まれ

ひとめ見ただけで相手を即死させるという伝説の生物バジリスクと同じ名を持つ美しい爬虫類。その土台とするものは、その伝説上の犠牲者たちなのか・・・

まさに幻想の世界です

どれをとってもすごい作品の数々
いずれも販売値段が明記してます。

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大阪には はしがない?

2014-08-02 | 「へぇ~」という話し
大阪は、八百八橋(はっぴゃくやばし)といわれるほど、橋が多い所です。

落語には「大阪には “ばし”はあるけど “はし” は無い」というシャレがあるとおり、ほとんど ~橋(ばし)と言う名前がついています。

“はし” で直ぐに思いつくのは京都ですね。三条大橋(さんじょうおおはし)四条大橋(しじょうおおはし)五条大橋(ごじょうおおはし)他にもあるかも知れません。

大阪では思い出せなかったので調べてみました。

 ●北港大橋(ほっこうおおはし)  ●阪堺大橋(はんかいおおはし)  **大橋となれば、ありそうです。

ところで、大阪のビジネス街にある橋、淀屋橋(よどやばし)と普通呼んでいますが、橋の近くでよく見ると・・・



淀屋橋のここに橋名が刻まれています。

近づいてみました



何と、濁点がありません。「よどやはし」

天神橋、天満橋と共に浪華三大橋と称される難波橋(なにわばし)は、大阪市の大川に架かる橋。浪速の名橋50選選定橋。大阪弁では「ナンニャバシ」と発音する。

念のため調べてみました


ちゃんと“ばし”になっています。橋のところの表示のみ"はし" と表示する約束でもないようです。

「なんでやねん・・」

分かりませんね。


淀屋橋と言えば以前に 梅田の標識なのに、なぜ『福知山』の表示がある ここ
 


淀屋橋もやります。



真っ直ぐ行くと 和歌山 です。 そりゃ遠いで・・・
和歌山駅までは約 67.79km

和歌山生まれにはうれしいけれどね
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GODZILLA ゴジラ (2014)  映画

2014-08-01 | 映画・観劇・講演会
《吹替版》《デジタル3D》

これは3Dで観ないと思って行ってきました

3Dはアバター Avatar  以来です。アバターのブログはここ


怪獣映画の傑作として映画史に名を残す『ゴジラ』を、ハリウッドが再リメイクした超大作。突如として出現した怪獣ゴジラが引き起こすパニックと、ゴジラの討伐に挑む人類の姿を壮大なスケールで活写する。メガホンを取るのは、ギャレス・エドワーズ。キャストにはアーロン・テイラー=ジョンソン、そして日本人としては『ラスト サムライ』などの渡辺謙。
ゴジラの暴れぶりもさることながら、凶悪度の増したデザインもすごい。

1999年、日本。原子力発電所で働くジョー(ブライアン・クランストン)は、突如として発生した異様な振動に危険を感じて運転停止を決意。だが、振動は激しさを増して発電所は崩壊し、一緒に働いていた妻サンドラ(ジュリエット・ビノシュ)を亡くしてしまう。ここだけでもすごいドラマでした

それから15年後、アメリカ軍爆発物処理班の隊員である、ジョーの息子フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は、日本で暮らす父を訪ねる。原発崩壊事故の原因を調べようと侵入禁止区域に足を踏み入れた二人は、そこで思いも寄らぬ光景を目にする。


怪獣映画のエッセンスをギャレス・エドワーズ監督が甦らせた快作だ。黙示録としての54年のオリジナル「ゴジラ」に回帰しつつも、新たなゴジラ像にも敢然と挑戦しているのがすばらしい。

 原発事故、大地震、大津波と今の日本では映画にしにくいテーマ。これら日本でタブーとされた社会的事象に、しっかり切り込んでいます。

 人間は自然をコントロールしていると傲慢にも考えているが、それは逆だ。圧倒的な大自然の前にはなす術のない人間の無力さと、その大自然から生まれた巨大な脅威であるゴジラを思う存分描いている。西洋文明では人間や自然を創ったのは「神」であるとされているが、そういう意味で本作が西洋の文化圏で創られたのがすばらしい。ゴジラこそ、大自然が生んだ「怒れる神」であるからだ。

 怪獣ムートーがなかなか強くて、怪獣対決はスリル満点だ。人間社会が真っ暗な旧石器時代に引き戻されてしまう。人類の無力さが浮き彫りにされる。




売店で売り切れたら終わりということで売ってました。
飲み物と共で800円でした。立派な喫茶店並みの値段ですね。



飲み終わったあとは、はずして飾れます。
形も手触りも、メッチャいい。




 ゴジラの咆哮

おじいちゃんに連れられた、孫たちも居た。その内にゴジラの良さが分かるのだろう。

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